何とも言えない衝撃と、ソレを現すかのように大気を震わせる音。

 土煙と轟音が空間を支配しているその中心部は、雷(いかずち)のように大地へと降り落ちた薙刀と、ソレを使役する一人の人間と一人の霊体――

「くそっ……!」

 ――それと、黒き塊の、合計四つが存在していた。

 

 コンクリートの大地にクレーターを存在させたその攻撃はしかし、この黒い塊には当たらなかった。

 ……否――

 

 外した……?! いや、そんなハズは無い! だってちゃんと大地と串刺しに出来るよう微調整もしたし、美喜ちゃんと二人一緒に力強く握ることで直前で狙いが逸れる可能性だって無い! それに相手は自らを現象に昇華させるのに夢中だった……――。

 ――……もしかして……!

 

 ――避けられていた。

 ……確かに、周の狙いは完璧だった。微調整も済ませたその軌道は、その場にこの塊が留まっていたのなら、確実に串刺しに出来ていただろう。

 でもこの塊は、その迫る攻撃、避けて見せた。

 ……周がまったく思いつかなかった可能性……。

 ……この黒の塊は何と、“自らを縮小させているのを囮にしてみせた”のだ。

 周囲に気を配らない縮小は、この一撃を避けるための、ある種一つの演技。攻撃をしてくる周に、自分は油断しているぞと、見せるための演技。……いくつもの霊体が集まっているこの存在が、こんな作戦まで用意するとは思えないという、そんな油断からくる軽視を利用した方法。

 それに見事周は、ハマってしまった。

 

 すでに塊の大きさは、身長の高い大人程度にまでなっている。

 もしここで仕留めなければ……この土地は、腐り朽ち果てる。

 この土地に住む人全てを不幸にし、悪霊が自然と集まる、ゴーストタウンの一角と成ってしまう。

 ……あの男の子がどれほどの霊体を吸収してきたかは知らないが……あの大きな塊から見積もるに、この住宅地一体は元より、高級住宅街の一角と、ここに来るまでに通ったあの人通りが多い道の一部を巻き込むのは、容易に想像できてしまう。

 そしてそうさせないための希望が今、潰される。

 避けるためにその形に成ったのか、黒い塊の形状は今や人型。

 だがその手は人のソレではなく、大きな岩を思わせる丸い塊。

 

 その手が今、大地に薙刀を突き刺し、自らの失敗を悔やみ、騙されたということに驚愕している周の頭上に、振り下ろされる。

 ……終わった、と周は思った。

 自分がこの塊を倒さないと、彩陽にも、冬子にも、美喜にも、この土地に住む人たち全員にも、迷惑をかける。そう思った。

 自分にしか出来なかったのに、やれなかった。

 ……後悔と未練。死ぬことへの後悔。自分の存在が無くなることへの未練。

 ……もしかしたら、周が初めて、自らの死に対して、後悔と未練を抱いた瞬間だったかもしれない。

 今まで自分の存在なんてどうでも良いと思っていた彼が、初めて……。

 

 ……だがそんな中でも、自らへと迫る、黒き塊から放たれる豪腕。

 ……殺される。生き残れるはずが無い。その迫る腕は、ゆっくりと見えながらもしかし、自分の身体を動かす反応速度よりも段違いに速い攻撃だから。ゆっくりと見えているのはただ、自分が死ぬ故に神がくれた、最後の奇跡のようなもの。

 でもその奇跡はあくまで、迫る死を見せてくれるだけのもの。迫る死から逃してくれるための、そんな都合の良い奇跡なんかじゃない。

 

 目前に迫る死を拒絶するかのように、周はその腕から目を逸らす。

 今までなら平然と、その迫る死を見続けていただろう。だが今は、その迫る死を極力拒絶していたかった。

 だからこそ、本能的に目を逸らしてしまった……。

 

 ……だが、いつまで経っても、腕が周に到達することは無かった。

 現実から目を逸らし、目を閉じて暗闇を自分で作り、その中で迫る死を待っていた周は、ようやく違和感を覚える。

 だから闇から現実へと帰り、逸らした現実を目の前に突きつける。

 するとそこには、腕と周の間に、盾となるように周を庇う、男の子の姿があった。

「なっ……! お前……!」

 驚愕のあまり、そんな情けない言葉しか口から出なかった。

 ……周が塊へと降下し、薙刀が触れる刹那、男の子は屋上から見えたのだ。その薙刀を避けるために、人型になっていた塊を。

 ……“記録”の“枷”が外れているが故見えたその光景に、自分を救ってくれた周が危ないと思い、急いで飛び降りて駆けつけてくれたのだ。

 ……こうして、盾になるために。

「何で……何でだよ……!」

 そんな、自分の心の何処かで「情けない」とわかっているその言葉をかけることしか、周は出来なかった。

(いいから……お兄ちゃん……早く……!)

