「…………」
アルの足が、止まる。
そして再び、例の鋭角へと向き直る。
……そもそも、彼にそんな生き方が、出来る訳がない。もし出来るのなら、街の外でおじさんに少女の話をされた時、その少女に話しかけようだなんて行動を、起こさない。
お金を払う気持ちにさせられることが、容易に想像出来るから。
だが彼は、その行動を起こした。
それはつまり、困っている人がいれば見過ごせない、そんな彼の性格を、如実に現しているということになる。
「ふっ!」
だから彼は、駆け出した。
吐き出した息も静かに、姿勢を低く、物音一つ立てず、その鋭角の建物目掛けて、全力で躯を爆ぜさせた。
そして鋭角になっている壁を、ダンッ! と勢い良く飛び上がりながら蹴りつけ、走ったことでついた身体の勢いを極力殺さぬようにしながら、身体の方向を変える。
「っ!」
壁を踏みしめた音に驚いた男達が、一斉に彼へと視線を向ける。
が、遅い。
その僅かな呆然の間に、方向転換が完了し着地した瞬きの間に、彼は勢いを殺さぬよう再び躯を爆ぜさせ、少女の足と足の間に体を進めていた男目掛けて――
「死にさらして下さい」
――勢いを乗せた跳び膝蹴りを、丁寧な口調と共に全力で放った。
己を少女の中に侵入させるためにしゃがみ込んでいた男の顔にソレは見事に決まり……声を上げる間もなく、男の体が崩れていく。
が、このまま少女の上に覆い被さられても迷惑なので、鼻の骨を折ったのが伝わってくる足とは逆の足を、すぐさま男の前に回りこませ、その胸を勢い良く蹴りつける。
それも、蹴り上げた彼自身の体が高く上がるほど、全力で。
そうして浮き上がる感覚の中、男達と同じように自分の姿を呆然とした目で追っている少女の、男の分身を握らされるために上げさせられていたその小さな手を取り、引っ張り上げる。
後はそのまま浮き上がる感覚に身を任せ、少女を囲っていた男達を越え、彼が駆けて来た方向とは逆の行き止まりまで向かい、そのまま大きな着地音を響かせる。
「…………」
シンッ、と静まり返った空間の中、アルは衝撃を軽減するために曲げた膝を伸ばし、男達へと向き直る。
もちろん助けた少女は、自分の後ろに置いて護るように。
そこまでしてようやく――
「…………えっ?」
――男達の中にいる誰かの、そんな間抜けな声が聞こえてきた。
……少女を囲っていた男達には、あまりにも一瞬で、あまりにも予想外すぎる出来事過ぎて、何が起きたのか理解出来なかったのだろう。
少女を犯せると興奮し、これからの楽しみに思いをはぜていると、突然通りの方から大きな音が聞こえた。
反射的にそちらへと視線を向け……たかと思ったら、見たことも無い男がこちらへと駆け出して来ていて……何か反応する間もなく、少女を犯す一番の権利を得た仲間の顔面に膝蹴りが食らわされていて……それからどう反応しようかと思っている間にも、膝蹴りを食らわせた男は、その体勢から仲間の胸板を蹴って高く舞い上がる、なんていう離れ業を見せ付けてきて……その身体能力の高さに思わず見惚れてしまっていたら、倒して犯そうとしていた少女の手を取って抱き上げて、高く舞い上がった勢いのまま囲っていた少女を救出し、行き止まりを背に少女を護るように立っていた。
……そんな、本当に一瞬の、本当に予想外過ぎる、何が起こっているのか理解するだけで終わっていた出来事に、理解が出来なかった。
何が起こったのか分かっても、その出来事の全体像が、全く掴めなかった。
「な……にもんだ……テメェ……」
だから、本人に訊ねてみた。
訊ねるしかなかった。
分からないことは、そのまま恐怖へと繋がるから。
恐怖はすぐさま、忘れ去りたかったから。
「…………」
だがその質問を本人――アルは無視し、答えることをせず、再びしゃがみ込みながら振り返り、庇うように後ろへと追いやった少女へと話しかける。
乱れた服を申し訳程度に正し、腰が砕けたような状態で、自分で自分の体を抱きしめて、俯き、泣いているかのように震えている少女へと、話しかける。
「大丈夫です。そんなに震えないで下さい」
「テメェ……何もんだって聞いてんだよ!」
「不安なのは分かります。怖かったのも分かります。ですから僕が、あなたを助けます」
無視。
「何だその態度は! 無視しようってのかっ! えぇ!?」
「この状況から抜け出せるよう、全力で努力します。目の前の不安を、必ず取り除いて見せます」
無視。
「はは〜ん……さてはお前、俺達が怖くなったから無視しようって算段か?」
「ですが、僕が出来るのはここまでです。今日作ってしまった心の傷は、僕ではどうすることも出来ません」
無視。
「……テメェ……!」
「ですがどうか、その心の傷が元で、歩むべき道を外さない下さい。確かに、あなたを傷つける大人は沢山います。ですがあなたが思っている以上に、あなたを守ってくれる大人も沢山います。……そのことをどうか、憶えておいてください」
男からの言葉は、あくまで無視。
無視を続け、答えを返さず、震えて俯いたままの少女に、言葉を投げ掛け続ける。
いまだ顔を上げない少女へと、励ましになっているかどうか分からない言葉を、投げ掛け続ける。
だがその態度を、男が当然気に入るわけも無く――
パァン……!
