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「前もこんなこと聞いた気がするけど……本当に、これで良かったの?」
「ああ、良いんだ。これで」
な、堀井。と、隣に佇む後輩へと声をかける。
白の世界に佇む、半透明な体をした、銀糸のようにキレイな髪をツインテールにした少女は、その小さい体に反した達観した表情のまま頷く。
……そう……これで良い。
俺は、雪音の幸せを望んだ。堀井は、桐生の幸せを望んだ。
だからこそ、これで良い。
「わからないわね。どうしてあなたが私に対価を払ってまで、あの女の子を幸せにしたかったのかを」
「何だお前、それなら前にも言っただろ。……アイツは――雪音は、何度も生まれ変わってきて、始めて出来た妹だってな」
俺が宿す『水の刻印』。こいつは宿しているだけで、俺の記憶と記録、全てを魂の中に保存したまま、魂の原泉へと送り届ける。
死んだ者の魂は、等しく『魂の原泉』へと送り届けられる。その際強い未練があれば、こうなる前の堀井のように、幽霊という存在として世界に留まり続けることになるが……それもまた「バニッシャー」と呼ばれる存在に滅されたなら、本来の魂のように『魂の原泉』へと送り届けられる。
その後は、すでに混ざり合い、溜まったその源泉の中に溶かし込まれ、同じように混ざり合わされて、一つの新しい魂を創りだす。
それこそが、普通の人間に宿る魂なのだ。
だが前述した通り、『水の刻印者』である俺は、その工程をスルーする。
正確には、『魂の原泉』へと送り届けられるが、すでに混ざり溜まっている魂とは、一切混ぜられることが無いままになる。
だからこそ俺は、双子でありながら、こんなにも雪音と見た目が違う。
背の高さ、性格、顔の造り、その全てがまったく違う。
……何故なら、俺は生まれた時からすでに、魂の中に身体の情報が蓄積されているからだ。
記憶と記録が魂に保存されるとは、そういうこと。
生まれて学んできた全ての知識ともいえる記憶。生まれてから成長してきた全ての身体の記録。
その二つを宿すということ。
だから俺の見た目は、雪音とは似ていない。だって生まれた段階で、俺の身体の成長が定められてしまうのだから。
どういう風に成長して、どういう見た目になるのかを、定められてしまうのだから。
もちろん見た目だけじゃない。
頭の出来だってそうだ。
死ぬ前まで学んだこと全てが知識として蓄積されている。それはつまり、もし生まれてすぐにでも声帯機能があれば喋ることさえ出来るということ。
……ま、何度も生まれ変わる過程で一度だけ天才児ぶってみたこともあるが……とんでもなく疲れたから二度とやろうとは思えないが……。
……そんな、何度も何度も生まれ変わって、何度生まれ変わったのか忘れて、この『水の刻印』を誰から譲り受けたのかすらも忘れてきた今、初めて妹が出来た。
それが、雪音だ。
兄や姉が出来たことはある。
だが俺が受け継いでいく知識を用いて、優位に生きていく上での必要最低限の知識を見せびらかしただけで、ひがまれた。
……まぁ当然だろうとは思う。自分の親が、今まで自分に向けてくれていた視線(め)を、自分より後に生まれてきた存在に奪われたのだ。
そりゃ憎くもなると思う。
それなのに……妹だけは違った。
雪音だけは、違ってくれた。
彼女は俺のその姿を見て、尊敬のまなざしを向けてくれた。
双子で、ほんの少しだけ早く生まれてきただけのくせに……なんてひがみ、まったく持ってくれなかった。
純粋に、尊敬してくれた。
それが何よりも嬉しくて……たぶん、『水の刻印』を受け継いで、始めて嬉しいと思ったことで……それほどまでに、今まで殺伐とした人生だったのだと認識させられるほどで……。
だからこそ、俺にとって一番大切な存在なんだ。俺にとって、俺自身を犠牲にしてまで幸せにしたい存在なんだ。
……忘れるほど生まれ変わった俺にとって、俺自身の命なんてとてつもなく軽いのかもしれない。だからこんなにも、あっさりと、自分の命を犠牲にして、なんて言葉が出てくるんだと思う。
……だが、それが何だというんだ。軽くなろうと、自分の命よりも大切なものなんて、そうそう見つからない。
増してそれが、生まれ変わり続けることで積み重なった、兄弟関係という嫌悪感の塊だった存在への幸せだなんて……。
……だからこそ、大切なんだと思う。
あの、積み重なった嫌悪感を、一気に払拭した妹が。
「それでは『天の刻印者』、後は頼むぞ」
堀井とは反対側の隣に立つ、ローブ姿の見た目少女へと声をかける。
……そう、大切だからこそ、このまま終わらせてはならない。
確かに雪音は、桐生のことが好きだ。そのことに気付いたからこそ、山登りの待ち合わせの時、二人きりにさせるために雪音と早めに出る約束をしていたのだ。……ま、無駄足に終わってしまったがな……。
ともかく雪音は、桐生と出会い、話すようになってから、恋愛対象として好きになっていた。
……だが、恋愛対象を抜きとして好きになった他人なら、他にいる。
……堀井癒枝だ。
