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「はぁ……まさか、癒枝ちゃんがあんな形で戻ってくるだなんてねぇ……」
一人と一つの存在が出て行ったドアを見つめながら、彼女は独り言のように言葉を放つ。
「そうだな……本当に予想外だ」
その言葉に返事をしたのは、同じ空間にいる兄。
「確かにこの場はこうなるのが一番良かったのだろうが……しかし……」
出て行った二人がまた居た、その時からずっと考え事をしていた彼。
「どうかしたの? 兄さん」
そんな彼が思わず呟いたその言葉が気になったのか、妹は彼へと視線を向けて問いかける。
その妹からの目を見つめ返しながら、兄はその真剣な表情のまま疑問をぶつける。
「なぁ雪音。お前は、本当にこれで良かったと思ってるのか?」
「え、うん。だって癒枝ちゃんは、私の一番の友達だもの」
ウソだと、兄はすぐさま見抜いた。
……いや、ウソではないのだろう。心の中では確かにそう思っている。
でも同時に、心の中にまた一つ別の思いがあるのを、隠してもいる。
僅かに……本当に僅かに視線を逸らしたのが、何よりの証拠。
おそらく兄という立場で無いと気付けなかった、その僅かな動揺。
「そうか……なら、良かったのかもな」
だが気付きながらも、あえて指摘しない。
だって、ああして言った本人が、おそらく一番気付いているだろうから。
でも……指摘しない代わりに、ある思い付きを実行しようと、腹を括っている。
そう……部長らしく、そして兄らしく、全員を幸せに、自分が思いついた、自分にしか出来ない、ある方法を。
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「ごめん、委員長。待たせたかな?」
「ううん、私も今来たとこ」
放課後、そのまま癒枝や雪音さんと一緒に話し込んで終えた部活の後、約束通り校門前を訪れると、そこにはすでに彼女の姿があった。
「そう? 気遣ってない?」
「まさか。ま、確かに二・三分は待ったけどさ。でもそんなの待っただ何て言わないじゃん」
もちろん癒枝は、小指に指環を嵌めることで姿を消さしている。
「そりゃそうだ。そう言えば、部活の調子はどう?」
「ん〜……普通かな? ま、試合までには完成させるけど」
夕陽に照らされる道の中、彼女は微笑みながら言葉を紡ぐ。
「ま、それじゃあ行こっか。こんなとこにいても仕方ないし」
「えっ? 何処に行くの? だって話があるんじゃ……」
「校門前で話すことでもないし、帰りながらで良いよ。それにさ、私部活後で喉渇いてるし小腹も空いてんだよねぇ。だから駅に行くまでの商店街で早く何か買いたいし」
「わかったわかった。委員長さんの頼みなら聞くしかないね」
「うむ! わかればよろしい!」
「……どうでも良いけど、委員長が買い食いとかして良いのか?」
「さあ? でも買い食い禁止なんて校則、高校生にもなってないでしょ」
「いや、でもウチ、一応私立だしさ」
「私立でもバカなとこと賢いトコがあるじゃん。んでウチは、間違いなくバカなとこだよ」
なんて、どうでも良い日常的な会話をしながら、夕陽で照らされた帰り路を二人並んで歩いて行った。
◇◆◇◆◇
「んん〜……悩むなぁ……」
「……何を?」
「ソフトクリーム、食べるべきが食べざるべきか……」
「いや、もう食っちまえば良いんじゃね?」
「いやだって……私これでも女の子だよ。体重とかカロリーとか色々気にすんだって」
委員長のその言葉に、盛大にため息。
そのオレの様子に、えっ? 何? と事情がわかりきってない表情で見てくる。
その様子にまたため息を吐いて、仕方無しに理由を話してやる。
