全ての授業を終えた放課後、帰り支度を済ませた周二は教室を出た。

 今日は家に帰って何しようかな……あ、洗濯物溜まってたかな……。

 なんて家庭的なことを考えながらの帰り道。ちなみに帰りは彩陽と一緒ではない。別に周二が部活に入っていたり、その逆で、彩陽が部活に入っていたりする訳でもない。ただ普通に、彼女にも友達付き合いがあるから。

 校舎を出、校門へと向かうまでの道。その中頃で突然、周二は足を止める。幾人もの生徒が通り過ぎる中、校舎の影に隠れるように佇んでいる、一本の大樹を見つめる。……いや、正確には大樹の根元とでも言うべきか。

 夏という季節上、既に新緑の葉をつけているその桜の大樹。その根元に、キレイはセミロングの髪をした女の子が、立てた膝を抱えてうずくまっていた。

「周にぃ……あの樹の根元、女の子がいるよね?」
(女の子? どんな?)

 周にぃに確認し、その答えを聞いた周は瞬時に理解する。あの女の子は、霊体なのだと。

 

 周には見えて、周にぃには見えない存在。……いや、厳密に言うと、非一般人には見えて、一般人には見えない存在。それが霊体。

 生まれた時から霊感があったのか、それは周本人も分からない。記憶にある頃から見えていた。しかも周には、霊体が普通の人間と同じように見える。もちろん、接し方も普通の人間と同じで大丈夫。

 普通に会話し、普通に触れることが出来る。

 だからこうして、霊体が見えない周にぃに確認しなければ、ソレが霊体であるかどうかすらわからない。

 

「いや……見えないんなら構わないよ。また例のやつだから」
(ああ……なるほどね)

 そう周にぃに言葉を返しながら、その大樹へと近付く。どうもあの女の子は、あの大樹に憑いているようだったから。

 周が「不思議君」として扱われる要因は、もちろんコレも起因している。

 周にぃとの会話。霊体との会話。双方とも、独り言にしか見えないから。しかも霊体に至っては、何も無い空間に手を伸ばし、何かに触れているように見える時だってある。

 

 大樹に近付いたところで、理解した。大樹に触れる前に、理解した。少女がうずくまっている原因を。

 校舎の影に隠れるようにタバコを吸っている不良五人組。彼らの煙が、少女の――少女に憑いている樹にまで及んでいたのだ。

 帰り支度を済ませ、すぐに校舎を降りてきた周。それなのにすでに、タバコを吸っている五人組。しかも足元には無数の吸殻。授業をサボり、ずっと吸っていたのは少し考えればわかること。つまり最低でも小一時間、ずっとこの樹はタバコの煙に当たっていたことになる。

 そしてあの女の子は、あの桜の大樹に憑いている。憑いた樹が衰弱するから、自分の身体も重いのだろう。

 人間と樹の強さは違う。違いすぎる。樹にとっては些細な、まったく毒にもならない毒であろうとも、人間で、しかも小さな女の子であるあの子にとっては、とても大きな毒になっているのかもしれない。

 

 同時、周は考える。どちらの味方になるのかを。

 教師にバレたくないが故、隠れるようにタバコを吸っている五人。

 理由は不明だが、新緑の桜の樹に憑いた女の子一人。

 沢山の幸運を得られているのは前者。だが前者の五人は……自分を気味悪がっている。周にぃと話している自分を見て、笑い、バカにしている。後者の女の子は話したことも無いが……少なくとも、前者の奴等よりも好感が持てる。

 つまり、彼ら五人のクラスメイトは、見ず知らずの女の子の霊体一人にも劣る存在だと言うこと。

 彼ら五人の幸せと、女の子一人の幸せ。天秤に乗せて傾くのは……女の子一人の幸せ。

 なら決まりだ。奴等を邪魔する。

 そう決断した周は、彼らの元へと歩みだす。

 

 ……周の行動が異常に満ちていることを、皆さんはお気づきだろうか?

