朝、一人の少女が佇んでいた。

 活発な印象を与える短めの髪、初対面では少しキツめの印象を与える目つき、美人と言うより可愛い分類に入る顔立ち。そんな少女が一人、ある敷地と公共道路とを区切るための塀に背を預け、時折その中にある一つの建物へと顔を覗かせながら、佇んでいた。

 そして顔を覗かせるたびに、ため息。それはまるで、その建物から誰かが出てくるのを待っているかのよう。いや、待っているかのよう、ではなく、実際に待っているのだが。

 すでにため息の数は五回。平均三分に一度のペースでため息を吐いているとするなら、彼女はここに佇んでから十五分の時間がたっている計算になる。

 そのため息の数が六回になろうとした時、建物の一つから音が鳴る。期待に胸躍らせて、同じように中を覗き込む。

 強風が吹き荒べば折り畳まれそうな印象を与えるボロいアパート、その二階から目的の人物が出てきた。

 ボサついた髪を申し訳程度にセットし、いつも純粋な色をしている瞳は眠気の色を帯び、少女個人としては整っている分類に入るが今は弛みきっている顔立ちをした、欠伸を噛み殺しながら部屋の鍵を閉めるその少年。その姿を確認した少女は、すぐさま顔を引っ込めて、深呼吸。

 そして、意気込む。それはもう、毎日の儀式みたいなものだ。

 大丈夫。今日こそは、迎えに来たと言うんだ。いつもみたいに偶然出会ったじゃない。今日こそは君のために、君と一緒に登校したいがために、時間を合わせたと、そう言うんだ。まずはおはようと元気よく挨拶。おはようと挨拶を返してくれたら、今日は偶然じゃないと言う。そして、君と一緒に登校したいから時間を合わせたと言う。じつは今までもそうだったと言う。そして、そして……ずっとずっと、す、す、好き、好きだったって言う! 良し!! 良し!! 絶対に良し!!! 完璧!!! 絶対大丈夫!!! 負ける気がしない!!!

 最後のは良くわからないが、何やら少女は自分の妄想で酷く興奮しているようだ。握り拳を作り、肘を何度も後ろに下げて興奮を態度に表している。飛び跳ねたりもしてる。顔も真っ赤。でも、傍からみたら正直不気味なその動きは、失礼ながらとても「恋に恋する乙女」には見えない。

「ッ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!」

 あ、肘が塀に当たった。とても痛そうに悶えている。真っ赤になった顔も今や真っ青。でも少年にバレたくない一心で声を上げなかったのは驚嘆に値する。

 と、少女の隣に人影。痛みに悶えていた少女は、とっさに顔を上げる。

 真っ青にしていた顔は、すぐさま真っ赤になった。移動している血液さんも大変である。

「お、おはようっ!」

 元気良く挨拶。自分にとって精一杯の挨拶。ソレを少女はしたと思う。目の前に現れた少年――

「ハハハハハ! オハヨウ! ゲンキなオジョウちゃん!!」

 ――じゃなかった。黒い肌をしたガタイの良い兄ちゃんが、そこにはいた。大人として見ても随分高い身長、上から見下された少女は軽いパニック状態。

 えっ? 身長が急に伸びた?? 肌が黒く? 日焼けサロン??

 そんな言葉が脳裏に浮かんでは消える。

「ああ、おはようございます」

 と、その黒人の隣に一人の少年。その少年こそが、少女が求めた人物だった。

「アア! オハヨウ! コノコは、キミのシリアイカイ?」
「ええ、そうです。いつも朝、偶然ここで出会う、僕の幼馴染です」
「ソウカソウカ! ゲンキなイイコジャナイカ!!」
「ええ、とっても元気です。でもお兄さんも負けてませんよ」
「ハハハ! アリガトウアリガトウ! ト、そろそろジカンダ」
「あ、そうですか。どうも引き止めてスイマセン」
「イヤイヤ! オレもジカンがユルスなら、キミとジックリハナシタイヨ」
「僕もです。いつも目覚まし、ありがとうございます。それではまた」
「アア! マタナ!」

 少年と挨拶を交わした黒人は、そのまま笑い声を残しながら歩き去った。残されたのはその笑い声の反響と、少女と少年の姿のみ。

「おはよう、伊沢」

 少年の声でようやく少女――伊沢彩陽(いざわあさひ)は意識を取り戻す。いや、今まで起きてはいたのだが……脳内が荒れていた。まるで意識を失ったかのように、外界と意識が断たれてしまっていた。

 二人? どういうこと?? クローン技術??