「いやあのね……すでにタコ焼きやらタイヤキやら回転焼きやらコロッケやらハムカツやら駄菓子のチョコやら食っといて今更カロリー気にしてるも何も無いと思うんだけどさ。」
「えぇ〜っ?!」
いや、そんな大仰に驚かれても……さすがのオレもタイヤキまでしか付き合いきれ無かったって……。
「んじゃあやめとこっかなぁ〜……」
…………はぁ……仕方ない。
「すいません。バニラ二つ、お願いします」
「えっ?」
「ま、オレが奢るから。体重とかカロリーとかは後で後悔してくれ」
そんな心底残念そうな顔されたらオレが悪いみたいじゃないか……。
「そ、そんな悪いって! お金は私も出すから」
「良いって。オレだって食べたかったし」
と、店員から渡された二つのソフトクリームを、手の中で準備していた二百四十円と交換して受け取る。
「はい、んじゃこれ」
そのうちの一つを委員長に手渡そうとする。が、何故か彼女は受け取らない。
両手を前にフリフリして拒否の仕草をするその姿に、思わず眉根を寄せてしまう。
「何でいらないんだよ。食いたかったんだろ?」
「そうだけど……その、やっぱ奢ってもらうのとか、悪いし……」
「そういう誠実なところは委員長らしいけど、構わないから食ってくれって。さすがに二つも食えん」
「でも……」
「ああ〜……んじゃこうしよう。これは、最後の買い食いにする約束の対価って事で。条件としてあげるんだから、これで文句無いだろ?」
「うん、と、じゃあ、遠慮なく、いただきます」
「おう、早く取ってくれ。さすがにずっと握ってた中が溶けてきちまう」
「あ、うん。あの、その……ありがと」
「良いって良いって」
「本当にお金、渡さなくて良いの?」
「だから、対価だから良いんだって」
まったく……妙なところで真面目だな……委員長は。
そんなことを思いながら、クリームをかじるように口の中へと収めていく。
ふと隣を歩く彼女を盗み見れば、ちゃんと遠慮すること無くコーンの上に乗っているクリームを舐め取っている。その、さくらんぼのように真っ赤でキレイな舌の上に乗せられ、口の中に消えていくクリームを思わず凝視してしまう。
「ん? どうかした?」
と、気付かれてしまった。
キレイな舌だね……なんて言える訳も無いので、いや別に、と何も考えていなかったかのように振舞う。
「そう言えば、どうして私がバニラを食べたがってるってわかったの?」
横顔を見上げられていることに気付きながらも、その言葉と仕草が妙に恥ずかしくて、視線を前に固定したまま言葉を紡ぐ。
「そりゃほら、タイヤキとか回転焼きとか、全部カスタードだっただろ?」
「え? なんでそれでバニラだと思うの?」
「いやだって……何となくニュアンスは似てんじゃんか」
「似てるかなぁ……」
「まぁ確かに味はそんなに似てないけどよ……」
とか何とか話しながら――味の評価をくだしたりしながら、食べながら歩いていく。
そうして駅前に着く頃には、二人ともとっくに食べ終えていた。
「ってそう言えば、委員長の話って何なの?」
オレは歩きで家に帰るので、委員長とはここで別れることになる。それなのに、今日誘われた“話”とやらをまったく聞いてない。
……世間話やら買い食いやらで時間潰れてたもんなぁ……。
「ああ、うん。……じつはさ、その……言い難いこと何だけと、ほら、桐生君とずっと一緒にいたあの子、死んじゃったじゃない」
地下鉄へと続く下り階段。オレへとその表情を見せないためかその階段を見下ろしながら、彼女は本当に言い難そうに言葉を続ける。
「そんでさ、始業式のときは桐生君も入院しちゃってるって話しだし、一昨日は登校してきたかと思ったら今にも死にそうな顔してたしさ……だから、その、心配しちゃって」
