自宅に帰り、昨日と同じ黒のTシャツに黒い通気性の良い上着という服装に着替える。

 すでに周は心の中で眠っている。おそらく女の子も、見えはしないがこの部屋で眠っていることだろう。今日だけでかなり遊んだしな……。

 ま、コレで今日も、俺も気兼ねなく遊べるというもの。……遊び、と言う表現も、今考えれば変な表現だな……。……ま、楽しいことには変わりないから、遊びという表現のままで良いか。

 

 

 

 ……後をつけられている。

 周にぃがその気配を感知して、どれ程の時間が経っただろう。

 目的地にもう少しというところで、小さな、本当に小さな音が聴こえた。足音か物音か、それすら分からない程の、つけている本人すら音を発したのか分からない程の、微細音。

 他人に見られても大丈夫な、無警戒の状態なら気付かなかっただろう。でも今回は、見られたく無いから激しく警戒していた。だから、聴こえた。聴くことが出来た。

 そして、目的地を変えた。

 「後をつけているのがバレている」のをバレないよう、自然に。

 こんな時の対応策はすでに講じてある。自分にとって有利な場所に誘い込む。そして…………。

 と、目的地へと辿りついた。対応策を講じた時に探し回り、この場所が一番適していると判断した。

 周にぃはその五階建ての廃ビルへと、何の躊躇も無しに入っていく。入って真正面にある扉を開け、中へ。そしてさらに、その左側の直角にある扉へと入っていく。

 そこは、とても広い空間だった。朽ちた長机と椅子が無数に散乱し、陽の光を入れるための壁前面に張られていたであろうガラスは全て割れ、こちらも机や椅子と同様で破片が散乱している。電気はつかない。電力の供給が断たれているのもあるが、そもそも蛍光灯ですら破片として地面に散らばっている。

 その部屋の奥まで、周にぃは進む。電気はつかないが、幸いにも、窓があった場所からの月明かりで部屋自体は明るい。

 昔、このビルで何があったのかは分からない。おそらく食堂であるこの部屋で、何があったのかも分からない。でも……そうなると、この廃ビル・廃工場が連なる一体の地域に何があったのか分からない。

 おそらく、全ての工場とビルが機能していないこの地域。外に電灯が設置されているのに、こんな時間になっても一つも灯っていないのが、その信憑性を増させる。

 それなのに、新しく開発が進むわけでも、立ち入り禁止になる訳でもない。それはまるで、斬り刻まれた傷の再生を拒んでいるかのような……。

「どうもいらっしゃい。ストーカーさん」

 砕けた蛍光灯の破片、ソレを踏みしめる音で、自分をつけていた人も同じ空間の中に入ったのだと理解した。

 内心とは別に、ストーカーに歓迎の言葉を浴びせて振り返る。

 するとそこには、小袖と緋袴に身を包まれた、藍島冬子が立っていた。

「ほぉ……」

 さすがにコレは意外だった。周にぃは無意識のうちに、驚いたような感心したような、そんな言葉を漏らす。

「まさか……あんただったとは、意外だった」
「こんなところで、何をしているの?」

 相変わらず抑揚の無い声。少しだけ前に進み、月明かりが入っている境目少し前のところで立ち止まる。そうして見えた表情は、相変わらずの無表情。

「何を……それはこっちのセリフだ。どうして後をつけて来た」
「……こんな時間に出歩いているのが不自然だったから」
「それなら、あんただって不自然だろ?」
「私は、例の殺人鬼の事件を個人的に追ってる。だから、こんな時間なのに外出している」
「個人的に追ってる? そりゃまたなんで?」

 周と周にぃという、二つの人格が共存していることを知らない冬子にとって、赤城周二の変化には激しく動揺した。さっきお祭りの最中に会った時とは明らかに違う、好戦的な口調と雰囲気。

