◇◆◇◆◇
……両膝と両肘を付き、顔を埋めながら、考える。
土下座をするようなその様は、奇しくも癒枝の線香をあげに行った時と同じ。
だが今は、あのときのように涙は浮かべていない。
だがその代わり、部長の言葉が脳内を駆け巡る。
……本当にアレは、真実だったのだろうかと。
……癒枝が本当に、部長の言った通りのことを思っていたのか……。
それがわからない。
だって直接、癒枝から聞いたわけじゃないのだから。
確かに部長は尊敬している。
もし、ああして無理矢理癒枝を奪おうとしていなかったら真に受けていたかもしれない、と懸念してしまう程、あの人の言葉や存在を、オレは信用している。
だがもし、それすらも、あの人の意図したことだったとすれば……?
いずれこうなった時のための準備だとしたら……?
……そんな有り得ない事まで考えてしまう。
……そう、“有り得ない”。
だってもし有り得たとしたら、部長はオレが必ず天さんと接触することを知っていたことになる。
『水の刻印者』だとか言っても、さすがにそこまでは予測できないと思う。
だってもし予測できたのなら、こうなる前に手を打っていただろうから。
そうわかっている。
……わかっているのに、考えてしまう。
それ程までにオレは動揺しているのだろうか。
……部長が言ったことがウソだとするなら、癒枝はオレと一緒にいたいと願ってくれていたということになる。
だからあんなに、部長相手に抵抗してくれたのだと思う。
でもそれは……昨日オレが望み、無理矢理癒枝を繋ぎ止めていたからとも考えることは出来る。
……癒枝の性格から考えるに、癒枝は部長相手に手を出すことを、そんなに望んでいなかったと思う。
もし率先して部長に手を出したがっていたのなら、癒枝自身からオレに話しかけてきただろうから。
……それだけでもう、部長の言葉こそが正しかったのではと思ってしまう。
でも……やっぱり、心の奥底では、そのことが認められない。
あっさり認めてしまったら、癒枝のことをそんなに大切じゃなかったのではと、考えてしまって……。
……結局のところ――
「――癒枝本人に聞かないと、何も分からないんだよな……」
誰にでもなく、一人になった部室で、小さく呟いた。
☆★☆★☆
覚悟をしろと言われた。
癒枝ちゃんから桐生くん奪ったかのように感じる、罪悪感の中生きる覚悟を。
……本当に、わたしにそんなことが、出来るのだろうか……?
……わからない。
答えが出ない。
自信がもてない。
……今までわたしは、兄さんに手を引っ張ってもらって生きてきた。
たとえ離れ離れになろうとも、たとえ繋いだ手がほどかれようとも、わたしの元に来てくれて、こんなわたしを導いてくれた。
だから……だからわたしは、今どうして良いのかわからない。
兄さんが覚悟をしろと言うのだから、覚悟はするべきなのかもしれない。
でもそれは……そんな覚悟をしてしまったら……わたしはもう、兄さんに手を繋いでもらえないんじゃないかと、引っ張ってもらえないんじゃないかと、不安になる。
……だって……罪悪感の中生きる覚悟と言うのは、一人で歩んでいく覚悟と同義だから。
何度も言うように、わたしは兄さんに手を引っ張ってもらっていた。
……だからこそわたしの失敗は全て、兄さんに降りかかっていたということ。
もしミスをしても「兄さんがここに導いたから」という、最大限の言い訳を用意してくれていたということ。
……甘え……。
まさにその通り。
わたしは、わたし自身の行動全てを兄さんに託すことで、わたし自身の行動で起きた全ての事柄を、兄さんのせいにしていた。
……兄さんのせい……違うかな。
だって兄さんは、わたしに良いものだけをくれていた。
兄さんに引っ張られた行動なのに、成功した手柄は全てわたしのものにしてくれていた。
そして失敗した事柄だけ、兄さんが背負っていた。
……こんなの、親が子供にしてやっていることと、何ら変わらない。
……わたしは兄さんに、おんぶに抱っこだったのだ。
……兄さんがそれを望んでいたのは事実。
でも、だからと言って、甘え続けていて良いものじゃないのも、また事実。
だからこそわたしは……覚悟が出来なかった。
ずっと弱いまま、兄さんに手を引かれて歩んでいたから。
そしてこれからも、そうして歩んで行きたかったから……。
……それに……どうして兄さんがそんなことを言い出したのか、正直分からなかった。
……でも……ようやくその意味が、わかった。
