「おいっ! 殺人鬼!」
心の中で開始の合図を放ち、声に出して自らの体に開始を伝える。その声はかなり大きく、十字路になるよう建てられた住宅群と言うこともあり、かなり反響した。日付が変わりかなりの時間が経っている今、近隣住民に多大な迷惑をかけてしまったかもしれない。
でも今は、そんなことを嘆いている時ではない。あの存在を消さないと、もっと沢山の人が殺されてしまうのだから。
「貴様を殺す存在は、ここにいるっ!」
……いや、そんなこと、周には関係ない。彼にとって殺人鬼を殺す理由は唯一つ。
大切な人達を傷つけられたその復讐。
その一点のみ。
彩陽を操り、心に傷を負わせた。周にぃと戦い、意識を失わせた。周にぃにとって大切な、冬子を殺そうとした。
それだけで十分だった。
……周にぃが気絶させられるのは前提としていたにも関わらず、実際気絶させられたら怒る……幼い頃から自分勝手だと自覚していた周らしいと言えば周らしい。
「殺し、消されたくなければ、ここまで這い上がって来るが良い!」
日頃の彼からは想像もつかない、力強い口調。
その言葉を聞いた悪霊は、ぐぐぐっ、と首を動かし、周がいる場所を見上げる。その視線が、顔を出していた周と絡み合う――刹那、爆ぜた。
膝に力を込め爆発。コンクリートで生成された地をコナゴナに潰して。
周が気付いた頃には、その姿が目の前にまで辿り着いていた。呆気に取られる彼を放置し、さらに体を上昇させ、上の階の地面を両手で掴む。そして体を振り子のように使い、踊り場の中へと体を侵入させる。
その姿を追うように、慌てて振り返る周。
でも、圧倒的に遅い。
悪霊はすぐさまその慌てている顔を掴み、自らの後ろへと体ごと乱暴に投げ捨てる。
ボールのように扱われた体に、背骨が折れそうな程の衝撃。コンクリートで出来た壁に埋まったのではと錯覚してしまう。辛うじて後頭部への衝撃だけは守ったので、意識はまだある。
でも、体を動かして逃げる間もなく、続く動作で首を両手で掴まれ、圧迫される。壁の一部にされそうなほど押し込まれる。
「がっ……! はぁっ……はぁ……!」
圧迫されながらも、酸素を求めるように呼吸器官は動き続ける。でも完璧に圧迫されているのか、まったく酸素を取り入れられない。
……予想外……。……そう、予定外で想定外だった。まさかたった一度の跳躍でここまで来れるのは。壁を何度も蹴り上げ、時間をかけてくるものだとしていた周にとって、この展開は予想外でしかなかった。
「何ダオ前……あノ時とは大違イ」
自分の首を絞める黒いモヤ。その口から発せられる、混じり合った音の様な声。愉快げ(たのしげ)に紡がれるその言葉。ニヤニヤとした、見ているだけで腹が立つ、その横に向いた三日月のような形の口。
その切り抜かれた向こう側の世界から、黒いモヤへと向かって飛んでくるT字型の短剣六本。
周はソレを、霞む視界の先に見た。思わずニヤリと、黒いモヤと同じような表情をしてしまう。
力が無いその笑みを浮かべた理由がわからない悪霊は、訝しげな表情を、相変わらず口を切り抜くことだけで表現する。
その間にも周は、首が絞められているせいで抜けていく自らの力を奮い立たせ、総力を上げてこの両手を持ち上げ、自らの首を絞める悪霊の両手首を、それぞれの手で握り絞める。振りほどくにはまったく足りないその力。だが力を込めると同時――
(がァっ!)
――タイミングを合わせたかのように、悪霊の背中へと、周が先程見えていた短剣が、突き刺さった。
瞬間、悪霊の腕の力が少しだけ緩む。
でも抜け出せる程ではない。だが急いで抜け出さないといけない。このままだと、壁と悪霊に挟み込まれてサンドイッチの具になってしまうから。
そこで周は、周にぃに教えてもらった方法を使う。
それは、相手が自分の首を絞めてきている時にのみ使える、手首にある“ツボ”を押すというもの。相手が力を込めていればいるほど、手に激しい痛みを与えることが出来るというもの。
(ギぃ……!)
