朝、一人の少女が佇んでいた。

 伊沢彩陽、その人である。

 つい数日前の殺人鬼事件で容疑者に上げられたものの、その後すぐさま犯人が捕まり、結局間違いであることが証明されたその少女。

 ……結局のところ、彼女自身に大きな怪我はなかった。悪霊が死んだことで操りも解除されているので、もう彼女を縛るものは何も無い。

 

 ……結局あの殺人鬼の事件。世間ではちゃんとした人間が犯人として捕まった。

 十七才高校生の、家庭事情からくる猟奇的殺人とされて。

 もちろんその十七才の少年は、あの坊主頭の男ではない。

 だからこれは、まったくのウソ。

 冬子曰く、霊の存在を世間に出す訳にはいかないからこその配慮。この犯人役も、警察の中にある心霊課のうちの一人であるらしい。だからこれから先は、未成年と言うことを盾にして、親族からの追求もノラリクラリとやり過ごすとか。

 ……世間に顔出ししなくても大丈夫と言うのを逆手に取った方法。じつは今まで未成年として捕まっていたうちの何人かも、悪霊の仕業で同じ方法とっているものもいるとかいないとか。

 

「あ、おはよう。伊沢」
(おはよう! 伊沢お姉ちゃん!)
「うん、おはよう。あ、待ってた訳じゃないのよ! 偶然! 偶然だからっ!」

 ボロアパートから出てきた周と美喜の挨拶に、そんなバレバレのウソを付け加えながら挨拶を返す。

 そんないつも通りのやりとりをしてから、いつも通り学校へと向かう。

 

「おはようございます。赤城君、美喜ちゃん、彩陽」
「おはよう、藍島さん」
(おはよう! 冬子お姉ちゃん!)
「おはよ、冬子」

 次いで、歩き出してすぐの角から現れた、この蝉時雨の猛暑の中ブレザーを着込んだ、相変わらずの無表情を携えた冬子が淡々と挨拶をし、それに挨拶を返して四人で学校へと向かう。

 

 あの事件以来、冬子は家が遠回りになるのも構わず、こうしてここで合流するのが定番となった。

 ……つい昨日だったか、登校中に周が、周にぃは朝寝てるのに合流しても無駄だよ? と言ったことがあった。それに対して冬子は、少しだけ間を開けた後、全然構わない、とだけ、相変わらずの口調で返事をしてみせた。

 ……おそらくあの間は照れていたのだろう。

 それにまぁ彼女としても、結局のところ周の「霊体と人間のように接することの出来る力」について、まったくわかっていない。ソレを知るためには、確かにこれぐらいしないといけないのだろう。……冬子だけが勘違いしている彩陽との勝負事だしな……。

 最も彩陽だって、その全然構わないと言った返事にかなり警戒心を強めていたのだが……恋愛面的な意味で。

 ……ホント、相変わらずの勘違いスパイラル。

 

「そう言えばさ、冬子。今日暇?」
「どうして?」

 周を挟んで冬子に問いかける彩陽。その質問に、同じく質問を返す冬子。

「どうしてもっ」
「……時間は有り余っている。どうせ今日は昼までだから」
「そっか。そんじゃあさ、駅前の喫茶店行かない?」
「喫茶店……? どうして?」
「そこに“夏休み限定”って銘打った新作のケーキが発売されるからよ。一緒に食べに行こっ」
「……どうして私を?」
「さっきから“どうして”ばっかねぇ……冬子は」
「ごめん……」
「いや、別に責めてないから気にしないで。んま、誘った理由は、色々と話したいことがあるからよ。ケーキはそのついで」
「色々と話したいこと……? まさか、あのこと?」
「そ。昨日教えてって頼んだこと。やっぱ公平じゃないと、ライバルになれないし」
「わかった。絶対に行く」
「それは良かった」

 冬子はケーキ好き? なんて、数日前の事件何てなんのそのと言わんばかりに、和やかに会話を続ける彩陽。

 ……んまぁ、勘違いスパイラルの中とは言え、仲良く見えるのだから全然構わない、か。彩陽と話している時の冬子は、表情や口調は相変わらずだが、雰囲気は全然柔らかくなっていることだし。

 ちなみに、冬子が昨日教えてと頼んだこととは、周の昔話。冬子からすれば、幼馴染としてすごしてきた彩陽が今まで調べてきたこと。彩陽からすれば、自分と周の幼馴染として歩んできた過程。

 ……ホント、何度も言うが、勘違いスパイラル……。

「あ、そうだ! 美喜ちゃんも一緒に来る?」
(えっ、わたし?)

