さて、これで準備は万端。
後は奴を連れ出すだけ。
でもそれは、指示さえ出せば勝手に出てくる。
その後はそうだな……この辺りはもう、殺人鬼の恐怖で人が出歩いていない。昨日の段階からそうだった。
たぶん、警察が手を回してるからだろう。
……もっとも、そのおかげで、外に出てる人全員が警察だってわかったんだけど。
ともかくそれじゃあ、とりあえずは昨日と一緒。
また明るい街灯に照らされた街で、人を狩ることにしよう。
これからも一緒に訓練をする。
そう冬子と約束した周にぃは、とりあえず彩陽の家へと向かっていた。とっくに終電は発車された後なので、歩いて。
冬子自身はとっくに家に帰ったのか姿が見えない。
でも、それで構わない。
今日は悪霊退治をするつもりはないのだから。つまりは様子見、と言うこと。
彩陽に悪霊が憑依されている疑いがかけられている以上、何かしらのヒントはあるだろうという周の読みから。
ちなみに彩陽に、悪霊は憑依されていない。今朝見た段階でそんなものが憑依していたら、周自身が気付いただろうから。
周の家からいつもの工場跡へ向かうには、一度この街に出ないといけない。だからこそ、街で殺人鬼を探していた冬子と出会うことになったのだが。……まぁ、そのことに関しては、今は置いておく。それで、その街から彩陽の家へと向かうには、三駅分もの距離を歩くことになる。時間で換算すると約三十分。
ちなみに学校への最寄り駅は、この街にある駅だったりする。
もっとも三駅分とは言え、いつも彩陽が“偶然と言い張って”降りる駅は、徒歩ルート的には迂回している。道が塞がっているわけではないので、直線距離で歩くことは全然可能だ。つまり実質の歩行距離は、駅数換算すると僅か二駅分。だからこそ三十分という短い時間で、彩陽の家へと歩いて辿りつく事が出来る。
そして今周にぃが歩いている場所は、彩陽の家の最寄り駅一つ前の地域、市営住宅が立ち並ぶ場所。十三階など比較的大きめな、割と新しい住宅が立ち並ぶ場所。
この場所を抜け、廃れてきている商店街を抜ければ、高級住宅街の入口とも言える場所が見えてくる。
こうして歩いていれば、もしかしたら殺人鬼と会えると思ったんだけどな……。
そんな楽観的な考えが、周にぃの頭を過ぎる。
でも確かに、殺人鬼と彩陽に何かしらの繋がりがあり、殺人鬼が深夜犯行に及んでいるのなら、こういう道ですれ違ってもおかしくは無い。いやもしかしたら、すでにすれ違っているのかもしれない。
俺じゃあ悪霊が憑依されてるかどうかわかんねぇからなぁ……今度ここをあさる時は、冬子を呼ぶか周を起こしとくかしないとなぁ……。
歩いて捜索する時の欠点を、今のうちに見つけておく。それもまた、訓練を終えたこんな時間に歩き回る理由の一つ。
と、さっき自分で考えておきながら、冬子をもう呼ぶことは出来ないという事実に、歩きながら軽く落胆する。だって彼女は、明日から父親と一緒に悪霊捜索をするのだから。
なんか……一緒に回れないってだけで、ここまでショックを受けるとはな……訓練は一緒にするんだから、それぐらいでショック受けるなっての、俺。
そう自分を責め立てるも、やっぱり落胆は心の中に残る。それだけ冬子のことが好きになっている、という証だとは気付かずに。
そんな落胆の中、目の前を知った顔が通り過ぎる。
住宅四棟で出来た、目の前にある十字路。
周にぃから見て右側に曲がって歩いていった、その人物。
活発な印象を与える短めの髪、あの低めの身長、間違いない。
伊沢彩陽、その人だ。
でも……何故だ? 彩陽は殺人鬼ではないはずだ。それなのに……こんな時間に外出?
近くのコンビニに……ということはない。彩陽の家から一駅先のこの地域までコンビニが無いほど、あの住宅街は廃れていないし田舎でも無い。
それじゃあ……どうして?