――アルに注目してもらうために、懐から黒い塊を抜き放ち、奥の壁に狙いを定め、その引鉄を絞り、小さな鉄の弾を撃ち放った。
「…………」
大きな音が、狭い空間に反響する。
火薬の匂いが、狭い空間に充満する。
少女の嗚咽が、狭い空間から一瞬だけ、消えてなくなる。
……それでもアルは振り返ることはせず、ただ壁に埋もれた小さな鉄の弾へと視線を移す。
人の頭を勢いよく叩きつければ、間違いなく頭蓋骨にヒビを入れることが出来るだろう、硬い壁。
その壁に鉄の塊を埋もれさせるほど威力を持たせ、放つことの出来る武器。
……聞いたことはあるが見たことは無いその武器を見るためにアルは――
「すいません。荷物を見ていてもらえますか?」
――背負っていたナップザックを少女の目の前に降ろしてから、立ち上がって男達へと再び向き直る。
鼻の骨を折って気絶させた仲間を気遣う男達と、アルの行動に気を良くしているがまだ少しだけ苛立っているのが分かる男の表情が見えるが、そんなことは気にせず、その苛立つ表情を見せて先頭に立っている男が突きつけている、小さな闇のような穴をこちらに覗かせている黒い塊を、静かに見据える。
名は確か……銃、と言ったか。
手首を捻ることなく、力をつける必要も無く、ただ握り込むように持って、人差し指一本でこちらに遠距離攻撃が出来る、その武器。
L字を倒し、先端をこちらに向けるような形をした、アルが見たことの無い、その武器。
……だが、壁に埋もれる鉄の弾を見る限り、一撃受けるだけで確実に致命傷になるだろう、恐ろしい攻撃力を秘めた、その武器。
「はっ!」
アルが黙って武器を見据えていることでさらに気を良くしたのか、小バカにしたような男の嘲笑が聞こえてきた。
「もしかしてお前、ビビってんのか? ま、それも当然だわな。なんせ銃を突きつけられてんだからな」
男の言葉に、やっぱり銃って名前で合ってたか、とか思いながら、ようやく男自身を睨みつける。
「それが銃、と呼ばれる物ですか。始めて見ました」
「はっ、そんな訳ねぇだろ。世界にめちゃくちゃ広まってる武器じゃねぇか。知らないってんなら何処の田舎に住んでたって話なぐらいにな。ビビってた誤魔化しにしちゃ、それはちょっと苦しくねぇか?」
「誤魔化しでも何でもなく、ただ僕自身がとても時代錯誤な人間でして……まぁ、そんなことはどうでも良いんです。大事なのは、危ないと知りながら僕たちにその武器を向けたことですよ」
「それの何が大事なことだってんだ。脅すために発砲する、ただそれだけの話だ」
「脅し、ですか。なるほど、僕に狙いをつけたのにあんな場所へと弾が向かった訳ではないのですね。ですがそれなら、最初から僕の後頭部をしっかりと狙って撃つべきだったと思いますが」
「なに……?」
「脅し、なんて行為は、自分が相手にとって優位であってこそ成り立つものです。あなたが僕よりも優位な位置に立っている? 思い上がりも甚だしいですね」
「っ……! ……テメェこそ、銃の威力を知らねぇからそんなに思い上がってんじゃねぇのか?」
男の表情が、怒りの色に染まってくる。
だが気にせず、アルは続ける。
「威力なら知っていますよ。壁に埋もれた鉄の弾、ソレを見るだけで分かります。一発当たるだけで致命傷になる、ということぐらいは」
「はっ! だったらテメェの方が不利だってことじゃ――」
「それはありません。何故なら、僕にその武器が当たることはないからです。いえ、正確には、この場所、この状況なら、当たることは無い、でしょうか」
「……んだと……!」
「確かにその武器は素晴らしい。ですがその素晴らしいと言える理由は、あくまで“持つ者全ての戦闘能力を一定以上に引き上げることが出来る”ことにあります。つまりは、その武器を持って強くなったところで、その強さは、あなた自身の強さでは無いと言う事です。そのことに気付き、鍛錬をしている者は確かにより強くなることでしょう。ですがそのことに気付いていない、あなたのような弱い人では、僕は殺せません。持てば誰でも強くなる物を持ち、粋がって、強くなったと勘違いして止まっているあなたでは、僕に勝てません」