今目の前で、跪いているような、土下座しているような、膝と肘の両方を立ててうな垂れている、桐生くんの姿を見て。
……聞かなくても、わかる。
泣いてはいないものの、あれほど絶望しているのだから、わかる。
兄さんが癒枝ちゃんを奪い、去っていったのだと。
突然三人の姿が、瞬きの間に消えてしまった時は驚いた。
でも……不思議な話、驚いてはいたのに、何故か焦りはしなかった。急いで三人を探そうと思わなかった。
その代わり心にあったのは……このまま兄さんと会うことは無いだろうという、予感だけ。
どうしてそんな予感がしたのか……考えているうちに、桐生くんがああして戻ってきた。
……戻ってきて、予感が的中したのが分かって、兄さんがわたしに一人で歩いて行くように言った理由が、分かった。
……簡単な話。
兄さんはたぶん、もうじきわたしの元を離れることになるのを、悟っていた――もしくは、離れる可能性があるから、これを機に一人で歩かせようと思った。
……理由がわかったら、意外に心がスッとした。
そして、兄さんの為に、覚悟をしようと決めることが出来た。
……おそらく兄さんはもう、わたしの姿を見ることは出来ないと思う。
それでも……――いや、違う。
だからこそわたしは、最後の兄さんの願いを、最後の兄さんの想いを、最後の兄さんの背中押しを、実行したいと想う。
今まで、前を歩いて、わたしの手を引いてくれた。
そんな兄さんが――兄さん自身も不安だろうに、わたしの背中を押してくれた。
初めて後ろに回ってくれた。見送ろうとしてくれた。
……わたしの決断が遅かったせいで、兄さんはもう、わたしの後ろに立ってくれていない。別の道に無理矢理にでも進んでしまっている。
それでも、じゃない。
だからこそ、なんだ。
わたしの姿が見えなくて、余計に不安な兄さんのために。
今まで手を引いてもらった、頼りない妹のわたしが出来る、唯一の手段。
見てもらえないのは残念だけど、それでもわたしは、押してもらった背中をそのままに、歩みを進める。
たたらを踏んだ足をそのままに、ゆっくりと歩いていく。
手を引っ張ってもらわず、一人で歩いていく。
だって……そうしないと、大好きな兄さんのために、わたしは何もしてやれなかったことになるから。
せっかく引っ張ってもらったのに、全てが水泡に帰してしまうことになるから。
恩返し――ううん、もう返せないから、少し違うのかもしれない。
ここまで引っ張ってもらった恩は、もう、わたしの姿が見えない兄さんには返せないのだから、違うのかもしれない。
でも……気持ちとしてはたぶん、それが一番近い。
手向けとはまた違う、心の底から恩を返したいこの気持ちは、たぶんそう。
返せない恩だけど、もう届かない恩だけど、兄さんに返したい。
返せないと分かっている。
それなのに、返したいという気持ちが燻って(くすぶって)いる。
自己満足と罵られてもおかしくない。
欺瞞だとバカにされても何も言い返せない。
でも、この気持ちに偽りは無い。
……だったら、それで良いんだと思う。
だってそう想うことこそ、兄さんへの、最初の恩返しになると思うから。
そして最後の恩返しへは、これから歩んでいくのだから。
「桐生くん」
その一歩を今、たぶんわたしは、踏み出したのだと思う。
◇◆◇◆◇
自分の名前を呼ぶ声に、顔を上げる。
するとそこには、定位置に腰掛けたままの雪音さんがいた。
「……どうして?」
呟いて、思い至る。
雪音さんが消えていたのは、あくまで部長が、この空間を切り離していたから。
部長がいなくなり、切り離していた空間が元に戻ったなら、そうなるのは当然だったのだ。
「どうしても何も、桐生くん達がどこかに行っていたんでしょ」
雪音さんはそう答えると、悲しみの瞳を携え、おさげにした髪を心なしかシュンとさせ、それよりも、と言葉を継ぐ。
「兄さんと癒枝ちゃん……いなくなっちゃったのね」
「どうして……?」
どうしてそれを知っているのだろう。
「また“どうして”? 桐生くん」
「あっ……」
「ま、良いんだけど……そうね……簡単な話、桐生くんがそこまで落ち込むことなんて、それぐらいしか思いつかないからよ」
もしかして部長から話でも聞いていたのかと思ったが、どうやら違うらしい。
「……そうですか……」
「うん、そうなの。それで桐生くん、あなたはどうして、そこまで落ち込んでるの?」
「それは……」
言いかけて、上手く言葉が出なかった。
……どうしてだろう……? どうして上手く言葉が出ないのだろう……?
