顎をナイフで突き上げた。顎を刃で斬り貫いた。本来ならそれだけで死を向かえることが出来る。

 だが、冬子は死んでいない。冬子が常人ではないから……とは違う。

 周にぃがいつも持っているナイフに“刃がついていないから”だ。いや、正確には“刃をワザと切れないようにしている”と言うべきか。

 刃渡り三十センチにも及ぶこのナイフ、根元以外の刃はワザと砕かせ、人を斬れないようにしている。……周にぃが、人を殺したくないから。

 

 自分ひとりの罪になるのなら、いくらでも殺して良い。でも周の体を借りている限り、俺が殺せば、周にも罪が及ぶことになる。だから間違えて殺さないよう、刃を砕かせる。だが根元までは砕けなかった。だから砕けた先端のみで戦えるよう、突きを主体とした戦い方――「天点一突破流」を作り上げた。

 

 それが周にぃの、あの戦い方を作り上げた要因。

 攻撃も防御も、全て突きで行う戦い方。円ではなく、点での戦い方。

 「天をも点で、一気に突破する」。

 ソレが「天点一突破流」。

 先程の技は、長物相手へのカウンター技。

 そして今の技こそ、周にぃにとっての“先手”。……だからと言って、技名までつけて叫ぶ必要はまったく無いのだが……。

 周にぃは倒れている冬子を放置し、食堂だったであろう部屋を出て行く。食堂の入口に倒れている冬子の横を通りすぎ、ナイフを折り曲げようとしながら、直角に曲がって入ってきた部屋から出て行こうとする。

 と、周にぃの本能が後ろからの危険を告げる。ソレが何なのか確認する間もなく、咄嗟に真横へと自らの身体を飛ばす。

 だが少し遅かった。なびいた服に何かが突き刺さる。

 ……服だけなら遅くないだろう、そう思うかもしれない。だがその攻撃は、服にすら当たってはならなかった。

 服に突き刺さった箇所から急激な力。周の体を無理矢理押していこうとする力。まるで強力な磁石同士が引っ付き合おうとするかのような、恐ろしく強い力。

 驚きながらも、足を地面に着け、踏みとどまろうと努める。

 が、無理だった。

 勢い良く壁に激突してしまう。と、壁に激突すれば、押していく力は無くなった。服に突き刺さったナニカを見てみると、服を挟んで壁に突き刺さっていたのは……T字型の……短剣……?

「まさか……あの一撃をもらっておいて、こんなに早く復活するとはな……何でだ?」

 服に突き刺さったT字型の短剣を抜いて放り捨て、振り返って訊ねる。

 不思議でならない。だって刃が機能していないとは言え、顎を全力で殴り上げたのだ。それなのに……こんな短時間で意識を取り戻せる訳が無い。

「ナイフを振り上げられる直前、真上に跳んだ。掌底を浴びせている間に、私の足は地面に着いていた」

 片膝を突き、ナニカを投げたような格好のまま、復活した藍島冬子は答える。

「はっ……咄嗟にそんな反応が出来るなんて……」
「意図的にした訳ではない。私も無意識のうちにやっていた」

 

 まさか……! ……戦闘反射とも言うべきその行動、聞いたことがある。幾重もの戦いを行ってきたからこそ身体に宿る、自己防衛機能の最高峰……! ……まさかここまで厄介とは……。

 

 冬子の言葉に、驚愕の色を滲ませる周にぃ。何故ならソレは、聞いたことがあるだけで、実在するとは思っていなかったから。

 彼自身が先程やってのけた、不意に飛んできた短剣の感知――危機感知本能は、先天的に備わるもの。だが彼女がやってのけたと言う、反射的な攻撃の回避――生存防衛本能は違う。

 自らの死を賭けた実戦経験を、何度も何度も何度も……それこそ数え切れないほど積み重ねることで、いつの間にか備わる後天的なもの。

 それはつまり、彼女は周にぃと違い、いくつもの実戦経験を積んできたことに他ならない。

 訓練のみで強くなっている、ハリボテ戦士の周にぃとは違う。実戦経験を重ねることで強くなった、真の戦士。それが彼女、藍島冬子。

 

 確かに、先天的に備わっている周にぃの危機感知本能も厄介だ。が、彼女の生存防衛本能はソレを上回る厄介さがある。

 危機感知本能はあくまで、自らに訪れる不意の攻撃を本能的に感知するだけ。そこから行動するのは自分だ。だが生存防衛本能は、敵からの致命傷と成り得る攻撃を本能的に感知し、“本能で紙一重の避けを身体が行う”。

 そこで一番厄介なのは、この紙一重。

 攻撃した方は、完璧なタイミングで攻撃が当たったと錯覚してしまう。

 それ程の衝撃が腕に伝わるのに、実際はああしてクリーンヒットしていない。

 だからこそ周にぃは、冬子を倒せたと勘違いした。

 

 アレほど手に殴り上げた感覚が伝わってきたのに……! 紙一重で避けられたってのかっ!

