(言われた通りの場所に突き刺してきたよ!)
地に手をつけ、呪文を唱えていた冬子はその言葉に顔を上げる。
そこには例の男の子。
今思えば、ちゃんと自己紹介もしていないので互いに名前がわかっていない。……と言うか、この男の子の正体すら分かっていない。
まぁ、話の流れ的に、この子がさっきまで戦った悪霊の核だってことは冬子も推測出来ているんだけど……。
戦っている時に見たような黒さがなく、むしろ美喜のように輝かしい青色になっているので、少なくとも安全なのは確定済みだ。
……まったく……また赤城君は、一人の霊体を救ったってことか……。
……無理矢理除霊することしか知らない自分の物差しでは出来ないその行動。
赤城周二という二人の人格が宿ったその人物は、双方とも尽く(ことごとく)、私を驚かせるのが趣味みたいだ。
「ありがとう」
そんな今更なことを思いながら、男の子にお願いした二箇所を見る。
一つはちゃんとお願いした場所。もう一つは建物の影で見えないが……陣を描くための線から予測するに、ちゃんと目標地点についているだろう。
……さて、これで準備は整った。
男の子に声をかけられた時点で呪文は完了している。
後はそう……効果を発動するだけ。
……タイミングはいつでも大丈夫。
そう周は言っていた。
故に冬子には、ここで時間を潰す必要もなく……。
「六方の陣・遮断の描き・地脈の力を以って・我を介し・我の願いのままに・今ここに具現化せん!」
言葉を切るたびに手で印を結び、総数六つの印を結んだ最後、両手を大きく横に広げ、強く押し付けるように地面に手を叩きつけた。
刹那――描いた陣が、結ばれる。
突き刺した六つの短剣、そこを頂点とし、結ぶように弧を描きながら大きな円が描かれる。
その線は輝かしい青。
冬子が、美喜や男の子の魂を見た時と同じような、輝かしい空を反射したような蒼。
霊感が無いものには見えないソレは、円を描き終えると線を結びだす。
それぞれの点が、二つ隣の点目掛けて、最短距離で直線に。
そうして浮かび上がるは、三角形二つを上下逆さに配置した、冬子が狙った通りの六方陣。
後はそう……全てを彼に、託すだけ。
私の物差しを叩き折った二人の人――赤城周二に。
八撃目。
「僕は君に、全てを託す!」
交代。着地。距離を取る。……すでにこの体は疲労を感じていた。
いくら身体能力が異常に高いとは言え、壁を蹴り、上を目指し、再び壁を蹴って塊へと向かい、攻撃をする。それを何度もしていれば疲労が蓄積してしまうのは当然。
だが、止まることは出来ない。
止まった瞬間、あの塊が移動してしまう可能性があるから。あの塊が、急速に縮小を始めてしまうかもしれないから。
だからたとえ、反撃の来ないところに逃げたとしても、立ち止まることは許されない。
「俺はお前に、全てを託す!」
降下。九撃目。
「僕は君に、全てを任せる!」
そして再びチェンジ。
――刹那、危機感知本能が作動。
周が崩した体勢を立て直す間もなく迫るその攻撃を、身を捻るだけで躱そうと試みる。……だが、無理だった。
右足に鈍い衝撃。ソレを感じながらも何とか地を転がり、作戦を立てた住宅の壁に辿りつく。
そして痛む右足をそのままに、瞬時の判断でナイフを手放し、両腕と左足だとを使って壁を駆け登り、五階の高さまで辿り着くとその中に身体を滑り込ませた。
……やられた。まさか片足をやられるなんて……。
……いや、もしあそこで躱そうとしてなかったら、下半身全部を持っていかれていた。……それに比べれば、動ける分まだマシか。
それでも、不利な状況になったことには変わりない。
敵の攻撃で受けたその右足は、ズボンごと引き裂かれて紅い血が大量に滴り落ちている。
大型の獣の爪で引き裂かれたような傷痕。そんな痛々しいアートが太ももの付け根から膝上まで描かれている。
(ごめん……周にぃ……。その……僕がちゃんと……)
「それは違う。お前の体勢を完璧に立て直してやれなかった俺のせいだ」
痛覚が共有しているので向こうも痛いだろうに、それでも大いに、申し訳なさそうに謝ってくる心の中からの沈んだ声。それに周にぃは、気にするな、とばかりに声をかける。
「俺の土俵で起きた怪我だ。お前が気にするところなんて一つも無い」
(でも僕が、ちゃんとした攻撃をしてたら……)
「日頃から訓練していないお前にそんなものは望んじゃいない。それに今は、こんな責任の引き受け合いをしている場合じゃないんだろ?」
(……ああ、そうだったな。ゴメン……危うく忘れるところだった)
「しっかりしてくれよ」
少しだけ笑いながら、互いに言葉を返す。
それはこのピンチな状況に合わないものだったけれど……少しの疲労回復と、大きな安心感を二人にもたらした。
「さて……状況は?」
と、下を見下ろしながら、今の状況を周にまとめてもらう。
