「ふぅ……」

 

 ため息のような吐息と共に立ち上がる、その目の前の人間。

 

 声と体格、それとフードから覗く顔の輪郭からして青年だろうか……? と男性は思う。

 

 そこでふと、視界の端に映る二本の足。

 目の前の青年のものとは違う、地面に倒れるように横へと向いているその足。身体の持ち主を確認するように視線を辿らせていくとそこには、先程まで自分に死を突きつけていた男が、右腕を無くして倒れていた。

 

「ひっ……!」

 

 その光景に男性は、思わず声を引きつらせてしまう。

 

 直剣を握りこちらへと向けていた、その腕全てが消失しているその姿。

 腕が“あった”場所――腕を繋げていた肩から見えるのは、キレイに切断され、そこから身体の内側全てを覗けるかのように錯覚してしまう、グロテスクナ肉片。

 

「ぐっ……!」

 

 吐き気を必死に、堪える。

 血みどろになった“ソノ箇所”から視線を逸らしながら――すると、見てしまった。

 

 この男の足元、そこに転がる、直剣を握りしめたままの腕を。

 キレイに切断された“ソノ箇所”に引っ付いていた、右腕全体という名のパーツを。

 “ソノ箇所”から吹き出たのであろう、血液溜まりの中心に鎮座してある、既に人ノモノデハナイ肉片ヲ。

 

「ぐっ、が、ぐぅっ……っ! ゴホッ、ゴホッ、ゲハッ、カハッ……!」

 

 堪えきれず、とうとう胃液を逆流させてしまう。消化しきられていない朝食を少しだけ戻してしまう。

 

 ……おそらくはこれこそが、“〇(ゼロ)”の人間の正しい反応なのだろう。殺人を犯したことが無いからこそ、血と肉片と、それに伴うこの咽返る様な鼻につく悪臭とに対する耐性が無い。

 

 初めて見るグロテスクナ肉片と、初めて嗅ぐ鉄ノ塊ノヨウナ悪臭。

 

 身体の中身が逆流しない方がおかしい。

 

 ……つまりはそう、男性の前に現れたこの青年も、二人と馬車を囲むようにいる男の仲間も、すでにおかしいということ。

 

 他人の死に極端に慣れているか、それとも、自分で他人を殺めたか。

 

 ……少なくとも、見るのも嗅ぐのも、初めてではない存在だということ。

 

「……次は、誰だ?」

 

 腕をダラりと下げたまま、青年は自らの周囲にいる男達にそう声をかける。

 フードに隠れたその目は見えない。だが静かに語るその言葉は、こういう場に慣れている何よりの証だと男達に思わせるには、十分だった。

 

「…………」

 

 男達は、無言。

 気を張り詰め、手に持つ様々な武器を構え、青年の次なる行動へすぐさま対応しようとする。

 

 青年は突然、空から降ってきた。

 

 男達の目にはそうとしか映らなかった。

 突然空から降ってきて、刀を抜き放ち、首領の右肩を斬り落とし、鞘で首元と側頭部を連続で殴りつけ、気絶させた。

 

 腕を斬り落とされた程度なら、生き延びることも出来ただろう。だがこの青年は、ソレを許さなかった。だから気絶させることで応急処置を施させず、出血多量による死を与えようとしているのだ。

 

「来ないのなら、コチラから行かせて――」

「ちょっと待ちな」

 

 青年が膝に力を込め、身体を爆ぜさせようとしたところで、荷台の出入り口付近から男の声。そちらへと視線を向けると、そこには先程までいなかった一人の男。

 

 他の男共とは違う、スラッとして、それでいて全体的に絞まっている体付き。ゴツい腕や割れた腹を見せないようにしながらも動きやすさを追求した、青を基調としてる民族衣装のようなも服装。

 その顔は醜い面をした周囲の男共とは異なり整っており、片目を隠してしまうほどの黒い長髪は前述の服装と合わさって、そこだけ空間を切り取って勇者を連れてきたかのような錯覚を覚える。

