☆★☆★☆

 

 

 良かったのですかと、私は問いかける。

 

「いいのよこれで。後はそう……向こうがどう動いてくるかよ」

 

 どう動いてくるか、ですか?

 

「そう。……引き続き監視してて頂戴。反応があったら、何かしらのことはしてくるでしょう?」

 

 だから……あの子を助けたのですか?

 

「まぁ、ね。でもこれも、実験の一環なのよ。だったら別に構わないじゃない」

 

 全てを話さないのは……ウソにならないと……?

 

「桐生君には二つの実験のうち一つを喋っただけ。もう一つの実験はそうね……言っても理解できないだろうから言わなかっただけよ」

 

 そう、ですか……。

 

「あら? 何か不服かしら?」

 

 いえ、そんなことはありません。

 

「なら良いじゃない。それじゃ監視の方、お願いね」

 

 ……はい。

 

 

☆★☆★☆

 

 

 ゴン! とした鈍い衝撃。頭から落ちたのか、その衝撃は脳天からオレを刺激する。

 ……にしても、えらい高いところから落ちた割に、そんなにダメージは無いな……。あの腕を切られた時と同じ衝撃を覚悟していたのに、意外に呆気ない。

 それでも痛いことに変わりはなく、衝撃と共に瞑ってしまった目を開ける。

 

 するとそこは、闇だった。

 今まで白い世界にいたせいか、目の前の暗闇がより一層闇を色濃くしている印象がある。

 でも……完全な闇じゃない。上空から、うっすらとした明かりが射し込んでいる。でもその射し込む明かりも、決して光そのものではない。

 そこから漏れる風景が、辛うじてここよりも闇が薄いだけ。その薄い闇が、この深淵とも言える闇を侵食しているに過ぎなかった。

 

 顔を上げ……ようとして、上げられないことに気付いた。

 どういうことか今のオレの状態は、地面に近い方から顔、身体となっているらしい。

 ……仕方ない。まずは身体を地面に降ろし、それから上体を起こすことにする。

 

 だがそうする頃にはすっかり、視界もこの闇に慣れてきていた。そうして見るこの空間は……オレの部屋そのものだった。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 状況から察するに、自分のベッドから落ちた。しかも頭から。

 

 起こした体で部屋に置いてある時計を見ると、時刻は深夜一時。……オレがあの山へと向かった時間から考えても、時間の進みが異様に早い。

 

 もしかしたら今日の出来事は全て夢だったのでは、と考えてしまう。

 じつは家族に宛てた手紙を書いている途中で寝てしまい、そのまま学校と山に行く夢まで見ていたのでは、と。

 左腕も義手だ何だと言ってじつはそのままなんじゃ……。

 

 ……そう思ったが、違った。

 違ってくれた。

 

 その左腕は確かに今までと変わらないけれど、薬指にはあの時貰った指環が嵌めてある。

 それに左腕の感覚も希薄。

 それはまさに、オレの近くに癒枝が戻ってきてくれた証そのもので……夢じゃないことが、うれしかった。

 

「アンタ、何泣いてるの?」

 

 ベッドの上から声。

 その声に顔を上げると、ベッドの上に腰掛けた、目を凝らせば向こうの景色が見える半透明の癒枝の姿。

 涙を抑えないと……そうは思うも、癒枝のその姿が、オレのうれしさをさらに込み上げさせ、余計に涙が溢れてくる。

 

「いや、ちょっとさ、実感しちゃって」

「何を?」

「癒枝が、オレの近くに、戻ってきてくれたこと」

 

 あの世界ではやっぱり、どこか信じることが出来ていなかったんだと思う。

 あの世界自体が、夢の様な、嘘の様な存在だったから。

 

 でも今は、この現実の、真実の世界に、癒枝がいてくれる。だからこその、改めてのうれしさなのだろうと思う。

 

「まったく……前々から思ってたけど、あんたってホントバカよね。今回のことでさらに実感できたわ」

 

 泣きながら見上げるオレの顔を見下しながら、心底呆れたような口調で彼女は続ける。

 

「あたしに会えないから死のうとしたり、あたしに会いたいだけで左腕失くしたり、本当にバカ。それに、そんなことしたってあたしは蘇る訳じゃない、って言われたでしょ? それなのに受け入れちゃうとかさ……。こんなの、その場凌ぎで逃げてるようなものじゃない。あたしを無くしたことを受け入れる強い心を作ってさ、あたしのことなんて忘れて誰かと付き合ってさ、いつか結婚して幸せな家庭を築いてりゃ良かったのに……それなのに、あんたは……」

「…………」

 