教わった“ツボ”を押すと、悪霊の手が完全に開かれる。後ろから襲ってくる「拘束力場」の力に抗うのに必死になっていたが故、そこまで気が回らなかったのだろう。
手が離れた瞬間、周は急いでその場から転がるように離れる。それを合図にしたかのように、悪霊の体が壁に押さえつけられる。今度は周に気を取られてしまい、「拘束力場」に抗う力が抜けてしまったのだろう。
その光景を見た周は、酸素を必死に求めそうになる本能を、自分で自分の首を片手で絞めることで押さえ込み、頭をフラフラとさせながらも立ち上がり、霞む視界の中、悪霊の背中に刺さった短剣を一本抜き、自分の首を絞めていた腕で悪霊の後頭部を押さえ込み、後ろの首元に先程抜いた短剣を添える。
「ゲホッゲホッゲホッ……! ガハッ! ゴホッゴホッゴホッ……」
形勢逆転が完了した刹那、本能に身を任せて体内に酸素を取り込む。次第に酸素が体に巡ってきたのか、頭のクラみもとれ、視界の霞も晴れてきた。
「ハァ……ハァ……ハァ……。……さて、形勢逆転な訳だが」
相変わらず押さえつけたまま、悪霊に声をかける。
(……ドういウコトだ?)
「短剣のこと? それなら、友達が助けてくれたんだ」
友達とは冬子のこと……ではない。
ずっと周の隣にいてくれた、広橋美喜という霊体の女の子。
彼女はずっと、周と共にいた。殺人鬼を殺すという話をした時からずっと、周にぃに変わってからもずっと、彼女は赤城周二の元を離れなかった。それが周の望みだったから。
……そう、この踊り場に来るまで独り言で話した作戦は、じつは彼女に教えるためのものだったのだ。
周お兄ちゃんのお願いはこう。
まずお兄ちゃんがあのコの気を引き付けるから、その間に投げ捨てられ、散乱している短剣の中から、わたしが浮かせれるだけ浮かせて周お兄ちゃんへと渡すと言ったもの。
直接触っても良かったんだけど、触れたら痛いから絶対に浮かせてってお兄ちゃんが言うから、たった六本しか浮かせられなかった。
後は周お兄ちゃんがいる階まで浮かせて、ゆっくりと移動させるだけだったんだけど……周お兄ちゃんのところからスゴイ音がしたから、急いで同じ高さまで浮いたら、今にも殺されそうだったから、咄嗟に投げるような速さで移動させちゃった。でも……一度もあんな速さで物を動かせたこと無かったのに……。
霊体が物を浮かし、移動させる速度と言うのは、思いの力に比例する。これは、霊体の存在自体が“思いの塊”だからだ。故に、浮かせた短剣を今までよりも速く動かすことが出来たのは、周を助けたいと思う気持ちで美喜の心の中がいっぱいになったから。
特に狙いも定めていなかったのに、悪霊に全弾突き刺せたのもコレに起因する。
ちなみに「拘束力場」が発生したのは、建物の中に短剣が侵入したから。
大地というのは、人間が足をつけるところを意味する。だから建物の中――十階という土から離れた場所でも「拘束力場」が発生したのだ。……そもそもそうでなければ、コンクリートで支配されているこの場で発動する訳が無いのだが……。
(チガう……)
と、短剣のことだと言った周の言葉を、相変わらずの、数人の声が混じった音の様な声で否定する悪霊。
(ドうシテ、オれに触レルこトが出キる? いや……ソンなことヨリ、ドウシて会話デ来る?)
霊体が人間に触れるには、前述した通り強い思いがいる。
だがそれは一方通行。
いくら足掻いても、人間から霊体に触れることは出来ない。だからこそ霊体対策として清められた武器が存在する。
でもその清められた武器も、武器であるが故霊体を傷つける、所謂一種の兵器だ。“傷つける”ことは出来ても“触れる”ことは出来ない。
会話にしてもそう。心を通わせないと――互いに話し合いたいと思わないと会話が出来ない。
それなのにこの人間の男は……双方とも平然とやってのける。
だからこその、悪霊の疑問。
そんな疑問に周は、さも当然のように、笑みを浮かべながら答えた。
「僕は君たちと、友達だからだよ」
(とモダち?)
「そうだよ。“霊”という存在と友達なんだ。だからこそ、こうして人間のように接している」
友達という言葉に、悪霊に動揺が走る。表情は相変わらず黒塗りなのでわからない。でも……霊体と人間のように接することが出来る周には、その動揺が伝わった。
だから思わず、訊ねてしまった。
「君はどうして、沢山の人を殺したの?」
(……ソれをキいて、ドウする?)
「どうもしない。ただ殺す前に、聞きたいだけ」
(フっ……モシその剣を突キサシたら、オれの存ザイが消エル前に、オ前を殺スぞ)
「構わないよ。僕の命がどうなろうと」
(ナに……?)
「君を殺すことが出来るのなら、僕の命なんていらない。命を賭けた作戦は、周にぃにも美喜ちゃんにも迷惑がかかるから立てないけど、君を殺す上で死なないといけないのなら、僕はこの命を平気で差し出す」
(……ドウして?)
