「頼むぞ」

 

 そう言葉をかけ、部長が帰っていったその日の夜。オレは癒枝との出会いを思い出していた。

 ……いや、正確には、今みたいな関係になった時を、だろうか。

 

 ……そう……今みたいな……親しい間柄になったときのことを……。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 小学校の頃から一緒。

 

 そう皆に言ってはいるが、深く関わりだしたのは中学校からだったりする。

 ……小学生の頃は、本当にただのクラスメイトだった。クラス自体が一つしかなかったから、イヤでも同じクラスになっていた。

 それだけの関係。むしろそれ以外は、何も無かった。

 ……中学の頃の、あの小さな事件に関わるまでは……。

 

 ……この頃のオレは、心を閉ざしていた。と言っても、雪音さんの様な感じじゃない。ただ、自分の心をひた隠しにし、他人の心に合わせる事ばかりやっていた。

 

 自分の心を無くし、他人の心を反映させているだけの、そんな存在。

 

 相手にとって都合に良い返事しかしない、そんな人形。

 

 ……それが、癒枝と出会う前のオレだった。

 相手の心の色を、ただ自分の内側に塗りたくるだけの、そんな“存在するだけのくだらない人形”だった。

 

 そんなオレが関わった、中学の頃の小さな事件。

 いつも通り、相手の色を塗って会話をしていた、いつも通りの休み時間。

 女子達の中で言い争いが起こった。

 

 本来ならまったく興味の惹かない出来事。

 

 でも、その時は違った。

 

 だって規模が違いすぎる。

 女子グループ対女子グループ、の本来な言い争いではなく、癒枝一人対女子グループだったのだ。

 

 たった一人で、二桁に上る女子グループに囲まれながらも対峙していたその姿は、今でも鮮明に焼きついている。

 

 あのまったく物怖じしていない、自らの意志を強く持った瞳。

 悪意ある視線に囲まれた状況下でも消えぬ灯火。

 小さな体に反した、その大きくて強靭な意志。

 

 その姿が、イヤでも鮮明に思い出される。

 

 ……正直な話、憧れた。

 その一人で戦う姿に感動した。

 その自らの色を誇示し続ける姿に驚愕した。

 何とも言えない感情に、心が支配された。

 

 ……それはたぶん、自分が捨てたもの――自らの色を誇示し続けるという、自分とはまったく逆のその姿故の羨望とか、そんな感情(もの)だったと思う。

 

 だからそれ以来、そんな彼女に惹かれたオレは、よく彼女に話しかけるようになった。

 でも逆に、オレ以外の男子は話しかけなくなった。

 ……幼い見た目に反した、珍しい白髪と整った顔立ち、その大人しげで可愛らしい見た目とは間逆の気の強い性格で男子に人気があった彼女だが、この事件以来、今度はまったく声をかけられなくなった。

 

 ……単純な話、女子は彼女一人じゃない。

 彼女に話しかければ、他の女子に嫌われる。

 それをイヤがった男子は全員、話しかけなくなった。

 他にいる、沢山の女子にモテたいから、話しかけなくなった。

 それだけの話。

 自らの色の誇示よりも、他者に合わせる濁った心が良かったから。

 だから結果的に、彼女の話し相手はオレしかいなくなった。

 

 そうして数週間が過ぎたある日の休み時間、オレはある女子グループに声をかけられた。

 あの時癒枝と口論をしていたグループの中の一つ、その三人が訊ねてきた。

 

「どうしてあんな女に構うの?」

「もしかして付き合ってるの?」

 

 と。

 ……正直、付き合ってるとか付き合ってないとか、好きとか嫌いとか、そんな感情じゃない。

 心の色を無くし、心自体を無くしてまで、他人に合わせることを選んだオレから見れば、彼女のように心の存在を強調し、心の色を誇示してまで、他人を遠ざけても自分の生き方を貫く姿に、ただ憧れているだけだった。

 

 だから、話しかけ続けていたのだ。

 

 彼女のように、生きていけないかと思って。

 

 彼女のようになることは、出来ないのかと思って。

 

 だから、オレが癒枝に話しかけている理由は、彼女達の言う感情からじゃない。

 目標である彼女に、一歩でも近付きたかったからだ。

 

 でも……そんなこと、彼女たちに言っても仕方が無い。

 だって癒枝の行動に反発を覚えるということは、彼女達もまた、自分の色を見失っているということだから。……別にそれが悪いことだとは思わない。オレのように心を失うのはダメだろうけど、あくまで彼女達には心がある。ただ、色を濁らせているだけなんだ。

 社会に適応するために、徐々に徐々に、仕方なく、濁っていっただけなんだ。

 

 彼女達と癒枝が口論をした原因……それは、癒枝と友達になろうと必死になる彼女達と、無理矢理になんて友達を作りたくないという癒枝の心から。

 ……自分の色を誇示し続けるとは、そういうこと。社会から排出される存在、と言っても差し支えはない。

 こうしてオレに声をかけてきている彼女達こそ、社会に適応できている存在なのだから。

 

