勝負は、あっさりとついた。

 

 圧倒的な数をものともせず、青年は全ての男を殺した。

 

 真っ赤な刃、赤黒い外套。その姿はまるで死神を彷彿させる。

 ……男共に仲間意識があったのなら、一人ぐらいは逃げることが出来たかもしれない。この圧倒的な死から仲間を庇う気持ちが少しでもあれば、もう少しマシな戦いが出来たかもしれない。

 だが男共は全員、自分のことしか考えなかった。

 だから連係プレイも出来ず、逃げようとする仲間を庇うことも出来ず、全員が殺された。

 

 

 陽の光が照らす明るい森。切り開かれて出来た、町と街とを繋ぐ街道。その、一際周りが開けている場所。

 

 だがこの開けた空間だけ、まるで地獄の中を見せているかのよう。

 

 黄緑色に生い茂る草木は、乾いた鮮血により赤黒く。

 暖かな陽の香りはここになく、あるのは血液から発せられる鉄の臭いのみ。

 

「おい」

 

 その空間の中青年は、相変わらず頭を抱えて蹲っている中年男性へと声をかける。

 この独特な戦場の臭いに慣れていない男性は、力なく、真っ青な顔を上げて、青年を見据える。

 

「あんた、これから何処に向かうつもりだったんだ?」

「え、えっと……この先の町に……」

 

 指差しながらの中年男性の言葉に、青年は赤黒い外套から腕を出して顎に当て、何かを考え出す。

 

「……なぁ、もし良かったら、俺と連れをそこまで乗せて行ってくれないか?」

「……え……?」

 

 言葉の意味がよくわからず、目の前の存在がこの地獄を作ったということも忘れ、気の抜けたような返事をしてしまう。……いや、ちゃんとした意味なら分かっている。だが男性としては内心、この地獄を作る材料になった男共と同じことを言ってくるだろうと思っていたのだ。

 そんな男性の内心を知ってか知らずか、青年は言葉を続ける。

 

「いやね、俺の連れが疲れたってゴネだしたのよ。だからどうしても、乗り物が欲しい訳。と言うか調達しないと俺がおんぶすることになるし。さすがに人一人をおんぶしてあの町までってのは勘弁してほしいと個人的に思うわけよ。だからさ、ここは人助けと思って、ついでで良いし荷台で良いし、ついでだから護衛もするから乗っけてってくれないか?」

 

 その口調と声音は、先程までこの地獄を作っていた死神のものとはまったく違っていた。

 静かでも無感情でもなく、温かさと親しみのこもった、優しい人間のものだった。

 

「…………」

 

 そのあまりの違いに、男性がまた別の意味で言葉を失う。

 

「……そっか、無理か。じゃあ仕方ねぇな」

 

 その無言を否定ととったのか、青年はそう言葉を紡いで立ち上がる。

 

 瞬間、男性の脳裏に、先程の死神の姿。

 もしかして拒否されたから、自分を殺して馬車を奪うつもりじゃ……! 

 そんな恐怖が身体を駆け巡る。

 

「んじゃ、連れをおぶって行くとするわ。おっさんも、さっさとこんな血生臭いところ、離れたほうが良いぜ」

 

 あくまでも明るいその声の後、死神の姿をした青年は背中を向けて歩き出した。

 

 その、やっぱり先程の死神の姿とは違う姿に、違和感。

 ……だが……と、男性は考える。

 

 

 あの姿が第一印象だったから恐怖しているだけなのではと。

 今の姿こそが本当の彼なのではと。

 

 それに……確かにこんな、嗅覚がマヒしてしまうほどの地獄絵図を作りはしたが、結果的に自分は、彼に助けられたのではと。

 結局彼は、自分を助けてくれるつもりなだけだったのではと。

 

 それなのに……助けられたのに、ただ恐怖して、恩も返さないのは……。

 

「ま、待ってくれ」

 

 ……考えた。

 考えて、結論が出た。

 

 だから震える声で、辛うじて出る擦れた声で、死神の後ろ姿を呼び止める。

 

「そ、それぐらいなら、構わないです」

 

 たとえ彼が、自分の荷物目当てで助けてくれたのだとしても。たとえ彼が、自分を移動手段として助けてくれたのだとしても。

 

 彼は、自分の大切な命と、それ以上に大切な荷台と馬を、守ってくれた。

 

 それで十分じゃないか。それにそもそも、荷台と馬が帰ってくるのなら荷物の全てを野党に渡しても良いと、そう思っていたのは自分じゃないか。

 

