連れて行かれた場所は校長室。一度も入ったことが無かったあたしは、その中を見て驚いた。

 大量のトロフィーと賞状と優勝盾が納められたガラス戸、部屋の隅に立て掛けられているのは何処かの部活の優勝旗、上にある額縁の写真は歴代の校長だろうか? 

 開けた戸の真正面には豪華な机とソレに負けない椅子。それと出入り口であるここと先程の豪華な机の間に、向かい合うよう設置されているニ脚のソファと高価そうなテーブル。

 

 そのソファの一脚、校長室に入ったあたしと向かい合うように、二人の男性が座っていた。二人とも黒いスーツを着ているが、スーツだからと言って動きづらそうじゃない。動きやすいようになったスーツ、とでも言うのだろうか?

「それじゃ、私はこれで」

 校長はあたしを部屋へと押し込むと、自らの部屋であるにも関わらず何処かへ行ってしまった。

「どうぞ、おかけください」

 不審な男二人組。その内の若い方があたしにソファにかけるよう勧めてくる。

 校長が知っている人とは言え、あたしから見たら知らない人。安全ではあるだろうけど、言うことを聞いて何をされるかわかったもんじゃないので、そのまま立ち尽くしていることにした。

「あ、すいません。まだ名乗って無かったですね」

 いつまでも座らないあたしが、自分たちのことを警戒していると分かったのだろう。若い男はスーツの内ポケットをまさぐり、立ち上がって、取り出した物をあたしに見せる。

「――――」

 何かを言っていたとは思う。でもあたしは、その男が見せた物が意外すぎて、聴覚が機能しなかった。

 見せたものはどうってことはない。近代兵器でも生物兵器でも何でもない、ただの黒い手帳。でもその手帳に、金色の糸で刺繍されている文字こそが、あたしにとって意外なものだった。

 ……警察の人。それだけであたしは、この人たちに逆らってはいけないと思った。一種の呪いとしての効果が、その手帳にはあった。

 偽者かもしれない、なんて考えは過ぎらない。ただただ、警察の人が、授業中であるにも関わらず、自分を呼んだと言う事実に、動揺した。

 

 あたしは急ぐように、向かい合う形でソファに腰掛ける。その姿を確認した若い男の人も、手帳を仕舞わずにそのまま開き、メモをとる準備をしてソファに腰掛ける。

「じつはね、今この町で起きている殺人鬼の事件、そのことについて君の知ってることを、全部教えて欲しいんだ」

 今まで黙っていた、年の取っている方の男性が、体を少しだけ前に乗せてそう声をかけてきた。その声は優しく、同時に鋭くもあった。

 

 ……あたしだってバカじゃない。いくら動揺してたからって、何も考えていない訳じゃない。

 ただの事情聴取なら、わざわざ授業中に呼び出す必要性が全く無いことぐらいはすぐにわかる。

 だから絶対、何故かは知らないが、あたしは犯人だと疑われている。そう思った。

 でも同時に、疑われているからってどうなんだとも思った。だってあたしはやってないし、やってないことに証拠は出てこないんだし、何もかもバカ正直答えりゃ良いやと、そう思った。

 

 だからあたしは、ニュースで知っていることしか知らないと答えた。今まで殺されてきた人数とか、そういうのを。

 その話を聞いた年をとっている方の刑事さんが、気まずそうに頭を掻き、言った。

「実は昨夜、警察官が一人、人通りが少ない時間に殺されましてね。偶然、その現場付近にあなたがいる目撃証言があったんですよ」

 ……何のことを言っているのか、わからなかった。だってあたしは昨日、お昼は友達と遊び、夕方には帰って、ずっと家にいたじゃないか。夜もちゃんと寝てたし……そりゃ確かにここ最近、眠りが浅いのか身体は重いけど……。

 

 だから、見間違いじゃないのかって、訊いてみた。そしたら――

「それがどうも、見間違いじゃないようなんです。見た本人はプライバシーの関係で誰かは言えませんが、あなたに親しい人です。見間違えるはずがありません」

 ――そう、答えられてしまった。

 でも本当の本当に、あたしには人を殺した記憶なんて無いの! 無かったの!