 そして何より、あの時助けた美喜という女の子の霊体が、近くにいない。

 自分の知っている人格の変化、そして憑いたはずなのにいない女の子の霊体。

 その二つだけで、冬子は一つの結論に達した。

 そしてその結論に基づき、この赤城周二だったものを、倒す。

「それをあなたに、説明する理由は無い」

 腰の裏に忍ばせている、三節棍式の薙刀。ソレを振るうようにして一瞬で組み立て、全長二メートルはあろうソレを、構える。

「はっ……やけに好戦的じゃねぇか」

 周にぃはその姿に多少面食らったものの、着ている上着の袖を捲くり上げ、ポケットから例のナイフを抜き放ち、右手に握って突き出すように、構える。

「ま、その方がわかりやすくて良いや。要はあんた、俺を殺そうってんだろ?」

 その周にぃの言葉に返事はなし。それはすでに、彼女の中で戦いは始まっているという意思表示。

「ふぅ……だんまりか。知り合いにどうして狙われるのか知りたかったんだが……まぁ良いや。でもな、俺を殺そうとして挑んでくるなら、殺される覚悟ぐらいしろよ?」

 返事が返ってこないのを知りながら、とりあえずそう言って、腰を軽く落とす。自分の全速力が出せるのに適した、腰の高さまで。

 周にぃは周と違い、平和主義者じゃない。むしろ戦えることに楽しみを覚えている戦闘享楽者だ。だがそのことで、周に迷惑はかけられない。

 そこでいつも“ある方法”で、その我慢している享楽を発散している。

 それが夜の外出。

 

 そして今日も、いつもの外出になるだろうと思っていた。

 矢先に、まさかの獲物……いつもの数倍は発散できる……。……いや、いつもの“誤魔化しの発散”では無く、真の意味での発散が出来る。

 たとえそれが知り合いであろうとも、自分を殺しにかかってくるのだから、理由も説明せずにかかってくるのだから、本気で出来る。本気で発散出来る。

 

 それを改めて認識するだけで、周にぃの心の中は嬉しくなった。

「藍島除霊術を修めし、戦闘者(バニッシャー)にして次期頭首・藍島冬子」

 突然、無言を守ってきた冬子がそんなことを言ってきた。それはまるで、マンガやゲーム等で見る、名乗り上げ。

 これからお前を殺す者の名だと、教える儀式。

「……あ? 何だソレ?」
「霊体を相手にする時は名を名乗るのが儀式らしいから。一応」
「なるほど……それじゃ、俺も名乗らせてもらおう」

 そう言うと周にぃは少しだけ思案し、昔、自分の流派の中で“技”を作った時、頭の中に浮かんだそのフレーズが蘇る。

 それは自分の短剣術を組み上げた時、こう言ってから倒したらカッコイイな、なんて子供みたいに考えたフレーズ。

 ソレを今、口にする。

 口にすることで、始まる闘い。

「天点一突破流(あまてんいちとっぱりゅう)開祖者・赤城周二――推して参る」

 

 

 

 先手必勝、という言葉がある。

 先手を取れば有利にコトを運ぶことが出来ることを意味するこの言葉。

 最も、近年ではこの限りでは無くなっており、たとえ後手に回ろうとも有利にコトを運べる方法がいくつも存在する。囲碁・将棋などは元より、近年のボードゲームでは後手に何かしらの特典、ないし先手に何かしらの枷を与えているため、ソレが顕著に現れている。

 そしてソレは闘い・殺し合いにも当てはめられ、敵の攻撃を全てカウンターで返す者等も現れている。

 よって言葉通りの“先手”では、全ての事柄を何もかも有利に進めることは出来ないと言うこと。

 だから周にぃは、この“先手”の意味をこう捉える。

 「相手に一撃を与えてこそ真の先手」だと。

 相手より先に攻撃したから“先手”なのではない。相手に先にダメージを与えてこそ“先手”なのだ。ソレは精神的損傷でも構わない。そりゃ、肉体的損傷を与えるに越したことは無いのだが……要はそういうこと。仕掛ける段階・牽制の段階で“先手”だと考えてはいけない。

 一撃を与えてこそ“先手”なのだ。

「シッ!」

 周にぃは吼え、一息に間合いを詰める。

 

 敵の得物は薙刀。対してこちらの得物はナイフ。故に、間合いを詰めるなら一息でないといけない。中途半端に詰めようとすれば、突き刺されて終わるから。

 一息で、冬子(てき)が反応できない速度で、こちらの間合いへと引き込む!

