「ごめん! 待たせたね、藍島さん」
(ごめんなさい。冬子お姉ちゃん)
周が呼び止めた場所、その道の端に寄り、木陰に入って藍島冬子はずっと待っていてくれた。ようやく到着した二人を……いや、美喜の方をジッと見つめた後――
「別に構わない」
――そう素っ気無く答えた。……たぶん、彼女は気付いた。美喜という少女が、一つの悩みを解決したことを。だからこれだけ待たされたのに、文句一つ言わない。
(なるほど……何とまぁ、優しいこって)
「ん? どうしたの? 周にぃ」
(いんや。別に)
もっとも、その優しさに気付いたのは周にぃだけのようだが。
「どうかした?」
周にぃへの返事が聞こえたのだろう。冬子が訊いてくる。
ソレを誤魔化すように、周は返事をする。
「ううん、何も。それよりさ、これからどうするの?」
「まずは駅前で軽く昼食。その後に電車に乗る。お金は大丈夫?」
「うん。今日のために結構持ってきたから」
周のその言葉に「そ」と相変わらずの返事をし、さっさと歩き出す冬子。その横に美喜。さらにその横に周。朝の登校風景と変わらない並び方。
すでに大半の生徒は帰っているとは言え、それでもまだまだ下校時間。結構な人に見られることになるのだが(もちろん美喜の姿は見えないので二人きりのように見える)……まったく二人は気にしていないようだ。
「ちょっと待ったああああぁぁぁぁぁぁぁ!」
二人は気にしていないよだが、四人目は気にしたようだ。もっともその四人目は、三人を高速で抜き去り、目の前に立ち塞がるように今しがた登場したところなのだが。
「なんでっ……! どうしてっ……! どういう繋がりでっ……! 登下校をっ……! 一緒してんのよっ……!」
余程焦って来たのだろう。息をハァハァと切らせながら言葉を発する。と、そこで限界が訪れたのか、地面に膝をつ――きそうになるのを、なんとか腕で膝を支えることで堪える。
もうお分かりだろう。伊沢彩陽、その人である。
「伊沢……その、大丈夫?」
「大丈夫よ! いいから、さっさと、答えなさいっ!」
心配する周の言葉を一蹴。とりあえず話さないと、話が進まないようだ。
と言う訳で、昨日の行(くだり)から説明。至極簡潔に説明したため、所要時間は一分にも満たない。
「え〜と……つまり昨日、この美喜ちゃんをあんたが助けた。んで朝は、美喜ちゃんと気兼ねなく話せる手段として、藍島さんが解約済みの携帯電話を渡してくれた。それで今は、美喜ちゃんと一緒に遊ぶ手段として藍島さんと一緒に行く、と」
「そう。って言うか、僕が言ったことほぼそのまま復唱してるよね?」
「うるさい黙れ」
説明を聞いている僅かな時間で息を整えた彩陽は考える。このまま行かせていいものかどうかを。
だって美喜ちゃんの姿は、基本的に周囲には見えない。つまり傍から見れば、藍島さんとコイツがカップルに見えるということ。もしこの姿がウチの学校の奴等に見られて、そのまま噂になろうものなら……しかもそのまま二人とも、なし崩し的に付き合ってしまったら……! 考えるだけでもショック大。何としても止めたいところだけど……もしそんなことをしたら、この小さな女の子を悲しませてしまう。さすがのあたしも良心の呵責(かしゃく)が……。
(ねぇねぇ、伊沢お姉ちゃん)
考え込んでいた彩陽に、美喜から声が掛かる。
「なに?」
(お姉ちゃんも一緒に行こうよ!)
満面の笑みでそう提案された。
「えっ……?! その、良いの?」
まさかそう言われると思ってなかったのだろう。思わず周に聞き返してしまう。
「えっ? うん、別に良いよ。人数は多い方が楽しいし、何よりも来てくれたら美喜ちゃんも喜ぶしね」
周のその言葉に「うんっ!」と元気良く返事をする美喜。
その様子を見て彩陽は、自分の考えの愚かさを呪った。だってその二人の姿は、兄妹のような“やましい”雰囲気ゼロな姿だったから。
どうして朝はあんなに取り乱したんだろう……? どうして今も、あんなに動揺したんだろう……?
