「いいか! これ以上は停学だからなっ!」
そんな教師の言葉を背に受けながら教育指導室を出る。
ドンッ!
思いっきりドアを閉める。中から「チッ!」と教師の舌打ちが聞こえた。……舌打ちをしたいのはこっちだ。
進学に響くだとか、相手の親御さんに申し訳なく思わないのかだとか、そんなくだらない説教を二・三十分もされたんだ。こんなことならまだ散歩してる方が有意義だってんだ。
散々聞かされたこっちのことを考えてこれぐらい見逃せってんだ。
「そう君……その、大丈夫だった?」
教育指導室を出ると同時に声をかけられる。
また、彼女。正直ウンザリだ。
俺に付きまとう幼稚園時代からの幼馴染、沢渡翠。何度俺に構うなと言っても話しかけてきて、何度俺に付きまとうなと言っても追いかけてくる幼馴染。正直、鬱陶しい。
「ねぇ、どうして水無月君を殴ったの?」
だから無視して教室へと向かうことにする。放課後になってからかなりの時間がたっている。もう帰宅部で残ってるやつなんて、俺と彼女以外にいないんじゃなかろうか。本日最後の授業が終わってから、担任が教室に入ってくるまでの短い時間でアイツを殴った。そしてそのまま生徒指導室へ直行。それから二・三十分取調べと説教。……そりゃ外も朱く(あかく)なってくるってもんだ。今学期も後一ヵ月しかないこの冬の時期じゃあなあ。
そんなことを考えてる俺の後を追いかけながら、彼女は俺に色々と話しかけてくる。
もちろん俺は返事をせずに無視を決め込んでいる。それでも彼女は、話しかけてくる。それは独り言を言っているのと変わらない。壁に向かって話しているのと変わらない。それを知ってなお、彼女は俺に話しかけてくる。
水無月君のケガは全然大したことは無かったから安心して。とか。今回のことは何か原因があるんでしょ? とか。私で良かったら話してくれないかな? とか。もし良かったら、私が皆に原因を言っとくよ。とか。何なら、私がそう君の代わりに、水無月君に謝っとくから。とか。
「いい加減にしろっ!」
バンッ!!!
立ち止まり、隣にある掃除用具入れを力いっぱい殴る。
うるさい。
黙れ。
俺のことなんてお前に関係ないだろ。
勝手な行動はするな。
そんな思いが一気に爆発し、俺は無意識的に行動をしていた。
その突然の行動に、その大きな音に、彼女はビックリしたのか言葉を止める。
やっと静かになった。だが今度は、俺の言葉が、止まらない。
「そうやって俺に付きまとう行動が、俺を助けようとするお前の行動が、俺自身を苦しめてるって何でわからないんだ!」
彼女の息を呑む音。それでも俺は彼女の方へと顔は向けず、自分の足元を見ながら言葉を続ける。もう、言葉を止めることなんて、俺には出来ない。
「お前は、俺と違って完璧で、俺と違って皆の信頼もあって、俺と違ってクラス中の憧れの的なんだよ! そんな奴が庇ってる男が、こんな無茶苦茶な男で、皆の信頼も全て失ってる男で、クラス中の嫌悪の的で――」
「そんなことは――」
「そんなことあるんだよっ!」
俺の言葉を遮った彼女の言葉を、さらに遮るように声を張り上げる。
廊下中に反響するような声。その大きな声に、彼女自身も再び口を紡ぐ。
「だから! だからお前が俺を庇うたびに! 俺がお前に、俺を庇うように無理矢理言わしてんじゃないかって思われてんだよっ!」
「っ!!」
「お前のような完璧な人が、俺のような出来損ないを庇ったところで、それはただのマイナスイメージにしかならない。あの人が良い人だと言ってるその人は悪い人、だからきっとその人は、あの人に自分のことを良く言えって言ってるんだ。だってあの人は、優しい人だから。……周りの認識は、そういうもんで埋め尽くされてる」
「じゃあ……私がやってることって……そう君にとって、迷惑?」
彼女の声の変化に、俺はようやく彼女の方を向く。
彼女は、泣いていた。
……いや、まだ涙を流していない。正確には泣きそうだ、と言うべきか。そんなことを頭のどこかで考える。
「そうだよね……ずっとずっと、迷惑って言ってたもんね。なのに私ったら……勝手に一人で頑張っちゃって…………こうやって頑張ってれば、そう君がまた、皆と仲良く、楽しく話せるかもって、思ってて……ほんと、バカだよね、私」
そこまで言うと彼女は、俺との距離を開けるように駆け出した。
……ずっと迷惑だと思ってた。いや、迷惑だったんだ。登下校共に彼女に付きまとわれるのが。俺を皆の輪に加えようとする行動が。