 

 キンッ! と、金属と金属がぶつかり合う音。冬子の鳩尾を狙った一突きは、刃の腹で防がれた。

 疾いっ……! 迫り来る周にぃの攻撃を、薙刀の間合いですらない程十分に距離が開いていたにも関わらず、刃の腹で受け止めることしか出来なかったのが何よりの証拠。その速度は文字通り疾風。さながら弾丸のような威力と速度。

 抵抗する間もなく、周にぃの間合いへと引き込まれた冬子。ニヤリとして不敵な笑みを浮かべる周にぃに対し、いつも無表情な冬子は少しだけ動揺の色を滲ませる。

 だがそれも一瞬。周にぃは続けざま、冬子のありとあらゆる急所を狙いながら、幾重もの突きを繰り出す。その攻撃を何とか、刃の腹で受け止め、弾き、自分の身体に届かないよう防ぎ続ける。

 

 一撃一撃が速い……! ……向こうの得物はナイフ。だから、たとえ向こうの間合いでも突きという攻撃である限りは、その攻撃してくる腕を狙えば本来はコト足りる。でも……こんなに速かったら、こうやって薙刀を短く持って、刃の腹で受け止め続けるしかない。

 ……最初の間合い詰め、あの攻撃を防げたのも、今までの戦闘経験と訓練に基づく生存本能のおかげ。

 もしこれが戦闘経験値不足なら、一撃でやられていた。だって動きが、まったく見えなかった。本能の命ずるまま、刃を振るって生き残っただけ。

 ……“先手必勝”という訳。

 

 動揺しながらも、何とか周にぃの突きを防ぎ続ける冬子。だがこのままなら、冬子に勝ち目が無いのは明らか。

 故に、本人にも無自覚な動揺が生まれる。精神的損傷――最初の間合い詰めは、見事“先手”と成り得た。

 だが……このまま終わる冬子じゃない。攻撃を防ぎながらも、次の手を考えている。

 

 ……簡単な話。詰められた間合いは、もう一度開ければ良い。

 私の得物の間合い――薙刀の間合いまで離れれば良い。そして次こそは、あの一息の間合い詰めを防ぐ。

 突然だったから、規格外の速さだったから見えなかっただけ。しっかりと見れば、見えない速さではないはず。

 生存本能が対応できたと言うことは、そういうこと。

 もし反応出来なかったとしても、このまま押し切られて殺されるのに比べれば全然マシ。

 ……狙う隙はある。この針山の様な突きの連打。この攻撃に、一瞬だけ隙がある。

 私の顎を狙った攻撃の次。そこに微細ながらも、でも他の攻撃タイミングに比べれば大きめの、隙がある。その隙を衝いて……バックステップをする!

 

 そして、そのタイミングが来た。顎を狙った刺突。ソレを弾いた直後、大きくバックステップをする。

 ……冬子は気付くべきだったのかもしれない。自分の、無自覚のうちに沸いている動揺に。

 気付かないから、周にぃの“ワザと見せていた隙”に捕らわれる。おそらくその動揺により、客観視していた。“この微細な隙は、本人も自覚していないだろう”と。

 十分な間合いを開けるためのバックステップ。だがそうくることを読んでいたかのように――いや、読んでいた周にぃは“バックステップと同じタイミングで間合いを詰めた”。

 そして再び、突き。

 重心が後ろへと傾いている冬子に、これを完璧に防ぎきれることは不可能。……いや、この一撃なら可能だっただろう。だが続けざま、冬子の足が地面に着く前に、十を超える突き。一点のみに集中する乱れ突き。さながらソレは、固定されたマシンガンから発射される、まったくブレのない弾丸のよう。

 完璧な防御とは、防いだ後もすぐに対応できることを指す。乱れ突きの直撃は間逃れたものの、二本足で立てる状態ではあるものの、重心を崩して着地してしまう彼女の防御が、果たして完璧か。

 

 体勢を崩された……! でも直撃だけは逃れてみせる……! 向こうの突きの衝撃のおかげで、僅かにこちらとの距離が開いた……!