 彼が先程天秤に乗せたもの。本来そこには第三の器が存在し、そこには必ず、自分の価値を乗せるものだ。

 五人の幸せ、少女の幸せ、自分の幸せ。

 その三つで重さを量り、価値ある行動をするのが本来の人間だろう。

 そう、彼は自分自身を、価値など無いように扱っている。それも本能的に。

 だから天秤の器には本来の三つ目が存在せず、自分が暴力を振るわれ、傷つくことをまったく想定していない。……いや、想定しながらも、天秤にはなんら傾く要素が無いと思っている。

 

 

 

「ねぇ、そのタバコ、やめてくれる?」

 五人の前に立って開口一番、周は男達にそう声をかけた。

「君達の健康とか、そういうのにはまったく興味が無いんだけど、女の子が嫌がっているんだ。だからさ、良ければ吸うのをやめる、悪くても、別の場所で吸ってくれるとありがたいな」

 続く周の言葉に、男達は驚愕を隠せなかった。誰も反論できていないのがその証拠。

 何故なら、彼らの周に対する評価は「不思議君」だから。急に目の前に現れて、こんな正義心まみれたことを、ビビりもせずに堂々と言う人物だと思っていなかったから。ただただ独り言を喋り、こちらが殴ったりしても文句を言わない。自分達にとって、良ければ暇つぶし、悪ければ一生縁を結ぶことも無く終わるであろう存在だったから。

「は? 何? お前何様のつもりよ」

 ようやく状況を飲み込めてきたのか、一人の男が立ち上がりながら声を上げる。

 男の割に長い、茶色く染めた髪。睨みつけるような鋭い目つき。着崩した制服。典型的な不良の姿をしたその男は、ただでさえ鋭い目つきをさらに鋭くし、至近距離で周の目を睨みつける。

 自分と同じ不良、もしくはソレに準ずるナニカで無い限りは、足を竦ませる自信・ビビらせる自信が男にはあった。

「別に。何様のつもりでも無いよ。ただ、ここでタバコを吸うのをやめてほしいだけ。別のところに移動してくれるだけで良いからさ」

 だが周は平然と、その目を見つめ返しながら答えた。その目には、ビビるとか、怯えるとか、強がるとか、そんな感情はまったく映っていない。ただ普通に日常会話をしているような、そんな瞳。

 傍から見てもソレは一目瞭然だった。

 何故なら、周の足はまったく震えていないから。竦んでいないから。

「あ? テメェ調子乗んのも大概にしろよ?」

 胸倉を掴み、さらに至近距離から睨みつける。気の弱い人が見たら間違いなく竦み、気の強い人なら掴み返してくる、そんな迫力。

「ゴメン。でもお願い、ここで吸うのをやめてくれるだけで良いからさ」

 ここまできて男達は、周の異常性に気付く。

 すでに周の異常に気付いている人ならわかっていると思う。自分が傷ついても平気な周にとって、自分への脅しは何の効果も無い。

 だから、ビビらない。怯えない。強がらない。ずっといつもの感情のまま、会話を続ける。

 その異常性に気付いた彼らが、今度は逆に戸惑う。今まで経験してきた中で、誰もとったことのない反応。

 確かに今まで「独り言を喋る、気味の悪い不思議君」だとは思っていた。ウワサを何度も耳にしたし、その目立つ姿を何度か見たこともある。でもまさか、ここまで普通と違う反応をされるなんて想定していなかった。

 そしてその想定外の反応は、やがて「戸惑い」から「気味の悪いもの」へと変わる。そして人間として当然の、「気味の悪いもの」への扱いに与える。大多数の人が「気味の悪いもの」と認識している、蚊やゴキブリなどに与える扱いへと変わる。

 つまりは、敵対心。

「そう言うのが調子乗ってるって言うんだよっ!」

 敵対心とは詰まるところ暴力。引き寄せた周の顔を、思いっきり、胸倉を掴んでいない方の拳で殴る。

 鈍い音。

 周の体が軽く吹き飛び、尻餅をつく。

 こうした暴力で、周が少しでも怒りを露にしてくれれば男達も安心できただろう。いつも相手にする人間だと思えただろう。

「…………」

 でも周は、無言で、先程と変わらない表情で、尻餅をついたまま、ただ男達を見つめ続ける。

 別に、周に何らかの考えがある訳でも無い。殴られた時もただ、痛いなぁ、とちょっと思っただけ。イラ立ちとか怒りとか、理不尽さとか殺意とか、そういうものは一切沸かない。

