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「…………」
「…………」

 朱い夕日が道を照らす帰り道、そこを俺と彼女は無言で共に歩く。

 俺の隣に彼女はいない。彼女はあくまで、俺の後ろを距離を開けて歩いている。

 学校へ行くようになってから毎日だ。彼女がこうして俺の後をついて来るようになったのは。最初は偶然かとも思ったが、違う。彼女は意図的に俺の後をついて来ている。登校時も下校時も、こうして三人分の距離を開けて俺の後ろを付いてくる。

 鬱陶しく思うには思うが、別に話しかけてくる訳でもない。ただ本当に、後ろからついてくるだけ。本物の影のように。だが本物の影と違うのは、その影自身にも影があるということ。影がある影、ってか。

 もしかしたらこれは、彼女なりの見張りなのかもしれない。俺がもう一度人を殺さないかの。登下校中に、人を殺さないかの。……クラスの皆には俺の無実を訴えておきながら、ちゃっかり自分は疑ってるってか。

 彼女の人望はかなり厚い。交友関係もかなり広い。だから俺なんかの後ろを、わざわざ一人で追いかけてくるのには相当の理由があるのだろう。寄り道する友達なんていっぱいいるのに。残って教室でお喋りする友達なんていっぱいいるのに……。

 直接本人に聞けばいいのだろうが、生憎と俺から喋りかける気はさらさら無い。喋りかけた時点で負けな気がする。

「やあ蒼司、久しぶりだね」

 俺の登下校路で唯一人通りが少なくなる場所。そこで意外な人物に声をかけられた。

 一年前に俺と母さんを捨ててどこかへ行った、俺の父さん。

「久しぶり、じゃねぇよ。葬式にも来なかったお前が、何で今頃こんなところに現れんだよ」

 今更俺のことを心配して……なんてことは絶対にない。それなら葬式のときに顔を出してもいいからな。

「なに、簡単なことだよ」
「あ? 何が」
「ちょっとね、やり残した事があったんだ」

 何言ってんだこのクソ野郎は。

「やり残した事? だったら早く終わらせて、俺の目の前から消えてくれ。俺はお前の顔なんて見たくもないんだからな」

 俺と母さんを捨てて消えた男。そんな奴に好意を抱く息子なんて、この世にいたら見てみたいものだ。

「ああ。すぐに終わらせるよ」

 フラフラと、右手を背中に回しながらこちらへと歩いてくる父さん。その様(さま)はまるで、ゲームに出てくる某ゾンビのように遅い。

「そう言えばね、蒼司」
「…………」

 こちらへ近付きながら話しかけてくる。もう一言も会話をしたくない俺は、その言葉を無視して視線を逸らす。

「じつは僕、母さんに復縁を持ちかけてたんだ」
「っ!」

 逸らした視線をすぐさま父さんへと向け直す。

 そんな話は始めてだ。少なくとも、母さんの口から聞いたことはまったく無い。

「もっとも、ずっと断られてたんだけどね。浮気して出て行った夫のことなんて信用ならない、って言われてしまったよ」

 自嘲気味にそんな当たり前のことを言う。

 そう、当たり前。俺と母さんのことを捨てておいて、今更復縁しようだなんて……図々しい。

「僕に付いて来てくれた女性は、僕と一緒になってちょっとして、すぐに出て行ってしまってね……正直、後悔したよ。お前たちを捨てなければよかったってね」

 だがもう、全てが遅い。

 一度捨てたものは、そう簡単には戻らないのだから。

「だから僕は、必死になって妻を説得したよ。だってもう、二度とお前たちを捨てない自信があったから。二度とお前たちを不幸にしない自信があったから……」

 気がつけば、奴の足は止まっていた。俺の目の前で。後一歩踏み込んで手を伸ばせば、俺に届くくらいのところで、止まっていた。

「だが残念なことに、僕は妻を不幸にしてしまった。お前と離れ離れにしてしまったのだからな。もう二度と、不幸にしないと誓っていたのに……あっさりと不幸にしてしまった」

 体が動かない。奴が俺に何を伝えたいのかわからない。俺が奴から何を聞きたいのかわからない。

 ……だから体が動かない?