 それなのに……何を今更。

 

 それに何より、もし荷台と馬が目当てなのなら、男共を殺した後に声なんてかけずすぐに殺されていただろうに……。

 

 

「……良いのか?」

 

 青年は足を止めて振り返り、そんな疑問の言葉を口にする。

 

「も、もちろん。商人が、恩を返さないのは、いけないこと、ですから」

 

 気持ち悪い空気が満ちる地獄の中、中年男性は吐き気を堪えながら言葉を口にする。

 嗅覚が麻痺してきたとは言え、血肉飛び散るこの空間を視界に入れてしまえば、イヤでもあの時の感覚が戻ってきてしまう。

 

 胃の中身を吐き戻し、顔を生気の無い青白い色にしてしまう程の身体の悲鳴。

 そんな、誰から見ても無理をしているのが丸分かりなのに、必死に止めようとしてくれた。

 

 その男性の姿を見た青年の口元が、軽く動いた。

 

「……笑ってる?」

 

 思わず、中年男性は誰に聞かせるわけでもないのに呟いてしまう。

 相変わらず、外套のフードで目元を見ることは出来ない。だが見えるその口元は、間違いなく笑みの形を作っていた。

 

「それじゃ、お言葉に甘えるとするかな。連れを呼んで来るから、先に向かっててくれ。こんな血生臭いところに残ってるのは気持ち悪いだろ」

 

 そのまま、再び中年男性へと背を向けて歩き出す青年。その姿に向かって中年男性は、聞くべきことがあったのを思い出し、声を上げる。

 

「ま、待って下さいっ」

「ん?」

「その、あなたの、名前は?」

「ああ、そう言や名乗ってなかったな。俺は――」

 

 首だけを男性へと向けながら、頭に被せていたフードを取る。

 

 ようやく見せたその瞳は、先程あんなに人を殺し、微かに覗いた死神のソレではなく、人当たりの良い、暖かな瞳が携わっていた。

 

「――アルク・ヴォードンだ」

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 アルク・ヴォードン。

 その名を覚え間違えるはずがない。

 

 数ヶ月まで起きていた内乱、その終結一月前に、突如として国家反逆罪として賞金がかけられたとんでもない犯罪者の名前だ。

 

 職業柄男性は、そういう犯罪者に関しての情報は割と早く入手する。そして自分の命が危険に晒されぬよう、一緒に公開される情報と共に、必ず頭の中に叩き込む。

 

 だが……その名を覚えている理由は、何も国家反逆罪という大罪なだけではない。

 

 彼は何故か、内乱が終結するのとほぼ同時期に、賞金首として扱われなくなった。

 

 誰かに殺されたわけでも、その大罪が誤解だった訳でもなく、突然リストから名が消された。

 そんなおかしい出来事があったからこそ、余計に印象強く名前を覚えていたのだ。

 

「まさかの本名……? それとも、偽名……?」

 

 鳥のさえずりが聞こえる森の中、男性はボソりと呟く。

 場所を離れて時間が経ったおかげか、あの時のような吐き気はすでに無くなっている。

 

 強烈な鉄の臭いが充満していたあの空間を、馬車を操って移動し、今は道のど真ん中で、例の青年とその連れを待っているところ。

 先程の開けた空間と違い、馬車一台と人一人がようやく通れるほどの道幅。本当に森を切り開いて少し整えた程度の、街と町とを繋ぐその砂利道。

 

「待たせたな」

 

 陽に照らされた明るい黄緑色に囲まれたその場所、御者席に座りながら考え事をしていた男性にかけられる声。

 声のした隣へと視線を下げると、そこには血に染まる外套を着たままの例の青年。と、その隣で刀と一緒に手を握られている、大きなリュックを背負った一人の女の子。

 

 短く切り揃っている髪、蒼穹を吸い込んだかのような瞳、おっとりした眼つきと子供特有のふっくらとした頬。

 小さい体を紺色の外套で包まれたその姿は、何処か聖職者のイメージを抱かせる。

 誰にも穢されていない、誰も穢してはいけない、そんな雰囲気が。

 

「……その子が、旦那のお連れさん?」

「ああ、そうだ」

 

 訝しむような商人の疑問に、きっぱりと答える青年。

 その反応を見た男性は、一言。

 

「よしっ、役所に連絡します」

「なんでだよ」

「だって、誘拐ですよね?」

「違う」

「それじゃあロリコンなんですねっ」

「それも違う。ただの連れだ」

 

 まぁ冗談なんですが、と続く男性の言葉に、呆れたかのようにため息を吐く青年。

 

