“良かったの?”
「なにが?」
“町に泊まらず、先に進んで”
「ああ。どうもあの商人、気付いたみたいだからな」
町の中へと入っていく商人の馬車を見送りながら、青年の左手の甲に指で文字を書いていく少女。そしてそれに返事をする青年。
少女が懸念していること……それは青年が、わざわざ嘘をついてまでこの場所まで護衛したこと。少女を呼びに行った時、口裏を合わせてもらうよう頼んだこと。
そう……青年たちの本来の目的地は、この馬車が辿ってきた街道の先にある街。
つまり彼らは、あの男性のためにわざわざ道を引き返してきたことになる。……また狙われないための配慮、というやつだ。
「さて、それじゃ俺達もそろそろ行くか」
こくり、と頷き返す少女を見て、青年は後ろへと方向転換しながら外套を羽織る。
さっきは顔や髪に返り血がつくのがイヤでフードを被っていたが、今は被る必要もない。首元にある紐を結び、外套が脱げぬように――しようとしたところで、違和感。
少しだけ持ち上げた外套が、ちょっとだけ重い。
まったく同じものなので重量差などはないはずだが……。
訝しみながらも、重さを感じる外套の内ポケットを漁る。
するとそこには数枚の金貨と、一枚の手紙。
「ん?」
その手紙にはこう書かれていた。
『この町まで護衛を引き受けてくれた報酬。良き旅を』
「……やってくれるね、あのおっさん」
手紙の内容が気になっている少女にその紙を手渡しながら、町のほうへと首を向ける。
そこには当然、男性の姿も馬車の姿もすでに無い。
「…………」
クイクイと、心の中でお礼を言っている青年の外套が引っ張られる。
そちらへと視線を向けると、少女は手の甲に指でこんなことを書いてきた。
“今幸せ?”
今、幸せ? ……そう訊ねられ、考える。
……いや、考えるまでも無い。
答えはもう、心の中に。
手の甲に指文字を書いてきたその手を刀ごと握り、歩き出す。
歩きながら、おっとりとした瞳を少しだけ驚きの色に塗った少女を見つめ、その温かな瞳を細めて、答えを口に出す。
「当然、幸せさ」
◇◆◇◆◇
「見つけました」
鎧に身を包んだ男に後ろから声をかけられたのは、陽が傾き始めた頃。
街道に沿って歩き、森の中には地獄領域があるし野宿も確定しているしで突っ切るのをやめ、森の外側を沿うように平原を歩いている時だった。
まっさらと言っても過言じゃない、周囲を見回しても原っぱしか見ることの出来ない、沈みかけている太陽が影を長くして周囲を赤く栄えさせている、この何も無い場所で。
「探しましたよ」
続く言葉に、ようやく青年と少女は後ろへと顔を向ける。
「……それはもしかして、俺達のことか?」
「もしかしなくても、あなた達のことです」
青年の言葉に返事を返す鎧の男。
「……いえ、違いますね。正確には、その少女を探していました」
男の続く言葉に、ピクリと、少しだけ腰を落として身構える青年。
そしてその男の姿を、じっくりと眺める。
すると、気付いてしまった。男の鎧が何を示すのかを。
数ヶ月前まで起きていた内乱。現国王がその戦に勝利した時、世界各国の民を助けるために結成された騎士集団――通称「破邪聖騎士」。そこで正式採用された全身鎧(フルメイル)を、この男は身に纏っていた。それはつまり、この男がその騎士集団に所属しているという、何よりの証に他ならない。
「それはそれは……聖騎士様がこの一少女にどのようなご用件で?」
少女を身体の後ろへ庇うように下げながらの青年の言葉。その様子を見た聖騎士は、白い十字が刻まれた覆兜(フルメイル)の顎に手を当てて考えるような仕草をする。
「ふむ……どうも君は、あの研究所が何だったのか知らずに破壊したようですね。アルク・ヴォードン」
「っ!」
何故自分の名を……! そんな動揺が青年に駆け巡るが、すぐさま、聖騎士だから当然か、と納得し、質問をぶつける。
「あの研究所が何か……それを知っている必要性はあるのか? 聖騎士」
「必要性はありませんが……あなたのいうその一少女が何者なのか、ソレを知るのには必要だと思いますが」
「この子が、何者なのか……?」
質問を返しながら、考える。
あの研究所を破壊してから、ほんの僅かな期間だけ国家犯罪者として扱われていたのは知っている。だがらあの研究所が、国にとって大切なものだったのだともわかった。
だからと言って、全てを無くした俺じゃあ国に復讐つもりなんて起きなかったが……。
……だがそう、気付けば俺の罪は取り消されていた。それはたぶん、あの時の国王が失脚し、現国王が栄達したから。
……俺を罪人として扱った国王こそが、全ての根源だったから。
だが……それだとどうして、今更なのだ?