 

 周にぃがそのことに驚愕している隙に、冬子はゆっくりと、立ち上がる。そして薙刀を、構える。

 

 さっきまでは動揺していた。……そう、スタンス通り戦う必要は無い。長物だから、相手よりも間合いが広いからと言って、無理矢理間合い外で戦おうとしなくても良い。自分の戦いやすいよう、戦えば良い。

 ……この空間の狭さ、さっきの比じゃない。でも、薙刀を最長距離で振り回しても、障害物に当たることは無い。

 なら、やれる。

 ナイフに比べれば得物的に不利だけど、私自身にとって不利な材料にはならない。

 

 生存防衛本能……確かに厄介な代物だ。だが、名と原理を教えてもらった時に、対策法も教えてもらっている。

 俺と同じ方法――つまり、察知されても避けれないように仕向ければ良い。

 単純な方法としては、相手の四肢を拘束する、相手を空中に固定する。そうすればいくら攻撃を察知されようとも、動けないし、避けれない。

 ……この空間の狭さは、先程の食堂の比ではない。故に、俺が有利になる材料には成り得る。

 ……それにしてもこの足元に転がっている、さっきあいつが投げた短剣。どうも突き刺した箇所を中心に、対象を壁や床などと貫くまで押し続けるようになっている。どういう仕組みかはわからんが、注意しなければならない。

 ……形状・引き抜いた時に感じた刀身の重心からして、投剣用とみて間違いない。

 この狭い空間なら、投げてくることも無いだろう。さっき投げたのは、俺の足止めのためだけだろうから。……が、そう決め付けてはならない。そう思わせるためのブラフの可能性もある。心の片隅には留めて置く。

 さっき二度も使った間合い詰めは使えない。あいつももちろん警戒しているからだ。使えるとしたら……機を見て、一回。多くても二回だ。

 

 互いが互いに、心の中で戦闘形式を組み上げながら、再び構える。冬子が投げた短剣により、壁に貼り付けられた周にぃ。だがそのおかげで、薙刀の間合いからはギリギリ外れることが出来ている。

 起き上がった時に一撃で決められなかっただけ良いだろう。

 それに周にぃは、すでに“先手”を打てている。生存防衛本能で生きているとは言え、ダメージが皆無な訳ではない。相手の攻撃を、相手に“攻撃を与えることが出来たと錯覚させる”程紙一重で避ける。それは多少なりともダメージをもらわないと出来ないことだ。

 だからこの戦いは、まだ周にぃが有利。

 たとえ周にぃが生存防衛本能に動揺してしまっていても、だ。ここから逆転できるか……藍島冬子。

 

 

 

 特に合図も無く、周にぃは駆け出した。今回もまた最初に仕掛けたのは彼。だが今回は、あの時仕掛けた速さは無い。それでも常人より速いことには変わりないのだが……常人では無い冬子が対応出来ない訳が無い。

 迫り来る周にぃに、カウンターで突きを繰り出す。その攻撃を、横からナイフで突いて軌道を逸らし、躱す。

 そして自分の間合いに持っていくために一歩踏み出し、ナイフで突きを繰り出す。三撃。

 常人には同時に見える程の速さ。だが冬子にはしっかりと、それぞれの軌道が見えている。見えているなら、点である以上躱しやすい攻撃とも言えるその、立て続けに迫る攻撃を、彼女は薙刀を手元に引き戻しながら、ナイフの間合いを測り、歩数一歩分上体を後ろに下げて避ける。