「僕一人が死ぬことで、僕の大切な人全員が助かる。……確かに、一番大切な人もなくしちゃうんだけど……その大切な人と同じ高さにある大切な人を救えるんだから、全然構わない。だからこんなにうれしいこと、他にないじゃないか。……もちろんこんなの、自己満足だってこともわかってるし、残した人たちに迷惑をかけることだってのもわかってる。でも、そんなの関係ない。最後の死ぬ瞬間ぐらい、自分勝手で自己中心に満ち溢れてたって構わないじゃないか。それに見合う幸せを、僕の死と引き換えに明け渡すんだからさ」
そんな周の言葉を聞いた悪霊は、無言。それは、周の考えに驚愕しているが故の無言なのか、それとも殺人をしている理由を話すべきかどうか戸惑っているが故の無言なのか。
それはさすがに、周でもわからない。
……いや、そもそも今の彼の頭は、回っていなかった。
だってまた、昔のことを思い出してしまっていたから。
「まったく……これだから子供ってイヤなのよね」
車の中でのその言葉、僕は今でも覚えてる。
心を潰したその言葉、僕は今でも忘れない。
……そう、警察の人たちの前で泣いて見せたのは、全部演技だったんだ。
……今なら分かる。僕を守ってくれていたのは、愛情なんて暖かなものではなく、
世間体という冷たいものだったんだ。
暴力を振るう。食事を与えない。そんな本当の虐待をすれば、世間体が悪くなる。
だから最低限、暴力は振るわなかったし、食事も与え続けていた。
でもそれは、他人に押し付けられた、飼いたくも無いペットを預かっているようなもの。
愛情を育み、僕を生んだにも関わらず、あの人たちは僕が疎ましかったんだ。
他人に押し付けられた生き物のような扱い。
そんな扱いを僕にしてきたのは、自分達に向け合う愛情にしか興味がなかったから。
自分達の「愛の結晶」に向ける愛情は、持ち合わせていなかったんだ。
それからの毎日は、地獄だった。
別に、扱いが変わった訳ではない。むしろ何も変わらなかった。今まで通りの生活。
だからこそ、逆に辛かった。
今までは知らなかったから、耐えていられた。
でも今は、知ってしまった。
あの人たちの想いを。あの人たちの心を。あの人たちの気持ちを。
僕のことを疎ましく思いながらも、世間体から仕方なく育てているという、その感情を。
無言の重圧、とでも言うのだろうか? 子供の頃の僕には、それがとても耐えられるものじゃなかった。
だから、せっかく伊沢に救われた心と命だけど、死んでも良いのではと思った。
だって僕がいなかったら、両親の世界は上手く回る。二人きりでずっといられる。僕のことなんて気にせず、互いに愛情を与え合い続けることが出来る。
……だから、気が付いた。
両親の僕に対する扱いが間違いなんじゃない。
僕が生まれたこと自体が、間違いだったんだ。
翌日、そのことを“友達”に話してみた。……もっともソレは、人間じゃない。幽霊と呼ばれる存在だった。
当時から僕は、伊沢以外の人間の友達はいなかった。
見えないものが見えるから……。今みたいに何の気兼ねも無く、純粋に、その“友達”と話していたから。
そもそも伊沢との出会いだって、互いにこの見えないものが見えるからだった。
ある“友達”を介して知り合い、仲良くなり、家が隣同士だと知り、さらに仲良くなった。
当時は伊沢も、僕と同じように霊体と接することが出来たんだけど……大人になるにつれ接するのを遠ざけ、今程度にしか接することが出来なくなった。……まぁ、それが正しいのかもしれない。社会で生きていくためには。人間の友達を、増やすためには……。
そうして“友達”に、伊沢には内緒の話として相談したら、死なないでくれと頼み込まれた。
「自分が今、こうして救われた気持ちになっているのは、こうして君と話せているからだ」
そう言われた。
それは“友達”全員が言っていたこと。
細部は異なるが、言い方はそれぞれだったが、皆僕の存在が無ければ壊れていたと、そう言ってくれた。
僕が必要とされている。
そんな感動は確かにあった。
でも……だからと言って、どうすれば良いのかわからなかった。
だって彼らは、僕の“友達”ではあるけれど、僕を助けることなんて出来ない。だって人には見えないし、聞こえない。あの人たちを懲らしめることも、あの人たちに訴えることも出来ない。
つまり彼らは、自分達が救われ続けたいから、何としても僕に生き残り続けろと、そう言ってきたのだ。
……なんて残酷なことだろう。
自分達は何もしない。何も出来ないから何もしない。だけど救われ続けたいから、君一人の力で生き残り続けてくれと、そう言ってきたのだ。
……当時相談した僕が求めていた言葉が何だったのか。
たぶんそれは、僕は生きていくべきなのかどうか。もし生きていくべきならば、どうして生きていかなければならないのか。そんなことだったと思う。
