「それで藍島さん、これでもこの女の子を除霊するつもり?」

 顔を下げている女の子の顔を、自分の胸に埋めるように抱きかかえて立ち上がり、そのまま振り返って藍島冬子に訊ねる。

「こうしてもどうしても、私はことの顛末を聞けてない」
「ああ……そっか……」

 この女の子が、藍島冬子に“話したい”と思いながら話さないといけなかった。対して藍島冬子も、この女の子の話を“聞きたい”と思いながら聞かないといけなかった。その本来の会話の通過儀礼が、抜けていた。まぁ、霊体も人間も同じように接することが出来る周に、そこまで考えろというのは無理な相談なのかもしれないが……。

 少しだけ考えた周は、そうだ、と言わんばかりに表情を明るくして提案する。

「それならさ、この女の子が藍島さんと話せれば除霊しない、ってことで良くない?」

 なるほど。話す気が無い程心を閉ざしていた女の子が、話す気を起こす。それだけで悪霊になるという可能性を淘汰出来た証にはなるだろう。

「わかった。それで構わない」

 そのことは藍島冬子もわかったのか、相変わらずの瞳のまま頷く。

 周は抱っこしている女の子を軽く揺すって、顔を上げさせる。すでに泣き止んではいる。でも泣いていた後は消えていないが。

「ねえ、ちょっとお願いがあるんだけど」
(何ですか?)
「ちょっとさ、あの女の人と、お話してくれない?」
(えっ? でも……)

 少女はチラッと、藍島冬子の方へと視線を向ける。そして言われた通り話しかけようとして……声が出ない。口を開けた先が、どうしても出来ない。

 まぁ、それは当然だろう。彼女は周に会うまでに、何度も何度も、知らない人に話しかけてきた。

 それなのに、誰も反応してくれない。その恐怖と、絶望感と、虚無感を、すんなりと忘れろと言うのが無理なのだ。

「大丈夫。あの女の人とお話がしたい、って強く思いながら、話してみて。そしたら大丈夫だから」

 その言葉に女の子は、再び周へと顔を向けて視線を交わす。そこには「僕のことを信じて」と言わんばかりの、自信に満ち溢れた瞳。

 自分が見え、自分に触れ、自分と話すことが出来る、自分にとって救いの神とも言える、見ず知らずのお兄さん。この人が信じろということなら、何でも信じられる。だってこの人は、自分にとって、救いの神なのだから。

 心の中で小さく、意気込む。そして今度は、しっかりと、藍島冬子へと視線を向ける。そして口を開き、言葉を紡ぐ。

(その……こんにちは!)
「……こんにちは」
(ホントだ……わたしの言葉、聞こえてる)
「うん。聞こえている」
(そっか……お姉さんにも聞こえるんだ……そっか……)

 世界は絶望に満たされていると思っていた女の子は、改めて、この世界が優しさに満ち溢れていることを知った。

 生きていた時と、同じように。

 

 

 

「それでは、私は帰る。もうその子を除霊する必要は無いみたいだから」

 お札をカバンの中に直しながら、周二へと言葉をかける藍島冬子。

「あ、うん。その、ありがとう、藍島さん」
「お礼を言われるようなことを、私はしていない」
「したよ。僕のワガママを聞いてくれた」
「……そ」

 素っ気無く返事をして、藍島冬子はその場を立ち去る。そう。もう除霊の必要は無い。少なくとも、あの女の子の傍に赤城周二がいる限りは。

 世界を憎むなんてこと、もう無いだろうから。あの大樹ではなく、赤城周二自身に取り憑く対象を変えたのだから。

 それにしても……と、藍島冬子は考える。

 

 どうしてああも、霊体と普通の人間のように接することが出来るのだろうか? 普通に見え、話しかけ、触れることが出来ていた。抱き抱えることも出来ていた。それが不思議でならない。

 今の今まで、学校でされている噂を聞く限りは、霊体が見えているであろうことは予測できていた。でもその予測以上のことを、あの赤城周二はやってのけている。

 霊体と、普通の人間のように、接する……自分の中で作り上げてきた物差しが、あっさりと折れてしまった感覚。……祖父に聞いてみるか。自分で調べても良いが……今まで色々なことを調べてきて、そんな特別な人がいたなんて記述見たことが無い。