 何の言葉も返せない。だってそれこそが、普通の人が生きていく上で歩むべき道だろうから。自分の色を誇示できながらも、他人の色にある程度合わせられる色を持つ、そんな普通の強さを持った人たちが歩む、普通でありながら力強い道だろうから。

 

 ……だから……オレはその道を、歩めない。

 

 弱さに溺れ、癒枝のみを心の支えにしているだけのバカなオレじゃあ、歩めない……。

 

「…………」

 

 本当のことを言われ、何も言い返せない。思わず顔を下げ、俯いてしまう。

 そんなオレに向かって癒枝は――

 

「でも……うれしかった」

 

 ――いつもの彼女からは想像できない、優しさとうれしさを帯びた声で、言葉をかけてくれた。

 

「あんたがあたしを思って泣いてくれたこと。あたしの仏壇の前で告白してくれたこと。それと、さっきはバカだって言ったけど、死のうとしたり、利き腕をあげてまで、こうしてあたしと話したいと思ってくれたこと。……バカだとは思うけど、でもそれ以上に、うれしくなかったって言ったら、嘘になっちゃうかな」

 

 ああ……何だ、全部見てたんだ。病院で泣いたことから、こうして腕に宿るまでの全てを。

 

 ……でも……そうか……。天さんが言ってたっけ。強い未練を抱きながら死んだ人間は、霊体となって世界に留まり続けるって。……そうして留まってる間、癒枝はずっと、オレの近くにいてくれたんだ。

 

「だからさ……バカだとは思うし、こうして言っちゃってるけど……それ以上に、アンタには感謝してる。……あたしをこんなに思ってくれて、ありがと」

 

 続く言葉を聞きながら、オレはまた涙していた。せっかく収まりかけていた涙は、オレが思うよりも溢れ出てきて……。

 

「ホント、これだけは意外だった。アンタがこんなに泣き虫だったなんてね」

 

 俯き、泣き続けるオレとは違う、明るい彼女らしい口調と言葉。何か言い返してやりたい気分だったが、今だけは、勘弁してやることにする。

 

 だって、泣きじゃくる嗚咽で、言い返すことが出来なかったから。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

「それで、気を取り直して話を進めるけど……これからどうするよ?」

 

 涙も嗚咽も止まり、泣きじゃくったぐしゃぐしゃの顔はとりあえず水洗いして部屋に戻ってきて第一声。オレは自分の椅子に、癒枝はベッドに、それぞれ向かい合うように座って話し合う。

 

「これからってのは?」

「とりあえずは……お前の存在をどうするか、だな」

 

 疑問に答えたオレの言葉に、あたしの存在? なんてて首をかしげながら訊いてくる。……どうやら――

 

「――コトの重大さがわかってないようだから言わせてもらうが、さすがにこのままって訳にはいかんだろ」

「何で? だってあたしは幽霊なんでしょ? だったら見えないじゃない」

「少しは天さんの話し聞いてたか脳ミソマシュマロ」

「脳ミソが腐り落ちれば良いと思う」

「腐り落ちたら考えることが出来なくなるだろ。……はぁ……いいか、今のお前は、この指環のおかげで実体があるって話だろ? つまりそれは、他の人にも、オレと同じように見えてるって考えても間違いない」

「でも試してないじゃない。それなのに確定するのは早計で早漏だと思うけど」

「早漏関係無いから。でも早計ってのは癒枝の割には事実を言ってる。……とは言え、試しにこのまま人前に出て、お前の姿が見えてたら話にならんだろ? だからこのまま出てその実験をするなら、お前のその姿が見えても差し支えの無い人に限定されてしまうんだ」

「なんで?」

「あのなぁ……いいか、もしそれでお前の姿が見えたとしても、そのまま黙っててもらえるだろ? しかも運がよければ誤魔化す協力までしてくれるかもしれん」

「なるほどね。じゃあその人が誰か良いかも考えているのよね、クズ」

「お前よりマシ。っつかその相手ばっかりはお前に委ねるしかないから。その辺考えて発言しろ」

 

 さすがに、深夜帯にいつも通りの激しい言い合いをしてはいけないぐらいの常識ならオレ達にもある。静かに罵詈雑言を交えながらのオレ達らしい相談は、癒枝がこの状態を誰に見せるのかを考え出した時点で止まってしまった。

 

「……妥当なところで両親じゃないのか?」

 

 答えの出ない癒枝に向かって、とりあえずオレなりに最適だと思う人を提案。

 

「ソレはダメ」

 

 が、それはすぐに却下された。

 