 そんなことをグルグルグルグル考えていたのだ。他人と言う発想まで辿りつかない辺り、彼女が余程焦っていたのがわかる。

「え、ああ、うん。おはよう、赤城」
「どうかした?」
「いや、うん、別に? どうもしないわよ?」

 少年――赤城周二(せきじょうしゅうじ)に挨拶を返したとき、ようやく彼女は、先程の黒人と彼とは別人だとわかった。同時に、今までの別の考えをしていた自分が恥ずかしくなった。

「それで、今日はどうしてここに? また偶然?」

 そう問われ、またまた彼女の頭はオーバーヒート。今度は恥ずかしさで。さっきまでの決意文がとても恥ずかしいことにようやく気付いたのか、ソレは脳内で全て焼き払った。だから彼女は、本能のまま言葉を吐き捨てる。

「と、当然じゃない! どうしてこのあたしが、あんたのためにここで待たないといけないのよ! 毎日毎日毎日あたしの前に現れて……どうせなら引っ越しなさいよ!」
「ごめん、それは無理だよ。でも登校の時間をズラすことぐらいは――」
「そ、そこまでしなくても良いのよ?!」
「え? でも引っ越す方が大変じゃあ――」
「いやでも、あたしのためにあんたが時間をずらすのは間違ってるし」
「そうでもないよ。僕が少し、苦労とも言わない苦労をするだけで、伊沢が助かるなら全然――」
「いいから! あんたはこのままの時間でいいのっ!」
「でも――」
「でももへったくれもない! あたしが良いって言ったら良いの! こうしてあんたと登校するのは別にイヤじゃないしっ!」
「えっ?」
「あ、いや、その……ほら! さっさと行かないと遅刻するわよっ!」

 顔を真っ赤にしながら周二の前を歩く彩陽。

  顔が熱い。とても恥ずかしい。自分は何を口走ろうと…………いや待って、あたしは元々、そういうのを言うために、今日もこうして待っていたんじゃなかったっけ?

 ……ああ〜〜〜〜〜……! またミスった〜〜〜〜〜〜……!! 確かにあの決意文は今思えば恥ずかしいけど、だからって今の発言は余計に無いじゃん!! 何やってんのよあたしは〜〜〜〜〜〜〜……!!!

 頭を抱え、大きく上下に動かすという不気味な動きをしながらの自責の念。これもまた、毎日の儀式。

「あ、待ってよ伊沢! 今日はゴミの日なんだからっ」

 学生カバンを持つ手とは反対に持った大きなビニール袋。周二が生活をする上で発生した不良品が詰まったその袋こそ、周二が先に部屋から出てきたのに、後に部屋から出てきた黒人さんが、彩陽の前に現れることになった要因。

 つまり、このゴミ袋を取りに部屋まで戻ったことが先程の出来事の原因。そのことに彩陽は、最後まで気付かなかった。

 

 

 

 季節は夏休みに入る少し前、とっくに期末試験も終え、夏休みをまだかまだかと待ちわびている、そんな時期。学校側もヤル気が無くなってきているのか、とっくに授業は短縮されており、それにともない生徒と先生のヤル気は八割方削がれている。

 ちなみに残っている二割は、ヤル気を削がれた先生の授業を真剣に聞こうと励む生徒と、自分は教師だと誇って辛うじて頑張っている先生で占められている。

 

 

 

「そう言えば明日の夏祭り、あんたは行くの?」
「明日? 夏祭りなんてあるの?」
「あるわよ。ほら」

 と、登校途中にある電柱。そこに張り出されている夏祭りの広告を指差す。場所は学校から三分ぐらい歩けば見えてくる藍島神社。日にちは……確かに明日になっていた。

「ホントだ。気付かなかった」

 止まって張り紙を見ていた周二達は歩みを再開する。

「それでどうするの? 行くの?」
「んん〜……周にぃに聞いてから考えることにしようかな」
「そんなの、あんた自身が行きたいかどうかでしょ?」
「でもあの時間、周にぃとの交代時間も入ってるし」
「あ、そっか……」