 

 ……でもね……そこから先、どういう状況でその人が殺されたのかって、警察の人が現場検証から見た仮説を話し始めた時……不思議と、その情景がリアルに頭の中で再生されちゃったの。

 ……記憶に無いはずなのに……まるで、忘れていたことを、思い出させられていくみたいに……殺される瞬間の相手の表情とか、殺した瞬間の鈍い触感とか、全部リアルに思い出しちゃったの……。

 ……そしたら、何だかとっても怖くなって、自分のことが怖くなって、自分の心がわからないくなって、そのことがさらに怖くなって……自分の記憶が信じられなくて怖くて、怖くて、こわくて! ……狂ったの。発狂したの。自分はやっていないと何度も叫んで、叫んで、叫びっ、叫びっ! 叫びっ!! 喉が痛くなっても叫んだっ!! 暴れそうになる体を大声を発することで抑えて恐怖自身もそうすることで落ち着けようとしたの! でも恐怖は消えてくれない! 自分の記憶が曖昧なのが怖い! 朝からあった微妙な違和感が怖い! 今まで歩んできた道がじつは自分のものじゃないのではという考えが怖い! 今まで自分が歩んできた道も! ……もしかしたら、こうした曖昧なものが、曖昧のまま固定されたものなんじゃないかって……。……それが自分にとって、思い出となっているままなんじゃないかっていう、その考えが、怖かったの……!

 

 

 

 泣きながら語る、あの時間体験したことの全容。

 

 彩陽が感じた恐怖。それはつまり、今までの自分の全否定。

 感じてきたこと、思ってきたこと、それら全ての気持ちと出来事は、別の自分が歩み、その記憶を今の自分が引き継いでいるのではという恐怖。その全否定が……怖くてたまらなかったのだろう。

 だって……もし彩陽の恐怖が真実なら、彩陽のこの周への思いと想い全部が、否定されてしまうから。

「それからはね、警察の人と騒ぎを駆けつけた先生になだめられながら、帰る事になったの。たぶん明日は、精神鑑定をうけさせられるんだろうな」

 ハハ……と、涙を流しながらも、元気良く振舞おうとする。何でもないことのようにしようとする。

 そんな彩陽の姿を見た周は……守ると、護りきると誓った自分の心を、一つの決意で固める。

 

 このまま……彩陽に辛い思いをさせたまま、日常へは戻させない。

 全てを払拭させてから、日常へ戻させる。

 なら……どうすれば良いか。答えは簡単。

 

 その答えを今、口にする。

「殺人鬼を、捕まえてみせる」

 言葉を口にした途端、心が少しだけ重くなる。この重さが何なのか、彼にはわからない。だから誰にもわからない。

「……えっ?」

 何を言っているのかわからないのか、彩陽はドアの向こうで、驚いた声を上げただけ。

 それでも構わない。彩陽の返答なんて関係ない。とばかりに、周は言葉を続ける。

「伊沢がやってないと思うならやってない。たとえ相手の表情が記憶に残っていたとしても、手に感触が残ってたとしても、やってない。だから僕が、犯人を捕まえてみせる。そんな感触と記憶、伊沢の錯覚だって証明してやる」

 僕が伊沢を守ると……護ると誓ったのだから。

 

 心の中での誓いの言葉。ソレを呟くと同時、周は立ち上がる。

 そして扉に向かって、この日最後の言葉を投げかける。

「伊沢は何も心配するな。たとえ全てが敵だったとしても、僕は最後の最後まで、伊沢を助け続けるし、まもり続ける」

 立ち去る間際、周は財布を取り出し、括り付けてある御守りをはずす。

 夏祭りの時に買った御守り。お見舞いにしては味気ない品だけど、今はこれしかやれない。

 そんな品を、目の前にあるドアノブに引っ掛ける。せめてこれで、勇気が沸けばという思いを込めて。元気な彩陽に戻ってくれという、願いを込めて。

 

 

 

「周にぃ、お願いがある」

 彩陽の家を出た帰り道、周は自分の中の自分に語りかける。

(……わかってる。殺人鬼を捕まれば良いんだろ?)