見間違えるはずは無い。が、もしかしたら見間違いの可能性はある。だってあまりにも、あり得なさ過ぎるから。
だから周にぃは、慌ててその後を追いかけた。
角を曲がってみると、すぐそこにその人物はいた。
車一台分の幅しかない狭い道。そのど真ん中に、後ろ姿を見せ、静かなこの夜と一体化するように、天を仰ぎながら立ち尽くしている。
……やっぱり……間違いない。彩陽だ。
後ろ姿だけど、間違いない。
でも……どういうことだ?
疑問に思いながらも、声をかけようと近付こうとする。
一歩、前に足を進めた。――刹那、本能が後ろからの危機を告げる。その本能に従い、そのまま彩陽の元へと駆け出す。後ろからの危機と距離を開けるために。
振り返りもせずに移動したのは正しかった。背中の空気が――自分がいた空間が、薙ぎ斬られる音が聞こえたから。
彩陽の背中にぶつかりそうになる程移動し、危機と十分に距離を開けただろうと思ったところで、振り返る。
するとそこには、自分のナイフと同じ長さをしたソレを振り下ろした、坊主頭の男がいた。
「……誰だ? お前」
周にぃはそう訊ねるも、瞬間、その男に見覚えがあることに気付いた。
それは金曜日、周が美喜を取り憑かせた時、桜の樹の近くでタバコを吸っていた五人のうちの一人。
冬子が止めに入らなければ、間違いなく殺し合いを始めていたであろう、発狂するかのようにナイフを引き抜いた、その男だった。
周にぃはそのことに気付き、ハッ、と小バカにするように笑って言葉を続ける。
「なんだ、お前だったのか。もしかして、殺人鬼事件にかこつけて俺に復讐しようと――」
言葉は続かなかった。再び本能が告げる、背中からの危機。
あの時一緒にいた仲間か! と、刹那の判断。だが、今その判断を下してはならなかった。
横に飛び退くまでの時間が、ほんの僅かばかり遅れた。
背中を衣服ごと斬り裂かれる熱い感覚。
その感覚に襲われながらも、地面を転がり、壁を背に携えて一息に立ち上がる。
だがそこに、新たな人影はいなかった。いるのは坊主の男と彩陽だけ。
だが変化はあった。
彩陽の右手に、どこの家庭にもありそうな包丁が握られていた。
まさか……伊沢彩陽に、斬りかかられた……?!
「はは……良く避けましたね。中々です」
その事実に周にぃが驚愕していると、坊主の男から声が掛かる。
うれしそうな、楽しそうな声音。何処か生意気な子供を思わせる口調。
その声を聞きながらも、周にぃは言葉を返せない。彩陽に殺されかけたという事実は、彼の中で激しい動揺を生み出していた。
そしてソレは、如実に表情へと色を塗る。
その塗り固められた周にぃの表情を見、おかしそうに笑いながら、坊主の男は言葉を続ける。
「なんだ、その表情を見る限り、この人はあなたの知り合いなんですね。だからそんなにも動揺している」
「チッ……黙れよ、そこの男」
ようやく視線を男に向け、怒りを露にして言葉を返す周にぃ。その反応に男は、芝居掛かった驚きの表情をして言葉を続ける。
「良いんですか? せっかくあの攻撃を避けたお礼に、彼女があなたに斬りかかった理由を教えてあげようと思ったのですが」
「なに……?」
「簡単なことです。僕が操っているんですよ」
「お前が……?」
そんなことが可能なのか?
そんな考えが周にぃの脳裏を過ぎる。でもそれは、確かに可能なことではあった。
周にぃは知らないが、おそらく冬子も周も知っているその方法。
もっとも、その方法を使っているということは、すでに坊主頭の男本人の意思が無くなっているということに他ならない。
何故ならその方法を使うには、「憑依」ではなく「同調」まで辿り着かないといけないから。
憑依とは、人の心の闇に自分という霊体を滑り込ませ、そこから徐々に意識を乗っ取っていく方法なのは前述した。
だがそれはあくまで、憑依された対象が抗い続けることを前提としている。
もし対象がこの抵抗を諦めたら?