 そして手元に引き戻した薙刀を短く持ち、この至近距離での間合いを調整。下から撫で上げるように斬り上げる。

 さすがにこの軌道では逸らして躱せないので、後ろに飛び退いて避ける。

 着地。

 刹那、再び間合いを詰めて顔を狙った、先程と同じ速度での突き。今度は五撃。

 冬子はその全てを短く持った薙刀で払い除け、周にぃが六撃目を放とうとした時に、一歩後ろに下がって再びナイフの間合外に。その動きの最中、腕を狙った斬撃を繰り出す。

 瞬間、周にぃは腕を止めて攻撃を中断。冬子の薙刀で、何も無い空間を凪がせる。刃が通りすぎたのを確認後、すぐさま離れた間合いを埋めるために一歩踏み込み、顔から鳩尾へと狙いを変更した、突き上げるような刺突。

 さらに一歩、後ろに下がることでその攻撃を避ける冬子。だがその行動は、自らを壁際へと追い込むことになる。

 壁に薙刀の尾が当たり、その真実に気付いた冬子の集中力が一瞬、ブレる。その隙を逃すまいと、周にぃはあの時の疾さを出す。

 だが愚直に、一直線に冬子を狙っても意味が無い。すでに動揺が掻き消えている彼女には、おそらく当たらない。

 だから周にぃは、すぐ横の壁へと狙いを定めた。そして壁を蹴り、上へ。天井に四肢を着け、最高速度で冬子の脳天目掛けて落下。

 これこそ、周にぃが狭い空間で戦えば有利と言っていた要因。壁を蹴って上へ、天井を利用しての頭上からの奇襲。頭上と言う、万人に死角となっている箇所への奇襲。

 自らの体が重力に支配される前に天井へと辿りつき、さらにその天井を蹴ることが出来る程の速さを出せる、周にぃならではの技。

 

 だがこれでも、あの女は倒せない。

 この攻撃は致命傷になるので、生存防衛本能が機能する。

 そしてソレに従い、前へと駆け出すことで避ける。紙一重で。

 だが、そう読めるのなら対策を立てることは出来る!

 

 落ちていく力に、天井を蹴っての加速力を上乗せ。鉄のハンマーと化した周にぃが、勢い良く天井から落ちていった。

 着地音は、文字では表せないほどの激しい音を、建物全体に鳴り響かせる。その影響か、着地した周囲には盛大な土煙が上がる。

 

 手応えは、あり。

 だが本当に当たっていたなら、足元にあの女の身体が倒れているはず。

 だがその感触は、無い。

 つまりは俺の攻撃を、やはり紙一重で避けたということ。

 そして俺に手応えを与えておきながら逃げるには、前転で逃げるしかない。後ろは壁によって塞がれているのだから。

 

 前転したであろう場所を、自ら上げた土煙の中、目を凝らして見る。そこには今まさに、前転を終えて立ち上がり、さらに距離を開けようと前へ飛び出している冬子の後ろ姿。

 その姿にナイフを突き立てるため、間合いを詰める。相変わらずの疾さで。

 その隙だらけの姿にナイフを突き立てようとした時、“冬子と目が合った”。

 なんと彼女は、その攻撃がくるのを読んでいたのか、前へ飛び出しながら振り返っていたのだ。

 そのことに驚愕したものの、この疾さでは自らの動きを止めることは出来ない。周にぃはそのまま突っ込む。

 それに彼には、カウンターを放たれようとも勝てる算段はあった。あの不完全な体制から突きを放たれようとも、軌道を逸らすという算段が。

 軌道を逸らして躱すのはおそらく無理だろうが……直撃さえ逃れれば良い。一撃与えるチャンスさえ生まれれば、一撃で決める。

 そんな覚悟で迫る周にぃに、冬子は自らの薙刀を“手放した”。

 さすがにこれには周にぃも驚愕で表情を歪める。そして自らの本能が告げる危機。瞬間、自分の中の危機感知本能が作動したのだと理解する。

 だが攻撃は止められない。その周にぃの疾い移動速度から放たれる速い攻撃を、半身を下げることで躱し、その腕を掴む。

 

 まさか……合気道?!

 

 自らの躯を、自らが生み出した力を利用して引っ張られている感覚がして、瞬時に冬子がやろうとしていることに気付いた。

 ……この闘いで始めての戦闘技。故に、周にぃの危機感知本能が作動。

 

 このまま投げられてたまるか……!

