「でも私、まだ街全てを案内してませんから……その、そんな報酬なんて、受け取れませんっ」
「ですが、街全体を案内して貰っては余裕で日が暮れるでしょう。なら今日案内してもらえなかった範囲は明日に回すのが得策です。ですが、日が暮れるギリギリまで案内して貰っては、今日必要なあなたのプレゼントが買えないではありませんか。なら、前払いという形で先に支払っておくのが一番良い方法だと思いますが」
アルの提案をミュウが真っ先に断ろうとするのは分かっていた。今までの会話で真面目さが滲み出ていたので、あっさりと分かることが出来ていた。
だからアルは断られぬよう、あらかじめ行かせるに値する理由を考えていた。
「でも、その……それだと私、明日は案内しないかもしれませんよ?」
目ぼしい店は予め見つけていたらしく、第六区間――街の人向けの小さなお店もある農業区間へと足を運んでいた。
にも関わらず、彼女はまだ遠慮している。
現に今も、行きたい店の場所は第六区間と彼女自身が口を滑らせたから、アルが勝手にそちらへと向かい、その後を彼女が付いてくることでそこへと向かっているに過ぎない。
「それは無いでしょう。あなたが真面目だと僕自身が思ったからこそ、こうしたことをしている訳ですし。それにもし、明日あなたが僕を案内しなかったら……その時は、そうですね。僕の人を見る目が無かっただけの話です」
段々と、田んぼや畑などが目立ってくる、人気の無い地域になってきた。
今周囲を見渡しても、アルとミュウの他には人の姿が無い。
全てが全て農地という訳ではなく、家の庭を農地にしているような感じなのだが……それでもこの人の少なさは、同じ街とは思えないほどだった。
「ま、前金のようなものだと思って受け取っておいてください」
そう言うと、橙色に染まり始めた、二つに分かれた道の分岐点で彼女の方へと振り返る。
突然立ち止まったアルに驚きながらも、二つの道を交互に指差す彼の動作に、彼が何をして欲しがっているのかを悟る。
「でも――」
「それに、今また街の中央に戻れば、それこそ時間の無駄遣いです。ここはもう、この区間を案内するついでに買い物も済ませる、と思って、ついてきてくれませんか?」
「…………」
「これも、依頼内容の一環だと思って。ね?」
「…………分かりました」
渋っていたミュウを説得し続けることようやく、彼女はこちらですと言いながら左側の道に向かって歩き始めた。
その表情は諦めているようだったが……さっきまでのソレとは違い、どこか嬉しそうな表情だった。
嬉しさを誤魔化すために、諦めているフリをしているのが分かるその表情。
呆れている、に果てしなく近い、嬉しさが滲み出てしまっているその表情。
何だかんだで買えるのが嬉しいのだろうと分かるその表情に、自分を追い抜いたその小さな背中に向かって、アルは自分でも無意識のうちに笑みを浮かべてしまう。
それもまた、どこか嬉しさの漂う、微笑ましい表情。
まるで似ていない、歳の離れた兄妹のようにも見える、仲の良い雰囲気を漂わせながら、二人はミュウ自身の目的地に向かって、明るいのに人気の無い道を、遠くに小高い丘が見える静かな道を、ゆっくりと歩いていく。
「あっ」
そうして互いに静かに歩くことしばらく、ようやく目的の店が見えてきたのか、アルと並んで歩いているミュウが小さく声を漏らした。
そんな彼女の視線を追って見えたのは、二階が住居になっているのが分かる、一つの小さなお店。
遠くから見た感じは、大したこともないただの古ぼけた雑貨屋のように見える。軒先に吊るされた手作り臭の強いいくつもの手提げ袋、ハンガーに吊るした数々の衣服、壁に立てかけてある数多の箒とモップ、地面に直に置いてあるザルと、その中に詰め込まれた安っぽそうな小物類。そうして眺める感じでは、とてもじゃないが記念日として送るのに向いているものがあるとは思えない。
が、その店に近付くにつれ、その考えは払拭されてきた。
見えてきた入口から、目を凝らして店の中を覗き見れば、意外にもガラス張りで作られたショーケースが見えた。
身長大はあろうものと、腰の高さまではあるものが。
身長大のケースの中は、外に飾られているソレとはまったく違う、高級感漂う衣服が。
