朝、一人の少女が佇んでいた。今更説明することもないだろうが、伊沢彩陽その人である。

 場所はもちろん、周が住んでいるボロアパートを囲う塀。そこに背を預け、カバンを両手に周を待っている。……でも今日は、何処か元気が無い。待ちわびてのため息も、周を思っての妄想も無い。疲れているような虚ろな瞳、定まっていない視界で地面を眺めているその姿は、消えそうなロウソクのように何処か儚げだ。

「あ、おはよう、伊沢」
(おはよう、伊沢お姉ちゃん!)

 アパートから出てきた周と美喜は、塀にもたれている伊沢に朝の挨拶。

「あ、うん。二人ともおはよう」
「……どうしたの? 今日は元気がないね。大丈夫なの?」

 挨拶の返事にいつもの元気が無い。そのことが気になったのか、周は心配そうに訊ねる。

 そんな彼に彩陽は、片手をパタパタと振って、説得力と元気の無い笑みを浮かべる。

「ああ、うん。たぶん大丈夫。何かお祭りが終わってから、疲れが取れないの」
「お祭りの時にはしゃぎすぎた?」
「そんなこと無いと思うんだけど……」
「しんどいのなら、僕なんか迎えに来なくて良いのに」
「ううん、そういう訳には……って何言ってるの!」

 途端、いつもの元気を呼び戻し、頬を朱く(あかく)染めて反論の言葉を口にする。

「あんたなんか迎えに来てないわよ! ただ偶然一つ前の駅で降りて、この前を通ったらあんたが来るだけだって言ってるでしょ!」
「それならちゃんと、学校の一番最寄駅で降りて学校に行けば……」
「偶然だから仕方ないでしょ!」
「それだったらいっそ学校休んだ方が……」
「ちょっと疲れが抜けないだけで学校なんて休んでられないわよ」

 まぁ確かに、特別顔色が悪い訳ではない。ちょっと寝不足気味な疲れを感じさせる顔色ではあるが……病的とまでは言わない。

(ねえねえ、伊沢お姉ちゃん)

 と、今まで二人の会話を黙って聞いていた美喜が、彩陽の顔を見上げながら声をかける。

「ん? どうしたの、美喜ちゃん」

 しんどいだろうに、わざわざ膝を曲げて美喜と視線を合わせるようにしてから返事をする彩陽。

(どうして偶然だなんてウソを言うの? 周お兄ちゃんを迎えに来てる、って言えば良いのに)
「んなっ?!」

 反射的に立ち上がり、後ずさるように身構える彩陽。そんな彩陽の姿に構わず、美喜は無邪気に言葉を続ける。

(本当は周お兄ちゃんのことが大好きで、素直になれないだけなんだよね?)
「な、な、な! そんなことないわよ! いい加減なこと言わないでよ! 美喜ちゃん」

 声が少しだけ裏返り、顔を真っ赤にしながら反論しても説得力は皆無なのだが……。

(だって一駅前で降りる偶然って、どういう状況かわからないよ?)
「そ、それは、その……健康のために、一駅前で降りてるの」
(それだったら偶然じゃないよね?)
「じゃなくて、本当はその、電車が一駅前で止まって……」
(一昨日もそんな感じで偶然だったの?)
「そ、そうよ……?」
(なんでお姉ちゃん自身がちょっとわかってないの?)
「そんなこと無いわよ?」
(まぁ良いけど……でもそんなに何回も電車が止まってたら、皆大変だね)
「そうねぇ」
(各駅停車だから止まるのは当然、なんて言わないよね?)
「うぐっ!」

 

 妙なところで鋭い子……本当に小学生? っと言うか、この年でよく各駅停車なんて単語知ってるわね。

 

 なんて心の中をかすめる彩陽。自然、反論の言葉も浮かばず、無言になってしまう。

「…………」
(どうかしたの? お姉ちゃん)
「…………あ、こんなところで話してたら遅刻しちゃう。ほらあんたも、さっさと行くわよ」

 誤魔化すように周の腕を取り、さっさと歩き出す彩陽。

 

 ……はぁ。ここまで話して何の反応も示さない、鈍い周お兄ちゃんも大概だけど、せっかくのチャンスに勇気を振り絞らない伊沢お姉ちゃんもどうかなぁ……。

 

 そうは思うも、今回はこれ以上口出しできそうに無いとも美喜は思う。先程のように誤魔化されるか、本当に嫌われる。……ま、当の彩陽本人としては、どうして自分の気持ちがバレたのかが気懸かりなようだが。

 そんな二人の後についていく美喜だが、自分のさっきの言葉に、周がどういう反応を示したのか気になっている彩陽の姿を見ているのも忘れない。

 ……チラチラと、腕を引っ張っている周の表情を見る彩陽。そこに特別な変化はなく、いつも通りのやさしそうな瞳と、何を考えているのか判断しかねるやさし気な表情を作っていた。

 

 まったく……だから何か反応してくれても良いじゃないの! 一緒に照れてくれるとか、色々とさ!