「なんで?」

「少しはその使わない頭使え、って言いたい気分だけど……単純な話、両親はもうあたしがいなくなったことを受け入れ始めてる。だからもし見えちゃって、今ここでこんな状態で現れちゃったら、受け入れてた部分をまた否定しちゃうじゃない。そもそもさ、相手は大人だよ? こんな状態を説明することなんて出来ないじゃん」

「む……」

 

 確かに、癒枝の言う通りだ。

 オレがこの状況を理解できたのだって、単(ひとえ)に天さんがかけてくれていた、あの世界での魔法効力のおかげだと思う。そうじゃなかったら、死ぬつもりだったオレがこんな話を理解しようとだなんて思えなかっただろう。

 

「だからあたしが思うに、試す相手は部長達が良いと思うの」

 

 ピッと人差し指を立て、今度は癒枝が提案。

 

「部長達? ってことは、オセロ部のメンツってことか」

「そ。それだったら、ある程度は理解してくれるだろうし、もし理解してくれなかったとしても、他人だから大丈夫でしょ? 少なくとも肉親よりかは気を遣わないじゃない」

 

 ふぅむ……なるほど……それは良いかもしれない。むしろ部長なら率先して話を理解してくれるような気さえする。

 

「……うん。わかった。それじゃあ明日は、この姿のままオセロ部に行くってことで」

「お〜け〜」

「それじゃあ次」

「え? まだあんの?」

「自分の状況を振り返って発言しろよ、鳥頭。お前の身体をどうするかって話だよ」

「何? エロい話」

「違う。万年ピンク脳内女か、お前は」

「目の前にいる性欲旺盛な高校生男子よりかはマシ。……はっ! もしかして今、あたしの貞操に危機?!」

「おいおい、オレをロリコンに仕立て上げないでくぐふぅっ!」

「良かったわね。あたしに常識があって今が夜で」

「……いや……腹殴った威力……今までと変わんねぇから……むしろベッドからこっちまでの勢いとかで上がってるから……」

「何言ってるの。音が響くようには殴ってないでしょ。……ってそっか。このまま出てもし見えてたら、色々と意味無いじゃん、あたし」

「そう……だからソレをどうするのかと……」

「なるほどね。うん、わかった。それだったら解決法は簡単よ」

「えっ? どんな方法?」

「まったく……あの魔女の話をちゃんと聞いてたのか、ってあたしに訊いたのはあんたじゃない。ちゃんと聞いてないのはあんたの方だったのね」

「ぐっ……んで、結局どういう方法なんだよ」

「しょうがないわねぇ……仕方ないから、教えてあげるわよ」

「うわぁ……ウゼェ言い方しやがるなぁ……このチビジャリ(ボソ)」

「何て言った?」

「別に何も。早く教えてくれないかなぁ……って」

「はいはい、急かさない急かさない」

 

 うぜぇ……マジウゼェ……。でも今度は口に出さない。無限ループだけはゴメンだし。

 

「良い? 今のあたしの状態って、指環と左腕があってこそでしょ? つまりは、指環を左指から外せば済む話ってことじゃん」

 

 ああ、なるほど。合点がいった。

 それじゃあ早速試してみるとするか。

「んじゃあ外してみるけど……外した指環って何処にやれば良いと思う?」

「そんなのあんたの自由じゃない」

 

 ごもっとも。と言う訳で、さっそくこのピッタリと薬指に嵌った指環を外してみる。

 

 ピッタリと指に嵌っていて、簡単に取れそうには見えないソレはしかし、外そうとするとあっさりと指から外れた。しかも次の瞬間には、元の親指を覆うぐらいの大きさに戻っていた。

 

 そのままの流れでベッドへと視線を向けると、先程までそこに腰掛けていたはずの癒枝の姿がなくなっていた。

 ……うぅむ……予想通りになったか……。

 

 ……そう言えば天さんが言ってたっけ。薬指に嵌めているからこその実体だって。

 

 ってことは単純な話、他の指に嵌めてりゃ良いってことか?