腰の高さまでのケースの中は……生憎とここからじゃ見えないが、おそらくその中には、ザルの中にある小物以上の高級感漂う小物が展示されているのだろう。
「なんと言うか……」
滅茶苦茶だな、と言葉を続けようと思ったら、ミュウが駆け足で店の中へと入っていったので止めておいた。
品物が逃げることは無いだろうが、早く手にしたいのだろう。待ち切れなさそうな表情を浮かべていたのがソレを物語っている。
……何だかんだで、やっぱり安心できるよう早く手に入れておきたかったのか……。
なんてことをアルは思いながら、店の中に入って行ったミュウを追いかけて同じく店の中へと入る。
意外にもショーケースがあったのは店の半分だけで、残りの半分は子供向けのおもちゃが沢山置いてあった。
お世辞にも広いとは言えない店の中。先に入ったミュウの姿は探すまでも無く見つかった。
腰の高さまでのショーケースを覗き込むその表情は……かなり動揺している。
記念日のための品物を買える喜びの表情……では、百パーセント無かった。
「あれ? えっ?」
思わず口をついている独り言は、焦りから出るものか。ショーケースの中を見ている視線は、何度も行ったり来たりを繰り返している。
「……ぃ――」
「ん?」
何と言ったのか聞き取れず、思わず聞き返してしまう。
が、そんなもの、さっきまでの反応を見ていれば明白だ。
「無いの……欲しいと思って物が、無いの……」
やっぱりか……、と、聞き返しておきながら、アルは思った。
「それってどんなもの?」
「ここに飾ってあったの。ペンダントが。とってもキレイな、幾つもの星がキレイに重なったペンダントがっ」
「すいません」
ショーケース越しに一つの空白を指差すその姿を視界に納めつつ、店の奥にいるであろう店員を呼ぶ。
「はいはい、どうかしました?」
と、奥からふくよかなおばさんが、草履を引っ掛けてこちらへとやってきた。
「ここにあったペンダントって、もう売れてしまったんですか?」
「あぁ〜、そうねぇ〜……確か、ついさっきだったかな? 買って行ったお客さんがいたわ。結構な美人さんだったわねえ。隣の奥さんと話してる時にやってきたから覚えてるわあ。しかも、この街で見たことも無い若い人だったから、アレ絶対に旅の人よ。あんな人に買って行ってもらえるなんてじつは高価な物だったのかしらねぇ……でも主人がてきとうに買い付けたものだし、あたしの趣味でもないから売れてよかったんだけど。正直、ショーケースの中のものって売れないしねえ」
「そ、そうなんですか」
「そうなのよお。あ、アレが欲しかったの? でも無くなっちゃったもんねえ……じゃあこれなんてどう? 青い石が埋め込まれてるネックレス。キレイでしょ? 可愛いでしょう? 妹さんへのプレゼント? あれ? でもお兄さん見たことない顔だねえ。この子はよくケースを覗きに来てたから覚えてるけど。もしかしてお兄さん初めてかい? あ、おねだりされちゃったのか。あっ、でも待って。お兄さんの服装、どう見ても旅人よね? 腰に剣差してるし。腕に盾付けちゃってるし。いやあ、カッコいいわあ。その背負ってるナップザックが無かったらもっとカッコイイのに」
「はぁ……どうも」
おばちゃんのマシンガントークに圧倒されるアルの傍ら、ショックを受けたことが丸分かりな、この世の終わりといった表情を貼り付かせたまま、二人に挟まれる形でずっとケースを覗き込んでいたミュウが、ふと、悲しげに瞳を閉じる。
そんな彼女の様子にアルが気付いた頃には、瞳を開け、さっきまでの表情を全て払拭し、この店に入る前の、街を案内していた頃の表情へと、戻る。
「無いなら仕方ありませんね。では、諦めます」
そして、何事も無かったかのようにそう言うと、店を出て行こうとアルの横を通り抜ける。
「ちょ、ちょっと待ってください」
もしこれが、さっきの悲しげな表情を見ていなかったのなら、こうして止める事は無かっただろう。ただ諦めただけだと思っただろう。
だが、見てしまった。
見てしまったからにはその気持ちが気になるし、何より、彼女の当初の目的がまったく達せられていないという真実が、さらにアルの心を引っ掛ける。