 

 と、またまた身勝手なことを思っている彩陽。

「おはようございます、赤城君、美喜ちゃん」

 そんな二人の前に、一人の女性が角から現れて挨拶。全方位セミ合唱会が開かれるほど暑い季節であるにも関わらず、相変わらずの無表情と瞳で平然とブレザーを着ている、漆黒の長い髪の女性。

「ああ、おはようございます。藍島さん」
(おはよう、冬子お姉ちゃん!)

 周と美喜は足を止め、挨拶を返す。が、周の腕を取っている彩陽は、その挨拶をしてくる冬子を呆然と眺めているだけ。

 その姿に気付いたのか、冬子は頭を下げて相変わらずの平坦な声音で淡々と自己紹介。

「どうも、おはようございます。こうして会話をするのは始めまして。藍島冬子の名で生を受けた者です。しがないながらも藍島神社で巫女などをやらせてもらっております。校内で私自身が知る私の評価は“夏になってもブレザー着てて気味が悪い”です」

 ……いやまぁ、そんな深く自己を紹介しなくても……。

 ……まぁともかく、そんな自己紹介をしてきた冬子に、ようやく自分が挨拶を返していないことに気付いた彩陽は、戸惑いながらも頭を下げて挨拶を返す。

「こ、これはどうもご丁寧におはようございます。伊沢彩陽です。よろしく」
「伊沢さんですか、今後ともよろしくお願いします」
「あ、はい。よろしくお願いします」

 互いに頭を上げ、目を合わせる。冬子は相変わらずの無表情。彩陽は噂と違った冬子の姿に戸惑いの表情。

「えっと……藍島さん……で良いのかな?」
「何とでも。でも敬語はいらない。同じ学年だから」

 話しかけた彩陽に、淡々と言葉を返す冬子。先程の様な余所々々しさがいきなり無くなった冬子に、彩陽自身も順応するように、敬語をやめよう! と意識して言葉を続ける。

「あ、うん。わかった。でさ、その、さっきの自己紹介での自己評価だけど、あたしが聞く感じの噂に、そんなのは無かったと思うんだけど……」
「七月に入ってから流布され始めたものだから。他のクラスだから、まだいってないのかもしれない。広めてくれても結構」
「いや、広めないけど……」
「そう」

 まったく表情を変えないから、冗談なのかどうかも判断できない……。

「伊沢、伊沢」

 そんな感じで彩陽が困っていると、周が声をかけてきた。

「何?」
「藍島さんなんだけど、僕と周にぃのこと、知ってるから」
「えっ? 何で?」

 まさか、霊体に教えることはあっても、自分以外の人間に教えたのが意外だったのか、驚きの表情をする彩陽。

 

 何? まさかやっぱりあの時遊びに行ったときに仲良くなったから教えたとか? もうラヴラヴだとか? キスしたとか?

 

 そんな彩陽の気持ちなんて露知らず、周は言葉を続ける。

「周にぃが教えたんだよ。それと彼女、美喜ちゃんも見えてるから」
「あ、そうなんだ」

 美喜が見える、というところよりもむしろ、周にぃが教えたというところが彼女にとっては重要。だってそれは、周が冬子と仲良くなったから教えた、ということにならなくなるから。

 そのことに安堵感を覚える彩陽。その間に周は冬子にも、彩陽も自分と周にぃの事情を知っている、ということを伝えておく。

 

 とりあえず登校しながら、という話になったので、四人で歩き始める。道路側から周、美喜、彩陽、冬子の並び。

 さすがに横一列に四人となると、車が通れなくなる。まぁ、基本的に周達が通っている道は、朝は車の通行量はゼロに近いので構わないのかもしれないが……。

「あれ? そう言えば藍島さん、どうしてコイツなんかを迎えに来たの?」

 ふと、あることに気付いたように、彩陽が冬子に疑問を投げかける。

 まぁ、そりゃ気にはなるだろう。一昨日遊びに行き、その次の日の登校路でわざわざ会いに来ているのだ。疑問に思わぬ訳が無い。

 もしかしてもしかして……なんて警戒している彩陽に向かって、冬子は少しだけ考え、答えを口にする。

「……赤城君のことが気になるから」
「…………」

 その答えを聞いた彩陽は、無言。

 ちなみに他の二人は、もしかして周にぃのことかな? と考えてたり、もしかして周お兄ちゃんのことが……! と興味深々な反応を示したりしている。どっちがどっちかはあえて言うまい。

 

 まさか……藍島さんもこいつのことが……! やっぱり一昨日遊びに行った時になんかあったんだ! 