 

 試しに小指に嵌めてみる。指と指環との間に大きな空洞が開いていたが、根元にまで指環が辿り着くと薬指に嵌めた時と同じように、指を曲げても支障がない程度にまで縮小された。

 ……うん、何にも起きない。目の前に癒枝が現れたりとか全く無い。

 

「うん。確かにコレなら大丈夫かな」

 

 小指から外し、薬指に嵌めなおして、机の上に正座で現れた癒枝に向かって言葉をかける。

 

「どうも大丈夫っぽいな。しかも一度外して嵌めなおすと、オレの隣に現れるという特典付きだし」

「コレを特典って呼べるあんたはスゴイよ……不便で仕方ない。しかもあたしの姿が見えてる時だって、あんたから一定距離以上離れられないし」

「そりゃ仕方ない。だって元々はこの左腕だって話しだしな」

 

 さっきオレの顔を洗いに行った時に分かったこと。ソレはこうして癒枝が実体を保っている間、彼女はオレから離れられないのだ。

 離れられてもせいぜい1メートルぐらい。それ以上離れると、彼女自身も無自覚に、むしろ瞬間移動でもしたかのようにオレの真隣に来るのだ。左隣に移動してしまうことから、腕としてそこに存在しようとする自律行動の一つなのかもしれない。

 

「さて、と……んじゃま、話も決まったことだし、寝るとするか」

 

 椅子から立ち上がり、背中の筋を伸ばす。

 

「寝るって……どうやって?」

「ん? 癒枝はそのままそのベッドを使ってくれ」

 

 正座している机の上から移動しようと浮いている癒枝に、ベッドを指差しながら答える。。

 

「さすがに寝るときに消されたままのはイヤだろ」

 

 ……と言うよりもオレ自身、癒枝を消しながら眠るなんてことしたくない。

 

 寝て、起きて、薬指に指環を嵌めなおしても彼女がそこに具現化してくれなかったら……そう考えるだけで沸き上がってくるこの恐怖感が、とてつもなくイヤだ。

 

「……それじゃああんたはどこで寝るの?」

「オレ? 床で寝るに決まってるじゃないか。フローリングむき出しにしてる訳じゃねぇし、カーペットの上でも一日ぐらいならどうってことないさ」

 

 癒枝の質問に答えながら、今日少しだけ散らかした荷物を足で隅に移動させ、自分の寝れる幅を作る。……さすがに明日は布団でも借りることにすっかな。今日は遅いから母親を起こすことも出来んが、明日もカーペットの上はさすがにな……。

 

「その……それじゃあ、その、あんまりにも申し訳ないわ」

 

 と、明日どうやって布団を借りるか考えていると、癒枝が顔を赤くし、俯きながらそんな言葉をかけてきた。

 

「この部屋の持ち主のあんたが床で寝るなんて……」

「構わんさ。一日ぐらいどうってことない」

「でも、その、それじゃああまりにも……あたしが気になって、寝られないと言うか……」

 

 オレの返事に納得がいかないのか、さらに顔を赤くしながら言葉を続けてくる。

 いつもとは違う、そのしおらしい雰囲気と、ソレをそのまま乗せて紡がれる言葉。いつもハッキリと物事を言う彼女らしからぬその調子に、何を言おうとしているのか、何を思っているのか、まったくわからない。

 

「どうした? いつもみたいにハッキリ言えよ」

 

 だからはっきりと聞いた。だって今オレがわかることと言えば、彼女の調子がいつもと違う、ってことだけなんだし。

 

「その、何なら、一緒に寝れば、良いんじゃないかなぁ……って、思って」

 

 精一杯の勇気なのか、それともそんな大胆なことを言うのは初めてなのか、顔を真っ赤にしながら、意を決したように癒枝は言った。

 それに対してオレは――

 

「――何? オレをロリコンに仕立て上げようって算段?」

「……えっ?」

「そうやって一緒に寝ることに同意したら、やっぱりあたしの貞操の危機っ! とか言って騒ぐんだろ? 生憎と、そんなのは御免だ。オレは床で寝るから、良いからお前はそこで寝てろ」

「っ……! わかったわよっ! 良いわよっ! ここで一人女王様気分で寝てるわよっ!! せっかくの気遣いだったのにフイにして、ホントあんたってバカっ!」

 

 あたしの気も知らないでっ……! と怒りを露にしたままの小さな声音で彼女は叫び、布団を被ってオレとは反対側を向いて寝転んだ。

 

 ……まったく……お前の気なんて知ってるよ……。

 ……でもな、そこでオレが寝ちまったら、本当にこの気持ちが抑えきれなくなるだろ? 今だって、オレの部屋で夜に二人きりってだけで抑えるのに大変なんだ。

 これ以上はさすがに……な……。

 

「すまんな……肝心なところで逃げちまって……」

 

 聞こえてる訳が無い。それこそまさに、発したオレ自身の耳にすら届いていない小さな謝罪。

 ……謝罪なんて自己満足でしかない……って言葉が真実なら、この行動もまさに自己満足。

 ……ま、構わないさ。

 

「おやすみ……癒枝」

 

 今度は向こうに辛うじて聞こえる程度の声音。

 彼女にも聞こえているはずだが、残念ながら怒っているのか、返事は無かった。