 つまり、記録に残らないほどの稀少存在。記憶を受け継ぐことでしか残らない、稀少存在。聞く価値は十分にある。

 

 そう思うと、自然と帰宅への足が早くなった。夏祭りの手伝いは少し面倒くさいが……今はそんなことよりも、あの赤城周二の存在が気になる。自分の物差しを、あっさりと折り壊した、あの存在が。

 

 

 

「……ふぅ」

 藍島冬子が立ち去り、ようやく安堵のため息を吐く。

(やっと帰ったな)
「ああ」

 ちなみにさっきのは周にぃの言葉。藍島冬子の前でボロを出すと面倒なので、ずっと黙っていたのだろう。

(えっと……)

 女の子が戸惑いの声を上げる。まぁ、いきなり何の突拍子も無く同意の言葉を言い放ったのだから、当然の反応だろう。

 それに気付いた周は、自分の中にいる周にぃのことについて説明しようとして、気付く。

「そう言えば、体は大丈夫? さっきまでタバコの煙に当てられてたみたいだけど」
(あ、うん。ちょっと臭かったし、なんか体も心も重くなってたけど、お兄さんに憑いてからは何とも無くなったよ)
「そっか、それは良かった。それはそうと、君の名前は何ていうの?」
(わたし、広橋美喜、七歳!)

 元気の良い自己紹介。死んでしまったせいか、妙に大人びたような、達観したような雰囲気はあったが、やっぱり子供。元気の良い姿を見ると妙な安心感に包まれる。

「七歳……ってことは、もう今年の誕生日は迎えたの?」
(うん!)

 さっきまでとは違い、とっても元気に、とっても明るく、言葉を返してくれる。心を許してくれたのか、それとも、悲しみという汚れが少しでも落ちて心が見えるようになったのか。

 どちらにしても、周にとってはとてもうれしいことだった。

「そっかそっか」
(お兄さんのお名前は?)
「僕は赤城周二。……なんだけど、僕の時は周って呼んで」
(周お兄さん?)
「そ」
(僕の時、ってどういう意味?)
「それはね――」

 女の子を抱きかかえたまま帰途に着く。この女の子を見つける前は中途半端な人数しかいなかったが、今となってはその数倍の人たちがいる。どうやらかなりの時間を浪費してしまったようだ。下校時間ピークとも言える人の群れに混じりながら、自分と周にぃの関係について説明する。

 僕の中にはもう一人、別の、僕にとってとても大切な人がいるんだよ、と。

(大切な人?)
「そ。大切な人。その人のこと、周りの人には内緒だよ?」
(うん)
「僕はその人のこと、周にぃって呼んでるんだけど、この人がいなかったら僕はとっくに死んでると思う」
(そうなんだ……ねぇ周お兄さん、あたしもその人に会いたい!)
「んん〜……会わしてあげたいんだけど、実は周にぃ、僕と違って美喜ちゃんが見えないんだ」
(わたしが、見えない?)

 さっきまでの子供っぽさが少しだけ、霞んでしまう。

「うん。美喜ちゃんが見えるのって、霊感がある人だけなんだ。それで僕は見えるし、さっきのお姉さんも見える」
(霊感があるから……)
「そ。それで、周にぃや、美喜ちゃんの声が聞こえなかった人には、霊感が無い」
(だから……見えない)
「そういうこと。だからさ、僕も君と一緒にいられるのは、実は夜までなんだ。夜からは、周にぃの時間だから」
(そんな……)

 かなり哀しそうな顔をする。泣く程ではない……と思う。でも、それでも、哀しい雰囲気は拭い去れない。周は少しだけ考えて――

「それじゃあさ、明日は授業が昼までだし、それから一緒に街に出て遊ぼうか」

 ――そう、提案した。だって、さっきみたいな年相応の、子供らしさが見たかったから。この女の子を、これ以上悲しませたくなかったから。

(でも……)
「大丈夫。僕に予定は無いし、僕自身も、美喜ちゃんと一緒に遊びたいだけなんだ」

 遠慮しようとする女の子に、周は言葉を続ける。

「もちろん、美喜ちゃんがイヤなら、無理にとは言わないよ」
(……それじゃあ、周お兄さん、明日はその、一緒に遊んでください)