彼女こそ、俺の知らぬ間に閉じこもってしまった雪音と会話した、初めての他人なのだ。そしてそれが可能になったのは……雪音が、堀井のことを、好きになったから。
もちろん前述した通り、恋愛対象としてではない。友人としてだ。
……詰まるところ、何かがあって閉じこもってしまった雪音に出来た、初めての友人なのだ。
だからこそ、このままで終わらせてはならない。癒枝をこのまま、桐生と雪音、二人と引き離していけない。
だって、雪音の真の幸せは、桐生と堀井と三人仲良く、ずっと一緒にいることだろうから。
「わかったわ。ま、後はまかせておきなさい」
こちらへと視線を向けず、空を仰ぐように上を向く。
しかしながらその瞳は、闇を蓄えるかのように硬く閉ざされていた。
「それじゃあ堀井……お前に、俺の全てを託す」
その言葉に、白髪を振り乱しながらこちらへと視線を向ける。
その小さな口が、何かを言おうと開きかける。
……だが、そこまでだった。
俺が、この白の世界にいられたのは。
堀井が、この白の世界にいられたのは。
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「……主様(あるじさま)」
「なに?」
「本当に、これで良かったんでしょうか?」
「良いんじゃない。……本人達が、望んだことなんだから」
目の前に佇む、『天の刻印』を受け継ぎし我が主。
その口から発せられる言葉は、いつも他人へと向ける妖艶なものではなく、何処か虚ろな、何かを考えているかのような口調だった。
あの『水の刻印者』が、我が主に望んだこと。それは、ここに連れてきたあの少女を、ある条件が整った場合のみ、もう一度生まれてくるように調整してもらうこと。
『水の刻印』が水の操作をするように、『天の刻印』は天を操作する。
でも、天だからと言って空を操作するわけではない。
……人が死ねば、魂は天に昇るという言葉はあまりにも有名。主(あるじ)に生み出されて一年にも満たない私ですらが知っているその言葉。
……つまり『天の刻印』とは、人の魂を操作すると言うこと。
でも……だからと言って、『魂の原泉』への通過をスルーさせることは出来ない。
あくまで『天の刻印』の力を用いて行えるのは「完成した魂を、任意の場所に、一定条件を付加して、送り届ける」というもの。
故に……先程ここに連れてきたあの半透明の白髪少女に、『水の刻印者』はあるものを渡した。
「そう言えば我が主、あの少女へと明け渡された『水の刻印』は、いつどうやって回収されるおつもりで」
……そう、『水の刻印』を明け渡したのだ。
私達に協力を要請し、その交換条件として明け渡すと約束したソレを、あの少女に明け渡したのだ。
そうすることで、『魂の原泉』をスルーさせる。記憶と記録の双方を宿したままの魂を、作らせる。
一度死に、彼女は霊体に成った。
霊体とは、強い未練を抱いて死んだものが成れる存在。
そうして成った存在は、魂という器に、本来はありえないにも関わらず、記憶と記録を収めて世に残る。肉体という器がないせいで、普通の人には見えないだけで、この世に存在させ続ける。
故に、少年の左腕に、条件付きで宿り、あまつさえ肉体までも手に入れることが出来ていたのだ。
「そうね……どうしようかしら……」
相変わらず、いつも通りじゃないその口調。
「約束を違えているのですし、無理矢理にでも奪ってよろしいのでは?」
何を考えているのかわからないが、そんな主に向かって私は自分の考えを述べる。
「約束を違える……?」
「はい。私達が協力を頼まれたのは、自分が連れてくる魂を、ある二人の子供として生まれ変われるようにして欲しいというものでした。その魂に『水の刻印』が明け渡されるなど、まったく聞いてません」
「……ううん、それは違うわ。それは、ただ私達が、ちゃんと確認しなかっただけの話よ。だから……そうね、『水の刻印』を奪うのは、あの女の子が生まれて、ちゃんと成長してからになっちゃうわね。……全部、彼の思い通りにことが運んだのよ」
「彼の思い通り、ですか?」
「ええ。刻印者保持者が幸せになれないのは、保持した者全ての共通認識よ。私はまだ日が浅いからそんな認識無いけど……彼は何度も生まれ変わってたみたいだし、その認識は絶対にあったわ。……だからこそ、私達に『水の刻印』を奪わせるのよ。癒枝ちゃんがちゃんと生まれ、記憶と記録を受け継いだ肉体が、桐生くんと彼の妹の二人に届けられた時にね」
「しかもそうすることで、私達が二人の間に出来た子供があの少女だと、教えることになる……?」
「そういう狙いも確かにあるでしょうね。『水の刻印』を奪うためには、どうしても接触しないといけないし」
そう答える声は、相変わらず。
だから気になって、とうとう訊ねてしまった。
……容易に、主の心に侵入しないと、決められていたのに。
「どうかしたんですか?」
「ん?」
「先程から、調子が悪いようですが……」
「そうね……ちょっと、思うところがあってね」
「思うところ、ですか?」
「ええ。……どうして『水の刻印者』は、刻印を手放したのかな、て」
それは、どういうことだろう……?