 今までの会話を聞いていればわかる。それが周の望みだと。

「ああ。もっとも、ただ捕まえるだけじゃない」
(え?)
「再起不能なまでにぶちのめしてからだ。手加減できないようなら、殺してくれても構わない。……いや、殺すつもりでいこう」
(……どうした? 周らしくない)

 驚愕の色を滲ませた、なんてレベルじゃない。驚愕の色しかない声音。それほどまでに、周の言葉が意外だった。だっていつもの彼が、そんなことを言うとは思えなかったから。

「らしくないことないよ。僕にとって大切な彩陽があんなになったんだ。それぐらいしてもらわないと」
(でも……殺すってのは……)
「周にぃは忘れたのかい? 犯人の殺人鬼は悪霊なんだろ? だったら、それぐらいしても良いじゃないか」
(……そっか、それもそうだったな。……でも、どうやって悪霊を殺すんだ?)
「藍島さんにも協力してもらおう。周にぃが扱えそうな、清められた武器を借りれば良い」

 

 昨日軽くしか冬子のことを話していないのに、もうそのことも踏まえて考えてあるのか……誓ってからまだ数分しか経っていないにも関わらず……。

 ……それはつまり、それほどまでに決意が固いという証。それほどまでに、伊沢彩陽が大切だという証。

 なら……それに答えるのが、周を護ると誓った、俺の役目。

(わかった、俺に任せろ。俺が死んででも、殺人鬼を殺してみせる)
「それはダメだよ、周にぃ。だって君が死んだら、僕も死ぬって決めてるんだから」

 伊沢彩陽のことが大切なのに、それでも俺のことを大切だと言ってくれる。……周にとって、優先順位なんて無いんだ。俺と伊沢彩陽、どちらも大切なんだ。

 もしどちらかしか助からないなら、周は自分を殺して俺達を助けようとする。

 もしそれが叶わないなら……そうだな、俺と周二人だけが死ぬか、三人全員死ぬか、だろうな。

(……わかったよ。俺は死なない。一方的に殺人鬼を、殺してみせる)

 そう出来るようになるために、強くなろうとしていたのだから。

 強くなることに、貪欲だったのだから。

 

 でも……そう考える周にぃの考え――彩陽を助けるために自分が頼られたという考えは、少しだけ違う。

 だって周にとって一番大切なのは、本人が意識するところでは周にぃなのだ。だから本来なら、こんな周にぃが危険な目にあうようなことを、周は勝手に提案したりしない。

 ……周はわかっているんだ。周にぃが、自分を助けたがっていると言うことを。自分を助けるために、彩陽を助けようとしていることを。

 そんな周にぃの考えを、わかっている。

 現に周にぃは、もしこの場面で彩陽の助けを周が提案しなくとも、勝手に殺人鬼捜索をやっていた。そのことを知っているから――周にぃ自身も殺人鬼を探したがっているのを知ったから、提案した。

 ……厄介事に巻き込まないようにすることだけが優しさじゃない。怪我をさせないようにすることだけが思いやりじゃない。

 相手の心を知り、理解し、一緒に歩む。

 それこそが信頼しあうというもの。一方通行の情と心じゃないこの行為を、周と周にぃは互いに無意識的に行っている。

 だって互いが互いのことを、一番大切だと思っているのだから。

「そうだ、美喜ちゃん」

 次に、自らの隣で浮いている女の子に声をかける。

(なに? 周お兄ちゃん)
「美喜ちゃんもさ、協力してくれる?」
(え? うん。伊沢お姉ちゃんはわたしも助けたいし、助けられることがあったら助けたいけど……わたしは何をすればいいの?)