悪霊に自分の全てを委ね、湧き上がる負の感情に心が屈してしまったら?
その答えこそが「同調」。
憑依された悪霊に、自分の全てを与えると、契約してしまうこと。もう自分を苦しめないでと、戦うことを諦めてしまうこと。
おそらく坊主頭の男は、自分の中から湧き起こる負の感情を抑えようと必死だっただろう。だが、ふとしかキッカケで爆発してしまう。爆発して、自分の意思に反したことを喋り、行動に移してしまう。それも日を重ねることに、その回数は重なっていく。
周にぃと出会った時の発狂も、おそらくその一端。
だがそうして抑えようとも、悪霊は徐々に、男の負の感情を高めていく。
それでも男は、抑えようと必死になる。自分の心の強さを信じ、負の感情を抑えようと、必死になる。
でも……あることをきっかけに、負けてしまったのだろう。
例えば、自分の意思に反して、自分で自分の家族を殺してしまう。
例えば、自分の意思に反して、自分で大切な仲間を殺してしまう。
そして心から後悔し、心から悲観し、こんな死にたくなるほどの辛い気持ちは二度と味わいたくないと思い、心を潰す。
潰して、失くす(なくす)。
そうして失くした、心のあった場所。負の感情に憑依していた悪霊は、その心があった場所へ移動する。
そうして「同調」は完成。
そうして身体を得た悪霊はもう、並の除霊師では除霊出来ない。
戦闘術と除霊術、双方を極めた「戦闘者(バニッシャー)」と呼ばれる存在でないと、どうすることも出来なくなる。
そうして身体を得た悪霊は、同時に一つの特殊能力を得る。
それが他人を操る術(すべ)。
そもそも、悪霊に「憑依」や「同調」された人間に殺された人は、いくら未練があろうとも霊体にはなれない。何故なら霊体になった瞬間、悪霊に吸収されるから。
どうして吸収されるのか……それは、霊体を吸収した悪霊に、とてつもない快感が巡り回るから。その快感を求め悪霊は人を殺し続ける、そう言われるほどの快楽が。
そしてその得られる快楽を犠牲にすることで、人一人を操ることが出来る。
方法は憑依とほぼ同一。
ただ、人間の負の感情に入れる“もの”を、自らの霊体ではなく、快楽感情に代えるだけ。
そうすることで、操ることが出来る。
もっとも憑依とは違い、負の感情が増幅することは無いし、本人の意識がある時に体が乗っ取られることも無い。
操る条件はあくまで、本人の意識を犠牲にして。
「憑依」の時のように、意識をワザと残して精神的に追い詰めるなんてことも出来ない。
だがそれ以外は、対して憑依と変わらない。
操っている体を通してモノを見たり、操っている体の記憶を思い出させないようにしたり、操っている体から声を出すことも出来る。ちなみにその時の声は、操られている体の持ち主の声となる。
そんな状況に彩陽は今、陥っている。霊的なことは、周にぃはわからない。
だが彩陽の、闇を直接見つめているような虚ろな瞳を見ていると、操られているのは本当のことだろう、と推測するのは容易だった。
そんな周にぃに向かって男は、手を大仰に広げながら、沢山の人に自慢するかのように――
「ええ。僕はこれでも、世間様から“殺人鬼”と呼ばれていますから。それぐらい可能ですよ」
――自分が殺人鬼だと、あっさりと認めた。まるで今夜の家の夕飯を教えるかのように、あっさりと。
その、あっさりと殺人鬼と認める発言に、周にぃは再び驚愕の色を浮かべる。でもそれは、殺人鬼が目の前に現れたこととか、あっさりと殺人鬼と自白したこととか、そんな“くだらない”ことに驚いている訳ではない。