 違う。体が動かないのは、もっと簡単――至極簡単なこと。

 奴が俺に何を伝えたいかじゃない。奴が俺に何を“言いたいのか”、それを俺は、なかば理解してしまっている。

 だから衝撃で、体が動かない。

 そう冷静に分析できても、やはり体は動かない。

 奴の言葉は続く。

「だからその贖罪を、僕はしないといけない。妻を不幸にしてしまった僕は、妻を幸せにしないといけない。妻の幸せ……それが何か、蒼司にはわかるかい?」
「…………」

 俺は、答えられない。

 半ばの理解が、完璧な理解に変わってしまったから。

 その衝撃で、体が動かない。

「それはとても、簡単なことなんだよ」

 そう言うと、体の後ろに隠していた右手を、俺の左胸目掛けて突き出す。

 その右手には、夕日を浴びて朱く煌く刃。

 世界がゆっくりと動いている。……いや違う。脳の思考回路が異常に早く動いているのだ。だからこんなにもゆっくりと見え、こんなにもたくさんのことを冷静に考えられる。

 

 そう……母さんを殺したのは、コイツなんだ。

 

 殺されてあの世に行った母さん。一人なのは不幸……だから、息子である僕を殺して、あの世に送ることで、母さんは幸せになれる。それがコイツの考え。それはまるで、水の無い砂漠の中で湖を見つけられるような、そんな幸せ。

 そしてその幸せは……俺にも当てはまる。

 全ての信頼を失い、この世で一人になってしまった俺。そんな俺が、大事にされ、大事にしたいと思っていた母さんのところへ行けるんだ。これ以上の幸せは無い。

 俺と母さんはあの世で、互いに砂漠になり、互いに湖になることができる。

 それを本能で知っているから……残り少ない理性で知っているから、俺の体は動かないのだろう。

 事実を知った衝撃なんかで、体が動かないんじゃない。

 母さんの下へ行ける喜びで、体が動かないんだ。

 さあ……俺を殺せ、父さん。

 母さんにやったみたいに、体中に穴を開けろ。全ての血を抜きされ。血の海を創世しろ。俺をその海に、沈めてみせろ。

 

 そうして出来た体こそ、あの世で僕の砂漠になるのだから。

 そうして出来た海こそ、あの世で母さんの湖になるのだから。

 

 ドンッ!

 体の左側から衝撃。刃に貫かれた……訳じゃない。突き飛ばされた。

 

 ……誰に?

 地面に倒れてから、俺が立っていた場所を確認する。

 するとそこには、影のように俺についてきていた、沢渡翠の姿。だが今までの彼女とは違う。

 ……どこが?

 そんなこともわからないのか。彼女は本物の影じゃない。影がある影でもない。人間なんだ。そいつが俺の場所に立っている。

 ……それがどうした?

 まだわからないのか。そこは俺の左胸目掛けて、朱く煌く刃が迫っていた場所だ。彼女はそこに立っている。そして刃は、紅く濁っている。

 

 ブツンッ!

 俺の中で、何かが切れた。

 

 

 

 

 

「……、や……」

 何か、聞こえる。

「……君、や……てっ!」

 何が、聞こえる?

「そう君、やめてっ!!」

 彼女の声が、聞こえる。

 沢渡翠。

 彼女の声が、聞こえる。

 

 

 

 

 

 その声が聞こえると同時、体中の動きを止める。

 気付けば俺は、親父の体に馬乗りになっていた。

 その親父の顔は、そこら中が腫れ上がり、目は白目を剥いており、鼻の骨は折れているのかひしゃげており、口の中は前歯が何本が抜けていた。

「つっ!」

 両手に激しい痛み。思わず両手を見る。

 左手は刃物でもつかんだのか掌がパックリと開いており、右手は拳の骨が折れたのか手を開けることも握り締めることも出来ない。

 ……一体、どういうことだ?

 俺の意識が途切れた後、何が起こった?

 ……いや、今はそんなことはどうでもいい。

 俺の意識が途切れる直前、確か翠が刺されていたはずだ! 彼女は大丈夫なのか?!

 そっ、と、俺の右側から右手が伸びてくる。そしてそのまま、右手のみで、後ろから抱きしめられた。

「そう君!」

 翠の声が耳元で聞こえる。

「やめてっ! もう大丈夫だから! 本当にもう、大丈夫だから!!」
「……何が一体全体大丈夫なんだ?」
「そう君?!」
「ああ、そう君だ。だからその……耳元で叫ばないでくれ」
「あ、ごめんなさい……」

 さっきから怒鳴りまくりで……うるさいんだよ。でも何故か、その煩さ(うるささ)が心地よかったりする。

 最近めっきり感じなくなっていた感情……。

「……なあ、俺は一体、何をやったんだ?」
「えっ?」
「いや、スマン。じつはあらかた予想はついてる。でもさ、真実を確認しておきたくて」
「……覚えて、ないの?」
「ああ、まったく覚えてない。お前が刺されてから、お前に抱き止められるまでの記憶が、まったく無い」