コイツと藍島さんが、周りの噂に流されて付き合う? そんな訳が無い。藍島さんがどういう人かは正直知らない。さっき周に向けたのと同じ視線を向けた時だって、まったく無表情のままだったし……。でも少なくとも、コイツはそんなことで付き合う奴じゃない。それはあたしが一番知ってることじゃない……。
今だってそう。美喜ちゃんのことを好き、大切に思ってる。それは家族として、友人としてじゃないか。この雰囲気を見て、どうして嫉妬なんてしたんだろう……? ……いや、今も少しだけ、嫉妬心は確かにある。でもそれは、あたしもそんな風に接することが出来ればなぁ、って言う、願望に似たような感情。だから二人の仲を引き裂く権利は、あたしにはない。だって美喜ちゃんのように接せ無いのは、あたしの勇気が足りないせい。
それを他人に当たるなんて……最低だ。
「……ううん。あたしはいいわ」
冷静になった彩陽は、首を振って返事をし、言葉を続ける。
「今月軽くピンチだし、何より今日、とっくに友達と約束してるの。だからせっかくだけど、ゴメンね、美喜ちゃん」
そう言って、出会った時と同じように目線を合わせるようにしゃがみ込み、髪を梳くように撫でるフリをする。
触れることが出来ない故に、撫でるフリ。それでも美喜は気持ち良さそうに目を細める。
「それじゃああたし、もう行くね。お騒がせしてゴメン」
立ち上がり、周と冬子に片手でゴメンの仕草をする。そしてそのまま、三人の隣を駆けて行く。
「あ、それとアンタ」
すれ違って少ししたところで、振り返り、周のことを呼ぶ。名前ではない呼び方をされ慣れている周は、反射的に彩陽へと顔を向ける。
「朝はゴメン。あたしが全部悪かった」
言うだけ言って、止めていた足をまた目的地へと向けた。その顔が少し赤らんでいたのは、今朝の自分を悔いてか、はたまた謝ることに抵抗があるからか……。もっとも、顔が赤らんでいたことに気付いたものなど、この場にはいなかったのだが。
(わぁ〜……!)
駅前のファーストフードで軽く昼飯を食べ、電車を一本だけ乗り換えて四十分ぐらい揺られ、着いたそこは遊園地。他の県から来るほど大きいところでもないが、地元の家族連れや学生などが来るほどの大きさはある。現に今も、他校の制服に身を包まれたカップルがチラホラといる。
「時間がそんなに無いからここで」
入場ゲートを通り抜け、感嘆の声を上げる美喜の隣に立った冬子は、開口一番そう言った。右手には半日フリーパス(学割)。ちなみにこのフリーパスは周の奢り。冬子は意外そうな顔をしたのだが、携帯電話のお礼と言うと戸惑いながらも受け取った。
ここに来るまでほとんど会話が無かったからなぁ〜……何処に行くのかも教えてくれなかったし。した会話って言えば、伊沢も霊体を見ることが出来るってことと、朝伊沢とどんなことがあったのかってこと、それと伊沢とどういう関係かってことぐらいだし。
そんなことを心の中で呟きながら、美喜を挟んで冬子の隣に立つ周。
「時間があるなら、去年出来た“ユニバーシップ・ロスト・イン・ジャパン”に行きたかった」
「ああ、確かにあっちは大きいもんね」
冬子の呟きにそんなありきたりな返事をする周。その時、周にぃと美喜は気付いていた。冬子が本当にその場所に行きたがっているということを。
「それで、最初はどれに乗る?」
もっとも、唯一自然に冬子を誘える肝心の男はさっさと話を進めやがったのだが。
「アレ」
(わぁ!)
「はぁ〜……」
(んげっ!)
美喜、周、周にぃと、冬子が指差した乗り物に反応を返す。乗り物……というか線路なのだが。それも巨大で長い。
「この遊園地の名物はジェットコースター。雑誌のジェットコースター特集で紹介されたこともある。ちなみに順位は十七位。と言うよりそもそも、遊園地=ジェットコースター。この時間なら待ち時間もそんなに無いはず。だから急ぐ」
聞いてもいないことを一人ペラペラと言うと、冬子はそのままスタスタと乗り場へと歩み始める。いつの間にか、フリーパスを持っていない方の手にはパンフレットが握られていた。……どうやら冬子、こういう遊園地やらが大好きなようだ。これじゃあ美喜のために来たのか冬子のために来たのかわからない。
さっさと先へ行く冬子の後を、慌ててついていく三人。
「周にぃってさ、もしかしてああいうの苦手?」
ついていきながら、冬子に自分の声が聞こえない距離を保ちつつ、自分の中の自分に訊ねる周。さっきの嫌そうな声、周にはもちろん聞こえていた。
(苦手……つうか、乗ったことねぇし)
「それなのに怖いの?」
(情報しかないんだぜ。しかもその情報が絶叫する乗り物ときたもんだ。怖いに決まってる。そういうお前だって乗ったこと無いだろ?)