 それがまた男達を戸惑いの世界へと誘い、より一層気味悪がらせ、暴力へと駆り立てる。

「んだよっ! さっきからその顔はよっ!」
「イラつくんだよっ! えぇっ?!」

 先程周を殴った男が、座り込んだ周の腹へとさらに蹴りをいれる。それに続くように、男の近くにいた黒い髪をツンツンに立たせた男が、腹を蹴られうずくまった周の脇腹に鋭い蹴り。

 続けざまの二つの衝撃に咳込む周。

 でも、それでも彼は、腹を押さえながらも、地面に顔が近付こうとも、男達へと同じ表情を向ける。

「っ!」

 踏みつけるような攻撃。蹴り飛ばすような攻撃。何度も何度も何度も……アリを踏み潰すように、何度も。

 死なない、傷つかない、その真実が認められないかのように、一心不乱に。気味悪いものを遠ざけるために。

 でも、いくら暴力を振るおうと、無駄なのだ。いくら咳込ましても、いくら衝撃を与えても、無駄なのだ。相手が周自信である限りは。

 自分自身への攻撃などどうも思わない。自分自身の価値など無いに等しい。

 そう思っているのが彼、周という人格なのだから。

「いや……でも」

 不意に、暴力を振るわれながらも、衝撃を与えられながらも、周が口を開く。小さな小さな、独り言の様な声。だから気味悪がっている彼らには、聞こえない。いや、それで構わないのだろう。だってそれは、自分の中にいる、もう一人との対話なのだから。

(でもじゃない! 一体何を懸念している)
「周にぃが……傷つくこと」
(俺は、お前が傷ついているこの状態の方が、もっと傷つく!)
「でも、僕は大丈夫だから」
(お前が大丈夫でも、俺が大丈夫じゃない! お前が傷ついていくこの瞬間瞬間が、俺の心を蝕んでいく! 辛いんだよっ! お前がこうして傷ついていく状況がっ! 俺自身が傷つくよりも辛いんだよっ!!)
「それは僕も一緒だよ。周にぃが傷ついたら、僕は今の状況よりも辛い」
(俺はお前よりも傷つかない! だから頼む! 俺を信じて変わってくれ!!)
「……その言い方は、卑怯じゃないか」

 ここで変わらないと、周が周にぃのことを信じていないことになる。誰よりも周にぃのことを信じているのに……誰よりも、周にぃのことを大切に思っているのに……。

(卑怯でも良い! 俺を嫌ってくれても良い! だから頼む! 変わってくれっ!)
「……こんなことで、嫌う訳無いじゃん……」

 口元に、少しだけ笑みを作る。

 そして自分と、もう一人の自分とを変えるための合図を発する。

「それじゃあ頼む、僕と変わってくれ」

 その言葉を発した瞬間、周と周にぃは、変わった。

「あぁ? 何が変わんだよっ!」

 周が発した最後の言葉。それはあの男の耳にも届いたのだろう。一際大きく脚を振りかぶり、周の――いや、周だったものの顔面を蹴ろうとする。

 だがそれは叶わなかった。顔面へと跳んできたその蹴りは、あっさりと掴まれた。

「えっ?」

 間抜けな声。だがソレを発すると同時、今度は男が地面に倒れた。

 掴まれた足を、高々と持ち上げられた。軸足だけで持ちこたえるには無理なほど。天に捧げるかの如く。

 だから、倒れた。男がそのことを理解する頃には、周だった人はとっくに二人との距離を開けている。

 

 入れ替わりの合図となる言葉。つまりそれは、今主人格として現れている人物の、入れ替わっても良いという同意の言葉。

 

「なんだ貴様……!」

 茶髪の男が地面に倒されるのを間近で見ていたもう一人の男。そいつは動揺を現しながらも、何とかして周だった人に訊ねる。

「俺のことなんてどうでも良い。貴様等……今すぐここから離れないと、殺すぞ」

 周にぃはそう言って、いつもポケットの中に忍ばしているナイフを取り出す。刃の長さは最低でも三十センチ。折り畳み式のソレを、人が斬れる状態にして男達に突きつける。

 

