朝、一人の少女が佇んでいた。説明するまでも無い。昨日と同じ、伊沢彩陽。

 でも今日は、昨日と違う部分もある。まず第一に、ため息を吐いていない。そして第二に、訊きたいことがあることだ。

 

 昨日お祭りの話しをした。それは良い。あたしが来るなら行きたいとも言った。それもまぁ……恥ずかしかったけど、良い。

 で、結局来るのかどうか。

 もう一人のほうにも訊いてから、って言ってたから、今日の朝、つまり今! 返事をもらってもおかしくないはず! まずはそれが第一。

 第二に、昨日アイツが言っていた黒人さんに向かって言っていた言葉。「いつも目覚まし、ありがとうございます」という言葉。

 これはどういうことなのか? まさかまさか、お隣さんという関係だけで、毎朝起こしてもらってるとか? 本来なら、幼馴染であるあたしの役目とも言えるその場所を、あの黒人さんが担っているとか?

 寝ているアイツの体を揺すり「朝だよ。起きて」なんて言って、
「んん〜……後五分……」
「もうっ! それじゃあ遅刻だよっ!」
「遅刻でも良いよ……伊沢と一緒だったら」
「そんなバカなこと言ってないで、ほら早くっ」
「良いじゃないか……今日ぐらい」
「今日も学校はあるのっ」
「そんなこと言わないで……ほら伊沢も、僕と一緒に寝ようよ」
「ちょっ、布団の中に連れて行こうとしないでよっ!」
「伊沢……僕と一緒に寝るの、イヤ?」
「い、イヤ……とかじゃ、ないけど……今日は、その、ほら、学校があるし」
「んん〜、伊沢は可愛いな〜」
「ちょっ! どさくさに紛れて抱きつかないで! それと可愛いとか言わないでっ!」
「何で? 可愛いから可愛いって言って、何かおかしい?」
「いや……その……恥ずかしいじゃない…………」
「そうかそうか」
「やっ……! ちょ、何処触ってんのよっ……! んぅ……!」
「ごめんごめん。でも朝だし、それにこんな可愛い子が布団の中に入ってきたら」
「入ってきたらって……あっ……あんたが、無理矢理……んぅっ……! ダメ……くぅ……あぁ……!」

 …………。

 伊沢彩陽。現在激しく妄想中です。周二を起こす相手が、いつの間にかお隣の黒人さんから彼女本人に摩り替わっている。さらにはラブラブカップルみたいな雰囲気つきなものにまでなっている。

 ただの妄想なら……まぁ、まだ良かったかもしれない。でも彼女の場合、さっきの妄想で自分が発していた言葉を、小声で、ニヤニヤしながら、背にもたれていた塀に向かって、とてつもなくうれしそうに体まで動かしながら言うものだから……不気味に見える。激しく不気味に見える。

「あ、伊沢。おはよう」
「いやあぁふっ! おはようございますっ!」
「……どうしたの? いやに驚いてたけど……」
「ああ、うん……その、気にしないで」

 突然現実の周に声をかけられるものだから、おかしな驚き方しちゃってるし……。

「そう……? その、体調が悪いとかじゃあ、無いよね?」
「うん、違う。むしろ悪いのは頭だから……」
「え?」
「ううん。こっちの話」

 あのおかしな驚き方で体調を心配するあたり、周らしいと言えば周らしい。ま、この優しさこそ、彩陽が周に惚れた要因の一つなんだろうけど。

「それでさ――」

 結局あんた、今日のお祭りに来るの?

 そう訊こうとして、止まる。

 周の左手。カバンを持っていない方の手に、女の子がいたから。正確には女の子の手、なのだが、女の子と手を繋いでいる、という事実は、周のことが好きな彩陽にとって、衝撃以外の何物でもない。

「――その子、誰?」

 だから訊いた。夏祭りの件よりも気になったから

「ああ……そっか。伊沢も霊感強かったっけ」

 遺伝でも何でもないのに、先天的に霊感が強い人間が生まれてくることがある。伊沢彩陽はソレに該当する。それもとびきり高い分類の。最も周のように、霊体と人間のように接することが出来るわけではない。ただ普通に見え、向こうが話そうとしてくれれば話せる程度。