こんなに早く――探して殺そうと決めたその日に出会えた偶然に、驚いているだけ。その驚きの表情をどう取ったのか、殺人鬼は愉快(たのし)そうに嘲み(えみ)を深めながら言葉を続ける。
「ウソだと思っているんですか? でも本当です。証拠はありませんがね。……まぁでも、そうですね。あの人を操っているという証拠はありますよ。僕の周りを嗅ぎまわっていた警察、そいつらの狙いを彼女に絞り込みさせました。いやぁ〜……簡単でしたよ。ワザと目撃されるように逃がすだけでしたからね。僕も段々と殺す場所が人目に付きやすくなってましたから、犯人がヘマをやらかして目撃されてしまった、とあの連中に勘違いさせるには十分でしたよ」
男はあくまで愉快(たのし)そう。
……おそらく、一昨日の夏祭りで狙われた五人とは、この坊主頭の仲間四人と、彩陽のことだろう。彩陽はおそらく、四人を殺す現場を偶然見かけただけ。
そして一目散に逃げる時に、操られた。快楽感情を埋め込まれた。
そうしておきながら彼女には、日常生活を送らせた。見たことだけを思い出させないようにして。夜だけ連れ出して一緒に殺人をさせて。
……この坊主男が家から出てこなかったのは、仲間を殺しておいて自分だけ助かっていたら、疑われてしまうから。
だからあたかも、自分も被害者で、精神的に参っているフリをした。
だから……ややこしくなった。
殺されなかった人数の一人がこいつになってしまい、犯人が彩陽になってしまった。
本来は、全く逆なのに。
「はは……」
男の言葉が終わった頃、周にぃは、男と同じような、楽しそうな、愉快(たのし)そうな、そんな笑みを浮かべた。
偶然……? ……いや、偶然じゃねぇな。周の奴、伊沢彩陽が操られている可能性が高いと見て――いや、“操られていることに気付いて”、今夜こうして俺に下見をさせたんだな。
周の真意に気付いたからこその笑み。
清められた武器なんて必要ない。あるに越したことはないが、もし今日出会えば躊躇せず殺人鬼を殺して良いという、その言葉(ことのは)に乗せていない言葉(メッセージ)に気付いたから。
「なんだよ、別に証拠なんていらねぇよ。全部信じてやる。だからそんな、どうでも良いことを喋るな」
周にぃは可笑しそうにそう言う。
だってそもそも、周は殺人鬼の事件にあまり関心が無い。ただ、伊沢彩陽を傷つけた手掛かりが殺人鬼だっただけ。だから殺人鬼を追うと言っただけ。
つまりは……相手が殺人鬼であろうとなかろうと関係ない。
伊沢彩陽を操っていると気付けた周は、その操っている本体を殺してくれと言っただけ。伊沢彩陽を解放してくれと言っただけ。
だから正直な話、あいつが殺人鬼だろうとなかろうとどうだって良い。
周のために、伊沢彩陽を解放する。
それだけの話だ。
そう。別に必死になって殺人鬼を探す必要は無い。周にとっては、彩陽さえ解放出来れば何でも良い。
その真意に気付けたのは、周と周にぃが一心同体故か。
「……何がそんなに可笑しい? どうでも良いこと?」
笑いながらの周にぃの言葉に納得いかないのか、少しだけ不機嫌そうに男は言葉を続ける。
「僕は殺人鬼なんだよ? あなたなんて殺すこと、簡単なんだよ」
「ああ、そうかい。それで?」
「それで……って」
「ああ、絶望に表情を歪めて欲しいのか?助けて下さいって命乞いして欲しいのか?」
「……っ!」
図星を突かれ、笑みを浮かべていた表情が消えていく。
それに比例して、周にぃは笑みを深くしていく。
それは殺人鬼を殺せるが故の、戦闘享楽からくる笑み。