やっぱり、罪悪感があるからだろうか……?
昔好きだった、片思いの相手に、自分の好きな人の話をすることが……。
「……言えないんですか?」
ふと、敬語で問われて、気付いた。
その敬語の言葉が発せられるまで、雪音さんが敬語を喋っていなかったことを。
他人と話すことが苦手で、いくら親しくなった癒枝であろうとも、敬語で話していた雪音さん。
それなのに今は……さっきの言葉までは、敬語ではなくタメで話していた。
……もしかしてそれは……彼女の中で、何かが変わった証なのだろうか……?
それとも、変えようと努力している証なのだろうか……?
そして……そのどちらであろうとも……彼女はどう変わって――どう変わろうとしているのだろうか……?
「その、違うんです!」
慌てて否定の言葉を口にする。
だって……せっかく変化があったのに、また昔のように敬語に戻ったということは……変わること・変わったことに、自信を無くそうとしている証そのものだから。
昔の自分に戻ろうと、歩みを止めようとしてしまった、証だから。
それだけは、ダメだから。
「ただ……考えてしまって……」
「考える?」
「はい。……どう、言ったら良いのか、わからなくて……」
「……それって、兄さんのことで気を遣ってる?」
「…………」
実際はただ、片思いだった相手に、自分の好きな人の話をするのが恥ずかしいだけなのだが……。
「……そう、そういうこと。それなら安心して。わたしはもう、わかってるから。兄さんのこと」
オレの無言を、気まずいが故の肯定読み取ったのか、雪音さんはそう言葉を続ける。
「確かに、悲しくないって言ったら、嘘になります。今だってただ、桐生くんの前にいるから、強がって泣いてないだけ。家に帰ったら、たぶん盛大に泣いちゃうと思います。……それでもね……わたしはもう、兄さんのことを引きずらないって、決めたんです」
「……引き、ずらない……?」
「うん。大切な思い出だし、何より大切な兄さんだからこそ、引きずりたく無いんです。」
「どうして……?」
「うん?」
引きずらない、と言うことは、もう部長のことを、思い出さないということで……。
それはつまり――
「部長のことを、どうしてそんなにあっさりと、忘れることが出来るんですか?」
大切な存在だと、彼女は言った。
それだったら尚更、忘れられないはずだ。……今のオレのように。
昔の――癒枝を追いかけて死のうとした、オレのように。
「それは違うよ、桐生くん」
そんなオレの疑問に、雪音さんは首を振って答えを紡ぐ。
「わたしは、兄さんのことを忘れるだなんて、一度も言ってない」
「でも……!」
「“引きずらない”のと“忘れる”のとは、全然違うよ。……わたしはね、桐生くん。大切な兄さんとの思い出を“抱え込んで”、前へと進むの」
「抱え、込んで……?」
「そう。だって引きずったら、大切な思い出に傷がついちゃうじゃない。……わたしはもう、思い出に傷なんて付いて欲しくない。だから抱えて、前に進むことにしたの」
童顔な彼女に似合わない、でも何処かピッタリな遠くを見つめるような瞳を携え、雪音さんは言葉を続ける。
「それがとっても辛い事だって、わかってる。とっても難しいことだってのも、わかってる。……わたしは今まで、兄さんに手を引かれて歩いてきた。何の疑問も持たず、兄さんの辛さも考えずに、それが当然のように、歩いてきた。……でもそれが、大切な思い出なの。傷つけたくない思い出なの。だってそのおかげで、こうして桐生くんとも、癒枝ちゃんとも会うことが出来た。友達になることが出来た。……一人になったわたしに、一人でも進んでいける力を与えてくれた」
そこまで言うと、雪音さんは立ち上がり、オレの眼前へと歩いて来る。
だが視線はオレに合わせず、立ったまま、窓の外に広がる空へと向けられている。
オレはただ、そのまま続く彼女の言葉をBGMに、進むために覚悟した、その明るい表情を、見上げていることしか出来ない。
「だから……力の原動力とも言える、この手を引かれた大切な思い出だけは、傷つけたくない。だからわたしは、辛いと分かってても、一人で歩いていける。大切な思い出を守るためなら、何でも出来るから」
「……辛い、って、わかっているのに……?」
そう……それは確かに、辛いことだと思う。
抱え込む思い出が大切であればあるほど、その抱え込んでいる思い出に逃避したくなる。
その思い出を地面に置いて立ち止まり、その思い出を、ずっとずっと、眺めていたくなる。
そんな誘惑に晒されながらも、彼女はずっと、歩んで生きたいと、そう言っている。
……苦しい、その道を。辛いながらも、抱え込んだ思い出に押し潰されそうになりながらも、進んで生きたいと――足を前に出して生きたいと、そう、言っている。