だから、これで良かったんだ。これでもう、あいつは俺に付きまとわなくなる。
駆け出す前に見せた泣きそうな笑顔。
頭の中でひっかかってはいるものの、もう関係ない。これで俺は自由だ。
全ての敵に……俺を嫌悪している全ての存在に、やっと復讐できる。
母さんが殺された。
その日は友達と寄り道をして帰ったので、時間はすでに七時を回っていた。
それでもまだ外はほのかに明るくて、もうすぐ夏だな、なんて考えていた。
それともう一つ。買い食いはしていたものの、お腹を空かしていた俺は、今日の晩御飯は何だろう、なんてことも考えていた。
どちらも中学生として当たり前のこと。この先にある、中学生として当たり前じゃないことなんて、まったく考えていなかった。
だから家に帰った時に晩御飯が無くて、代わりにソレがあったときは、思考が止まっていた。
赤黒い海の中にいる、何か。何かはわからない。あまりにもそれは、赤黒く染まりすぎていたから。
それが何なのか気になった俺は、その何かに触れた。揺すった。顔を近づけた。
でも……それでもわかったことは、やわらかくて硬い何かで、生き物ではない何かで、鉄のにおいの塊である何かである、ということしかわからなかった。
奥に居るであろう母さんに訊こうとして、気付く。奥から何の物音もしないということを。
テレビの音も、人が歩く音も、何の音も聞こえない。
母さんがいない……? いや、今日は仕事が遅くなるなんて言っていなかった。
じゃあ……なんで?
……すでに気付いているだろう。
買い物に行っている……? いや、それだと玄関の鍵はかかっているはずだ。俺はたった今、鍵を開けずに家に入った。
……その物体こそ、
まさか、誘拐?! なるほど、それなら説明がいく。早く警察に電話しないと。
……自分の母親だということを。
その後駆けつけた警察は息を呑んでいた。
血塗れ(ちまみれ)になった制服を着た少年。そんな奴が玄関から出迎えたのだ。驚かない方が無理だ。
そしてその肝心の少年は「母さんが誘拐されてしまったみたいなんです」なんて呑気なことを言っている。……後ろに本人が、死体となって存在しているにも関わらずに。
それから俺は、警察に殺人の容疑と第一発見者という立場、その両面から警察に同行した。
ちなみに俺は、警察が駆けつけてくれてからの記憶がまったく無く、駆けつけてきてくれてからの話は全て、警察に聞かしてもらった話だったりする。
それからだ。俺の日常が狂ったのは。
母親の死と長時間の取調べにより、俺の心は疲弊しきっていた。その状況で学校へ行ったり、葬式をしたりするというのも無理な相談だ。
だから俺は、一週間ほど学校を休んだ。葬式を先延ばしにしてまで。
そして先延ばしにしていた葬式の時期が近付いた頃、俺は学校へと登校した。……無理に登校する必要はまったく無かったんだけどな。
するとどうだ。周りの視線、しせん、シセン。
いったい今まで、葬式もせずに何をやってたんだ。もしかして、ずっと取り調べのために警察に捕まってたんじゃないのか。じゃあもしかして、母親を殺したのは彼? だから葬式をすることも出来ず、ずっと学校へ来ることも出来なかったんじゃないのか。いや、こんなに早く出てきたんだ。きっと殺したという容疑がかけられただけだろう。でも、それでもあいつが自分の母親を殺したかもしれないことには変わりはないんだろ。警察がそんな疑いをもってるんだ。きっと本当に殺したんだよ。それで何とか証拠不十分で一時的に出てきてるだけだよ。
またすぐ、警察に捕まるさ。
皆が皆、そんな目で見てきた。
そう。ただ事情聴取のためだけに警察につれていかれたのに、奴らには俺が母親を殺して、ずっと警察に捕まってたもんだと思い込んでるんだ。
だから俺は、全ての縁を切った。
今まで友達だった奴とも。……まぁ、向こうから俺に話しかけに来なくなったんだから全然構わないんだけど。
そんなこんなで、今の俺は独りだ。
仕方が無い。……そう、仕方が無いんだ。
俺だって逆の立場なら、そんな奴に好き好んで話しかけなんてしない。
「どうも、柊蒼司君」
こんな用事でもなければ。
「こんな人通りの少ない、放課後の廊下をひとりで歩いてちゃだめじゃないか」
目の前には八人の男子生徒。全員俺と同じ学年の奴らだ。
別に昔の友達という訳ではない。ただ、同じ学年だったというだけ。
そんな奴らが声をかけてくる理由……そんなものは簡単だ。
俺と同じで、復讐。
「一人で歩いてると――」
ドスッ!