 少しだけ落ち込む彩陽。おそらく彼女としては、周二と一緒に祭りを見て回りたかったのだろう。それが不可能に近いと知ったから……落ち込むのは当然なのかもしれない。

「伊沢は行くの? お祭り」
「うん。まぁ、友達に誘われてるし」

 これは事実。でも、友達と一緒に行くのを承諾した訳ではない。

 実際彼女も、この祭りの存在を知ったのはつい昨日。友達に誘われて初めて知ったぐらいだ。

 それでまぁ、もし周二が行くようなら、友達の誘いは断り、一緒に行こうかな、と思っただけ。仕方が無い……昨日、用事が無いか確認してから返事をするって言って保留にしてもらったけど、大人しく友達と一緒に行くことにしようかな。なんて悲しい結論に辿りつき、ため息。

 その様子を見た周二は何を思ったのか――

「そっか。伊沢が行くなら、僕も行きたいって周にぃに頼んでみようかな」

 ――そんなことを言ってきた。

「えっ?」

 思わず耳を疑う彩陽。

 あたしが行くなら一緒に行く? それってつまり、あたしと一緒じゃなかったら行かないって事? それとも何? 気を使ってくれたの? あたしが見るからに落ち込んだから、気を使ってくれたの?

 なんて、またまた脳内が軽いパンク状態になる。

「だってお祭りってことは、伊沢、浴衣で行くんでしょ?」
「えっ? うん、まぁ……」

 もちろんウソ。昨今の時代、わざわざ祭りに浴衣を着ていく女性は少ない。もちろん伊沢だって、友人と行くのなら着ていくつもりはまったくなかった。もっとも、周二と一緒なら着ていっただろうけど……。

「それじゃあ、やっぱり行ってみたいよ。だって伊沢の浴衣姿って、絶対可愛いだろうし」

 屈託無い笑みを彩陽に向けながら、周二はそう話を締めくくった。その言葉に、その笑顔に、彩陽の体温は沸点を超えた。

「ちょっ、何言ってるのよ! そんなやましい理由で夏祭りに行くつもり?!」
「え? うん。だってそうじゃないと、行く意味ないし」
「あるでしょ?! 出店とか、金魚すくいとか!」
「金魚すくいも出店なんじゃ……」
「細かいことは良いの! 要は何?! 女の浴衣姿を見たいから祭りに行くって言うの?! やらしいっ!」
「違う違う。確かにやらしいかもしれないけど、伊沢の浴衣姿が見たいから夏祭りに行くの」
「えっ?! あっ……!? えぇっ?!」

 もはや頭は回転しなかった。熱が回りすぎて機能停止。オーバーヒートとはまさにこのこと。道端で倒れてもおかしくないぐらい、彩陽の体温は上昇していた。

 最もこの周二の言葉、別に恋愛感情からくるものではないだろう。

 家族と同じ高さにある、好きという気持ちからの言葉。

 別に口説こうとか、そういう気持ちが彼にはまったく無い。純粋に、ただ純粋に好きだから、さっきみたいな言葉を言っただけ。

 体が欲しいとか、心が欲しいとか、そんなものが全く無い。つまりそこに、下心なんてまったくない。ただ、見たいから見たいと言っただけ。

 家族と同じ高さの、好きという感情で。

 

 

 

あとがき:
赤城周二と伊沢彩陽の関係についての話ー
まぁ、幼馴染で、女の彩陽が一方的に恋愛感情を抱いてる、っていう、ありきたりな設定なのだが(汗

周二が彩陽に恋愛感情を抱いているか

その部分は、文章上家族と同じ高さにある“好き”という風に書いてますが、勘違いをしないで欲しいです
あくまで同じ“高さ”なだけで、同じではありません
現に皆さん、自分の姉・妹、ないし兄・弟、いないなら父親・母親の浴衣姿を見たいと思いますか?
もし思ったとしても、ソレを本人に言いますか?
要は、兄弟姉妹・親子などに感じる愛情と一緒じゃない、と、そう思ってくださればとてもうれしい

俺の書き方が下手だから、こうして補足しとかないといけないってのは……
ホント、まだまだ未熟な証拠です(汗