「それでは旦那さん、御者席に座ってくれ」

「座ってくれって……三人も座れるのか? と言うか、俺達は別に荷台でも構わないんだぞ」

「せっかく助けてくれた恩人を荷台に押し込むなんて事は出来ません。乗せていってやるのは助けてくれたお礼なんですしね。それにほら、馬が二頭いるおかげで、御者席はこんなに広いんです。それなのに荷台に押し込む理由なんて何処にも無いでしょう?」

「そうか……それではお言葉に甘えさせてもらうとしよう」

 

 そう答えると馬の前を通り反対側へ。

 そして青年が先に御者席に、次に手を引いて乗せた少女を隣に座らせる。

 

「それじゃあ旦那さん、出発しますよ」

「ああ。と言うか、旦那と言うのはやめてくれ。せっかく名前を教えたんだしな」

「それは無理な相談です。助けてもらった人の名前を呼び捨てなんて出来ませんのでね。」

 

 馬車を走らせながら、男性はウソの言葉を紡ぐ。

 ……そう、ウソ。

 名前を呼ばないのはただ、犯罪者だったのではと認識したくないため。自分を助けてくれた、女の子と一緒に旅をしているこの青年が、そんな犯罪者だと認識したくないため。

 ただ同じ名前なだけ……そう信じたいためにだけ。

 

「それはそうと旦那さん、その外套は何とかなりませんか?」

 

 名前の話題から逸らすため、血の色に染まる元灰色外套へと視線を向けながら男性。

 その視線を辿るように青年もまた、自らの外套へと視線を下げる。

 

「何とかと言われてもな……町に着いたら新しいのを買おうとは思うさ。それまでは仕方あるまい。その……おっさんに、辛いこと思い出させちまうみたいだけどさ」

「いえ、別に大丈夫です。臭いがこびりついてる訳じゃなさそうですから全然……ただその、見てくれは悪いですよね」

「そりゃ確かに」

「そんなのでは、次の町に入れてもらえないかもしれませんよ?」

「ああ〜……まぁ確かにな」

 

 小さな町だから入口で止められることは無いが、さすがに住民にはドン引きされること請け合いだ。

 

「良かったら買ってきてやりましょうか?」

「マジかおっさん。それはありがたい」

「それでは、町の入口に着いたら馬車の守護、お願いいたします」

「わかった、任されよう」

 

 そうして会話が一段楽したところでふと男性は、先程から無言の少女へと身を乗り出して視線を向ける。

 

「お嬢ちゃん、もしかして緊張してますか?」

 

 その言葉に女の子は、サッと青年の体に隠れて視線から逃れる。

 

「おやっ、嫌われてしまいましたか……」

「いえじつは、この子、喋ることが出来ないんだ」

 

 言葉とは裏腹に、まったくショックを受けていない男性の言葉に、青年は申し訳なさそうに言葉を続ける。

 

「だからどうしても、俺以外の人と喋りなれて無くてな……申し訳ない」

「いや、全然構いません。そういう事情なら仕方ないですし、何よりまだ子供ですからね。もし喋れたとしても、人見知りしてたでしょう」

 

 そう言葉を交し合ったところで、ようやく森を抜けることが出来た。

 

「さて、そろそろ町が見えてくる頃だと思いますが……」

 

 男性がそう呟くとほぼ同時、ようやく目的の町が見えてきた。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

「外套外套、と」

 

 町の入口に馬車を止め、その護衛を例の二人に頼んた商人は町へと繰り出していた。

 

 初めて会った人に馬車の留守を頼むなんてバカのする行為……だとは思う。

 命よりも大切なものを預けるだなんてふざけている……とも思う。

 

 ……が、それだけのことをしてでも、彼へと恩を返したい気持ちがあった。

 

 さっきも言ったが、もし馬車や荷物を奪うつもりだったのなら、あの段階で自分を殺していたと思う。そうすれば、もし誰かがあの地獄を発見したならば野党の一人として処理されていただろうし。

 だから、一応の安心感はある。そして何より、直感が大丈夫だと告げているのが大きいのかもしれない。

 

 

 そんな考えをしながら、小さな町の商店が立ち並ぶ通りを覗きながら歩く。

 

 商人として働いている男性だが、生憎と外套などの旅装束は取り扱っていない。

 彼が取り扱っているのは、あくまで骨董品や薬品、その町の名産品などだからだ。その方が他の街町に行った時に高く売れるから。

 

「ん?」

 