死のうと思った僕の幼い心はもう、生きていく理由が無ければ死んでしまおうと思うほど、壊れていた。
だからそんな“生きていかなければならない理由は無いが、生きていかなければならない”という言葉は、残酷でしかなかった。
……今なら分かる。あの“友達”がそうやって声をかけてくれたのは、死のうとしている僕の重要性を教え、生きる希望を与えようとしていたんだ。そうして未練を与え、万が一僕が死を決めたとしても、霊体という自分達と同じ存在にはもってこようと考えたんだ。
だからきっと、そんな残酷な意味に取られるだなんて、思いもしてなかったと思う。
でも当時の僕は、そんな残酷な意味にしか取れなかった。
でも、僅かばかりの感動と嬉しさがあったのも事実。
それに何より、受け取り方はどうであれ、“友達”として大切な彼らが僕を必要だと言ってくれるのなら、生き続けようとも思えた。
……そう。きっと僕は、両親にとっては生まれてきてはいけない存在。でもだからと言って、生まれたからには生きていかなければならない。そして死のうと思った存在である僕は、生きていかなければならない理由を求めていた。生きなければならないが、その理由が無い。
……理由がなければ、作れば良い……。
……僕はその時、わかったんだ。
僕が生まれた理由。僕が生きていかなければならない理由。
僕は、僕以外の全ての存在を、僕自身を犠牲にしてでも救うために、生まれてきたんだ。
……それが僕の作った、僕の生まれてきた理由。僕が気付いた、僕が生きていかなければならない理由。
……だって……僕の周辺全てが、そうさせるために存在しているじゃないか。
生まれながらにして、人には見えない存在が見える。これはきっと、その人たちを救えという世界からの言葉。生まれながらにして、絶対愛情をくれる存在がソレをくれない。これはきっと、僕には何も求めるなという世界からの言葉。
何の見返りも求めず、自分の重要性すら認めず、自分以外の全てを救え。
僕はそう、言われている。
生まれながらにして、世界から。
その目的を、与えられている。
そのことに気付いた帰り道。両親を救うことは、いますぐには出来ない。でも大きくなって、一人で住んで、働いて、お金を送れば、ソレは両親を救うことになる。なんてことにも気付いた帰り道。
僕の目の前に、真っ黒な“友達”が表れた。
大人ぐらいの高さをした、真っ黒な存在。
今まで出会ったことは無かったけど、不思議と恐怖心は感じなかった。
その“友達”は、僕に言った。
「君の心の中は空っぽだ」
と。
でも……僕には正直、わからなかった。……いや、今でも分からない。だって僕はこの時、自分が生きていかなければならない理由を見つけた。その理由を実行するために、躍起になっていた。だから空っぽなつもりはまったくなかった。
それなのに、そんなことを言われた。
「良ければ俺を、そこに住ませてくれないか」
さらにはそんなことまで言われた。
心に住む……それがどういうことなのか、僕にはわからない。
でも……僕に恐怖心は無かった。
だってもう、僕の存在なんて、周りの人を救うためだけの存在だから。いらない存在――いわば生贄のような存在だったから。
だからそう……たとえ自分の心が空っぽなつもりじゃなくても、どういう意味かわからなくても、僕はその人を、受け入れなければならない。
それこそが、世界の求めたことだから。
「全然、構わない」
自分の中に不気味なモノが入ってくるなんて恐怖心は無く、自分が死ぬかもしれないなんて恐怖心も無く、僕は笑顔を携えてそう返事をした。
その僕の言葉に、真っ黒な“友達”は「ありがとう」と呟き、僕の目の前から消えた。
まばたきをして、目を開けた瞬間には消えていた。
不思議に思った。
でもそれこそが――
――僕と周にぃとの、出会いだった。
あとがき:
周が悪霊を押さえつける話ー
さらには周の過去の話ー
この前書いたやつの続きみたいなもんかな
彩陽との思い出話でごっちゃになって、ややこしくなっているかもしれないので補足説明
周が両親の目を盗んで逃げ出す
見つけられた帰り道、周は両親にいらない子と言われる
その日、一緒に探してくれた伊沢の家に謝罪に行く
その時に彩陽に結婚しようと言われる
でもその日の夜、周は自分の存在はいらないかもと考えだす
翌日、“友達”にそのことを相談。自分が生きていかなければならない理由を作り出す
周にぃが周の中に宿る
その日の夕方、彩陽に御守り渡し、ずっと守っていくことを誓う
ってな感じ
守っていくことを誓ったのは、自分の生きていかなければならない理由を作り出し、それならば一番守りたいのは、自分を一度救ってくれた彩陽だから、といった考えから
この段階では周にぃが一番ではないのよ……
彼が一番に含まれるのはまた別
でも今回の話では……絶対に書かないだろうなぁ……