さっきから喋ってる、先頭に立ってる男のミゾを思いっきり殴る。
「がっ!」
体を「く」の字に曲げる。そうして下がってくる男の顎、そこを掌で思いっきり殴り上げる。
「っ!!」
今度は無言。そのままあっさりと倒れる。
同じ手段で、俺はある一人の男子生徒を気絶させた。だから生徒指導室なんてところに呼び出されちまったんだ。そしてその気絶させた奴、その仲間がこいつら。
だからこいつらも、復讐。
俺を犯罪者の目で見てくる全員に復讐しようとしている、俺と同じ。
ただ、それだけ。
「来いよ」
俺が呟く。
その俺の言葉にようやく、残りのお仲間さんが呆然から回復する。
「全員、叩き潰してやる……!」
啖呵を切りはしたものの、所詮多勢に無勢。俺はあっさりとボコボコにされてしまった。そもそも俺自身、喧嘩自体強くない。
二人目に殴りかかったところで全員に取り囲まれ、頬を殴られて倒れ、踏まれるわ蹴られるわされてしまった。
だが不思議と、痛みが無かった。いや、今もまったく無い。
蹴られた時や踏まれた時に、胃の中の物……いや、身体の中にあるもの全てが口から出るんじゃなかろうかという衝撃は走った。だがそれはあくまで嘔吐感であって、痛みではない。体中に痣ができてるだろうが、俺自身痛みはまったく感じていない。体自身は悲鳴を上げているにも関わらず、だ。
ま、痛く感じないならそれはそれで構わない。廊下に寝転がっている趣味も無いので、早く家に帰ることにしよう。
立ち上がろうとして、両手両足に力が入らないことに気付いた。……やっぱり、体自身は悲鳴を上げてるみたいだ。仕方が無い。もうちょっと休憩してからでも良いだろう。
体を這わせて、何とか廊下の壁にもたれて座ることに成功する。
「そう君! 大丈夫?!」
廊下の向こうから声。と同時に、こちらへと向かってくる足音。……またあいつか。沢渡翠。
俺に駆け寄ると心配そうにしゃがみ込み、腫れた顔にハンカチを当ててくる。
「やめろっ!」
腕を払いのけ、怒鳴る。それだけで彼女はビクッとした後、俺の顔に触れてこなくなった。
「何の用だよ」
「……その、帰ろうと思ってそう君を探してたら……」
「何で、帰ろうと思っただけで俺を探すんだよ。もう俺には関わらないんじゃなかったのか」
少なくとも、あんな別れ方をした当日に会いに来ようだ何て思わない。
「……ううん。私はまだ、そう君に関わる」
「何で? 俺は迷惑だって言ったはずだぞ」
「そう君が迷惑だって言ったのは、クラスの皆にそう君のことを言うことだよね。だから、それはもうやめる。でも、だからって、そう君に関わるのをやめる気なんて、私はまったく無い。それはたとえ、そう君本人の頼みでも」
同情。
そんな言葉が頭をよぎる。
幼馴染が母親を殺したって言われてんだ。なまじ付き合いが長い分、同情もしやすいってもんだろ。
だからこいつは、同情で俺に付き添ってるんだ。
心の奥底では、こいつは自分の母親を殺したんだ、とか思いながら。
「……勝手にしろ」
そう言って立ち上がる。さすがに両手両足の力はある程度回復していた。
だが満身創痍なのは変わらない。……くそっ! 今更体中に痛みがきやがった。そのせいで教室までカバンを取りに行く気力が起きない。……カバンは明日でもいっか。どうせほとんど置き勉してんだし。
俺はそう決めると、そのまま校門へと歩き出す。
「そう君、カバンは取りに行かなくていいの?」
彼女のそんな言葉を無視して。