 と、男性が足を止めた。

 立てた四本の木、その上方に布の四方を結ぶようにして日陰を作った露店。大きめの布を地面へと敷き、大地に直に商品を置かぬよう、土の上に直に座らぬようにしたその露店。

 そこで売られている外套に目を奪われた。

 

「おっ、兄さん。目が高いね」

 

 お決まりの売り文句を言う店員に気を配りつつしゃがみ込み、その気になった外套を手にする。

 

 いや別に、特に高級な素材を使っているという訳ではない。造りが別段しっかりとしているわけでもない。

 ただその外套……灰色の、フード付きのその外套は、まさに先程――血に染まる前まであの青年が着ていたものと、まったく同じだった。

 

「なぁ、店主さん」

「はい、何ですかい?」

 

 興味を示された店主は買ってもらえると思ったのか、声の調子が妙に上機嫌だ。

 

「これ、最近買って行った人っていますか? さっき出会った人が同じような物を着てたんですけど……」

「ああ、そうだね。そう言えば朝一番のお客さんが買って行ったかね」

「朝一番?」

「ああ、何でも旅の途中らしくてな、店を開けると同時に買って行ったな」

「それはいつ頃?」

「いつって言われても……朝飯食ってすぐだから、まだ少し肌寒さがあった時だな。何でも、森を突っ切った向こうにある街に行くつもりなんだとさ。歩いて行ったら今から出ても夜になっちまうって言ったんだがな……」

「……すいません、もしかしてその人って、小さな女の子を連れてませんでした?」

「おっ、そうだそうだ、連れてたぞ。何かとてつもなく大人しそうな子だろ」

 

 ……なるほど、と男性は思った。

 そして同時に、苦笑。

 ……優しすぎるのに素直になれない人なんだろうな、うん。なんて考えが過ぎる。

 

「おっと、すいません。長々と話しすぎましたね。お詫びといっては何ですが、この灰色の外套、頂けますか?」

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

「お待たせしました」

「おっ、すまないな」

 

 馬車を置いていた場所へと戻り、そこにいてくれた青年へと先程の外套を渡す。

 

「っ!」

 

 その、自分が着ていた物と同じ物を渡された青年は、少しだけ動揺を滲ませる。そんな様子を眺めながら、男性は口を開く。

 

「いえ、“偶然”にも、同じ外套を見つけたもので」

 

 “偶然”を強調しての言葉。

 それだけでもう、青年は分かってしまった。

 男性に、自分達が本来向かっていた目的地のことが、バレてしまったことを。

 そして男性は、「分かっている」と密かに伝えるために、偶然を強調してきたのだと。

 

 

 ……俺が嘘をついていると知って尚、その嘘に騙され続けてくれる。

 ……お節介と言うか、優しいというか……。

 

 

 そんな言葉が心の中を過ぎる。

 

「それはありがたい。この色は結構気に入ってたのでね。代金の方は――」

「結構ですよ。こちらは、あんたのおかげで命拾いしたんですからね」

「だが――」

「さすがに、この町へと送るだけで清算出来るだなんて思えませんよ。外套代ぐらい出させてください」

「その……良いのか?」

「良いんですよ。……まぁ、そうですね。それじゃあ、その血塗れの外套と交換という形でどうでしょうか?」

「これと?」

「ええ。あなたにはもう不要な代物でしょうから」

「渡してやっても良いが……こんなに血に染まってたら、売ることも出来んだろ?」

「売るつもりなんてありませんから。ま、一種の御守り気分です」

 

 その商人の言葉に、そうか、と素っ気無く返事をし、血塗れの外套を脱いでそのまま手渡す。

 その一連の動作を柔らかな瞳のまま黙って見ていた少女は、何処かうれしそうだな、と思った。

 

「それじゃ、俺達は行かせてもらう」

 

 青年は男性へと言葉をかけ、受け取った外套を羽織ろうとする。

 

「ちょっと待ってください」

 

 そんな青年に、男性の静止の声。訝しむような表情の青年に、男性は言葉を続ける。

 

「その、最後に一つだけ聞かせてください」

「……なんだ?」

 

 素っ気無いものの、怒っているわけではない。

 何故かそう思えた男性は、ここに来るまで聞いて良いか聞いてはダメなのか悩んでいたその質問を、口にする。

 

「どうして、二人で旅をしているのですか?」

 

 その質問に青年は、チラりと少女に視線を向ける。その視線に気付いたのか、少女もまた青年に視線を合わせる。

 その視線に青年が微笑みを返し、男性へと視線を戻して、言った。

 

「幸せを、もらうためです」