 だが髪で隠れていない左目は、今までいくつもの虐殺をしてきたのかを色濃く写しており、目を合わせた途端、切り取られた空間なんて錯角だと分かり、周囲のヤツラの仲間だと知ることが出来る。

 

 そんな男の左手には一振りの刀。奇しくも青年と同じ刀(ぶき)。だがこちらは、青年のものよりも刀身の反りが大きくなっている。

 

「お前、何の目的があってオレ達を襲っている?」

 

 鋭い眼つきから放たれる、何も無い場所で聞けばそれだけで相手を竦ませるほどの鋭さを帯びた、それでいて静かさをも帯びた男の言葉。

 

「この馬車はオレ達が最初に目をつけたもんだ。もし荷物が目当てだってんなら、残念だが諦めてくれ」

 

 それはまるで、諦めなければ全員で一斉に襲い掛かるぞと、脅しているかのよう。

 

 ……ふと青年は、静かに気付く。

 周囲の男共が、まったく動揺していないことを。

 

 

 確かに、おかしいことではある。

 首領が殺されたのに、微塵も動揺することなく、首領を殺した相手へと武器を構えるなんて。

 多少の動揺はあって当然なのに、だ。

 

 それはつまり、この男共は、殺されたこの男を、首領としてまったく見ていなかったということ。

 

 そしてその要因は、荷台から出てきたこの刀を持った男こそが、影で暗躍していたから。

 

 つまりあの首領は、ただの隠れ蓑として扱われてきたのだ。

 いやもしかしたら、この刀を持った男の傀儡(かいらい)人形だったのかもしれない。

 

 部下からの全ての支持と信頼。この男はそれらを手に入れていたのだ。

 

 だから荷台から出てきて、突然男共の代表として会話を始めても、誰も何も言わない。誰も動揺しない。

 誰も、不満を漏らさない。

 

 

「…………」

「おいっ、聞いてんのか?」

 

 返事をしない青年にシビレを切らしたのか、男は少しだけ語気を荒げて言葉を紡ぐ。

 

「…………」

 

 だがそれでも尚、青年は無言。膝に込めた力もそのままに口を閉じ、フードで目元を隠し続け、その表情をまったく読ませない。

 

「ったく! 何とか言えよクソがっ!」

 

 ピクりと、その声にようやく、青年が小さく反応する。

 

 反りの大きい刀を握る男の両隣。男よりも少しだけ後ろに立つ、青年から見て左に立っている、荷台を漁っていたであろう二人の男の一人。

 

「ビビッてんのかぁ? えぇ?!」

「クソ? ビビる? 何言ってんだ、お前たち」

 

 先程とは逆の、もう片方の男が切った啖呵に、青年はそう静かに言葉を返す。

 

 双方ともに握られるは、反りの大きな抜き身の剣。

 その姿を、目元を隠しているフードの下から盗み見る青年。

 

「それは、両方ともお前たちのほうだろ?」

 

 ようやく開かれた口から出る言葉は、この緊迫した空気に似合わずとても静か。

 

「クソなのは元々だし、ビビるのはこれからだ」

 

 左手に握られている刀。その柄の尾に、右手を添える。

 

「……いや、訂正しよう。お前たちは、これ以上のクソにはならないし、ビビる間もなく朽ち果て――」、

「者共! かかれっ!」

 

 瞬間、刀を握る男の口から、号令が放たれた。

 

 青年の静かな声に、少しだけ怒りの声音が含まれた。

 その瞬間に。

 

「…………」

「…………」

 

 だが、青年を囲む男共は、一歩も動かない。

 

 隠れ蓑として利用されていた首領、そいつを殺された時に構えた姿のまま、ただ佇むのみ。

 それは号令をかけた男も同様で、青年と同じ、いつでも飛び出せる構えのまま、ただ青年を睨みつけるのみ。

 そして青年もまた、同じ構えのまま、身体を爆ぜさせること無く佇んでいる。

 

「…………」

 