 本来、遺伝でもないのに霊感が先天的に備わった場合、ここに霊体がいる、と感じることが出来るのがほとんど。会話なんて確実に出来ない。

 あくまで、いるのを感じることが出来るだけ。いることを、分かることが出来るだけ。

 感じ、分かる。

 それなのに視覚出来ない。その不気味な感覚ゆえに、そういう人間は吐き気などを感じやすくなる。中途半端な能力を持ってしまったが故に、というやつだ。

 その点、彩陽の高い霊感はそういうことがないので良い分類だろう。

「昨日、除霊されそうになってたところを助けたんだ。……って、何で不機嫌そうなの?」
「別に、そんなことないよ」

 素っ気無く返事。

 ……まぁ、こんな小さな女の子に対抗意識を燃やしても仕方が無いのかもしれないけど……。

 と、少しだけ反省。

「えっと……お名前、何て言うの?」

 膝を曲げ、視線を同じ高さに合わせて訊いてみる。女の子は少しだけ戸惑ったが、意を決したように言葉を紡ぐ。

(広橋美喜、七歳)
「美喜ちゃんかぁ……良い名前だね」

 言って、頭を撫でる。いや、正確には撫でるように手を頭の上で動かしただけなのだが。彩陽では霊体に触れることが出来ないから仕方が無い。それでも、その頭を撫でるフリだけで、美喜はうれしそうに目を細める。

 美喜が意を決したように言葉を紡いだのは、もし自分の言葉が届かなかったらどうしようという恐怖の表れ。彩陽は瞬時にソレを見抜いた。

 霊体になってから、この美喜という女の子がどれだけ辛い思いをしてきたのかも、見抜いた。

(えへへ……ねぇ、お姉ちゃんのお名前は何て言うの?)
「あたし? あたしはね……伊沢彩陽」
(それじゃあ彩陽お姉さんだね)
「ううん。伊沢お姉ちゃん」
(え?)
「その、ね……あんまり、この名前が好きじゃないの。だからさ、お願い」
(うん。わかった! 伊沢お姉ちゃん!)
「うん。良い子良い子」

 さらに頭を撫でる仕草をする。触れている訳でもないのに、美喜はうれしそうに笑みを深くし、目を細める。

(ねえねえ、伊沢お姉ちゃん)
「ん? どうしたの?」
(お姉ちゃんって、周お兄さんと付き合ってるの?)
「えっ?!」

 撫でていた手を止めてしまう。それはもう、子供でも動揺しているということが分かってしまう行動。

 

 まさか子供にそんなことを訊かれるなんて……いや、子供だから、純粋だからこその疑問なんだろう。でもまさか、本人目の前にしてこんな質問されるなんて……。

 ここは正直に打ち明けるべきか。いやでも、ここで振られたりしたらかなりショック。そもそも、もっとムードというものも欲しい。でもここで好きじゃないって言うのもなんだか……ってそうだ。

「ううん。付き合ってはないよ」

 そうだ。そもそも、好きかどうかを訊いてはきてないじゃない。バカ正直に好きだなんて答える必要もないんだよね……。

 

(どうして?)
「どうしてって……そりゃまぁ、タイプじゃないからよ。こんな取り柄の無い男なんて。こうして“偶然”朝会わなかったら一緒に学校にも入ってないよ」

 「偶然」の部分を強調する。その彩陽の言葉を聞いた周二は、無反応。

 もうちょっと反応してくれても良いのにな……なんて、自分勝手なことを思う彩陽。

(そうなんだ。じゃあ周お兄さんは今フリーなんだね)
「えっ?」

 ちょっと予想外な、うれしそうな言葉が聞こえた。

「えっと……美喜ちゃん」
(なに?)
「その……こいつは確かにフリーだけど、それで美喜ちゃんに、何か得なことでもあるのかなぁ?」
(うん! わたし、周お兄さんのこと好きだからっ!)