「……そうだね……正直わたしは、まだ兄さんに手を引かれたい、って思ってる。今までみたいに、わたしを守って欲しいって、思ってる」
「だったら――」
「でもね、もう兄さんはいないの。思い出の中にしか」
「っ!」
「……休憩のために、昔の思い出を覗くのは良いと思う。燃料補給は必要なんだもの。たぶん、それぐらいは許されると思う。……でもさ……思い出の中にしかいない兄さんに縋りついて、抱え込もうと思わないで、ただダラダラと、その大切な思い出を引きずりながら歩いていくのって……イヤじゃない? だって……それじゃあまるで、その“大切な思い出”が、大切じゃない、って気がするの。大切な思い出を、自分の手で、ただの腐った思い出にしようとしている、そんな気がするの」
そこでしゃがみ込み、跪いたような格好のままのオレに、視線を合わせて、言った。
「大切なら、たとえ辛いと分かってても、抱え込んで、前に進まないと。傷つけないようにしながら、前に進まないと。だってそうしないと……その思い出をくれた皆に、悪いじゃない」
たぶん、会うことはもう、二度とない。
だから、自分が腐ろうと、向こうには関係ない。
……でも……確かに、雪音さんの言う通りなのかもしれない。
二度と会うことは無いだろうが、思い出の中の癒枝は、このまま何も考えず惰性で進んでいくオレを、許しはしないと思う。
……いや、絶対に、許しはしない。
大切な思い出だとわかっているのに、その思い出に縋りついて汚していくオレを、許すはずが無い。
だったらオレも……雪音さんのように、進んでいくしかない。
でも――
「――どうしたら、雪音さんのように、強く生きていけますか……?」
……そう、その自信が、無い。
雪音さんのように――たった今、大切な兄を失ったのに、強く生きようと覚悟している彼女のように、強く生きていける自信が、無い。
雪音さんが部長に寄せる信頼が、オレと癒枝よりも下だなんて、まったく思えない。むしろオレ達よりも強い信頼で結ばれていたと思う。
ただの兄妹じゃない。例
え一度離れても、もう一度再会することを約束し、ソレを実現した、本当の絆のある、そんな兄妹。
例え兄が『水の刻印者』であろうと、そんな事程度では、まったく絆は揺るがない、そんな兄妹。
……ソレを知っていたから、無意識下に気付いていたから、たぶんオレは雪音さんに、部長の本当のことを話していないのだと思う。
「……わたしだって、強くないですよ。ただ、大好きな後輩の前だから、強がってみせているだけ」
「……えっ?」
「だから、これからは互いに、支え合って生きていけば良いと思う。それぐらいなら桐生くんにも出来るでしょ」
支え合って……それは奇しくも、オレが抱いた、好きな人と歩んでいくための方法。
でも今は、そんなことよりも気になる言葉を聞いてしまったことに動揺してしまっている。
「いえ、その、確かに、それぐらいならオレにも出来ますが……一つ、気になることが……」
「ん? なに?」
「その……さっき言った、大好きな後輩、って、その……」
訊いている自分が恥ずかしい。おそらく顔も真っ赤になっていることだろう。でも、訊きなおさずにはいられなかった。こうなることが容易に想像出来ていたのに、だ。
「…………」
雪音さんは、微笑んだ表情のまま、無言。
だが次第に、その顔が朱に染まっていく。
「…………その……わたし、そんなこと、言った……?」
とてつもなく恥ずかしそうに訊き返してくる。
「はい」
その言葉に、正直に答える。
そんなオレの返事を聞いた雪音さんは、白い肌を真っ赤にさせながら、両手で顔を覆い――
「あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜……うん。……そうだよね。言っちゃたんだね。うん……。……まぁ、その、何て言うのかな……その、確かに、その通りなんだけど、うん。……えっと……」
――言い訳にもならない、そんな言い訳を口から漏らし続けていた。
その様は何と言うか……言葉では言い表わせない。
癒枝のことを頭の片隅で考えながらも、ただ一言、カワイイという言葉が踊り続けている。
今こんな状態でなければ悶えていたかもしれない。
「その……なんだろ……さすがに、こんなのは、ダメだろうから……その、ちゃんと言わせてもらうけど……その、桐生くん、わたし、あなたのこと、大好きです……!」
相変わらず顔を真っ赤にしながら、両手で顔を覆いながら、指の隙間でこちらを窺いながら、雪音さんは、最後の言葉だけ力強く、そう言った。
その言葉を受けてオレは、何ともいえない浮遊感が漂う。幸せで浮きそうな気持ちになる、とはまさにこのことなのだろう。
だって……片思いだった相手に――いや、正直な話、今でも好きなままの女の人に、告白されたのだから。
でも……この告白を受けて、良いものかどうか……?