 “霊”から“霊”へのダメージはわからない。だがその攻撃を受け止め続けるのが辛いのは明白。

 辛そうに悶えながらの男の子の声に、ようやく周は自分がしなければならないことを思い出す。

 ……そう、今はこんな、情けない言葉を発している場合じゃない。

 この男の子を――友人を早く助けるために、友人の作ってくれたチャンスを生かすために、早々にあの黒い塊を殺すことこそが先決なのだ。だから急いで、地面に突き刺してしまった薙刀を抜きにかかる。

 

 抜けろ! 抜けろ! 抜けろ! 抜けろ! 抜けろ!

 

 だが生憎と、薙刀はビクともしない。……当然だ。抵抗力が無くなるこの陣の有効範囲は地面にまで及ぶ。その地面を、あの重力と加速を以ってして突き貫いたのだ。

 生半可な力じゃ、抜くことなんて叶わない。

 

 抜けろ! 抜けろ! 抜けろ! 抜けろ! 抜けろ!

 

 それでも必死に抜こうとする。だがそうしている間も、男の子は辛そうに声を上げる。

 それは堪えるような声から、とうとう悲鳴にまでなってしまった。

 

 抜けろ! 抜けろ! 抜けろ! 抜けろ! 抜けろ!

 

 引っ張り、引っこ抜き、あの黒い塊を貫く。

 ただそれだけの行動なのに、どうしても抜けない。

 

 抜けろ! 抜けろ! 抜けろ! 抜けろ! 抜けろ! 頼むから抜けてくれ! このままだと、僕の友人が――!

 

 そう思ったとき、男の声が止まった。

 どうしたのかと、引き抜くのに必死で、突き刺した根元へと向けていた視線をそちらへと向けると。

 振り下ろされていた腕が、男の子の頭上からどかされ、下から突き上げるようなアッパーへと切り替わっていた。

 ……ずっと痛みを堪えていた男の子に、その攻撃を避ける術は無く……男の子はそのまま、宙を舞い、吹き飛んでいった。

 

 その光景をただ、呆然と見守ることしか出来ず……引っこ抜くための作業も忘れ、男の子へと駆け出したい衝動に駆られ……。

 

 ……でも、堪えた。

 今ここで、あの子の元へと向かうのが、正しい選択じゃない。

 あの子は自分を心配して欲しいから僕を守ったんじゃない。自分で生み出したコイツを殺して欲しいから、僕を守ったんだ。

 だったら……ここであの子の気持ちを汲み取ってやれず、何が友人かっ!

 

(周! 俺と変われっ!)

 そうして少し冷静なったところでようやく、自分の心の中で叫び続けている、自分の一番の親友の存在に気付いた。

 瞬間――

「僕は周にぃに、全てを任せる!」

 ――考える間もなく、入れ替わった。

 そしてまた腕を振り下ろそうとしてくる黒い塊を無視し、薙刀をすぐに引っこ抜き、例の疾さを以ってして、その場から離脱した。

 ……周にぃには霊体が見えない。故に先程の黒の塊が振り下ろした腕を紙一重で避けれたのは、まさに偶然の賜物。

 そうして近くの住宅の壁を、痛む足を無視して蹴り上がる。

(周にぃ! 相手はすでに人型になっていた! ここで大丈夫!)
「OK!」

 そうして三階ほどの高さに辿り着いた周にぃは、先程薙刀が突き刺さった地面近くに落下するよう、身体を移動させる。

 そして――

「後はお前に全てを任せるぞっ! 周!」

 ――入れ替わった。

 黒の塊に動きの変化は無い。それはまるで、お前の攻撃なんて当たる訳がないと、そう言っているかのよう。

 だが……事実そうだ。ああして身構えられては、薙刀を振り下ろしてもあっさりと避けられてしまう。

 ……でも周には、もうソレしか残されていない……。

 ……だったら、当たるまで何度もやるだけだ!