 臆面もなく、笑顔で言ってくるもんだから、むしろ恥ずかしがっている自分がおかしいのではと錯覚しかける。動揺を態度に表さないよう努めながら、いつの間にか周二の腕に抱きついている美喜を見る。そして、心を落ち着けようとする。

 

 あくまで子供の戯言。嫉妬なんて醜いじゃない。これはそう、幼心に抱く、年上への憧れみたいなもの。幼稚園生の頃、幼稚園の先生のことが好きになるような、そんなもの。

 そう。だから、嫉妬なんて醜い。まして相手は女の子供。ここでムキになるのもおかしい話。だって、こいつだって相手になんてして……。

 

 と、周二の顔を見る。そこには、うれしさと戸惑いが半々の、微妙な笑顔。まぁそれでも、彩陽にはうれしそうにしているように見えた訳で……。

 

 ちょっと! あたしがあんたのことをどうも思ってないって言った時は無反応だったくせに、今こうして、この子があんたのことを好きだって言った途端にうれしそうな顔しないでよ!

 

 なんて、心の中で一人、怒りに震える。

「ねぇあんた」
「ん? 何? 伊沢」
「美喜ちゃんに好きだって言われて……うれしい?」

 俯きながら言葉を発したが故、周二には彩陽の表情が見えない。

「うん。そりゃまぁ、他人に好きだって言われたら、うれしいよ」

 ビクッ! と、彩陽の体が一瞬、震える。さらには、何とも言えない複雑な、しかし一言で表すと不機嫌な、そんなオーラまで発しだす。

「ふ〜ん……それじゃあ、あんたも美喜ちゃんのことが好きなんだぁ?」
「うん。好きだよ」

 臆面もなく、躊躇いもない、笑顔での同意の言葉。その言葉を聞いた彩陽の雰囲気は……筆舌に尽し難い。が、あえて尽くすとするなら、怒りと不機嫌が足されて殺意がかけられた感じ。

(わたしもだよ! 周お兄さんっ!)

 周二の言葉を聞いた美喜は、腕から体に抱きつく対象を変える。それをまたうれしそうに受け止めるものだから……最初に思った「こんな小さな女の子に対抗意識を燃やしても仕方が無いのかもしれない」なんてものは消え去ってしまった。

「ふ〜ん……それじゃあ、あんたと美喜ちゃん、二人仲良く登校して来れば?」

 俯きながら立ち上がり、背を向けて歩き出そうとする。そんな彩陽の、少なくとも怒っているのはわかる雰囲気を感じた美喜は、ひっ、と言葉を詰まらせてしまう。……この時点で少しだけ、彩陽が大人気なく見える。

「あれ? 伊沢、今日は一緒に行かないの?」

 その雰囲気を感じ取れないのか、周二は能天気に言葉をかける。

「ええ、今日は遠慮させてもらうわ。二人仲良く登校するのを邪魔しちゃ悪いし」
「邪魔だ何てそんな……。そんなこと無いよね? 美喜ちゃん?」

 抱っこされている美喜は、その言葉に激しく首を上下させる。もはやこれは、恐怖という動力源で動く人形そのもの。

「ほら、美喜ちゃんだってこう言ってるんだし。一緒に――」
「黙れロリコン」

 周二の言葉を塞ぐように紡いだ、ドスのきいた彩陽の言葉。ここに至ってようやく、周二は彩陽の機嫌が悪いことに気付いた。……この時点でかなり、彩陽が大人気なく見える。

「それじゃあねぇ……美喜ちゃん」

 笑顔で人を殺せるとするならこんな顔。

 彼女の今の表情にタイトルをつけるとするなら、こんな感じではなかろうか?

 やがて彼女の姿が見えなくなった時、周二は我知らず尻餅をついてしまっていた。

 額には大粒の汗。口の中はカラカラ。本能が恐怖を感じていた証……とでも言うのだろうか。

「僕……何か悪いことしたかな?」
(してないと思うんだけど……たぶん)

 二人はそう、言葉を交し合うことしか出来なかった。

 

 

 

 ちなみに。

 伊沢彩陽が、夏祭りのことを結局聞きそびれていたことを思い出したのは、教室について友人にその話を振られてからのこととなる。

 

 

 

あとがき:
伊沢彩陽と広橋美喜の出会いの話ー
大丈夫、ギクシャクとした関係も、すぐに元通りになるよ! ……きっと!

それにしても、アレだ
妄想シーンでのちょっとしたエロ文章
めちゃめちゃ難しかった
どうも「焦らし」ってのが苦手みたいで……アレじゃただのエロだね

「かの○ん」の作者が改めて凄いことを痛感した