「良いのですか? 先生のプレゼントを買っていませんが」
「良いんです。アレ以外は、正直考えていませんでしたから」
「この青のネックレスは……」
「それでもきっと喜んでくれますから、たぶん構わないでしょうけど……でもあのペンダントがあった以上、やっぱりこの店ではアレ以上のものを求めてしまいます。我侭なのは分かってます。だからもう、良いんです。今日は」
「今日はって……今日が記念日なのでしたら、今日渡さないと意味が無いのでは……?」
「まぁ、そうですね。でも、だからと言って、私が納得しないものを渡しても、意味が無いような気がして……自己満足ですよ、ただの。だからその満足を満たすために、当日渡すけど中途半端な物か、一日遅れるけど完璧な物かを天秤にかけ、私は後者を選んだんです」
「…………。……あっ、でしたら、今から露店が沢山ある区間に足を運びましょう。そこで見つけることが出来れば、今日中に渡すことが出来ます」
「何を言ってるんですか、アルさん。もう夕方間近です。たぶん街の中央に戻ったら、もう夕陽が輝いていますよ。それだと露天も少なくなってますし、何よりアルさんの宿を先に見つけないと。買ってもらうのは、街の案内の報酬なのですから」
「そんなことは構いません。僕の勝手です。僕が大丈夫と言うのですから、大丈夫です」
「そんなちゃんと仕事をしていないのにもらえる報酬で買ったって、結局私の満足心は満たされませんっ! 私自身がちゃんと働いて、私自身の力で手に入れたお金でちゃんと買うことに、意味があるんですっ。先生に、私も少しは頼りになるでしょと、もう少し頼っても大丈夫だよと、教えることになるんです。……ですから、それじゃあ、意味が無いんです……」
「…………」
力が抜けていくように、段々と小さくなっていく声。
その声に対して何も言い返せないでいると、ミュウは無言で、そのまま店を出て行ってしまった。
とは言っても、店の外でちゃんと待っていてくれているだろうが……。
……だが、このままではダメだと、アルは思う。
何もせず、このまま彼女に何も買ってやれないのは、ダメだと思う。
……確かに、今プレゼントを買えないのは、彼女が勝手な自己満足心を満たそうとしているため。ソレさえ払拭するのなら、プレゼントなんて、あっさりと買うことが出来る。
でも……今まで孤児で頑張ってきた子が――今まで自分の心を抑えてきた子が、抑えてきた自分の心に素直になりたいと言っているのに、何もしてやれないのは、ダメだと思う。
歳相応の我侭を言っているだけなのに――我侭ばかり言っている子供とは違い、今まで言ってこなかった“たまの”我侭を言っているだけなのに、ソレを叶えてやれないのは、ダメだと思う。
大人として、子供を真っ直ぐに成長させるのは、当然のことだから。
そのために、頑張れば報われるのがこの世界だと、子供に夢を見せてやるのが、大人の役目だから。
だからこんな、歪んだ大人の現実を見せ続けたままの生き方だけをさせていては、ダメなんだ。
でも……今の自分に、何が出来るだろう……?
そのペンダントを買った旅人を見つけてあげることも出来ない自分に、一体何が出来るだろう……?
「あっ」
その時になってアルは、ふと、思い出した。
「すいません。こちらでは、プレゼント用の包装は承ってくれますか?」
「ああ、当然やってやるよ」
今まで黙ってことの成り行きを見守っていた店主のおばさんに確認を取るとそう返ってきたので、アルは改めて別の懸念事項を訊ねてみる。
「それは、この店の商品じゃなくても大丈夫ですか?」
「う〜ん……本当はしないことになってるんだけどねえ……ま、あの子のあんな悲しそうな顔見てたら、そんなこと言えないね。ま、アレよ。ちゃんとあの子を喜ばせれるなら、って条件付でなら良いよ」
「それは助かります。では、これの包装を……あ、ですがその前に、彼女自身にも確認を取ってもらいたいですね……すいませんが、ちょっと待っていてもらえませんか?」
「そんな面倒くさいことしなくて良いのよ。簡単に開けれて、簡単に締め直せるように包装してやるわよ」
「重ね重ね、本当に助かります」
ではこれを。
そう言ってアルは、ある物をおばさんに手渡した。