「……オレが……死ぬかと思って……?」
「……うん……」
「……それで、その……こんなことを……?」
「ん……まぁ、ね……」
……そうか……一昨日、クラスの中で誰も声をかけてこなかったあの日――癒枝が生きているかもしれないと無意識に思っていたあの日から、彼女はずっとオレを気にかけてくれてたんだ。
一日休んだら、いつも通りになって戻ってきたオレ。
……癒枝が異質状態とはいえ蘇っていることを知らない彼女はきっと、オレが空元気で無茶をしているとでも思ったのだろう。……それこそ、本当に死ぬ直前の――激しく燃える、消えかけのロウソクみたいな存在だと思ったのだろう。
……いや、思ってくれていた。だからこうして街に繰り出させることで、元気付けようとしてくれた。
「……おいしいものを食べれば、元気が出ると思ったのか?」
「うん……まぁ、そんなとこ」
「そっか……だからそんなにも沢山食べて、おいしいってのをアピールしてたのか?」
「そう……かな。……うん、そう。だってそうしたら、自分はまだ死ねない、って、桐生君が考えてくれるかと思ったから」
「……まったく……無茶しやがって……」
いまだ後ろ姿の彼女へと呆れたように呟くも、内心はかなり嬉しかった。
だってそうしてまで、オレをこの世界に留めたいと思ってくれているから。
でも……ふと思う。
こうして彼女の気持ちが嬉しいのは、オレの心が喜んでいるからだろうか? それとも、癒枝によって塗られた、この心の外壁が喜んでいるだけなのか……。
……いや、どちらだって構わないのかもしれない。
だってどっちにしたって、今のオレの心であることには、変わりないだろうから。
癒枝の色だろうが、癒枝のおかげで維持できている色であろうが、オレの中にある限りは、オレの心に変わりないのだから。
そう……構わないはずだ。
だから今は……この心から湧き出る気持ちを、素直に表現しよう。
「でも……ありがとう、委員長。めちゃくちゃ元気出たよ」
満面の笑顔を携え、彼女へと微笑みかける。相変わらずこちらを向いてくれないけど……それでも、オレの気持ちは伝わってくれたと思いたい。
「……はぁ……何だかなぁ……」
と、今まで下を向いていた彼女がふと、上を仰ぎながらそんなことを呟いた。
「ん? どうかしたか?」
意味が分からず訊ね返したオレに、彼女は一度首を左右に振って、相変わらず表情は見えないが、少しだけしょぼくれたように言葉を紡ぐ。
「いやね、そんなバカ正直にお礼言われちゃうと、裏があって行動してた自分自身の卑怯さが情けなくて……」
「裏があって……?」
「そ。んま、わかんないなら良いんだ。もう言う気も無くした――って言うか、これ以上自分を卑怯者にしたく無いし」
「……?」
意味が分からず首を傾げるしかない。
「このタイミングだと、やっぱあなたに付き添ってたあの子に悪いし」
「癒枝に……?」
「うん……。やっぱ私は、卑怯者にはなれないみたいだし……。……ま、良いや。……うん、そうだよね。やっぱこんな卑怯なのは、私らしくないよね」
まったく理解できていないオレを放置して一人結論に達したのか、彼女はこちらを、満面の笑みを携えて振り返って、言った。
「それじゃあ桐生君、今日はありがと。また明日から、よっろしく〜」
一方的に機嫌良く、片手を上げてそう言うと、彼女は階段を掛け降りていった。
◇◆◇◆◇
「結局、あの人は何を言いたかったんだろうなぁ……」
帰り道、思わず疑問が口から出る。
だって、いくら考えても分からない。
なんで彼女が言いたがっていたことをバカ正直に言ったからって癒枝に悪いのか……?
