「肩から先、全ての左腕を私にくれたら、あなたの願いを叶えてあげるわ」
あまりにも軽く言うものだから、最初は何を言っているのか理解出来なかった。……でも、さっきの言葉で理解できた。
「えっと……つまり天さんは、オレの左腕が欲しいと」
改めて訊ねなおした言葉に、そうよ、と返事をしてくる。……でも、さすがに左腕が無くなるのは困る。
「その、どうしても左腕じゃないとダメですか? オレ、その、左が利き腕なんですけど……」
「知ってるわ。だからこそ、左腕が欲しいのよ」
「どうしてです?」
「あなたと共に歩み、あなたが右腕よりも使ってきた存在だからよ。どうしてそれで、って思うかもしれないけど、身体にある魂の“記憶”、その左腕の部分だけの情報が欲しいから、その腕なのよ」
何を言っているのかは理解できない……が、そういうものなんだろうと納得してしまっている自分がいる。
「だからこそ、その腕頂戴」
天さんはさっきから本当に、ことも何気に言ってくる。
「……左腕じゃないと、オレの願いは叶えてもらえないんですよね」
「そうねぇ……残念だけど、そういうことになっちゃうわね」
「それって、どうしてもオレの左腕じゃないとダメですか?」
「あら? もしかして、他の人に頼み込もうとか思ってるの?」
「いえ、そんなことはありません」
オレのワガママで癒枝を蘇らせてもらうのに、オレ自身がその対価を払わないのはお門違いだ。
「ただ、どうしてオレなのかって思っただけです」
「ん〜? それってどういう意味かしら?」
確かに短絡的に言いすぎたか。……えぇっと、つまりはだ――
「――オレの願いを対価にしなくても、もっと簡単な願いで腕を差し出してくれる人だっていただろうに、どうしてオレなのかなぁ……って思って……」
「なるほど」
オレが言いたいことを理解してくれたのか、考えるように顎に手を当て、しかし頬笑みを携えながら、天さんは言葉を継ぐ。
「つまりあなたは、どうして願いを叶えてもらえる対象として自分が選ばれたのか、ソレが気になったのね」
「……んまぁ、そういうことです」
「そうねぇ……もし言わなかったら不信感から腕をくれないかもしれないから言っても良いけど、もし聞いちゃったら、たぶん桐生君は不快に感じちゃうと思うわ。それでも、聞きたい?」
笑みを消し、試すような瞳で問いかけてくる。
「はい」
迷いは無かった。だって叶えてもらう自分が、どんな事情があったのかを知らないのは、失礼だと思ったから。
「わかったわ。そこまで迷い無く言われたら言うしかないわね」
ため息を吐き、ゆるく腕を組みなおし、天さんは何か悪いことをした子供が告白するかのような表情を作る。
でもそれは一瞬で、言葉を続ける頃にはいつも通りの表情になっていた。
「結論から言うと、あなたの願いを叶える理由は実験なのよ」
「……実験?」
「そう。さっきも話したけど、私は“遥か高みの世界”へと辿り着くための術(すべ)を探してるの。そのための道具を作るための実験過程から生み出された道具、その道具を用いた実験をあなたにしようとしているの。
……正直な話、そうして作られた道具は、まったく“遥か高みの世界”を目指すことに関係無いわ。
でも、作り方がわかって、作ってみたくなって、実際に作ってみたら、試したくなるじゃない? 作られた段階で試算も済んで、成功確率は百%と言っても過言じゃない。結果も分かってる。でもその結果をスタート地点としての過程はまったく試算できないの。だからこそ、その試算をしてもらうために、あなたで実験しようとしているの」
天さんの言葉は、続くにつれ何故か、懺悔しているように聞こえてきた。
「結果的に、あなたの想い人に会わせることは絶対に出来る。それは断言するわ」
「……なるほど。理由はわかりました」
天さんの言葉が終わったと思ったタイミングで、オレは口を開いた。
「つまり、オレで実験をしたい訳ですね」