(武器として使ってた脇差を手放してまでここに逃げた。肝心の対象物は、すでにこの住宅の二階少し下まで小さくなっている。……陣はまだ発動しないし……しかもここは五階……さっき手放したナイフを取りに行くにも、立てかけたままの薙刀を取りに行くにも、ちょうど真ん中の位置……。……そしてこの右足、外傷だけで骨には異常がないから、痛みを我慢して壁を昇ることも、遥か下の地面に着地するのもとりあえずは大丈夫……まぁ、そんなこと何回もやったら、神経に限界がきて使い物にならなくなるだろうけど)
そうして状況をまとめている間も、あの塊はだんだんと縮小していく。
今まで赤城周二“二人”の攻撃に気を逸らされていたせいか、まったくと言っても差支えが無い程縮小していなかった。でも今は……その時間を取り戻すかのように、急速に縮小している。
おそらく周囲に気を配ることすらやめ、自らを現象へと昇華させることだけに専念しているのだろう。
正直、考える時間はそんなに無い。
……ナイフを取りに行くなら、このままあの塊相手に時間稼ぎをするということ。薙刀を取りに行くのなら、切り札を取りに行くということ。
前者は足の限界に懸念がある。後者は足の怪我のせいであの重い薙刀を振り回せなくなったので、一撃必殺に頼ることになる。
……どちらが、彼らにとって正解なのか……。
そして彼は、この僅かにしか考える時間が無い状況で、どちらを選ぶのか……。
輝かしい蒼が、暗闇の空を覆う。
そろそろ夜も明けようかというこの時刻、周が二つに一つの選択したこのタイミングで、冬子の陣が完成した。
二つの三角形が上下逆さに配置されるよう描かれたその六方陣。その中心に見事、例の塊を据える事が出来た。
……そもそも、周がこの塊に攻撃していた最初の目的は足止め。幾重もの攻撃で自らの危機を察知させ、早々に縮小するよう促すことで、最初に警戒していた冬子の六方陣作成への注意を逸らす事が出来たのは大成功ともいえる。
もっともそのせいで急速な縮小を促してしまい、今は早々にあの塊を殺さなくてはいけなくなっているのだが……。
「準備万端……だな」
(ああ……全てが整った)
そんな中周と周にぃの二人は、薙刀を立て掛けて置いた十階から、上空に描かれている蒼い景色を眺めていた。
暗闇を背に浮かぶその輝きは……終焉を導くにはもってこいだった。
……そう。彼らがした選択は、ナイフを取りに行かずに薙刀の元へと向かう。その一点のみだった。
二人で出した結論……と言うより、二人共こちらしか考えられなかった。それはまさに二人とも、冬子のことを信用しているという、何よりの証。
共に戦うに値する人物――信頼するに足る人物。その何よりの、証だった。
「いくぞ、周」
(ああ、周にぃ)
立て掛けて置いた薙刀を両手で握りしめ、見下ろす。周にぃには見えていないが、そこには、一階の天井程にまで縮小している塊。
……早々にケリをつけないと危ない。
アイツはもう、悪霊という存在意義を捨て、現象に成ろうとしている。人間が手出しできない領域へと、足を踏み入れようとしている。
そうなれば……周達の負けだ。そうなれば……アイツの勝ちだ。あそこまで縮小しているのなら、おそらくソレが理解できるぐらいには思考能力も発達していると見て間違いない。
……だからこそ、周囲に気を配るのをやめてまで――最初に気にかけたこの六方陣を無視してまで、現象に成ろうとしているのだから。
「しっ!」
吼え、最初に塊へと落下した時と同じように、片足を手すりにかけて飛び降りる。
さらに、落下中にある壁をさらに蹴り、落下速度を倍増。
それはさっきとまったく同じ方法。
だが今、手に存在するのはただのナイフではない。冬子から借りた、清めの力が存在する薙刀。この六方陣の中で振り切れば、一撃であの塊を消滅させることが可能であろう、清められし薙刀。
「俺はお前に、全てを託す!」
そして周と、入れ替わる。
重力に導かれる体と腕を調節し、あの塊に突き刺せるように微調整する。
……前述した通り、この薙刀は重い。長年扱っている冬子や、両方の“枷”を外している周にぃがようやく扱える、そんな長物の武器を周は今、握っている。
“枷”が一つしか外れていない彼一人の筋力では、持ち上げることすら叶わないであろう武器を。
……そう、簡単なことだ。
周一人で、この薙刀を持っている訳ではない。美喜も一緒にこの武器を握っているのだ。
この作戦での彼女の役割はこの一点のみ。
だがそれ故に、とてつもなく重要な役割。
どうして彼女のなのか? それは、彼女もまた霊体だからだ。
未練だけになった彼女の“記録”の“枷”は、とっくに外れている。
故に、彼女が一緒に持ち上げてくれるだけで、この薙刀を周でも扱えるようになる。落下しながらも、互いに強い力で握り合うから、手からスベり落とさない。
周一人なら、とっくに手から落としているのに。
「美喜ちゃん、いくよ!」
(はい!)
大地に引っ張られるような感覚の中、互いに力強い言葉をかけ合う。
そして、急速に迫る塊の中心目掛け、二人は薙刀を握り合ったまま、大地へと降り落ちた。