委員長には癒枝が(特殊な状態とは言え)蘇ってることは言ってない……だから、オレの近くに癒枝がいることいることも知らない。
そもそも今は見えもしない。
それなのに、オレにその言葉を伝えたら、居もしない癒枝に悪い……? 委員長自身が卑怯者になる……? ……んむぅ……まったくわからん。
……まぁ、今は深く気にしすぎても仕方ないか。ぱっぱと家に帰って、癒枝とこれからのことでも話し合うか……。
「ただいま〜」
鍵を開けて家へと入る。と、家の中から突然、ドタドタと激しい音を打ち鳴らしながらこちらへと迫ってくる二つの足音。何事かとしばし呆然としていると、一枚の紙を持った妹が――
「ちょっとアンタ! これってどういうことよ!」
――ソレを突きつけながらそんなことを叫んできた。
その見覚えのある紙を受け取り、中に書かれた字を読もうとして、気付いた。
「なんで……なんで死のうとなんてしてるのよっ!」
これは昨日、オレが書いた遺書だってことを。
今までずっと、存在すら――書いたことすら忘れていた遺書だってことを。
妹の叫びを――泣きそうな声での叫びを、ただオレは、黙って聞いていることしか出来ない。
「癒枝って人が、あんたにとって大切な人ってのは分かる! でも……でも! だからって! あたしとお母さんを置いて、死のうとなんてしないでよっ! ……あたしたちに、ぐぅっ、とっても……! あんたは……うっ、大切、っ、なんだからぁ……!」
泣き出しながらも、吐き出されている言葉。涙と共に吐き出されている言葉。
オレはそれを、ただ黙って聞いているしかなかった。
ふと、昨日書いた自分の文字を眺める。
『癒枝が死んだ。この世界にはいたくない。
だから死ぬ。
ゴメン。
二人に迷惑をかけてゴメン。
その償いが出来なくてゴメン。
でももう、生きていくのは辛いから。
ここにいるのは辛いから。
だからどうか、見逃して欲しい』
そんな、絶望の中で書いた文字を。
「辛くても……! あたし達じゃ、支え、られ、なくても……! 支え、られるよう、っ、努力するからっ……!」
妹の後ろを見れば、そこにはスーツ姿の母の姿。
おそらく、オレの部屋に置いたままだったこの紙を見つけた妹が、混乱する中母の仕事先に連絡したのだろう。
そして仕事も放って、家に帰ってきた。
帰ってきてくれた。
「だから……! 簡単に、死ぬだなんて……言わないでっ!」
涙を流し、鼻水を拭き、いくつもでる嗚咽の中、妹はそう訴えてきた。
訴えてくれた。
……こんな、死のうとなんてした、オレなんかのために……。
「……ああ……ゴメン。死のうとして、本当にゴメン」
その妹の頭に、手の平を乗せる。
いつもはそんなことさせてくれないのに、今日は大人しいまま。
うつむくその姿を見ながら、部室の中でも思ったことを、改めて思い出していた。
……そう。癒枝が蘇ってくれて、良かったと。
だってもし、癒枝がこんな状態とはいえ蘇ってくれなかったら、オレは今頃死んでいたのだ。
妹と母親に、これ以上の心配と悲しみを与えていたんだ。
……そうならずに済んで、本当に良かった……。
「こんなこと言っても説得力ないかもしれんが……オレはもう、絶対、自分から死のうだなんて考えない」
部室の仲間と、クラスの友人と、オレの家族と、その全員と触れたから、オレは誓う。
二度とこの幸せを、手放さないと。
そのためにも癒枝を、どんなものからも守ってみせると。
「お前と、この家族のために……そして何より、オレ自身のためにも、絶対にだ」
癒枝の色を塗っただけの外壁、その何も無いものを守る外壁は、相変わらず何も無い空間を囲っている。
でも……中に何も無かろうと、他人の色を塗った外壁だけの存在であろうとも、外壁がそう思ってくれるのなら、ソレに従うのはおかしくない。
たとえソレが、外壁に色を塗った存在を守るだけの誓いであろうとも。
「だからさ、ほら、もう泣くな」
わしゃわしゃと、頭に乗せていた手で髪を撫で回してやる。
そこまでされようやく、妹は手を避けるように頭を退け――
「うっせぇっ! このバカ兄貴がっ!」
――泣き顔のまま怒声を浴びせ、洗面所へと駆け込んでいった。
その様子を一通り見つめた後、母さんへと視線を向け――
「本当に、心配させて、ゴメン」
――深々と、頭を下げながら謝った。