現国王になった時点で俺の罪が取り消されたのなら、現国王はあの研究所が破壊されて良かったと思ったはずだ。だからこそ俺の罪を白紙にしたのだから。
だからこそ、どうして今更。
今更、あの研究所で見つけた――壊されて良かった研究所から出てきた、この俺を崖沿いに歩かせている女の子を、探しているのか……? 壊されて良かったのなら、捜索なんてしなくてもいいはずだ。
それなのに、どうして……?
……もしかしてその疑問こそが……この子の秘密に直結するのでは無かろうか……?
「簡単ですよ。アルク・ヴォードン」
悩む青年に向かって、騎士が言葉を続ける。
「彼女の中には、大量に人を滅ぼす力が宿っているのですよ」
「……なに?」
言葉の意味が分からず、警戒心をそのままに青年は、呆気に取られたような声で呟くことしか出来なかった。
そんな彼に向かって騎士は、相変わらずの丁寧な口調で、少女の正体を紡いでいく。
「あの研究所は、魔力を用いた人体爆弾の実験だったのですよ」
「魔力……?」
「ええ。目には見えない、でも確かに存在する力を、その研究所ではそう呼ばれていました。その力を人間の体内に貯蔵し、一定条件下で発動。そうさせることで、魔力を発火起点・血液を発火燃料とし、広域な爆発を生み出す。それが、あの研究所で行われていたことなのです」
その騎士の言葉に思わず、青年は後ろ手に庇っている少女へと視線を向けてしまう。
今まで青年の顔を見上げていた少女は、何処か気まずそうに視線を下げるように逸らす。
「だからその子は、あまりにも危険すぎます。すぐに破壊しなければなりません。だからどうか、その子を渡してください。それが、沢山の人を、救うことになりますから」
続く騎士の言葉を聞いた青年は、考えるように視線を伏せる。
だがそれも一瞬で、すぐさま上げた顔には、何かを振り切るような、何かを覚悟するような、何かを捨てるような瞳を携えた、決意に満ちた表情が、そこには現れていた。
……沢山の人が助かる。大勢の人が救われる。危険分子を取り除くだけで。
今ここで、一緒に旅してきた少女を渡すだけで。
別に、英雄になりたい訳ではない。ただ、多くの人を救いたいだけ。
……もしかしたら彼女も、覚悟を決めていたのかもしれない。こうなった時のことを。
だって彼女は、当事者なのだから。
心の何処かで気付いていても、おかしくはないのだから。
だからきっと、青年があっさりと明け渡そうとも、彼女はイヤな顔一つしないだろう。
むしろ喜んでくれるかもしれない。
崖から飛び降りようとしていた青年が、死のうとした一人間が、自らの意志で、自らの見つめる幸せを、掴み取ろうとするのだから。
彼女が言った幸せを与えてやるという方法は、成立するのだから。
人々に「危険分子を、解決方法が見つかるまで身近に置いておいた」として、英雄として扱われるのだから。
それからは確実に、幸せな日々を送れるだろうから。
「……イヤだな」
それなのに青年は、ふっ、と不敵な笑みを浮かべ、そう返事をしていた。
そのままの表情で、彼は言葉を続ける。
「悪いな聖騎士、その願いは却下だ」
「……どうしてです?」
ここにきて、聖騎士も少しだけ腰を落とし、身構える。
「どうして? 愚問だな。明け渡せば沢山の人が救える? だから? それで? 沢山の人が救えたからって、全員が助かる訳じゃないんだろ? この子と俺の幸せは無くなるのだろ?」
「……でもあなたは、その子を渡すだけで、英雄として持ち上げられるのですよ? その、人間じゃなくなった子を――」
聖騎士の言葉が、止まった。
目にも止まらぬ速さで抜き放ち、首筋に突きつけられた青年の刃によって。
「聖騎士の名を名乗るなら、次、その言葉は喋るなよ。この子だって、人間をやめたくてやめた訳じゃないんだからな」
「……そうですね、失言でした」