 目に見える殺意。今までいくら脅しても、殴っても、蹴っても、踏んでも、敵意をまったく出さなかった少年が、いきなり殺意を露にしている。

 異常な行動。でも男達はビビるよりも、驚くよりも、まず最初に安心してしまった。

 気味悪がっていたものが、本当にただの人間だと知ることが出来たから。人間として不確かだったものが、人間として確立してくれたから。化物ではなく、ただの獣として存在してくれているから。

 そうして安心すると同時に訪れる、また別の恐怖。

 気味の悪いものへの恐怖から、殺意を露にするものへの恐怖。

 別のベクトルからの恐怖は、一層恐怖を駆り立てる。それは、幽霊だと思っていた見えない足音が、実は殺人者だったと知った時の恐怖に似ている。最初から殺人者と知っている時よりも高い、異常な恐怖性。

 

「…………」

 だから男達は、何も言えなくなった。普通に刃物を突きつけられても大丈夫だったかもしれない男達。だが今は、とてもじゃないが無理だった。反抗するなんて。

「くっ……なんだよ、おもしろいこと言ってくれんなぁ! えぇっ!」

 と、今まで周に何もしてこなかった、頭を坊主にしている男が声を発する。次いで立ち上がり、彼もズボンのポケットから、同じようにナイフを取り出す。

「俺達を殺すっ?! いいぜ! その感じ! 殺せるんだろ? 殺してみろよっ! 貴様なんかに殺されるほど、俺はヤワじゃねぇぜっ?!」

 恐怖で気が狂ったかのような口調。男は周にぃと同じようにナイフを突きつけ、周にぃを炊き付ける。

 その仲間の行動に、男達はさらに驚く。何故ならその坊主の男は、普通ならそこまで熱くならない人物だったから。いつも見た目は冷静に、だが心の中だけは熱い、そんな少年だったから。

 だから、同じ仲間なのに、少しだけ恐怖し、声をかけることも、激励を送ることも、出来なかった。

「はっ……なら、散れ……!」

 本来なら相手にしないだろうが、今は、周を傷つけられたことで頭に血が昇っている。

 だから、それだけで十分だった。

 今にも駆け出し、その心臓へとナイフを突きつけようと、脚に力を込める。

 

「あなた達。そこで何をしているの?」

 

 突然、落ち着き払った女性の声。

 周にぃは咄嗟に、ポケットへとナイフを仕舞いこむ。たとえ頭に血が昇っていようとも、周にとって最悪の展開に持ち込んではいけない。それが彼の本能だから。ナイフを仕舞ってからようやく、声の主へと視線を向ける。

「おいっ、とりあえず逃げようぜっ!」

 茶髪の男はそう言って、坊主の男の手を引っ張って逃げ出す。

 大人しかった者への異常な恐怖。仲間が見せた異常な行動。すでに彼の心は、出来事を受け止めきれないほど溢れかえっていた。

 だから、逃げる。逃げてから、全ての状況を整理し、受け止めきれるようにする。

 それは妥当な判断だっただろう。少なくとも、坊主の男以外の皆はその意見に賛成していたから。

 茶髪の男が声を発した刹那、先程の女性の声へと視線を向けながらも逃げ出し始めていたのが何よりの証拠。声の主が佇んでいる方向とは逆の方向へと全力で駆け出し、逃げ出した。

 

 

 

あとがき:
不良と対峙して、結局やりあわずに終わっちゃう話ー
ちなみに今回の文章にも戦闘シーンがあったりあったりあったり(ないことは絶対に無い

それにしても……今回の話も何を書けば良いのやら……作者本人としては、説明するほどのことは何も無いと思っているデスヨ?
あるとしたらまぁ、周の異常な自己犠牲精神(?)ぐらいでしょうかねぇ〜……
まぁでも、ぶっちゃけこれも「こういうもんなんだな」と納得してもらうしかねぇか……

あ、だからって質問を受け付けない訳じゃないですよ?
文章の訂正とか受け付けない訳じゃないですよ?
そういうのどんどん、お待ちしてますんで