 突然、周と冬子に挟まれる形で歩いていた美喜に、それは名案、とばかりに話を振る彩陽。

「うんっ。たまには良いじゃん。仲良く女三人水入らずってね」
「仲良く……」
(水入らず……)

 仲良くと言われたことに、一人勝手に人知れずうれしそうな雰囲気を発する冬子と、そう言われてもわたしたち三人ライバルだし……と複雑な意味を込めた呟きを漏らす美喜。

 

 ……そう、美喜の中では、自分も含めた三人ともがライバル。

 一時は周を兄として扱うようにしようと考えた。でも……あの男の子の死に際を見て、悔いの無いよう存在し(いき)ようと、心を変えた。……いや、そんな、兄のようにしようという、自分の心にウソをつくような行動はやめようと、決断した。

 だから今はもう――「お兄ちゃん」と相変わらず呼んではいるが、周のことを恋愛感情の目線で見ている。

 故に美喜の中では、三人ともがライバル。

 

「そうだよっ。うんっ。これはかなりの名案ね」
(でも伊沢お姉ちゃん――)
「あ、そうだ美喜ちゃん。もうあたしのことは彩陽って呼んで良いわよ」
(えっ? どうして?)
「ん? だって友達じゃん。こうして話せるんだしさ」
(…………)

 ちょっとだけうれしい気持ちになり、思わず言葉を失う美喜。

 だってそれは、生前自分の周りに沢山いた……でも霊体に(こう)なってからはまったくいなくなった、大切な存在だったから。

「まぁあの時はさ、自分の下の名前が気に入らないから呼ばせたくなかったんだけど……いやでも、確かに今も気に入らないんだけど……それでもさ、やっと見つけた大切な友達にぐらいには、呼ばれても良いかなぁ……ってね」

 照れながら、皆に視線を合わせないようにしながらの彩陽の言葉。

 

 あの黒の塊を殺したその日、目を覚ました彩陽に全ての事情を説明した。

 操られていたこと、ソレを皆で助けたこと、たぶん何人か、人を殺してしまったであろうこと……。

 殺人の部分はあくまで冬子の推測でしかないが……それでも、警察の人に話を聞かれた時、彩陽自身が感じたあの感覚は、その推測が当たっていることを如実に表していた。

 人を殺したと言う罪悪感と、それに伴う恐怖……彩陽の心は、潰れかけた。

 そんな心を救ったのが、ここにいる三人。周と冬子と美喜……いや、あの時は周にぃもいたから四人か。

 その罪悪感と恐怖を、僕達皆が支える。操られていたから仕方が無いと言い訳出来るのに、罪を背負おうとするその姿は輝かしい。お姉ちゃんがどんなに悪い人でも、わたしたちが違うって、絶対に証明してみせる。だからお前は、ただ俺達と一緒に歩めば良い。

 そしていつか――。私たちが倒れそうになったら――。わたし達の近くにいてくれる――。お前が俺達を、支えてくれれば良い。

 そんな、微妙にヘタな励まし。

 彩陽のことを深く知っているのは周と周にぃだけなのに、それでも美喜と冬子は、彼女を励ました。不憫に思ってとか、同情心からとか、そんな心が全く無いと言えばウソになる。

 でも……それでも、少しの時間しか一緒にいなかったとしても、その少ない時間に見せてくれた元気な姿が、無くなるのはイヤだから。

 自分を対等に扱ってくれる彼女を、失くすのはイヤだったから。

 それが美喜と冬子、二人の想い。

 だから二人は、僅かな不憫と同情を孕ませながらも、大きな心からの言葉をかけた。

 だから彩陽は……潰しかけた心を、また元に戻せた。

 だから彩陽は、冬子のことをライバルと思い、美喜のことを可哀そうな霊体と思いながらも、同時に――それ以上に、自分にとってかけがえの無い友人だと、そう思っている。

 

(……それじゃあ……彩陽お姉ちゃん)
「うん。何、美喜ちゃん」

 改めて、彩陽の名前を呼びなおした美喜に、そううれしそうな返事をする彩陽。

(わたしも行って良いんだけど……そうなると三人水入らずじゃ無くなっちゃうよ?)
「えっ? どうして?」
(だってわたし、周お兄ちゃんに憑いてるんだもの)
「あぁ、そっか〜……」

 それは彩陽の中で盲点だったのか、とてつもなく残念そうな声を上げる。

「それじゃあ今日は、昼から周にぃに代わってもらうよ」

 その様子を見ていた周は、そう三人に提案する。

「そうすれば美喜ちゃんも一緒に行けるしね。良いじゃない、行ってきなよ」
(え? でも、そんなの悪いよ。周二お兄さんにも迷惑かけちゃうし)
「構わない構わない。滅多に無いことなんだし、これぐらいじゃあアイツだって迷惑だ何て思わないよ」
(でも……)
「じゃあさ、美喜ちゃんは正直な話、行きたいの? 行きたくないの?」
(わたしは……その、行きたい、かな)
「だったら決まりだね。伊沢、美喜ちゃんをお願いするよ」

 まっかせて! と元気良く返事をする彩陽。

 そうして三人で会話を始める姿を、周は何となく眺めている。

 

 ……今までの周は、周にぃと彩陽だけが大切だった。

 でも、今は違う。

 今の周にとって大切なのは、ここにいる皆だ。二人のことは相変わらず大切だが、それと同じぐらい、この空気が大好きなのだ。……だってここには……周が求めていたものが、存在しているのだから。