「なんだ図星か。まったく……殺人鬼って言われてるからどんなもんかと思ったが、そんな安っぽいことを望んでるのかい?」
「……それが何だって言うんだ? 良いだろ別に。そんな奴を殺すのが、僕にとっては楽しいんだからさ」
男から、余裕を感じる声音は消え始めていた。
「ああ、つまりお前はアレか。弱いものイジメが好きなんだな」
「なっ……!」
その周にぃの言葉に、男はとうとう怒りを露にする。
それに気付きながらも、さらに追い討ちをかける周にぃ。
「そうして自分は強いと錯覚して楽しむタイプだろ? そりゃ楽しいわな。相手は絶望に表情を歪め、命乞いをしてくる。まるで王様になった気分だろ? 自分の采配一つで命が奪えるってんだからな」
言い終えると周にぃは、ナイフを取り出して解放する。
腰を軽く落とし、突きつけるようにして構える。
そして――
「そんな王様を俺が、殺してやるよ」
――続けて言葉を紡いだ刹那、周にぃは爆ぜ――ようとして、体を緊急停止させた。
男と周にぃの間に割り込もうとする人影が、視界の端に映ったから。
彩陽だ。
男はなんと彼女を操って、周にぃの攻撃に対する盾にしようとしてきた。
だから周にぃの体は、緊急停止を余儀なくされた。
彩陽を傷つけることは、同時に周を傷つけることでもあるから。
「やっぱりね」
その声は横から。ナイフを持っていない左手側から。
気が付けば男は周にぃの真横に、自らのナイフを振り上げた状態で立っていた。
後は振り下ろすだけ。
今からだと避けるのも逃げるのも遅い。
だからこそ男は声をかけてきたのだろう。絶望を与えるために。
振り下ろされるナイフ。
避けることも逃げることも叶わないと悟っている周にぃは、瞬時に、ナイフを逆手になるようにしながら左手に持ち替え、振り下ろされて迫るナイフを横から突き、軌道を逸らす。自らの背中と水平になるよう、ナイフで空間を凪がせ、追撃が来る前に、二人と距離を開けるように自らの体を移動させる。
距離を十分に開けた後、再び構え、二人と対峙する。
「……へぇ、おもしろい躱し方だね。今まで戦ってきた人でそんなことした人、いなかったよ」
「そりゃどうも」
男の褒め言葉のような言葉に、素っ気無い言葉を返す周にぃ。
だが、心の中は荒れていた。
今の行動で、俺が伊沢彩陽に攻撃できないことに確信を持たせてしまった。やっぱりと言ったあの男の発言がソレを裏付ける。
疑惑から確信に。
これからは確実に、伊沢彩陽を盾として扱ってくる。……攻めづらくなった。
しかもあの男の斬撃。冬子の話だと、アレで人の首を一撃で斬り落としてきたって話だ。
俺と同じ長さのナイフ。だが使用目的が大きく異なるナイフで。
……人の首を、たった三十センチの刃物で斬るというその技巧は相当高い。
野菜と人の皮肉骨(ひにくぼね)の斬り方は文字通り違う。
「切る」と「斬る」。
切るには押し合て、押し引きするだけで済む。だが斬るには、絶妙の角度で押し当て、絶妙の力加減で押し引きしないといけない。しかも一撃でとなると、“押し”すらなく“引き”だけで首を落としていることになる。
奴の今の斬撃はまさにソレ。触れたら最後、俺の体はナイフで斬られたとは思えないほど、滑らかな形で縦に斬り落とされていたことだろう。
……クソッ! どうすりゃ攻めきれる……? 奴の不意を衝く……? だがアイツの動きは相当速い。俺ほどではないが、冬子や他の人間を軽くは超えている。悪霊に憑依された奴の動きは速いって話だったが……。……一対一ならどうってことないんだが……クソッ!