「……短絡的に言うと、そういうことになるわね」
……なんだ。だったらもう、答えは決まった。
「なら――」
覚悟も決まった。後はソレを、口から言葉として出すのみ。
「――お願いします。オレの左腕を対価に、癒枝を蘇らせてください」
願いと共に口にした、オレの覚悟。
……思えば、癒枝を無くし、誤魔化しであると見せかけていた心もなくなったオレが、天さんの状況を悲しいと思うこと自体がおかしかったんだ。
……そんなことを思ったのは、たぶん、癒枝とまた、話が出来ると思ったから。
思ったから、心の外壁に塗った色が、少しだけ滲み出てきただけなんだ。
それほどまでに……オレは癒枝の復活を、望んでいる。
それが左腕一本で、世界に戻れて、癒枝とも生きていけるようになる。
全てをなくして滅びるか、一つをなくして生き残るか。
要はそういうこと。だからそれぐらいの代償で済むなら、むしろ喜ぶべきなんだ。
ソレを聞いた天さんは、何故かその答えに対して意外そうな顔をした。
「どうして? 普通そこまで聞いたら、怒って嫌がるものじゃない?」
しかもそんな疑問まで投げかけてくる。
「あなたに無許可無断で実験しようとしたのよ? それなのに、あなたは願いを叶えてもらうつもりなの?」
「だって……天さんの計算的には、癒枝が蘇る確率は百%なんでしょう? だったらソレを受け入れない訳ないじゃないですか」
理由・過程はどうであれ、癒枝と再び同じ時を歩めるんだ。
左腕一本で。
だったらそれが、例えこの人の実験の過程であろうとも構わない。
さっき質問したのだって、ただの純粋な疑問だ。
別にその答えがどうであれ――例え一億分の一の確率で選ばれただけと言われたとしても、納得して受け入れた。
……いやむしろ、確率ではなくて実験に適しているという理由で選ばれたのなら、それだけ信用出来るというもの。天さん的にも成功率百%らしいし。
「その……こんなことを言うのもおかしいけれど、本当に良いの?」
「ええ、構いませんよ」
内容的にウソは言っていないだろうことは確かだ。もしウソなら、もっとオレを喜ばせるようなことを言うべきだろう。……まぁ、そうなったら実験しても良いって言わなかっただろうけど。
そんな、非日常なことに身を置いている最中であるにも関わらず、日常(いつもどおり)な思考をしてしまっていたオレに対して彼女は、うれしそうな、楽しそうな笑みを浮かべて、それじゃあ、と言葉を続ける。
「さっそく頂きたいんだけど……でも桐生君、残念だけどあなた、ちょっと勘違いをしてるみたいね」
「えっ? 勘違い、ですか?」
何の勘違いだろう……? まさか取られる左腕についてだろうか……?
「そう。私はあなたの願いを叶えると言ったけど、あなたが今口にしたような“完璧な人間の蘇生”なんて出来ないのよ」
「なっ……!」
それじゃあオレは、騙されたってことなのか……!
「そんなに驚かなくても……別に私だって騙すつもりは無いわ。でもあなた、死ぬ直前に願ったことが、本当にその子の復活だったの?」
もしそうなら私はここにあなたを呼んでないわ、と笑みを消しながら続いた天さんの言葉が、少しだけ遠くに聞こえる。
……そう言えば、そうだ……。
オレがああして飛び降りた直後、天さんの声が聞こえる直前、思ったことはそんな“夢物語”じゃない。
一人の人間の復活じゃあない。
それじゃあ、オレが望んだことは――
「――死ぬ前に、癒枝にオレの気持ちを伝えること……?」
「ピンポーン」
……そうだった。確かにそうだった。俺は自分で思い出し、口に出したその答えに納得する。
「だから私が、あなたの左腕を対価に叶えてあげる願いは“あなたが死ぬまでに、その子にあなた自身の口から、あなた自身の気持ちを伝えてあげられる状況を作る”ことよ」
左腕を対価にしてまで叶えてもらえる願いが、たったそれだけ……? オレの気持ちを伝えてもらえる状況を作ってもらえるだけ……?
……何て……割に合わない……!