 

 生きる目標を作らなければ、生きていけなかった周。そうして出来た目標は、確かに今も変わらない。でも……守るものに優先順位をつけるのなら、この空気は周にぃと彩陽と同じぐらい大切なものだ。

 自分を犠牲にしてでも守りたい、そんな空気。

 見ず知らずの人も助けるが、でも自分の命まではかけないのが周。だってそんなことをすれば、周にぃが死んでしまうから。

 でもこの空気を守るためなら、周にぃだって犠牲に出来る。最もその逆として、この空気を犠牲にして周にぃを守れるのなら、この空気を犠牲にするのだが……。

 

 ……ただ、こんな自分にとって大切な空気にも、一つだけ心残りがある。

 それはやっぱり、あの時死んでしまった男の子。助けられなかったのを後悔していないと言えば嘘になる。

 いくら本人が満足したと言って死んでいても、やっぱり生きていて欲しかったと思う。

 それほどまでに、別の道を歩んでいた自分のようだったから。

 ……ワガママ……そう、これは言わば、自分勝手な言い分だ。それは自分でも自覚している。

 だからこそ、誰にも言わない。口には絶対に出さない。言葉には必ず乗せない。

 ただ、心の中で留めるのみ。

 

「生きていることが……こんなに幸せなんてな……」

 

 思わず、そんなことをポツリと漏らしてしまう。だが女性三人は自分達の会話に夢中で、幸いにも周の言葉が聞こえていなかった。

 

 今までは、目標のために生きてきた。でもこれからは、目標を掲げながらも、自分にとって大切なこの空気を守るために生きていく。

 ……大した違いは無い。今まで見えていた・歩いていた道より、ちょっとだけ外側を歩くだけ。

 でも……今はソレで十分。

 生きていながら幸せを実感出来ていなかったのに、今はその幸せを、実感出来ているのだから……。

 

 

「さて、それじゃあ行きましょうか!」

 校門が見えてきたところで、彩陽が元気良く皆に声をかける。

 

 あの殺人鬼の事件以来、大半の友人が彼女の元を離れた。

 でもそれを、彼女は気にしていない。だって今は、その友達以上のソレを、手に入れているのだから。

 

 

(うんっ!)

 彩陽の言葉に、元気良く返事をする美喜。

 

 全員が恋のライバルだと思っている彼女。でもそのライバルは同時に、自分にとってかけがえの無い、霊体(このからだ)になって始めて出来た無二の友人。

 その幸せな状況を、彼女はまた得ることが出来たのだ。だからこんなにも、うれしそうに、元気良く返事が出来る。

 

 

「今日は終業式。適当に終わらせて構わない」

 相変わらずの表情で、そんな返事を淡々とする冬子。

 

 自分を対等に扱ってくれる彩陽。自分を慕ってくれる美喜。そして、自分の物差しをあっさりとヘシ折った周と周にぃ。しかも周にぃに至っては、自分はまだまだ成長できると教えてくれた、憧れの対象。……いやもう、これは彼女が気付いていないだけで、最早恋愛対象なのかもしれないが……。

 要は、自分を嫌っている者しかいない日常から一転、自らにかけられた呪いを弾き返さんとする皆に出会えた。

 それは彼女にとって、大切でかけがえのない存在。だからこんなにも、表に出ないだけで、嬉しい気持ちになれている。

 

 

「そうだな。ま、明日にでも適当に集合して、皆で楽しむための計画を練らないとな」

 美喜の頭を撫でながら、うれしそうに言葉を発する周。

 

 生きる喜びをくれているこんな皆と、一緒に過ごせる夏休みを待ち詫びている。

 そんな彼の気持ちが分かるその表情に、皆が微笑みを浮かべる。

 ……あの冬子までもが、皆に気付かれぬよう微笑みを浮かべている。

 

 

「そうだ! それじゃあさ、この校門、皆で一緒に通らない? ほらあの、国境線横断みたいにさ」
(あっ! それ良いかも!)
「どうして……?」
「んまぁ、良いんじゃないかな。これから始まる……その、楽しい夏休みに向けて」

 彩陽の子供っぽい提案に、本当の子供の美喜がうれしそうに賛成する。そんな二人に向けて疑問の言葉を投げかける冬子に、周はなだめながら、この楽しい環境が誕生した記念に。という言葉を呑み込み、言い直していた。

 そうして四人は、登校中の生徒の数がかなりいるにも関わらず、横一列に並ぶ。

 まぁ、校門は広いので、四人が一列に並んだところでつっかえる訳ではないのだが……。

 

「それじゃあ! 行くよっ!」

 発案者の彩陽が、大きく声を上げる。

 その声で、登校中の生徒からかなりの注目を浴びる。が、本人はまったく気にしていない。

 むしろさらに声を大きくする。

 

 

「せ〜〜〜〜〜っの!」

 

 

 その合図と共に、一歩、校内へと足を入れた。

 

 それが、彼らの始まり。

 

 様々な出来事を彩る夏休みの、始まりの瞬間だった。