 

 そう宣言するかのように、再び落下の中、薙刀で貫けるよう切っ先の方向を修正する。……ニヤリと、その黒の塊が嘲った(わらった)ような気がした。表情なんて見て取れないのに、何故か小バカにされたような気がした。

 

 ……瞬間、上から、塊へと迫る周を追い抜くように二筋の光。

 ソレは人型と成した塊の足に突き刺さった。……T字型の、短剣……。

「人型に成ったのが、仇となったわね」

 屋上で、誰に聞かせる訳でもなく、そんなことを呟く冬子。

 ……拾っていた短剣の数は六。そして六方陣に使うための短剣の数も当然六。本来なら、彼女の手元に短剣なんて残っていない。……いや、“方陣を描くのに彼女が拾った短剣を全て使っていたなら”か。

 ……男の子が刺した方陣の点は、美喜が投げて冬子が拾ったものではなく、冬子が悪霊だった男の子に投げ尽くしたうちの二つだったのだ。

 だから彼女の手元に、二つの短剣が残っていた。

 そしてソレを今、あの塊を拘束するために使った。

 

 足元に突き刺さった「拘束力場」の短剣で動けず、動揺する塊。だが……現象に昇華しようとしている塊に、この拘束はあまり意味を成さない。

 すぐさま、カラン……、と音を立てて、手も使わずに抜かれてしまった。六方陣の効力が及んでいたであろう、その短剣を。

 

 ……だが、それで十分――

(ああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……――!!)

 ――周と美喜の二人が、塊を薙刀で貫くには。

 

 先程とは違い、高いところから落ちていないため、轟音と爆音は響かせていない。落雷と表現するにも程遠い。だがその代わり、ソレに匹敵する大きな雄叫びを上げさせた。

 抵抗力がなくった者への、最大清めの攻撃。

 

 それはまさに、現象へと昇華しようとした――この土地を地獄へと成そうとしていた存在を消滅させるのには、十分な攻撃力を備えていた。

 

 

 

「おいっ! 大丈夫か?!」

 男の子が飛ばされた場所……あの悪霊を始末した後、周はすぐさまそちらへと駆け出した。

 吹き飛ばされた彼が倒れていた場所は、幸いにも住宅周辺の植え込みの中。

 でも……それでもその男の子は、今にも消え入りそうな、死に際の表情を浮かべていた。

(ああ……アンタか……)

 いつも通りの子供の声と、いつも通りの生意気な口調。

 でもそこに、先程の元気さが無い。……そもそも、植え込みで衝撃が吸収されるとか、関係ないのだ。

 だって彼は、霊体なのだから。

(どうもさ……ボクは死ぬみたいなんだ……)
「そんなこと言うなよ……! だって僕達はまだ、一緒に遊んですらいないじゃないか!」

 死の世界……いや、霊体として消滅するのだから、そこはまた別の世界なのかもしれない。

 そんな何処にいくからわからない彼を、周は必死に繋ぎとめようとする。

(そうなんだけどさ……どうもこの感じ、生きてる時に死のうとした時と、一緒なんだ……)

 はは、何言ってんだろうな、ボク。と言葉を続け、次には大きく咳をした。……肉体があったなら、ここで血を吐いていたかもしれない。

「頼むから……! しっかりしてくれよ……!」
(おいおい……何でそんなに必死なんだよ……。ボクらはさ、さっき知り合ったばかりじゃないか)
「それでも! 僕は友達になるって言った!」
(……友達だから、必死になってくれるのか……?)
「違う……! そんな役割的なものでじゃない……! 霊体だからこその“友達”だからじゃない……! これから一緒に遊ぶ……君と一緒に遊ぶ、その楽しい時間を過ごせないことに、僕は……!」
(……ああ、そうなんだ。ありがとう)
「礼なんて、言わないでくれ……! だって僕は、今死にそうな君を、助けることが出来ないんだぞ……!」

 悪霊が悪霊を殺せるかどうかわからない……。……でも、この男の子の様子を見れば、その答えは明白。

 ……そもそも、そうなるのは容易に想像できたのだ。

 だって悪霊と霊体は、住む世界が同じなのだから……“霊”と人間のように、同じ世界で微妙にズレて、共に過ごしている訳ではないのだから……。

(……きっとさ、これは起きて当然のことだったんだ……)
「……殺人鬼に成れ果てたが故の、報いだとでも言うつもり……?」
(そうじゃない……たださ、こうしてアンタに悲しんでもらえているだけで、ボクはとっても幸せな気分になってんだよ)