……だってオレは、癒枝が好きだったのだから。
本当に、心の奥底から、あの女の子のことが、好きだったのだ。
それなのに、死んだらあっさりと他の女の子と付き合う……だなんて、癒枝に悪いんじゃなかろうか……?
そんな気持ちが、浮遊感に支配された心の中で沸き起こり、途端にオレの気持ちを沈めていく。
「癒枝ちゃんのこと好きなの、わかってます。でも、それでもわたしは、前に進みたいんです。自分のこの気持ちに、正直になりたいんです。……無理にわたしと付き合って、なんて、言いません。でもわたしは、桐生くんと一緒に、歩んでいきたい。一緒に、癒枝ちゃんとの大切な思い出を、共有していきたい。だってわたしも、癒枝ちゃんのこと、大好きだから。癒枝ちゃんなら、桐生くんと付き合ってたとしても、納得できてしまうぐらい、大好きだから」
もしかして……今までの言葉は全て、オレと付き合うための詭弁だ何て考えるのは、人間としてダメなのだろうか……?
癒枝との思い出を抱えて、雪音さんと一緒に歩ませるために、彼女自身が話したことだなんて考えるのは、ダメなんだろうか……?
……たぶん、ダメなんだと思う。
第三者がそう感じることは、たぶん構わない。
でも当事者であるオレがそんなことを考えてしまうのは、まだ癒枝との思い出を引きずっている、何よりの証なのだと思う。
抱えて歩もうと思えたのなら、そんな疑問を抱いてはいけないんだと思う。
だって、オレが部長のことを本当に尊敬していたように、雪音さんもまた、本当に癒枝のことを大切に思っていただろうから。
それなのに……雪音さんが、そんな癒枝を貶めるようなことを言う訳が、ない。
こんな話しの流れになったのは、本当に偶然なのだと思う。
……いやもしかしたら、こうした最後の流れもまた、部長の差し金なのかもしれない。……あの人ならやりかねないからなぁ……と言うか、そう思えるほど、オレはあの人のことをスゴイと思ってたのか……。
そんな、改めての自分の気持ちに、思わず苦笑してしまう。
「あの……桐生くん……?」
苦笑するオレの態度に疑問を感じたのか、それともいつまで経っても返事を出さないオレにシビれをきかせたのか……。
……まぁ、どちらでも良いか。カワイイことには変わりないんだし。
「雪音さん」
癒枝……ゴメン。
オレみたいなのを、せっかく好きになってくれたのに、ゴメン。
でもオレは……お前のこと、忘れないから。
お前に抱いたこの気持ちも、忘れないから。
だってこの人は……そのことを、許してくれるから。
……そんな彼女だから、好きになったのだから。
……お前と、同じぐらいにさ。
「オレも、あなたのことが――」
お前に抱いたこの気持ち。
お前が抱いてくれたオレへの気持ち。
その全てを抱え、オレはこの人と一緒に、生きていく。
……別に、お前が望むなら、オレを呪ってくれても構わない。
それすらも抱えて生きると、覚悟してるから。
……お前と、彼女のおかげで。
「――大好きです」
オレもまた、彼女と共に、ようやく一歩を踏み出せたのだろうか……?
誰かの色の反映ではなく、自分の心の色を、映し出せているのだろうか……?
……わからない……わからないが、これで良いんだと思う。
だってこんなにも、心が清々しいのだから。
「これからもどうか、共に歩んでいって欲しい」
そう……ここからだ。
全てを引きずらないよう、全てを抱え込み、生きていく。
ようやく気付いた自分の心を、ありのままに、映し出していく。
……捨てた訳じゃない。
忘れた訳じゃない。
だから……さぁ、思い出として共に歩んでいこうじゃないか。
なぁ……癒枝。
なぁ……部長。
オレと彼女と一緒に、四人一緒に進んで行こうじゃないか。
困難なこの未来(みち)も、過去(ふたり)との思い出があれば大丈夫。
だから……さぁ、二人とも。こんな生き様しか出来ないオレと、支え合ってくれると言ってくれた雪音さん共々、どうかこれからも――
「それが、オレの気持ちです。……だから雪音さん、どうかオレと――」
――付き合ってください。