「うん。でもさ、乗ったこと無いからこそ楽しみなんじゃないか」
(はぁ〜……そういうもんかね)
心の中にいる時でも、起きてさえいれば表に出ている人と視覚や聴覚などの五感は繋がっている。
つまり、表の奴が物を食べれば味はするし、物を見れば見える、物を聴けば聴こえるし、物に触れれば同じ触感があり、匂いを嗅げば匂う。
だからまぁ、これから乗るジェットコースターの感覚は、周にぃにも与えられるという訳で……。
ジェットコースターの乗り場、最後尾にいる係員のプラカードには「十分待ち」と書かれていた。先に並んでいた冬子と美喜の後に続き、周も一緒に並ぶ。
「そう言えば美喜ちゃん、あなた、ジェットコースターに乗ったことがある?」
並んでいると、ふと、冬子が気付いたように美喜に声をかける。
(ううん。この前お父さん達と来た時に、もっと大きくなってからねぇ、って言われちゃったから乗れなかった)
「なるほど。でもそこは、係員に見えない霊体という存在だからクリア出来る。問題は、あなたが物に触れることが出来るかということ」
(物に? うう〜ん……)
冬子の問いに、試したことが無いのか、視線を少しだけ下げて考える仕草をする美喜。
と、自分の足元に落ちている小石。物は試しにと拾おうとする。が、手がすり抜けて拾えない。
「触れることが出来ないなら、ジェットコースターに乗った時振り落とされてしまう」
(えっ?! それじゃあジェットコースター乗れないの?! せっかく乗れると思ったのに……)
「大丈夫。これから私が、物に触れる方法を伝授する。そしたらジェットコースターに乗れるから」
と、ジェットコースターが帰ってきたのか、列が前に進む。周達もソレに倣(なら)って、とりあえず会話を中断して前に進む。次ぐらいで乗れるかな……そう思えるぐらいには列が進んだ
だがまぁ何と言うか……遊園地に入ってから、冬子の姿がイキイキとしている様に見える。表情は相変わらずだけど。
「まず大切なのは意思」
(いし? これ?)
と、さっき拾うとした石を指差す。
「違う。気持ちのこと。良い? この意思さえ強く持ってば大丈夫。物を持ちたいなら“この物を持ちたい”と強く願えば良い」
(それだけ?)
「そう」
歩く・走る・座る・寝転ぶなどは、霊体になっても自然にすることが出来る。でも何故か持つ・持ち上げる・触れるなどは、霊体になると生前と同じような自然さで出来なくなってしまう。
それは何故か? この世界の俗説によると、生きている間は常に足が大地の生命力を吸収しているからとされている。だから、大地の生命力を常に吸収していない手は、霊体になってしまうと自然に動かせなくなる。
でもそこは、元々自然に動かせたもの。動かせない道理は無い。その方法が、意思を強く持つ。
強く念じ、意志の力を持って、手で持つ。生きていた頃の、無意識の感覚を、意識的に手に思い出させる。要はそういうことらしい。
と、美喜はさっそく、足元に落ちている小石を拾おうとする。すると今度は、あっさりと拾えた。
(ほんとだ……出来た。出来たよ! 冬子お姉ちゃんっ!)
小石を振り回し、大喜びする美喜。だが冬子は、無言でその姿を見ているだけ。
「どうしたの? 藍島さん」
「……驚いた。一回で成功するとは思ってなかった」
その姿が気になった周が声をかけると、冬子はそう返事をした。……もっとも、周には冬子が驚いていたことに驚いたのだが。なんせ、表情がまったく変わってない。
冬子が驚いていた。そのことに気付いたのはおそらく――
(んま、子供ってのは純粋だからな)
――周の中にいる、周にぃという存在だけ。おそらく彼だけは、冬子の雰囲気の変化に気付いていた。
「でも、あまり人前で物を持ち上げない方が良い。目立つから」
そう言いながら、美喜が持ち上げた小石を取り上げ、地面へと落とす冬子。
「でもスゴイ。これならたぶん大丈夫。ちゃんと降りてくるベルトに捕まっていられるし、何より、私達と手を繋いでいられる」
彼女はそう言葉を続け、ギュッと美喜の手を握る。そのことが余程意外だったのか、呆然と、その手と手の交わりを眺めている美喜。
「これで、絶対に落ちない」
(……うんっ!)
駄目押しの様な冬子の言葉にようやく顔を上げ、うれしそうに、満面の笑みを冬子へと向けながら、美喜は大きく返事をした。
あとがき:
彩陽とのイザコザが解消しちゃう話ー
そんでもって冬子と一緒に遊園地にきちゃう話ー
まぁでも一番の進歩は、美喜が物に触れることが出来るようになったことかな。
最後に冬子が手を繋いだ時の、美喜のうれしさは想像にお任せします。