 ふと、周囲にいる男共の中の一人が、周囲に視線を張り巡らせる。

 当初の目的である、今もまだ存在し続けたままの馬車。そこを中心とした四点の木の上を。……いや、正確には、木に生い茂っている葉の中を、と言うべきか。

 

「…………」

 

 そしてついに、号令をかけた男性も、その少し後ろの両隣にいた二人の男も、同じように周囲に視線を張り巡らせる。

 

 その様子からも分かる通り、青年から発せられるあまりの気迫に近づけない、という訳ではないのだろう。

 これではまるで……号令と共に、青年に何か起きなければおかしいと、起きて当然だったと言わんばかりの――

 

「策が成らないからと言って、目の前の敵から意識を逸らすのは良くないことだ」

 

 突然のそんな青年の声は、男性の後ろから聞こえた。

 そのあまりの早業に、青年の声へと意識を向けた周囲の男共、男性の近くにいた二人の男、そして当の本人である男が、言葉と身体の動きを失い、首だけを動かして青年を見る。

 

 斬りかかることをも躊躇って(ためらって)しまうほどの早業。

 殺さなくてはいけない敵なのを忘れてしまうほどの神業。

 

 ただ驚愕に表情を塗りつぶされ、何も出来ず、何も喋れず、ただ止まって、ただ黙って、進む状況を眺めていることしか出来ない。

 

「き、さま……っ!」

「多少の警戒で俺の動きを見切れると? 上から降って一人を殺されるまで対応出来なかったお前達が? ……舐めるなよ、クズが」

 

 相変わらずの静かな口調は、男性と背中合わせに佇む青年から。

 最後の言葉にだけ少しだけ含まれていたその怒気。

 

 そして、男性の近くにいた二人の男は、見てしまった。

 目深に被られたフード、その奥に潜む、静かに怒る、強い意志を宿した瞳を。

 

 

 口調は静かだった。口元も歪んでいなかった。

 

 だから、勘違いしていた。

 

 この青年じみた人間は、怒ってなんていないと。

 ただ、何かの目的――馬車の中の荷物か何かが目当て――で、オレ達を襲いに来たのだと。

 あの殺されそうだった商人を助けることで恩を売り、何か荷物を奪うつもりだったのだと。

 

 でも、それは勘違いだった。

 

 この人間は、そんな物欲で助けに来た訳ではない。

 この人間はただ、力の無い人間を殺そうとしているオレ達が、許せなかったんだ。己の物欲のために、平気で人を殺そうとしているオレ達が、憎たらしいんだ。

 

 あの強い瞳は、あの商人との約束を破ろうとしたオレ達を、皆殺しにしようと覚悟している瞳だ。

 

 

 そのことに気付いた二人は、恐怖する。

 目の前に、一歩も踏み出さないで斬りかかれる距離に青年がいるのに、手に握る凶器を振り回すことも出来ない。

 そしてまた、足を動かして逃げ出すことも出来ない。

 

 ただ静かに、恐怖で動かぬ身体で、佇んでいることしか出来ない。

 

 すぐに死が訪れると、わかっていようとも。

 

「俺とて、何も考えず敵のど真ん中に落ちるわけが無かろう。多少は周囲を警戒してから降り立つさ」

「くっ……そ……っ!」

 

 続く静かな青年の言葉と、呻くような男の言葉に、周囲の男共はようやく、男の異変に気が付く。……いや、男の変化、と言ったほうが正しいのだろうか……?

 

「そろそろ限界か……ではな、名も知らぬ剣士よ」

 

 ズリュリと、“男性の心臓から刃を引き抜く”音が、静かな空間に異音を染み込ませる。

 背中越しに、後ろ手に突き刺した青年の刀は、抜き去ると同時に紅い鮮血を迸らせる。

 

 抜かれた衝撃か、前のめりになって、男自らの刀を振るうことなく、絶命した。

 

 心臓のあった位置、その背中から吹き出る液体は、青年の灰色外套を紅黒い色に染め上げる。

 

 