 おそらくそれは、俺の理性が切れていた時間。

 翠はしばらく間を開けて、ゆっくりと、静かに喋ってくれた。

「私が刺された後、そう君のお父さんは、すぐに倒れたそう君目掛けてナイフを振り下ろしたの。でもそのナイフを……そう君は左手で掴んだの」

 だから左手の平にパックリとした傷があるのか……。

「そして掴むと同時に思いっきり引っ張って、お父さんをふらつかせて……そのまま右手で思いっきり顎を……」

 殴り上げたのか。

 俺は日頃から拳を鍛えていない。だからそうそう滅多にしないケンカの時も掌を使うようにしている。そうしないとあっさりと拳の骨がイッてしまうからな。

「その後は……その、ぐらついたお父さんを押し倒して、馬乗りになって……右手で殴り続けてた」

 日頃使わない拳でそんなことすりゃ、そりゃ拳の骨も折れる。おそらく粉砕骨折でもしてるんじゃなかろうか。殴り続けてたってことはたぶん、折れたぐらいで殴るのを止めてなかったと思う。折れようとも殴り続けていたのだろう。

「そっか……っておい! それじゃあお前も刺されたってこと――」
「痛っ!」

 慌てて振り返ると、その衝撃で痛みが走ったのか翠が声を上げる。

「あ、その……スマン」
「ううん、いいの。私が刺されたのは左肩だけだから」

 左肩“だけ”って……それは“だけ”では済まないだろう。そんなことを言ったら俺なんて掌だけだ。

 確かに翠の言うとおり、左肩を横から突き刺されたのか、そこから血が溢れ出している。制服も血塗れ(ちまみれ)だ。

「あ、でももう大丈夫。血はだんだんと止まってきてるから」

 俺が心配そうに眺めてたのが気になったのか、そんなことを明るく言ってくる。

「…………」

 彼女の瞳を見つめながら、考える。

 俺の理性が切れた理由……それはコイツだ。

 ずっと疎ましく思っていた。ずっと迷惑な奴だと思っていた。ずっと邪魔な奴だと思っていた。

 なのに……なのに俺は、彼女が刺されると同時、彼女が死んだと勘違いすると同時、全ての理性が無くなった。それは、俺の残っていた数少ない理性が、彼女によって保っていたことに他ならない。

 それは何故か……今ならわかる。そう、一度彼女が原因で理性が切れ、もう一度彼女が原因で理性が戻った、今なら。

 それは至極簡単。

 

 俺にとって彼女が大切な存在だからだ。

 

 ずっと疎ましく思っていた。でもそんな彼女こそ、俺にとって唯一の“繋がり”だった。だからこそ、心の奥底では彼女のことが大切だったんだ。

 だって、彼女が泣き笑いを浮かべた時、俺の中でその彼女の表情がずっと引っかかっていた。

 だって、喧嘩の時のケガが最初は痛くなかったのに、彼女と会ってから痛みがきてしまった。……それは、理性が無くなり、また元に戻っていた証拠に他ならない。

「……どうしたの? そう君」

 ずっと見つめられていて緊張させてしまったのか、彼女の声に少し焦りのようなものが見える。……シャンプーかリンスかわからないが、彼女のきれいな髪から良い香りがする。

「……いや、ただなんで――」
「おい君たち! そこで何をしている!?」

 と、俺の後ろから男性の声。振り返ると、自転車に乗った……警察官。

 ああ、そっか。たぶん駐在所とかにいる人だ。パトロール中に偶然、俺たちを見つけたってところか。

 改めて今の状況を思い出す。

 顔をボコボコにされて気絶しているオッサン。その腹の上に、馬乗りになりながら男女が見詰め合っている。……改めて見るとかなり不気味だ。

 というか、親父をこんなにしたのはまぎれもない、俺だ。今度こそ、本当に家族に手を上げてしまった。それは紛れも無い、罪。今度こそ本当に傷害罪で逮捕だな。

 自転車を路の脇に止め、こちらへ駆け寄ってくる警察。それに俺は、足の力だけで立ち上がり、彼の方を向く。

 そして彼が、こちらの声の届く位置に来たとき、口を開いた。

 