「分かれば良い。それと俺は、英雄なんてものに興味がない。見知らぬ人間に認められるより、好きな子と共にさげずまれた方が、比べものにならないぐらい幸せだ。だから、説得してこの子を頂こうだなんて思うな。穏便に殺そうだなんて思うな。人の大切なものを殺すなら、その代償ぐらい支払う覚悟をしろ」
先程伏せた視線の間にした覚悟。
決意の瞳を向ける前に気付いた幸せ。
それらは全て、この少女がいてくれたからこそのもの。
他人に復讐するのではなく、大切な存在を守るという覚悟。
幸せを諦めて死ぬのではなく、大切な存在と共に歩めるという幸せ。
そのために、他者を退ける。
そのために、意地でも生き残る。
少女を奪われそうになったからこそ――少女を無くすことで得られる別の幸せを見せ付けられたからこそ、気付けた、その足元にあった存在。
その存在のためなら何でも出来るという、その瞳の色。
「……なるほど、わかりました」
その瞳を見つめ返した聖騎士はそう呟くと、一歩、後ろに下がる。
青年もまた、突きつけていた刃を鞘に収める。
「……下がって、いられるか?」
自らの背に下げた少女へと視線を向けた青年の言葉に、少女はギュッと、不安そうな瞳を向けて服の裾を掴む。
「……大丈夫、負けはしないよ」
しゃがみ込んで視線を合わせ続けた言葉に、少女は瞳の色を変えず、フルフルと首を振って、青年の腕に指で文字を書く。
“どうしてわたしを あの人にわたさないの?”
「……その質問こそ“どうして”だ。君は、俺に幸せをくれるんだろ? だったら、これからも一緒に旅をしようじゃないか」
“でも わたしを渡したほうがしあわせだよ?”
「それは違う。俺は今が幸せなんだ。周りがいくら英雄扱いの方が幸せなことだと言っても、今の俺はこれ以上の幸せなんて考えられないんだ」
今となってはもう、あの時死のうとしていたことなんて考えられない。
こうしてこの子と一緒に旅をしてきて、色々な出来事に遭遇してきて、大切な存在を得て……。
「未来を失ったと思っていたのに、目の前に広がる崖へと飛び降りるしか無かったと思ったのに、こうして崖沿いに歩くよう手を引いてくれたから、先へと広がる道を見つけることが出来た」
でもその道は、一人では歩けない。
一人だとまた、すぐ横の崖に落ちたくなってしまうから。
大切な存在に支えてもらわないと、あっさりと、すぐ横に広がる絶望に身を委ねてしまうから。
「そのことが、英雄だともてはやされるより幸せなんだ。君と一緒にいることが、どんなことよりも幸せなんだ」
だから、その幸せを守るためなら、何だってしよう。
「だから……俺は負けないから、下がっててくれないか?」
その、青年の続いていた言葉を聞いた女の子は、ゆっくりと、言葉を噛み締めるように服の裾を離して、青年から離れていく。
「そうだ」
離れていく女の子の背中に、青年の思いついたような言葉。
その声に足を止め、首だけを青年のほうへと向ける女の子。
「次に手を繋いだ時、君の名前を教えてくれないか? 今まではただ、幸せを見つけるために歩かせてもらっていた。だから名前なんて関係なかった。でも……これからは、君を名前で呼びたい。だって俺は……その、君のことが、好きだから」
顔を赤くし、少しだけ視線を逸らしてしまう。
そんな青年の様子を、少女はただ驚きの表情で見ていることしか出来なかった。
「誰にも渡したくないぐらい、大切だから。……だから、その……大好きな人のことぐらい、名前で呼んでおきたいから。君のことを、名前で呼んでいきたいから……だからどうか、教えてほしい……」
だが続くその言葉に、少女はようやく、青年と同じぐらいかそれ以上に顔を赤くする。
そして探るような視線を向けてきた青年に、大きく、嬉しそうに輝く表情で、頷いた。
その様に、ニコリと、こちらもまた同様の表情を向ける青年。