 そんな美喜の疑問に周は、満面の笑みを浮かべて言った。

「これから先、何があっても、僕の傍を離れないでね」

 ……それは暗に、いらないことはしないでくれと言っているのか……。

 

 

 

 部屋を出る。そこにはすでに、アイツの姿は無い。

 殺人鬼を捕まえると言ってすぐに階段を降りていった。わき目も振らず家を出て行った。

 ……本当に、捕まえられるのだろうか? ……それともやっぱり、あたしが殺人鬼なのだろうか……? ……アイツはもしかして、あたしがあたしの意識していない行動を起こしたら捕まえるつもりなんじゃないだろうか……? ……だから一旦、あたしから離れた……?

 

 そんな不安に掻き立てられながら、部屋に戻ろうとする。と、ドアノブに何かが引っ掛かっている。

 手に取って見ると、そこには「交通安全」と刺繍された御守り。

 その御守りを見て、思い出す。昔もこんなことがあったなと。

 

 ……いつもそう。アイツが渡す御守りは、何故か場に合わない。こんな心からヘコんでる時に、何で交通安全なんだか……。

 ……あの時もそう。あたしを護ると誓うからコレを持ってて、って渡した御守りも、「交通安全」。

 それはたぶん、絵本とかで見た、騎士が女王様に剣を渡すシーンの再現。だからたぶん、あの御守りを返す時は、あたしがアイツを認めた時だと、子供心に思った。

 ……たぶんそれからだと思う。アイツの事を、名前で呼ばなくなったのは。

 あれ以来妙に恥ずかしくなって「覚えてる?」って聞かれても「覚えてない」って返してる。

 ……ホント、ダメだ。あたしは……。それなのにアイツは……こんなダメなあたしを、守ろうとしてくれている……。だからいつまで経っても、好きなままなんだ。……まったく、それならもう少し素直になれっての、あたしは……。

 

 自分の行動に呆れ果て、ため息が自然と吐き出される。

 すると何故か、それに呼応するかのように、一筋の涙が頬を伝う。

 その涙は果たして、ダメな自分を責めているのか、自分を守る騎士を心配してか、それともその両方か……。

 

 ……ああダメ、止まらない。自分が泣いてるってわかった途端、止まらない。

 次々と溢れ出てくる。冷たいようなぬるいような、そんな水滴が次々と出てくる。

 まったく……本当に弱いんだから……あたしは……。

 ……ああでも、御守りだけは濡れないようにしないと。あたしの頬みたいに濡らしたら、せっかくもらったのに失礼だ。

 

 そうして胸元に、包み込む。

 

 ……暖かい……。

 ……何これ……こんなに暖かったら……せっかく、誤魔化そうと、してるのに……涙が……! 

 ……ダメ……! もう……ダメ……! 抑えられない……! せっかく、声に出しては、泣かないように、してるのに……! 助けて……!

「周ちゃん……!」

 それが、決定打だった。

 その言葉を最後に、膝を折り、堪えきれなくなった涙を、心のモヤと一緒に、大声と共に吐き出した。

 

 久しぶりに呼んだ名前は、涙を呼ぶ呪文と化していた。

 

 

 

あとがき:
彩陽が呼び出されてからどんな話をしていたのかって話ー
それとまぁ、彩陽の過去みたいな話ー
彼女はただの恥ずかしがり屋なんですよ、うん

まぁ物語的な話は置いといて……
最後の一文、もっと良い言葉が無いものか……?
いくら考えてもこの辺が私の限界だったり
なんかこう、イマイチしっくりこない気がしない?
私だけなんだろうか……
んん〜……絶対もっと良い言葉があるはずなんだけどなぁ……