「……クソが……! 調子に乗るなっ!」
バカにされたことに対する怒りか、怒号を上げながらも、今度はしっかりとアルの眉間に狙いを定め、その引鉄を絞り、鉄の弾――銃弾を放つ。
「なっ……!」
……だが、その弾がアルに当たることは無かった。
引鉄を絞った瞬間、弾が放たれるほんの数瞬前に、アルが首を傾げるようにして、その銃弾を避けてみせたから。
「だから言ったでしょう。僕にその武器が、当たることは無いと」
驚きの声を上げた男とは対称的に、今にも笑みを浮かべそうな声色で、アルは言ってみせた。
「まさかテメェ……銃弾を避けたってのか!?」
「それこそまさかですよ。目にも見えぬほどのその速い攻撃を、避けられる訳がありません。ただそうですね……銃を突きつけた瞬間に、何処に狙いを定めているのかを見極め、指の絞りから、どのタイミングで弾が放たれてくるのかを見切っただけですよ。つまりは、弾が放たれる前からその位置から移動していた、ということです。ほら、避けている訳ではないことが分かるでしょ」
驚きの中放たれた男の疑問に対し、平然と、そう答えてみせる。
が、それが人間離れした行動なのは明らかだ。
銃口の向きから放たれてくる銃弾の向きを見極めたり、指の僅かな動きからどのタイミングで銃弾が放たれてくるのかを見切るのは。少なくとも、銃を扱える者、扱った者と対峙した者なら、そのことが分かる。
対峙している数が多いだけに、自然と分かってしまう。
だから余計に男は驚き、恐怖してしまう。
そして頭の中に、ある言葉が過ぎり始める。
コイツには、今の現状では、どう足掻いても勝てない、と。
だが当然、ソレをあっさりと認めることなんて出来ない訳で――
「……んなこと……分かるかよっ!」
――今度は身体に狙いを定め、二発の銃声を鳴らす。
「……くっ……!」
だがそのどれもが、アルの身体に当たらない。
身体を逸らして避けられたり、左腕に着けられている盾で弾かれたりして、当たることがまるで無い。
予めそこに来ることが分かっているアルの前では、まるで最初からいないところに狙いを定めていたかのように、まるで身体の前で構えていた盾に吸い込まれたかのように、銃弾が向かっていってしまって、当たる気配が全く無い。
「おい、テメェら! 銃を構えろっ!」
そのことに恐怖を感じながらも、僅かに後ろを振り返り、仲間に指示を送る。
一人の仲間が蹴り倒されてからここずっと戦意を喪失していた仲間に、指示を送る。
「なぁおい……! もうやめた方が良いんじゃねぇのか……!?」
その中の一人が、震えそうになる声を抑えながら、そんな言葉を男に向かって投げ掛ける。
「こいつ絶対おかしいって……! 走ってた勢いがあったって言っても、男一人を膝蹴り一発で沈めちまうんだぜ……! とっとと逃げるのが一番に決まってる!」
「んだと……! 仲間が倒されてんだぞ!」
「だからこそだ! お前はコイツの状態を見てねぇからそうして言えるがな、今コイツ、相当ヤバイ。鼻の骨が折れて血が出てるぐらいなら、普通すぐに話せるだろ? だがコイツ、白目剥いて口から泡吹いてんだよ。……たぶん、脳もやられちまってんだ……。……分かるか? 膝蹴り一発で、だぞ? 早く病院に連れて行かねぇと、もしかしたらこのまま……」
「ぐっ……! だがこのままだと、逃げ出そうとしたところで全員、同じ目に遭っちまうんだぞ! だったらここで、全員で一斉射撃をして殺してから病院に連れて行った方が良いじゃねぇのか!?」
「それは……確かに……」
「もうメンツとか関係ねぇ……女も関係ねぇ……逃げるために、あの男に立ち向かうべきなんだ」
「仲間思いのことを言っているところ悪いですが、僕としましても逃げてくれるのなら、追いかけるなんて無粋な真似はしませんが」
そう男達の会話に割り込んだアルの気を遣った言葉はしかし、逆に男を怒らせてしまったのか、睨みつけてくる瞳を鋭くさせてしまう。
「その言葉のどこを信用しろってんだ?」
「そうですね……どこも信用できませんね」