 ……男共が見つけた変化とは、心臓から飛び出している刃だった。

 それはまさに、青年が背中越しに立った瞬間から打ち付けられたもの。

 誰も気付くことが出来ず、おそらく貫かれた男性本人でさえも、気付いてから痛みを感じたほどの鮮やかさで。

 

「弓兵を木の上に配置していたのはさすがだが、俺の手で静かに殺されていたことに気付けなかったのはいけなかったがな」

 

 その言葉が終わると同時、逆手に持ったまま刀を振り回す。

 

 それだけで、男の近くにいた、恐怖で動くことを許されなかった二人の男が絶命する。

 一人は、首と同体が離れて。一人は、右肩から左脇腹まで深く斬り裂かれて。

 

 そうして迸る鮮血もまた、全て灰色の外套が受け止める。

 

 

 ……ここにいる全員が号令とともに襲って来なかった理由。

 それはこの馬車を止めた場所を中心にして、周囲の木の上に四人の弓を持った仲間を配置していたから。

 

 その存在はおそらく、とっくに絶命した例の男の号令とともに、敵を射殺すためにいたのだろう。

 

 だから皆、例の号令で青年が殺されると思っていた。だから皆、例の号令で青年へと駆け出さなかった。

 すぐさま矢が飛来し、青年の身体に突き刺さると思っていたから。

 

 だが現実は、そうならなかった。

 

 何故なら、青年がこの場所へと降り立つ前に、青年自身がその四人の弓兵を殺していたから。

 今だ蹲り(うずくまり)怯えている商人を助けようと思った時、真っ先に気配を察知し、男共にバレぬよう静かに、それでいて速やかに、木の上を飛び移りながら、殺して回ったから。

 だから商人の男性を助ける時、上から降って来たのだ。最後の弓兵を殺したその場所から、飛び降りたから。

 飛び降り様に、殺したから。

 

 

「さて……次は、誰だ?」

 

 首領を殺した時と同じ言葉。

 逆手に持った血に染まる刀を順手に持ち直し、ダラリと腕を下げたまま、相変わらずの声音で、相変わらずの見えぬ瞳で、周囲にそう問いかける。

 

 だが男共の反応は、先程と同じとはいかなかった。

 

「ひ、ひいぃぃ……!」

 

 男の中の一人が引きつる様な悲鳴を上げ、武器を捨てて抵抗しないことを示し、この場から逃げようとする。

 

 馬車を挟んだ反対側。静かに響くその声に反応するように、青年は馬車のせいで見えもしないのに、そちらへと少しだけ視線を動かして、飛んだ。

 

 恐怖からか見惚れてからか、青空をバックにして飛ぶその姿を呆然と見つめる男共。

 二人分の高さがあった馬車を悠々と飛び越え、すでに赤黒く変色している外套をなびかせて、その逃げようとした男を――

 

 ――着地ざまに、斬り捨てた。

 

 声を上げることも許されず、男は血を大量に噴出して倒れる。

 その血もまた、跪く(ひざまずく)ように着地した青年の外套に、新しい染みを作る。

 

「さて……次は、誰だ?」

 

 振り返りながら立ち上がり、息もしていないのではと勘違いしてしまう程静かな空気の中、青年は相変わらずの静かさで同じ言葉を紡ぐ。

 刃で紅き液体を滴らせようとも、外套にぐっしょりと鉄の臭いを付着させようとも、その青年の顔には液体が一滴も付いていない。その姿がまた、男共の恐怖心を煽る。

 

「逃げようとしても斬り捨てる。立ち向おうとも斬り捨てる。……わかっただろ? だからお前たちクソは、これ以上クソになることはない。……もう、生き残ることは叶わない。何故ならここが、お前たちの崖だからだ」

 

 自らの役目は、崖に立つお前たちを突き落とすこと。

 

 そう言わんばかりの気迫を言葉に乗せ、それでも静かに、静か過ぎて響く言葉を、青年は発する。

 

 そして静かに、持ち上げるかのようにゆっくりと腕を上げ、切先を男共に突きつける。

 

「さあ……生き残りたいのなら、足掻いてみせろ」