……でも……そうだな……さっきも思ったが、どうせ死ぬ身だったんだ。未練ないよう伝えて、一人勝手に死ねば良い。
「……わかりました。それでも良いので、どうか、お願いします」
「了解したわ」
考えた末に出した安直な結論に、天さんは一つ頷くと、虚空に右腕を高々と上げる。
「その、そう言えば、左腕を取る時って、痛いんですか?」
ふと思い出したことを訊ねてみる。
「当然よ。痛み止めなんてしたら質が落ちちゃうんだし、そうなると願いを叶えてあげることなんて出来ないわ」
「……マジか」
さすがにその答えを聞くとビビる。
だって腕が、肩から斬られる痛みを直に受けるってことだろ? そんなの、子供でも痛いだろうことは容易に想像できる。
「マジよ。でも我慢しなさい。その対価として、いくらでもその子にあなたの気持ちをぶつければ良いんだから」
確かにその通りなんだが……。
「それじゃあ、いくわよ」
言った刹那、天さんは腕を縦に振り下ろした。とても鮮やかに。
だがその姿を全て見終える間もなく、反射的に両目を強く閉じてしまう。
……シン……と、空気が凍った。
「……アレ?」
……左腕に痛みが無い。もしかして、切られてない? そう思って左肩を見ると……――
――……血と肉が混じり合った、断面図が見えた。
「……あれ……?」
視界の端に映る地面。そこには自分の左腕だったものが落ちていて……。
刹那、焼き切れそうなほどの痛みが、脳を刺激する。
「ぐっ、あああ、あああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!!!!!!!」
自分の中身が外気に触れる感覚。ソレを遮るために、右手でその断面を押さえつける。
……さらなる激しい痛み。
外気に触れるソレとは違う、また別の、まるで抉り取られるような痛み。
しかもその触れた右手には、不快な感触までしてしまう。
「ぐぅ、ううううう、ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、ぐぅっ! ぐあああぁぁぁ……!!!」
それでも、必死に痛みを堪えようとする。脳外へとこの痛みを排出しようともがく。
絶対に出来ないことなのに、それでも出来ることを信じて、一心不乱に左肩の痛みと戦い続ける。
「ぐああううぅぅぅ、あああぁぁぁぁぁぁ……!!」
でも、まったく痛みは引かない。むしろ酷くなっていく。
身体の中に直接ナイフを差し込まれたような、それでいて引き抜こうとしているような、言葉では表現し尽くせない程の痛覚。
「ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!!! あああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーー……!!!!!」
脳が焼ききれそうになる。あまりの痛みに気が狂いそうになる。
でもそれを防ぐため、声に出して脳への痛みを誤魔化す。
「ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!!! あ、ぐぅっ……!!! ああああ、ああああああああ、あああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーー……!!!!!」
これじゃあ本当に、あの時死んでいた方が楽だったのでは、と脳内を何度も過ぎる。
でもその度に、癒枝の顔がチラつき、それは違うだろうと、痛みの中で、否定する。
でもそれも、やっぱり、一瞬で、再び、死ぬほうが、楽だっただろうと、考えてしまい……その度に否定し……仕舞いには……意識そのものが、混濁してきて……痛いのは変わらないのに……叫んで、震えて、痛いままなのに……意識が……遠のいてきて……もしかしたら……オレは…………腕を取られる、痛みのまま…………死んでしまうんじゃ、ないかと…………そんなことを……相変わらずの痛みの中…………考えてばっかりで…………。
「もう大丈夫じゃないかしら?」
遠ざかる意識の中、自分の声すら遠のいていた状況の中、やたらはっきりと、まるで脳に直接喋りかけられたような、そんな気さえする、天さんの声。
「…………え?」
でもその声が聞こえた途端、左肩の痛みが無くなった。あまりにも呆気ない痛みの消失に、自分すらが驚いてしまう。
だってアレだけ痛かったんだ。痛みが引くにしても徐々に引いていくもんだろう。
それなのに……あっさりと、本当に、まるで最初から痛くなかったんじゃないかと錯覚してしまう程、痛みが消失した。
「……あれ?」
痛みで閉じていた瞼を開ける。
地面が近かった。どうやらオレの身体は、力尽きるように両膝をつき、跪くようにして痛みを堪えていたようだ。