「だろ? だったらここで、俺たちに撃ち殺されろ」
その言葉を合図に、男と、その後ろにいる仲間達が、一斉に銃口を向けてくる。
合計六丁にも及ぶ銃。
普通に考えて、避けきれる訳が無い。
だが男とその仲間達の中には、予感めいた、共通する思いがあった。
これだけの数の銃弾でも、コイツは避けるのでは、と、そういう思いがあった。
だがその胸のうちを、誤魔化す。
これだけの危機的状況でも、目の前の存在が平然としているから錯覚しているだけだと、必死になって、心の中を、誤魔化す。
これだけの数を避けれるはずが無いと、防ぎきれるはずが無いと、そう呪文のように心の中で唱えることで、誤魔化す。
「撃ち殺されろ……ですか。ま、それだけ銃を突きつけても、無理なものは無理ですが」
「ほざけっ! 無理なはず、ねぇだろうがぁっ!」
アルの澄ました言葉に、まるで自分に言い聞かせるかのような叫び声を上げながら、男は引鉄を絞った。
放たれる弾丸が、アルに突き刺さる――のを確認する間もなく、後ろにいた仲間も一斉に、引鉄を絞り始める。
離して、絞る。
ソレを連続で、繰り返す。
さっきよりもこの狭い空間に火薬の匂いを充満させながらも、硝煙のせいで前が霞んできても、反響する音で耳がやられてきても、止めることなく、連続で、引鉄を絞り続ける。
…………。
…………。
……どれだけの銃弾が放たれたのだろう。鼻につく火薬の匂いが充満する中で、先が霞むほど真っ白な硝煙の中で、あまりの暴音で振動された空気の中で、ようやく、銃声が止む。
全員の、全ての弾が放たれたのだろう。
一人約二十発だと想定しても、合計約百二十発。
そんな中で生きている人間なんて、普通はいない。
「なっ……んで……!」
だが、火薬の匂いがしなくなってきた頃、先の霞が取れて見えてきた頃、空気の振動を感じなくなってきた頃、見据えたその先にはアルが、平然として立っていた。
左腕につけてある盾を前に突き出すような格好のまま、傷一つ無く、静かに立っていた。
「……現在の二大術技は、確か機術と医術でしたっけ」
呆然とするかのような男の疑問にアルは、答えとは程遠い言葉を、何事も無かったかのように、静かに呟く。
「今あなた方が持っている銃を礎とする機術、そして医薬品を礎とした高度な治療術の医術。……では、その前が何だったか、あなたに分かりますか?」
「…………」
「答えは、この街の水路を作り上げるのに用いられた魔術と、法術と呼ばれるものです」
無言を知らないと受け取ったのか、アルは一人で、誰が聞いてるとも分からない言葉を、淡々と続けていく。
「では、その二つが栄えていた時代はいつなのか? これも簡単です。勇者と魔王が現存していた時代です。何故なら、その頃は魔物がその辺りにウジャウジャといましたからね。もしその頃から機術が栄えていたのなら、人々は魔物に恐怖するなんてことは無かったでしょう。その武器は、どんなに弱いお方でも、ある程度の強さまで引き上げることの出来るものですから。そうすれば人々全員が戦う力を得たことになり、全員が戦力になる訳ですから。戦う人が多くなるというだけで、精神面での負担はゼロになると言っても過言ではありません」
さて、前置きが長くなりましたが、と言って一息。
「どうして僕があの弾の雨の中で生きていれているのか、でしたね。それはですね、この左腕に着けている盾が、法術の力を秘めた法具と呼ばれる物だからです」
「法、具……?」
掲げるように見せられたその盾を凝視しながら、無意識的に口が開いたように呟いた男に向かって、そうです、とアルは続ける。
「そもそも法術とは、体内にある魂(コン)と呼ばれるエネルギーをあらゆる部位に巡らせる事で、あらゆる効力を発揮させることにあります。例えば、走る速度を急速に速めたり、膝蹴りの威力を高めたり、などですかね」
その言葉に、男達が一斉に気絶させられた仲間へと、視線を向ける。
「そしてソレは熟練者になれば、自らの肌に触れている物にすら行えるようになります。身に着けている鎧と自らの殴られる箇所にそのコンを集め、防御力を飛躍的に高める、なんてことも可能になります」