 おかげで不完全な体制限定だけど、あの間合い詰めに対して“突き”でカウンターも出来る……! 他の攻撃でもダメージを軽くするための方法を数パターンだけどとれる……!

 

 そう思いながら、自分の薙刀の間合いより少しだけ向こうに着地しようとしている周にぃを見る。

 冬子はまだ着地できない。しかも周にぃの方が、僅かに着地が速い。あの最初に見せた間合い詰め、アレをすれば、冬子の着地前に追撃を浴びせることが出来る。

 故に、ソレを狙うのは当然。周にぃは着地と同時――

「シッ!」

 ――吼えて、冬子との間合いを、疾風の如く詰める。

 だがこれこそ、冬子が唯一反撃できる“突き”のパターン。むしろこれがくれば、突きで反撃しようと冬子は心に決めていた。

 あの速度は確かに、文字通り疾い(はやい)。だがその速度故、一度見れば目が・感覚が慣れてしまう。戦闘訓練を受けている者の動体視力・反射神経・戦闘感覚だからこその、常人の域を超えた慣れの速さ。だから二回目からは、見えない訳ではない。

 その周にぃに合わせ、突きを繰り出すのは容易いこと。完璧な体制では無いので、傷をつけることは出来ないだろう。でも、体制を立て直すのに十分な時間は稼げる。

 

 ……故に、ここに仕掛けを置く。

 あの女は気付いているだろうか? 今自分の心が、動揺に支配されているということを。

 さっきとは比べものにならない程、大きな動揺に支配されているということを。

 “この攻撃がくればこうすれば良い”と、心に決めてしまっていることを。

 別に決めることが悪いことではない。だがその決める数を一つにするのは悪いことだ。今こうして、俺が一息に間合いを詰めようとすれば突きを繰り出すと、それだけに絞り込むのは。

 そうして一つに決めると、どうしても空気で分かってしまう。いくつものパターンを匂わせないと、体がその決めた一つの行動を起こそうと逸って(はやって)しまう。

 動揺に支配されたあいつでは、そこまで頭が回らない。

 俺がワザと“あの女にとって唯一の反撃となる手を打った”とまで、頭が回らない。

 だからここに、俺の“先手”を置く。

 

 迫る周にぃに、突きを繰り出す冬子。

 迫る刃に、“横からナイフで突いて軌道を逸らす”周にぃ。

「天点突破流(あまてんいちとっぱりゅう)――」

 冬子への間合い詰めをやめず、軌道を逸らした刃を、右足を軸に躯(からだ)を回転させて躱す(かわす)。

「っ……!」

 珍しく驚きの表情をしている冬子の目の前で、軌道を逸らすのに用いたナイフを左手に持ち替え、薙刀の棒が背中に移動する頃に躯の回転を止め、左半身を前にしたまま、再び冬子との間合いを詰める。

「ぐっ……!」

 動揺し、突きを放って体制が崩れきった冬子の首元に、左手で掌底を当てる。

 ナイフは無い。掌底を当てる直前に手放し、今は冬子の胸元付近まで落下している。

 そのナイフを、左足を軸に躯を回転させて右手でキャッチ。

「――成長樹・撓り枝(せいちょうじゅ・しなりえだ)!」

 そのまま腰の回転と勢いを加え、冬子の顎目掛けてナイフを振り上げた。首元に掌底を浴びせられ、意図的に下を向かされた上にこの追撃。当たらないわけが無い。

 ゴッ! という表現では生温いほどの鈍い音。

 ソレは撓った枝が戻るような軌道、しかし大木をも貫き折りそうな威力。

 その一撃を浴びた冬子は、そのまま後ろに倒れた。

 

 

 

あとがき:
周にぃと冬子が戦っちゃう話ー
……ってあれ〜? ナイフで顎を貫かれちゃったら冬子死んじゃうんじゃね?
ま、これからどうなるかは次回まで待っていて欲しいです

それにしても……戦闘シーンが上手く書けたかどうかが不安
あの不出来な文字媒体だけで、頭の中で映像が再生されてくれるなら最高なのですが……まぁ、無理だろうなぁ……(汗