ありがとうと表情に乗せているかのような、本当に、心の底から嬉しそうな、満面の笑み。
「……さて――」
だがそれも、ほんの僅かな時間。
立ち上がり、聖騎士へと向き直る頃には、すでに人を殺す瞳を携えていた。森の中で殺した、あの野党共と対峙した時のように。
「――聖騎士、待たせたな」
「いや、構いません。こちらもちょうど準備が終わったところです」
そう答える聖騎士の体には、鎧が身に付けられていなかった。腕具(ガンドレッド)と脚具(グリーヴ)はそのままに、顔を覆っていた白十字の覆兜(フルメイル)と、身体を守っていた鎧が取り除かれたその姿。
大人しげな瞳と、育ちの良い顔立ち。軽鎧すら身につけていないその姿が持つ凶器は、組み立てられた折りたたみ式の斧槍(ハルバート)。
「……聖騎士、鎧は着なくて大丈夫なのか?」
「はい、大丈夫です。むしろ僕は、聖騎士である以上、鎧を着てはいけません」
何処か困ったような印象を与える表情で言葉を続ける聖騎士。
「騎士とは主を護る者。聖騎士とは民を護る者。故に、民を護ること以外で力を行使するなら、聖騎士としての権利を放棄しておかなければなりません。聖騎士が“聖騎士”たることを証明するのは、この身に纏う鎧だけ。自らの後ろを全て護ると誇示する、この鉄の塊だけ。だから脱いだだけの話。決して手加減などではありませんよ」
「そうかよ……だがお前の言い分だと、俺達はお前の護る存在を脅かす存在だぞ? それを倒すということは“民を護ること”になるんじゃないのか?」
「今この瞬間、あなた方が民を脅かしている訳ではありません。あくまで“脅かす可能性が高く、脅かした瞬間民が蒸発してしまう”から、あの少女を殺そうとしているだけです。今のあなた方もまた、僕にとっては護るべき民の一人なのです」
「それなのに、殺そうとするのか……?」
「……仕方ありません。これは、主の命令なのです。聖騎士の自分ではなく、ただの騎士の自分に課した命なのです。だから僕は鎧を脱いで、騎士としての自分として、あなたに戦いを挑むのです」
腰を低く、刃を下に、柄を立てて得物を縦に構える聖騎士。
「なるほど。聖騎士の名のままじゃ、民である俺を傷つけることは出来ないからな」
膝を曲げ、柄を前面に、抜き放てるよう尾に手を添えて構える青年。
互いの間に、緊迫とした空気が流れる。
自らの体内から発せられている震えを、何とかして抑えている感覚。
少しの物音で、その震えを爆発させてしまいそうな錯角。
互いの瞳に宿るのは、他者を傷つけるための覚悟。
互いの奥底から発するは、自らの大切なものを護る決意。
主の命令と自らの誇り、大切な存在と手放せない温もり。
その二つを掲げた存在が今、対峙する。
そんな中、青年が口を開いた。
「……聖騎士、最後に一つ聞きたい」
「何です?」
「どうしてお前は、俺をすぐに殺そうとしなかった。声をかけることも無く殺せば良かったではないか。これでも俺は元国家犯罪者だぞ?」
「何を今更。それは先程も説明した通り、前国王自らが造るよう命じた、非人道的な研究施設をあなたが破壊したからついた罪なのですよ。前国王が王位を剥奪された今、あなたは言わば英雄みたいなものなのです」
「……なんだ、それじゃあ俺は、あの子を渡さなくても英雄じゃないか」
「そうですね……でも残念ながら、今あなたの目の前にいる男は聖騎士ではなく、王の命に従うただの騎士ですよ」
「……なぁ、お前ってもしかして、融通が利かないとか言われないか?」
「……良く言われます」
「やっぱりな」
そのやりとりに、互いに少しだけ笑みを浮かべてしまう。
だがその空気の弛緩も刹那――
「それじゃ、行くぞ」
「ええ、こちらも行きますので」
――そう言葉を交し合うと同時、再び空気を張り詰めさせて一歩、青年が刃を抜き放ちながら踏み込む。
二人にはその音が、やたらと大きく聞こえた。