 そう答えた男の子の頬に、一粒の水。

 でもそれは、彼の涙ではない。

 

 彼を抱きかかえて、ずっと泣くのを堪えていた……周の、涙。

 

「ど、うして……!」
(ボクはさ、自分の葬式を見て、誰も悲しんでくれてなかった。……でも今はさ、アンタが悲しんでくれている。それだけで十分幸せなんだから――アンタの言った満足のいく死に際なんだから、結局ボクが死ぬ時は、同じ状況だったんだよ。それが少し早くなっただけ。……だから、起きて当然のことなんだよ)

 それは周を悲しませないための、彼なりの強がり。何故なら彼だって、周と一緒に、これからの時を過ごしたかっただろうから。

 ……今もまだ、涙を流さぬよう堪えているのが、その証拠。

「わ、かった……。それじゃ僕は、君を、幸せに、出来たんだよね……!」
(当然だろ……今現在が、幸せなんだから……)

 強がりながらも、涙を流しながらの周の言葉。

 ソレを彼は、強がりを貫き通すために、涙を流さぬよう堪えながら、口にする。

 

「……――ソだろ」
(え……?)

 何かを、周が呟いた。あまりにも小さすぎて聞こえなかったその声を、男の子は聞き返す。

 

「ウソだろ! ウソなんだろっ! 本当のことを言ってくれよ! 僕に気を遣うなよっ!!」

 

 そんな男の子に向かって周は、涙を撒き散らしながら、怒鳴りつけるように声を大にして、言葉(さけび)を続けた。

 

「何だよソレ! そう言って自分の言いたいこと我慢して、心のうちに溜めたまま死なれたら、こっちがたまったもんじゃないってんだよっ!」

 

 日頃の彼からは考えられない、その口調。

 

「友達だろ?! 僕達友達なんだろっ?! だったら全部言ってくれよ! 気を遣うなよっ! お前の言いたいこと全部言ってくれよっ!!!」

 

 日頃から他人を尊重する彼からは考えられない、その発言。

 

「僕は君を、友達として、最高の状態で送ってやりたいんだよっ! だから頼む! 僕に気を遣ってないで、君が言いたいこと全部を言ってくれっ!!! 最後ぐらいはさ……! なぁ……頼むよ……それがさ……友達ってもんだろ……!」

 

 怒鳴っていた口調は次第に静かに、最後は嗚咽交じりの言葉となって吐き出された。

 後に残るは、周の嗚咽と、

 

 男の子の涙。

 

 堪えきれずに流れたソレは、今まで全てを我慢してきた彼の、全てを解放させた。

 閉じられた水門が開かれたかのように。

 

(ボクだってさ……! アンタと一緒に過ごしたかったんだよっ!! アンタと一緒に遊んで、アンタと一緒に過ごして、アンタと一緒に……アンタと、一緒に……!)

 そこから先は、嗚咽で言葉にならなかった。……でも、それで十分だった。

 

(あり、がとう……! ありがとうっ……!! ボクに、幸せを、与えてくれてっ……! ボクに、生きていて良かったと、思わせてくれて!!!)

 

 その言葉をきっかけに、男の体が、足元から光の粒となって消えていく。

 

(最、後に……最後に、名前を……! ボクの友達の、名前を!)
「赤城……赤城周! お前の、名前は……!」
(ボクの、名前は――)

 

 そこまでだった。

 ソレを最後に彼の体は、全て光の粒となり、消え失せた。

 

 その光景に、周の傍らで浮いていた美喜は、ただ泣くのを堪えることしか出来なかった。

 声をかけることは当然出来ず、だからと言って一緒に泣くことも出来ない。

 だってこれは、彼女が死ぬときにも訪れるかもしれない、出来事だから。

 

 周にぃはただ無言。こんな時にかける言葉が、見つからないから。

 

 だがそんな中周は、涙を流しながらも、嗚咽を漏らしながらも、何処かうれしそうな表情をしていた。

 すでに光の粒となって消えた男の子。最後まで名前がその口から聞けなかった友人の男の子。

 そこにいた存在を抱きしめるように、自らの体を抱きしめる。

 

 そして朝日が昇る中、最後に“見た”言葉を、口の中で含むようにして、小さく呟いた。

 

 

 

 我が友修一よ……良き旅を。