「彼は何も悪くない。悪いのは、私を襲い、彼を襲ったこの人です。これは、正当防衛です。現に私の左肩と彼の左手には、この人が持っていて、今はそこに転がっている包丁での刺し傷があります」

 

 俺が言葉を発するよりも早く、凛とした声で彼女はそう言っていた。

 座ったままの彼女を、驚きの眼差しで見下げる。

 すると彼女は、にこりと満面の笑みを浮かべた後、倒れた。

 

 

 

 

 

 その後俺と彼女、父さんの三人は、警察官が呼んでくれた救急車に乗って病院に搬送された。

 父さんの傷は重症だが、すぐに喋れる程度には回復するとのこと。

 俺の傷はそもそも大したことが無い。あの時ボコボコにされた無数の打撲と、左手の切り傷に右手拳の粉砕骨折。半年程安静にしてりゃすぐに動かせるようにはなるだろうとのこと。

 そして肝心の翠だが……彼女もじつは大したことが無かった。左肩の傷をふさぎ、輸血をしてしまえば済むとのことだった。あの時の気絶は出血多量による貧血だったらしい。もっともこの程度で済んだのは、彼女自身がいつの間にか自分自身に施していた応急手当のおかげだったのだが……。

 

 

 

 

 

 ちなみに今回、俺は無罪放免で取調べを終えることが出来た。

 俺を刺す前に父さんが喋っていたことを近所の住民が聞いていたのと、何より俺を襲うところを見ていてくれたおかげだ。あの時駆けつけた警察官も、じつはその近所の住民の通報で駆けつけてくれたとのこと。……ホント、運が良いとしか言いようが無い。母さんを殺された時よりもかなり幸運に恵まれた事件だった。

 取調べの際に教えてもらったのだが、父さんはそのまま傷の治療が済み次第、殺人の容疑と殺人未遂・銃刀法違反で逮捕されるとのこと。また俺自身の行動は、過剰防衛に見られる可能性はあるものの、基本的には正当防衛に該当されるらしい。だがまぁ、厳重注意だけはされてしまったが……それだけで済んだのだ。心底幸運だったと思う。

 検査のために一応入院している沢渡翠のところにも、ちゃんとお見舞いに行った。その際に、あの時訊きそびれたことを訊いてみた。

 

 なんで俺のことを、そんなに助けてくれるのか。と。

 

 すると彼女は恥ずかしいそうに頬を朱く染めながら、視線を俺に合わせず、言った。

 

 そんなこと、女の私に言わせないで。

 

 要は自分で悟れと言うことか。……まあ、それで構わない。俺は彼女に沢山の悪意をぶつけ、沢山の善意を貰ったのだから。それぐらい、俺がしないといけないだろう。

 なにより彼女に貰った善意で、俺は気付くことが出来た。

 自分の理性を保てる脆さに。

 俺の理性は、彼女一人で保っている。彼女一人が消えるだけで、俺は冷静でいられなくなる。

 だったら……だったらどうするべきなのか。

 簡単なことだ。すでに答えは出ている。

 

 昔の自分に戻る。

 

 ただそれだけ。

 俺は勝手な被害妄想で、全ての縁を断ってしまった。俺のことを犯罪者の目で見ている? 昔の俺は何を考えていたんだか。理性が戻ってきた今なら、わかる。あの視線は、俺のことを気遣ってくれていた。心配してくれていた。なのに俺ときたら……。

 だから俺はその縁をまた、繋げる。昔の自分に戻るために。

 それはとても大変なことだと思う。必死に謝っても許してくれないだろう。暴力も振るわれるだろう。

 でも……それでも俺は、昔の自分に戻りたい。

 帰り道で皆と買い食いしたり、教室で誰が可愛いだとか話したり、昨日見たテレビの話をしたり……。そんな、昔は当たり前にあった風景を、取り戻したい。

 これは俺自身の望みでもあり、翠が望んだことでもある。

 俺のことを、翠はずっとクラス中に言っていてくれた。

 その恩義にも報いたい。

 そして報いた暁には……翠にお礼を言おう。

 

 お前のおかげで、昔の自分に戻ることが出来た。また皆と一緒にいることが出来た。当たり前の風景を取り戻すことが出来た。

 やっと、逸れていた道から戻ることが出来た。分岐点に戻ることが出来た。だからここが、俺の分岐点。また別の道に俺は進む。今度は逸れないようにする。

 ここまで戻れたのは、お前が目印を立ててくれてたからだ。だから、言わせてくれ。

 

 心の底から、ありがとう、と。