 

 前へとやられる力を、地に足を着け、無理矢理外側へと向ける。

 だがそれすらも、読まれていた。

 周にぃが力を外側へと向けると同時、冬子も地に足を着け、外側へと力を向ける。

 さらには一歩踏み込み、“周にぃの足が一歩踏み込まされた”瞬間を狙い、足払い。

 傾いた体の重心、思わず浮かせてしまった片足、その一本で支えていた足へと足払い。

 それらの要素が、周にぃを地面へと誘う。

 だがこのまま倒しはしない。

 冬子はさらに力を加え、周にぃの体を風車のように空中で半回転。周にぃの視界が急速に揺れ動き、ブレ、焦点を定めさせないようにしてから、背中から地面へと叩きつける。

 この戦闘始めて、周にぃはダメージを受けた。

 

 ……負けたな。

 

 地面に仰向けに倒れ、視界が回復するまでの本当に僅かな時間、周にぃはそう悟った。

 そして、ブレた視界が回復する。

 そこには、倒れた周にぃの真横に立ち、首元に薙刀の刃を突き付け、いつもの無表情で見下ろす冬子の姿があった。

 ……冬子にとっての“初手”、試合にとっての“後手”によって、周にぃは敗れた。

 

 

 

「……いくつか、訊きたいことがある」

 周にぃを地面に倒し、手放した薙刀の柄を蹴り上げて手元へと引き戻し、首元に突きつける。

 そんな芸当をやってのけた冬子は、自らの勝ちを誇る訳でも、敗れた周にぃをバカにする訳でもなく、相変わらずの平坦声と無表情で、敗北者の周にぃに声をかける。

「どうぞ。負けたのは俺だ。いくらでも答えてやるよ」
「それではまず、そのナイフについて」
「あ? コレ?」
「そう。あなたはそれ以外、武器を持っていない?」
「ん……ああ、これ以外持ち歩いてねぇな。何なら、身体検査でも何でもすれば良い」

 どうしてそんな質問なのか……気にはなったものの、正直に答える。

 その答えを聞いた冬子は、何かを考えるように周にぃの顔を見つめた後、薙刀を首元から離す。この状況でウソはつかない、そう判断したのだろうか。

「なんだ? もう解放してくれんのか?」

 その行動に少しだけ驚きを混ぜ、周にぃは上体を起こして訊ねる。それに対し彼女は、薙刀を折り畳みながら答える。

「ええ。どうも私の思い違いだった」
「思い違い?」
「さっき私が言った殺人鬼の事件。その犯人かと思っていた」
「……なるほど」

 

 俺のナイフが切れない物だったから、犯人じゃないと決めたって訳か……。

 まぁ、ナイフを持って、夜何をしているのか答えずにいきなり襲い掛かってくる男……。……確かに、例の殺人鬼として間違われても仕方ないわな。

 

 そう自分の行いを反省する。

 が、周にぃは忘れたのだろうか? 向こうが最初から好戦的だったのを……。……忘れてるんだろうな。彼にとっては、本気を出して戦えて儲けもん、ぐらいの気持ちだろうし。

「それで結局、あなたはどうして、こんな夜遅くに出歩いているの?」

折り畳み終えた薙刀を元の位置に仕舞い、相変わらずの瞳で冬子は訊ねてくる。何とか誤魔化せないものか……そう考えながら頭の後ろを掻き、言葉を慎重に選び、結果、正直に言うしかないかと結論を出す周にぃ。

「ああ〜……どうしても言わなきゃダメか?」
「ダメ」

 最後の足掻きは気持ち良い程の一蹴。

「んん〜……正直、あんま他人に言うことじゃねぇんだけどなぁ……まぁ、わかった。教えても良いが、ちょっと場所移動しねぇか? その方が説明しやすい」
「……わかった」

 少しだけ間をおいた返事を聞いた周にぃは、その反応に頷いてから立ち上がり、ビルの出口を目指す。その周にぃの一歩分後ろからついてくる冬子。

「そう言やあんた、他に訊きたい事があんだろ? いくつか、って言ってたし」

 首だけを冬子に向けながら訊ねる。

「……ええ。昼と今との、あなたの雰囲気の違い。戦う前にあなたが言った流派。人外な速度を出せる理由」
「わかったわかった。その辺はまぁ、向かいながら説明してやるよ」
「何処に行くつもり?」
「何処にって……まぁそれは、着いてから説明するよ」

 

 

 

あとがき:
戦いが決着する話ー
うんまぁ、それだけっちゃあそれだけ

ま、主要キャラ二人とも死ななかったからいいじゃん
ってことで一つ