その事に気付いていながらも、アルは何事も無いかのように、説明を続ける。
「物にコンを込める、というのは、そのままその物体を硬くすることを意味します。剣にコンを込めたところで切れ味が増す、などはありません。ですが、そうして硬くする以外に、特殊な能力を発現してくれる武具がありません。それが、法具です。例えばそうですね、僕のこの盾のように、掲げた先を広範囲に渡って守ってくれる結界を作る、などの物のことです」
「じゃあ……テメェはそれで助かったってのか?」
「ええ。その証拠に、私の前に横線を引くかのように、弾の残骸が転がっているでしょう?」
その言葉に視線を下げてみれば、確かに、硝煙が晴れて見えやすくなってきている地面には、彼の前で何か壁に阻まれたかのように、一直線に、彼へと放った銃弾が転がっていた。
「……チッ……!」
「さて……」
先頭に立っていた男の舌打ちを合図に、アルは掲げていた腕を下げ、気持ちを切り替えるかのように、そう小さく呟いた。
「講釈はここまでにしましょう。今重要なのは、これだけ力の差を見せ付けられて尚、あなた方は僕に戦いを挑んでくるかどうか、です」
その言葉に、男達の中に動揺が駆け巡る。
「銃の弾を全て放ったのでしょう? 残されているのは素手での戦いですが、どうされます?」
アルはまたもや、その駆け巡っている動揺を無視し、同じように言葉を続ける。
「ちなみに言い忘れていましたが、実はこの腕の法具、結界展開以外にもう一つ能力がありましてね」
そう言うと、いつの間にそこに生えていたのか、盾の中から手首に向かって伸びている、一本の棒を掴む。
そして――
「それは、触れられないようにし、見えないようにしていたこの短剣の封印を、解く事です」
――勢いよく、柄から剣を抜き放つかのように、その棒を盾から引き抜いた。
そうして右手に握られたのは、一つの短剣。
刃渡り三十センチ程度の、本当に短い、文字通りの、ただの短剣。
腰に差してある剣ではこの狭さは逆に不利であったが、この短剣は、違う。
短いからこそこの狭い場所では有利になる、そんな得物だった。
「ただの短剣、ではありますが、もし素手で戦うのでしたら、あなた方にとって不利になること間違いなしですよ」
そう言ってニコやかに、顔の横にその短剣を持ち上げる。
前面を護る結界を持ち、腕のリーチを越える短剣(ぶき)も持っている。
そして何より、自分達が見たことも聞いた事も無い、特殊で非常識な盾を持っている。
この状況下において、まだアルを襲おうと思えるはずも無く……。
「逃げるのなら、本当に俺たちを追撃しないんだな……?」
大人しく、当初のアルの提案を呑み込み、信用できない言葉を信用し、攻撃されないことを静かに祈りながら、この場を離れるしか、男達には手段が残されていなかった。
「もちろんです」
「チッ……信用できねぇが、ここまでされたら信用するしか手段がねぇ……」
そう言葉を発しながら、後ろ手に、仲間達に逃げるよう指示を送る。もしかしたら、彼がこの集団の中でのリーダーだったのかもしれない。
その証拠に、当の先頭に立っていたこの男はその場に残ったまま、アルを睨み続けている。
仲間達が、傷つけられた仲間を担いで逃げる中、一人その場に残ったまま、アルを睨み続けている。
「なぁ、最後に聞かせろ」
「何でしょう?」
「テメェ、何もんだ……?」
「そうですね……ただの歴史学者ですよ」
「ウソつけ。ただの歴史学者が、そんな物持ってる訳ねぇだろ」
「そんなことはないでしょう。歴史学者だからこそ、こういう古い物を持っていたり使ったりするものです」
「持っているだけならまだしも、使える時点で“ただの”歴史学者じゃねぇだろうが」
「おや、バレましたか」
「チッ、いちいち鼻につく喋り方だ……このウソツキ野郎が」
「ええ。僕は大ウソツキ野郎ですから」
「……で、何もんなんだ? 結局」
「そうですね……ただ者じゃない、歴史学者ですよ」
「けっ……そうかよ」
その言葉を最後に、先頭に立っていた男も、その場を立ち去った。