 少しだけ考えた末の言葉は同意の言葉。

「うん、ありがとう。僕の誘いを受けてくれて」

 そう言って、互いに微笑み合う。そこにはもう、先程の霞も、哀しそうな顔も無かった。再び戻る、年相応の明るくて楽しそうな笑顔。

 良かった……。

 周はそう満足して、見えてきたボロいアパートへの足を早めた。

 

 

 

 夜になる。すでに晩御飯を食べ終え、ここからは俺の時間。

 否が応でも俺の意見が優先され、周の意見が後回しにされる時間。

 この約束は、二人で決めた条約のようなもの。だから昼は、周の意見が優先されている。

 俺からすれば、全て周の意見優先でもかまわない。でも、それを周自身が許さない。

 僕に自由が許されるなら、僕の中の周にぃにも、自由が許されるべきだ。

 そう言ってくれたのは、俺がお前の中に入ってすぐ。

 俺はただ、お前の中に入り、お前を助けることさえできれば満足だった。

 それなのにお前は、そんな俺に自由をくれた。

 それがとても、うれしかった。

 だからこそ、この自由は満喫すべきだろう。それこそが、俺に自由を与えてくれた、周への恩返しになるような気がするから。

 周が連れてきた、周自身に取り憑いた女の子。あの子はもう、俺の時間になってからは自由の身だ。取り憑いたのは赤城周二という体ではなく、周という人格なのだから。

 それにそもそも、俺ではあの女の子を見ることも、話すことも、声を聞くことも、触れることもできない。もし赤城周二という存在に取り憑いてしまっていたら、俺が表に現れるだけで、その女の子を悲しませてしまう。傷つけてしまう。

 だから、これで良い。

 俺は運動をしやすいよう、Tシャツの上から、黒いウインドブレーカーのようなジャージを着る。見た目に反して通気性がよく、意外に暑くない。もともと夏用に売られてたやつだから当然なのだが……。

 制服のポケットから、例のナイフを取り出す。とっさにポケットへ突っ込んだため、折り畳まれていないナイフ。ソレを折り畳むため、柄に、縦に空いている無数の小さな穴、その上から二つ目の穴に針金を差し込む。そして一定の角度・力を加え……カシンッ、と小さな音がしたかと思うと、刃が折れ曲がる。後はその刃を折り畳む。

 折り畳み式のナイフは使い込んでいくと、極稀に、戦っている最中に勝手に折り畳まれることがある。ソレを解消するために考案された方法がコレ。刃を解放すれば、そのまま刃を固定。刃が折れることはあっても、折り畳まれることはない程固定。そして再び刃を仕舞うには、一定の場所に、一定の角度で、一定の力を加えないと固定解除できないようにしたのだ。しまうのは少しだけ面倒くさいが、これで戦闘中にイレギュラーが起きることは皆無。

 そのナイフをズボンのポケットへと仕舞い、時間を確認。

 時刻は午後八時を少し過ぎたところ。俺の活動時間は、八時から翌日の朝六時まで。俺の方が微妙に短いのは、周に家事を全て押し付けているから。勉学を全て押し付けているから。

 俺に自由の時間を与えたのに、あいつはあいつの義務を怠っていない。だからこその、この活動時間の差。

 俺からしたらまだまだ長く感じるがな……もっと俺から時間を取れば良いものを……。

 まぁ良い。こんなところでそんなことを考えても、現状は何も変わらない。

 さて……それでは今夜も、夜の遊びへと繰り出すとするか。

 

 

 

あとがき:
女の子と仲良くなっちゃう話ー
そんでもって藍島冬子とも微妙な関係になっちゃう話ー
他に説明? いるかな? コレ

まぁでも、とりあえず一日目終了
実質的な第一話終了ってところかな

今回の話に戦闘シーンは無かったけど、こっから先にはちゃんと作るから
戦闘モノだって謳ってるのに第一話にまったくないって……ねぇ
まぁそういうのが個人的に好きなんで……絶対に書く…………ヘタだけど

そう言えば今更だけど、小学校一年生って六歳と七歳が集まってるってので間違いないよね?