彩陽を盾にされる。
そのことが容易に想像できる分、どうしても攻める手立てを見つけることが出来ない周にぃ。
先程までの余裕はそこに無く、過去からの動揺が体を支配する。
「それじゃあいくよ。僕をバカにしたんだ。今度こそ、殺すよ」
男はがう言葉にすると、包丁を握った彩陽が駆けてくる。
彼女の動きもまた、本来の人間よりも速かった。
「くっ……!」
その勢いを乗せた突きを、横に跳ぶことで何とか避ける。
だが避ける場所を読んでいたかのように、いつの間にか自らのナイフの間合いへと踏み込んでいた男が、追撃の横凪ぎ。
その攻撃を下から突き上げ、身体を折り曲げるようにして躱す。
次いで反撃。がら空きになった腹に突き。だがその攻撃は、男が後ろに飛び退くことで避けられる。
その姿に追撃を与えようと、再び自らの間合いに引き込もうと踏み込む周にぃ。
だが次の瞬間、一歩踏み込んだ足に力を込め、後ろに跳ぶ。
何故か? そう思う間もなく、周にぃのいた空間が地から天へと縦に凪がれた。
横からの彩陽の攻撃。そうして距離を開けた周にぃに、男から追撃の刺突。ソレに対し、同じ刺突を繰り出すことで攻撃を弾く周にぃ。
「へぇ……」
さすがに刺突を刺突で――点を点で返されると思っていなかったのだろう。男は感心の声を上げる。だがソレに反応を返す余裕が周にぃには無い。
彩陽が間合いを詰め、腹を斬り裂くためにナイフを横凪ぎに振るってきたから。
さらに後ろに跳び、その攻撃は避けることが出来た。
だが――
「終わりだね」
――そこまでだった。
男の加速力が上がった。今までよりも速い、その不意を衝いた攻撃。
しかも今度は刺突ではない。体の中心を狙った横凪ぎ。軌道を逸らして躱すことも叶わない、必殺の攻撃。
呆気無いほどの幕開け。
気が付けば十字路の中心。
それはまるで、十字架に張り付けにされる犯罪者のような、死刑執行を待つ死刑囚のような、そんな感じがした。
そして今、死刑執行の刃が振るわれる。
周にぃはただ、その自らに迫る閃光のような刃を、見ているしかなかった。
……コレで死ぬのかと、そう思っていた。伊沢彩陽を助けてやりたかったと、後悔した。死んでしまってゴメンと、周に謝った。そして……覚悟した。自らの体が二つに別れることを。
……が――
――グンッ! っと体が押されるような感覚。
刃から急速に遠ざかっていく視覚。服二ヶ所を掴まれ、押されているような……まるで、強力な磁石同士が引っ付き合おうとするかのような、恐ろしく強い力で。
まさか……! と自らが置かれている状況を周にぃが理解するのと、壁に勢いよく打ち付けられたのと――
「はあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーー!!」
――夜の街に女性の雄叫びが響いたのは、同時だった。
自らの置かれている状況は、T字型の短剣の力で危機を脱してもらえた。壁に打ち付けられたダメージはあるが、場所は先程までいた路地の壁。おそらく斜め後ろから投げてきたのだろう。
そしてそれらのことをやり、夜の街に声を響かせたその女性は、この状況をひっくり返すことが出来る「戦闘者(バニッシャー)」にして周にぃの想い人、藍島冬子その人だった。
あとがき:
殺人鬼と遭遇して戦うことになる話ー
こっから先は基本的に戦闘シーンになってしまうのでご勘弁を
それとタイトルの「カリビト」とは「狩り人」のこと
この場合誰が狩り人なのか……それはまぁ、読者の想像にお任せと言うことで
「憑依」と「同調」についてはちょっと話がややこしすぎたかなぁ……と個人的には反省
そもそも上記の二つをするためには、まず前提条件として悪霊であることが挙げられるのでご注意
霊体の段階で出来るのはあくまで取り憑きだけです
……んん〜……私の書き方が悪いからなぁ……
ちなみに悪霊になるには、霊体として世界に留まってしまった後、この世界に絶望し、世界自体を恨まないとなれないです
だからこそ周に助けられた美喜は、まだこの世界には優しさが存在していたんだ、と再認識出来たから、悪霊にならずに済んでいる訳です
……まぁ大抵の場合は悪霊になっちゃうんだけどね
どんな未練であれ、周囲に認識してもらえないのに叶えるなんてこと不可能に近いですし
「未練を抱いたからこの世界に残ったのに、その未練を叶える方法が存在しない」
そんなちょっとした矛盾に見える世界ですからね、うん
だから世界を恨んで悪霊になっちゃうんだけどね、うん