悲鳴が響く。
二十間近の女性から、見た目とは裏腹な痛みと絶望に満ち満ちた悲鳴が、洞窟のような広い空間に鳴り響く。
「……どうして……!」
刃を突き入れられた腹部を押さえながら、目の前の青年に恨みを込めた瞳を向けながら、その女性は苦しそうに、声を上げる。
「どうして、私を殺して皆を助けるの……! 勇者っ!」
「どうして……? 簡単なことだ。お前が、皆を滅ぼそうとするからだっ!」
突き入れた刃を下ろし、消え行く命を見守る、勇者と呼ばれたその青年の言葉。
長い髪を一つの紐で束ね、発した言葉と同じ真っ直ぐな瞳をしたその青年は、むしろお前の方こそ、と苦々しく呟く。
「どうして、人類全てを滅ぼそうとした……!」
「どうして……? それこそ、簡単なことよ。私が魔王で、私が、人間のことを嫌いだからよ」
「魔王? 違うだろ? お前は、自分で魔王になろうとした! 人間全てを滅ぼすために、敢えて悪になろうとしていたっ! だから、どうしてなんだ……? どうして、お前のような奴が……そんなことを……っ!」
「そんなこと? 何を言ってるの? 人間なんて、全て滅びるべきなのよ。あんな、自分のことしか考えない、少ししたら昔のことを忘れて同じ過ちを繰り返す、腐った醜い存在なんて……」
「そんなことはない! 人は、人間はっ、皆が皆を思いやれる、他人のことを一番に考えられる、そんな素晴らしも美しい存在だ! 腐ってなんていない、まして醜くなんて絶対に無いっ!」
「……勇者、あなたは何も分かってない。今の人間が、今の苦しみの上に、辛うじて成り立っている存在だってことを……」
独り言のように呟いた刹那、ゴフッと、口から黒い液体を吐き出した。
真っ黒な、水の中に闇を溶かし込んだような、血のようなネバついた液体を。
「うぅっ……! さすがにもう、限界か……」
その言葉を皮切りに、押さえていたお腹からも、同じような黒い液体がジワジワと溢れてくる。
それが力の源だったのか、辛うじて立てていた彼女自身の膝が、力なく崩れ落ちる。
「あぁ、もぅ……あなたのような真っ直ぐな人間ばっかりだったら、私も人間なんて嫌いにならなくて、そしたらこんなことにもならなかったんだろうなぁ……」
前のめりに倒れ、額を地面にこすりつける。
押さえたままのお腹が痛いのか、苦しそうな吐息が漏れている。
「魔王……」
その姿に青年は、何とも言えない表情を作る。
悲しそうな、自分のしたことを後悔するような……でもそれでいて、達成感を味わっているような、こうしなければいけなかったんだと自分に言い聞かせているような……そんな、何とも言えない表情を作る。
「お前は、その辺にいる村娘だったと聞く。そんな娘が、そんなに人を憎むだなんて……オレにはとてもじゃないが、信じられない」
「信じられなくても、コレが真実なのよ。人ってのはね、あっさりと変わるものなの。良い方向にも、悪い方向にも。……ま、あんたの時代は、良い方向に変わってる時だったのかもね。そんなに、あんなくだらない人たちを信じて、ここまで来て私を殺そうとするってことは――」
と、そこまで答えたところで、何かに気付いたかのように、言葉を詰まらせる。
次いで出たのは、笑い声。
見た目相応の、可愛らしい、名案を思いついた自分を褒めるかのような、笑い声。
「……魔王……?」
訝しげに声をかけた刹那、娘は顔を跳ね上げて青年を見つめる。
嬉しそうな表情を、その顔に張り付かせて。
「そうよね……その方法があったのよね。どうして気付かなかったのかしら。今残ってる力を全て使って、私の存在を消滅させれば、辛うじて叶える事が出来るってのにさ」
「……えっ?」
「どうせこのまま消え行く命。闇に支配されたこの身体から、血と共に闇が放出している今なら、全てを燃やし尽くせば可能だってのにさ」
青年を見つめながら言っているのに、その言葉は青年に語りかけているソレではない。
まるで、自分で納得するために、他人に語りかけているような……そんな感じ。
「なにを、言っている……?」
だから、青年のその疑問は最もで、口に出てしまうのは当然だった。
「なにを? 簡単なことだよ。人間皆のために戦ったあなた達に、人間の真実を見せてあげる。時間は掛かることになるけどね」
そこまで言うと彼女は俯き、何かを呟く。
早く、青年には聞き取れないその言葉……。
……これは……呪文!?
その真実に気付き、その呪文を止めるために慌てて刃を振り上げて、その頭を貫こうとする。
でも――
「遅いよ。あなた達全員に、呪いをかけてあげる」
――娘はそう呟いた後、力強く、聞き取れ無い言葉を発する。
――刹那、彼女の身体が溢れていた闇と同化して一つの液体と化し、四つの柱となって空へと舞い上がった――
「っ! みんなっ! 逃げろ!」
その闇を見つめながら、自分の仲間に慌てて指示を出す。
もちろん自分も、この広い空間から抜け出すために全力で駆け出す。
その駆け出しが合図だったかのように、空へと舞い上がった闇の柱が、それぞれの元へと伸びてきた。
「くっそ……っ!」
追いかけてくる闇を睨みつけながら、全力で出口に向かって駆け出す。
その間にも視界の端に仲間の姿が映るが……瞬間、闇に飲み込まれてしまった。
魔王の部下と、自分以上の力を出して戦っていた仲間に、逃げ出す力が残されているはずも無かった。
少しは抵抗してくれたのだが……それは徒労に終わってしまっていた。
「絶対に……! 助けに来るからなっ……!」
飲み込まれた仲間を助けるために、今は自分だけでも逃げ切らなければいけない……!
その思いを込めて呟きながら、迫る出口に向かけてさらに速度を出す。
逃げ切れる……!
そう青年が思った刹那――
『逃がさないよ』
――闇の柱が分裂した。
細い、幾重もの筋となり、無数に生える人の腕のようになり、青年を絡め取らんと、先程とは比べ物にならない速度で、青年に迫り来る……!
「しまっ……!」
言葉の全てを呟く暇も無く、闇の腕に絡め取られ、そのまま青年の視界も闇に染まる。
迫っていた腕と同じ、真っ黒な闇の色に染まる。
このまま自分は呪われて、最悪死んでしまうのかと、そんな思いが渦巻いた。
『……るよ』
そんな彼の耳に、娘の声が聞こえた。
さっきのような、何処からとも無く風に乗せられ聞こえた、そんな声じゃない。
耳元で囁くような、それでいてはっきりとした声で、あの魔王と呼ばれた少女の声が、聞こえてきた。
これから先のことを、悟っているかのように。
『始まるよ。人と魔の争いじゃない。人と人との争いが、始まるよ』