 ああ〜……やっぱあの時友達の誘いを蹴って、ピンチのお小遣いはたいてでもついていくべきだったか〜……! ああもう、あたしのバカバカバカ! 

 ……いやでも、ちょっと待って。確か藍島さん、こいつの中の奴にこいつのことを教えてもらったのよね。それじゃあもしかしてもしかすると、興味があるのはこいつじゃなくて、こいつの中の方とか……! 

 ってそれこそバカかってあたし! 中の奴に興味があったとしても、こいつの体は一つなんだから結局取り合いになるこの現状は変わらないんだって!

 

 心の中で繰り広げている仮定の話であろうとも、冬子が周のことを“好き”であることを認められないのだろう。あくまで“興味”という単語で心の中を整理している。

 でも……たぶん、冬子の言う興味の対象は、周にぃではなく周。だが彩陽が考えているような、恋愛事に関する興味ではない。

 興味の対象はあくまで、周の“霊体と人間のように接することの出来る力”。

 

 そもそも、おかしい点はいくつもあった。

 大きな点として、まずは土曜日の登校路での出会い。冬子の神社は、周の住んでいるアパートから行くには、学校の前を通る必要がある。夏祭りの時周が歩いたから間違いない。

 それなのに彼女は“登校している周の後ろから”声をかけてきた。あたかも登校中に出会ったかのように、自然に。

 おそらく前日、早足で帰って祖父に聞いたのに、周の能力については一切分からなかったのだろう。だから自分で調べようと、朝出会うという自然さで、周に近付いた。

 携帯電話に関しても、近付くきっかけになるだろうから。

 次に深夜の出会い。見知った顔が深夜に出歩いているのが不自然だからといって、後をつけるものだろうか? 何の関心も無ければ通常はスルーするものだろう。だが冬子は、周の力に関して興味を持っていた。だから、後をつけた。たとえ周の姿に、悪霊の姿が映っていなくても。

 ……昨日の深夜、周にぃと殺人鬼を捜索している時、彼女は悪霊が憑依していれば一目で分かると言っていた。なら――本当に殺人鬼を探しているだけなのなら、一昨日周の姿を見た時、周には悪霊が憑いていないとわかり、彼の後をつけるなんてマネはしなかっただろう。

 興味があって後をつけたと言えなかったから、咄嗟に殺人鬼の話を出した。その時戦った理由の真実は、周のわからない能力が、もしかしたら悪霊を見えなくしているのではと思い至ったから。

 ……まぁ、これもウソで、実際は殺人鬼捜索もしていない可能性もあるが……彼女の話した警察の内部事情の全てが真実な点、住所をその日のうちに調べ上げる情報網などから、そこまでウソの可能性はむしろ低いと言えるか……。

 ……だがそうなると、どうして周にぃからされた、殺人鬼を探すお願いを引き受けたのかがわからない。わざわざ一子相伝の技と引き換えにしてまで、一緒に殺人鬼を探す……そんなもの、探している時に今回の様なボロが出るわ、技を教えないといけないわ、それによって捜索の時間が少なくなるわで、デメリットしかない。

 それなのに引き受けたのは……この件とは無関係だからか? ……まぁ、そのことに関しては本人にしかわからないが……ともかく、先程の冬子の答え、アレは恋愛感情なんてものじゃない。

 遊園地で周にぃが、警戒しておかないと、と思ったのは、まさに正解だったのだ。

 あんなに彩陽が動揺しているのも、先程説明した通り、遠回りになるにも関わらず迎えに来ているからだろう。

 もっとも当の周本人は、そんなこと気付きもしていないようだが……。

 

「あ、伊沢、クラスの友達だよ」

 前を歩く彩陽の友達を指差し、周は声をかける。その声でようやく、彩陽は自らの考えを中断。頭の中からその思考を追い払うように、頭を抱えながら何度も左右に振る。

 そして落ち着けた頃、首だけをうごかして周の顔を見、次に冬子の顔を見る。

 真正面を向き、深呼吸。

 歩いている三人より一歩、大きく踏み出して、振り返る。

「藍島さん……いえ、冬子! これからあたし達はライバルよ!」

 突然冬子へと指差しながら、そんなことを宣言する。いきなりなことでついていけないのだろう。三人とも無言。

 そんなの構わない、とばかりに彩陽は言葉を続ける。

「こっから先は公平な戦いよ。同じクラスとか別のクラスとかあるけど、そういう運も勝負には含まれるもの。だからあきらめて。でもこっからは、互いに、公平に戦いましょう」