右膝を立て、その上に右腕を乗っけることで、辛うじて身体を支える。
……もしかして幻? 一瞬、そう懸念するも、無意識のうちに腕で拭った額の汗は、その痛みが現実だったことを物語っていた。まるで腕に水を直接ぶちまけたような程濡れてしまっていた。
……いや、ちょっと待て――
「――これって、おかしいだろ?」
何がって? オレが汗を拭った腕が“左腕”だってことだ。
「確かに、無くなったはずなのに……」
「そうよ。確かに受け取ったわ」
もしかして幻だった……? なんて非現実なことを考えながらのオレの呟きに、天さんはオレを見据え、相変わらずの微笑みを携え、腕を柔らかく組みながら答えてくれる。
でも……さっきとの違いはあった。組んだ腕の片方の手、そこに握られている鳥かごのような檻。
中身の見えないソレを見て、オレは悟ってしまった。
「やっぱり、自分の一部だったものだとすぐにわかるのね。……そうよ。直接は見えないだろうけど、確かにこの中には、あなたの左腕だったモノが入ってるわ」
クラりと、一瞬だけ眩暈がした。
それはたぶん、落とされた時に視界の端に映った、あの自分の腕“だった”モノが脳裏を過ぎったから。
ソレがそこにあるという真実が、見えないのに確かだと思ってしまう、ちょっとばかりの矛盾を感じてしまったから。
「……それはわかりました。それじゃあオレについている、この腕は何ですか?」
眩暈を堪え、膝に手を付き、腕で上体を支えながら、辛うじて立ち上がる。
……息はとっくに整った。あの程度の疲労感、部活の試合中に何度もあったこと。スタミナの回復はまだにしても、息を整えて何でもないように見せるのは得意中の得意だ。
「それは私が作った義手みたいなものよ」
オレが投げかけた疑問に、天さんは何でもないように答えてくれる。
「言ったでしょう? 私の実験の一環だって」
「ってことは、この義手(これ)が実験の一環ですか?」
「そうじゃないわ。でもその義手も、実験の一部なのは確かよ。そしてコレが、今回の実験の要」
鳥かごのようなものを持っていた手から、いつの間にかソレが無くなっていた。
そのかわり、見せつけるようにして見せてくれたのは、金色の中にいくつもの朱と翠の小さな宝石をあしらった、腕輪のような指輪。
「それを左手の薬指に嵌めて頂戴」
歩み寄り、辛うじて差し出したオレの左手の平にその指輪を乗せる。
親指用なのか、穴の大きさが若干広い。もしこのまま薬指に嵌めようとも、ブカブカですぐに落ちてしまうだろう。
だからと言って親指に嵌めても、こんなに大きくては爪の根元まで埋まってしまい、関節を曲げられなくなりそうだ。
「大丈夫よ。変なことにはならないから」
指輪を見つめていたオレの意図をどう汲み取ったのか、天さんはそんな言葉をかけてくる。……んまぁ、そこまで嵌めて欲しいんなら、滑り落ちるのを覚悟で嵌めてみるか。
言われた通りに薬指に嵌めてみる。
すると、ニュッ、とした効果音が聞こえてきそうなほど滑らかに、オレの薬指のサイズに大きさが調節された。大きさも、第二関節少し下にまで調整され、指を曲げる分にはまったく申し分なくなった。
「……これで、どうなるんですか……?」
そんな指輪の姿に少しだけ驚きながらも、何も起こらない現状に耐えられなくて訊ねてしまう。
でも……その答えを天さんに聞く前に、その異変が起きた。
指輪の装飾としてついていた、小さな朱と翠の宝石。
ソレが白く輝きながら、指輪の上で回りだした。
「な、何だ……これ?」
「うん、とりあえずは成功ね」
目の前まで持ち上げた自分の腕。その、少しだけ眩しい輝きの中、つい口から出た疑問に答えるかのような天さんの言葉が聞こえた。
どうなるんですか、これ?
そう訊ねようとした刹那、輝きが増した。
少しだけ眩しかったその光は突然、オレの視力を奪い去るかのように、一面に光を放ちだした。
眼前まで持ち上げていたせいで、直接その光を見てしまう。
「ぐっ……!」
一面に広がる白。この世界の白とは異なるその白を遠ざけるため、顔を逸らし、両目を閉じることで闇を蓄えようとする。
「……うん。バッチリね」
いまだ白が支配する闇の中、天さんの声が聞こえる。
……バッチリとはどういうことなのか。気になったオレは、逸らした顔をそのままに、少しだけ目を開けてその光景を見ようとする。
「…………」
驚きで声が出なかった。
「…………マジか」
辛うじて声は出た。
いつの間にか逸らした顔は元に戻り、僅かしか開けていなかった目も、その眼前を直視するように開ききっていた。
「…………本当に、その……」
脳内へと伝わる情報。
理解できたその情報は、確かに、オレが渇望した存在。
今だ少しの、光の白を携えながら――
「――……癒枝……なのか……」
オレの眼前には、堀井癒枝の姿が存在していた。