だってそんなもの、大切な妹と言う存在を幸せにしたいから、仕方なしに犠牲にしたものではないのだろうか……?
そう私が考えている間も、主は言葉を紡ぎ続ける。
「彼は気付いていた。……いやまぁ、彼の方が刻印を保持してる総合年数が長いから当然なのだろうけど……」
「何に、ですか?」
「私がすでに、二つの刻印を保持していると言うこと。それと、この心情世界が、私の刻印と、そのもう一つの手に入れた刻印で、ようやく作ることが出来る代物だと」
……過去に一度、ある少女に呪いとしてかかっていた『土の刻印』を取り除いたことがある。
主はその刻印の力を用いて、この世界を創った。そして、そこに自らを存在させた。
ちなみにその呪いというのは、同姓に必ず嫌われるという、何とも人間本位なら呪いだったのだが……。
「そのことを知って尚、私に刻印を渡そうとした彼のことがわからなくてね……」
続く主の言葉。
……でも確かに、どうして二つの刻印を保持しているとわかったのに、主に刻印を渡そうとしたのか。
八つある刻印を全て集めた時、上にある世界をようやく目指すことが出来る。
それはつまり、刻印保持者全てを滅ぼして刻印を奪うことでしか目指せないと言うこと。
そんなライバル関係なのに、どうして刻印を、あっさりと渡したのか……。
……おそらく主の中には、そんな疑問が渦巻いているのだろう。
「妹を助けたいと言う気持ちはわかる。大切な人を助けたいと言う気持ちと同義だからこそ、わかる。でも……だからと言って、私に言葉と刻印を残したその理由が、わからない」
「言葉、ですか?」
「ええ。……お前なら、上を目指せるだろうさ。……なんて言葉よ」
刻印保持者は全てライバル。
主が暇つぶしに語ってくれた過去に、その言葉を残した人がいた。
……主の育ての親にして、主の一つ前の『天の刻印者』。
主はその言葉を信じ――おそらく本能的に理解し、歩んできたのだろう。
だからこそ、理解できないのかもしれない。
でも……だからと言って、私が答えを導き出せるものでもない。
だってこれは、主の心の問題だから。
「……わからないなら、本人に直接聞いてみてはどうでしょうか……?」
でも、だからと言って、このまま元気が無いままなのは、イヤだ。
だって私は、主に産み落としてもらったのだから。
「……どういうこと……?」
「『水の刻印者』の魂は、おそらくまだ『魂の原泉』へと辿り着いていないはずです。そこから無理矢理引っ張り出し、霊体として、あの少年に取り憑かせればよろしいかと」
主の疑問の言葉に、そう答えを返す。
この主の世界には、まだ霊体と取り憑きのシステムは備わっていない。あくまで、未練があって死んだ者が霊体になれるのは、あの世界だけなのだ。
そして他人に取り憑けるのも、あの世界だけ。
霊体がこの世界に来たいのなら、本人の意思で望んで主が来ることを承認するか、誰かに取り憑かれた状態で、セットでココに来るか……。
「主様の『天の刻印』の力を使えばソレは容易かと。そうすれば、『水の刻印』を例の少女から奪う際、一緒にこの世界にその霊体が流れ着きます」
「……なるほど……確かに、その方法があったわね……」
少しだけ、口調がいつもの妖艶さを帯びたような気がする。
「確かに答えをもらえる期間は長くなるけど……答えのわかる問題だと知っているなら、考える時間もまた有意義になるってもんね」
独り言のようにそう呟くと、私を見つめる主。
「ありがとう」
そして、お礼の言葉。
「今まで何度も、あなたの世話になってるわね」
「いえ、構いません。私はあなたに産み落とされたことに感謝していますので。その恩がお返しできるのなら」
本心からのその言葉をかけると、主は、まるで少女の様な、とても可愛らしい笑みを浮かべてくれた。
「さて、と」
その表情に見惚れていたのはどれくらいなのか。
気が付けば主は右手を掲げ、腕に三本の白い発光線を輝かせる。
それは、『天の刻印』の力を使った、何よりの証。
「これで大丈夫かしら。……さて、それじゃ、元『水の刻印者』が戻ってくるまで、また実験でもしてましょうか」
「はい」
「期待してるわ」
「ありがとうございます」
それは、私が産み落とされた時にした会話。
過去、霊感の強いある少年に宿した、自らの作った人格。その成長ぶりと、先程言った「呪いと化していた『土の刻印』」の様子を窺いに行かされた時にもかけられた、その言葉。
「それで、今回はどのような実験を」
頼りにされるのが少しだけ嬉しくて、急かすようにそう言葉をかける。
すると主は、ローブを翻し、少女のような笑みを携え、中性的な声音で、妖艶な口調で、言った。
「そうねぇ……他の世界に存在する“勇者”って存在でも、呼び出してみましょうか」