 ……ああ、なるほど。つまり彩陽は、周を巡っての戦いは公平にしましょうと、そう言っているのか。

 彼女の中では、冬子はすでに周か周にぃのことを狙っている、そういう存在になったのだろう。……彼女らしいといえば彼女らしい。堂々と本人の前で宣戦布告とは……まぁもっとも、当の本人である周は何が何やらわかっていないようだが。

 

 布告された冬子は、相変わらずの無表情。雰囲気的には面食らっていたようだが「同じクラスとか別のクラスとか」の行(くだり)で、何のことを言っているのか察したようだ。彼女は一つ頷き――

「わかった。伊沢さん――いえ、彩陽」

 ――と返事をしていた。

 

 彩陽はやめて欲しいなぁ〜……ああでも、ライバルだから仕方ないか。

 

 なんて考えが過ぎりながら、彩陽は強く頷き返し、友人の下へと小走りに向かって行った。

 その姿を、いつの間にか止めていた足をそのままに見送る三人。

 

 ……まさか彼女も、彼の能力の謎について調べているなんて……。

 

 ……ああ……まぁその、何だ、冬子にはちゃんと、彩陽の気持ちは伝わっていないようだが……。

 どうも冬子、彩陽が恋愛関係の勝負と勘違いし続けたように、彼女もまた、周の能力に関してどちらが早く情報を得ることが出来るのか、と勝負の内容を勘違いしているようだ。

 

 ……これからは公平だって言ってたから、たぶん、彼女が昔調べてわかったことについては、聞けば教えてくれる……。でもまさか……幼馴染としてずっと傍にいる彼女が、まだ彼の能力について何も知らないなんて……これはもしかして、知れば相当な情報になるのでは……。

 

 ……もうどうしようも出来ないのかもしれない。

「なぁ、勝負って何の勝負なんだ?」
(さあ? 何でしょうね)

 周の疑問に、美喜は何処かうれしそうに返事をする。……ああ……これもまた勘違いしてる。

 たぶん美喜の中では、周のことを思う冬子と彩陽。それに対し幼馴染の彩陽が、冬子に対して宣戦布告したと思っている。……ん? 彩陽サイドから見たら、あながち勘違いでもないか……? 

 ……んまぁ、何だ。こう、勘違いのスパイラルって感じになっている現状が、いずれ解かれるのを切に願うよ。

 

 

 

 クーラーの設置されていない、蒸し暑い教室。

 汗を拭いたり、下敷きで扇いだりしながら、何とか授業を受けている生徒達。周と彩陽も、もちろんその中の一人。

 特に今は五時間目という、最も暑くなる時間帯での授業。昼食を摂って程良い眠気が襲ってこようとも、これだけの暑さだと、先生に注意されること無く眠ることが出来ない。

 

 暑さも含め、いつもと変わらぬ日常。

 あまりにも暑いのか、セミですらが声を上げていない。

 そこもまた変わらぬ日常。

 そんな日常を、教室を開けるドアの音が奪い去った。

 人知らず、誰もわかることが出来ず、日常を奪い去る。

 赤城周二と伊沢彩陽の、日常を。

 

「ああ……その、伊沢彩陽。ちょっと……」

 ドアの向こう、そこで手招きをして彩陽のことを呼びつけるその人は校長先生。

 校長先生が直々に……? 

 クラスにいる全生徒のみならず、授業を行っていた先生までもがそう疑問に思った。

「あ、はい」

 それは呼び出された本人もわからないのだろう。疑問を表情に塗りながら席を立ち、校長先生の下へ向かっていく。

 その姿を見た校長は、それじゃあ引き続き授業をお願いします、と先生にお願いし、彩陽が教室を出たところでドアを閉めた。

 彩陽を含めた二つの足音だけが、廊下に響き、次第に聴こえなくなった。

「ん、それじゃあ、授業を再開するぞ〜」

 暑そうにしながらも、先生はクラスの皆に声をかける。その声で皆、興味をなくしたように、暑そうに授業に戻る。

 戻ってきてから聞けばいっか。

 彩陽の友人達ですらそう思っていた。でもただ一人、厳密には二人が、そうは思えなかった。周と美喜の二人だけが、何故かこのことが気になって仕方なかった。

 何か予感めいた……不安を掻き立てるような、そんな気持ち。

 そしてその予感は、見事的中してしまう。

 

 伊沢彩陽は、五時間目が終わっても、放課後になっても、教室には帰ってこなかった。

 

 

 

あとがき:
彩陽と冬子の出会いの話ー
ぶっちゃけ、互いが互いとちゃんと話したのはコレが始めてだったりします

それはそうと、冬子が始めて周二の登校路に現れた時の部分、あそこにおかしいところはなかったでしょうか?
結構前からそのことは考えてたんだけど、如何せん矛盾が見つかりそうで怖すぎる
もし見つけたら教えてね
軌道修正程度は試みてみるから