 自分の色を持ちながらも、他人の色を少しだけ取り込んで心を濁らせる。

 

 社会の人間関係とはこうして出来上がっている。

 癒枝のような自分の色の誇示とは、詰まるところワガママだ。自分勝手、自己中心的と言い変えても構わない。そしてそういう人間は、得てして社会から排出されるものだ。

 ……今の、オレ以外の誰からも話しかけられない癒枝のように……。

 

 ……でも……正直な話、ただのワガママな人に、オレが惹かれる訳なんて無い。もしただのワガママな人に惹かれるなら、とっくに癒枝以外の人に惹かれていた。

 だからこそ、ただのワガママに見えながらも惹かれることに、疑問を抱いたのだ。

 疑問を抱きながらも――疑問を抱いたからこそ、憧れ、目標になったのだ。

 ……数週間、話すことしかしなかったが、それでもわかったことがある。

 目標となる彼女を見て、どうして自分が惹かれていたのか、気付いたことがある。

 

 簡単な答えだった。

 ……彼女の色の誇示は、ただのワガママではなかった。

 それだけの話。

 

 他人に気を遣う――他人の色をさらに栄えさせる、それこそが、彼女の真の色の誇示だったのだ。

 表しか見ないから――濁った色でしか見ないから、皆彼女のことを勘違いしていただけなんだ。

 

 “白”。

 

 それこそが彼女の色。

 彼女自身が誇示している色だったんだ。

 自らの心に正直で、他人の心を栄えさせる。

 純粋に他人に接し、染めることで色を美しくする。

 

 それこそが、彼女の心の色……“白”。

 

 でも……その“白”は、濁った心に届かない。

 濁った色に白を足しても、より一層濁らせるだけ。

 また逆に、美しい色に栄えさせようとも、再び自分で濁らされていくだけ。

 だからこそ誰も気付けなかったんだ。

 

 彼女のこの、美しい心の色を。

 

 でも……そんなことをバカ正直には話さなかった。

 だってコレは、自分で気付いてくれないと、いくら話しても無駄なことだから。

 それに何より、オレ自身の心は空っぽなのだ。

 他人の心の色をそのまま塗る、この心があった場所。

 だからオレは……彼女達の望む答えを知っている。

 彼女達の、社会に適応するために濁らせたその、心と同じ色に出来る俺には……――

 

 彼女達の質問に答えてからだろうか。

 癒枝が、イジメられるようになったのは。

 

 持ち物が無くなる。机に落書きされる。そんな些細なことから始まり、このイジメが終わる頃には、階段から突き落とされる、上から机を投げ落とされるなど、命の危機が及ぶまでに至っていた。しかもそれは巧妙に行われていたため、犯人も、証拠も、まったくわからなかった。

 さすがの癒枝もこれは堪えたようで、話しかけても今までのような元気さが無かった。

 でもそれは……以外にも呆気なく、たった半月も経たない内に、その終わりを迎えた。

 

 癒枝が登校拒否を起こす……訳も無く、日課となっていた机の落書き現場に直接乗り込み、落書きしていた女子グループを問答無用で殴りまくったのだ。

 同姓としての情けか、はたまた彼女が小さい頃から学んでいた格闘技の流儀がそうなのかは知らないが、相手の顔などには表面上に残るような傷痕はまったくなかった。

 だから、先生にもバレずに、イジメていた相手に復讐を果たせた。

 イジメていたその女子グループが、先生に告げ口しようと思えないほどの恐怖を植えつけることで。

 イジメをやめないと酷いことになると、他にイジメていた相手にしらしめることで。

 

 ……もっとも、このイジメの止め方は全部、彼女自身から聞いたこと。真実かどうかの確認なんてしていない。

 でも実際、この話を聞いてからの彼女には元気が戻っていたし、イジメられている場面にも遭遇しなくなった。

 だから、おそらくこれは事実なのだろうと思った。

 そしてこれこそが、彼女の色の誇示なのだとも思った。

 

 だって“白”は、時に他の色全てを飲み込むものだから。

 

 ……――だからこそ、そんな彼女達の望む答えとは違う言葉を、口にしていた。

 

「彼女のことが好きとか、そういうんじゃない。ただ、クラスが分裂するのが気に食わないだけ」

 

 ……彼女達の色に心を染めて答えるなら「ただ彼女のことを、高いところから突き落としたいから」と言うべきなのだろう。

 希望を持たせてから突き落とすため、とりあえずはそう言っておけば良かったのだろう。そうすれば、彼女達の中でのオレの評価も変わらなかっただろう。本当に突き落とすかどうかは別にして。

 

 でも……オレはもう、そう答えることが出来なくなっていた。とりあえずのウソであろうとも、口にすることが出来なくなっていた。

 だってオレの、空っぽな心の色は“とっくに癒枝と同じ色に染まり始めていた”のだから。

 憧れと目標の彼女に、近付き始めていたのだから……。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

「ああ……くそっ……!」

 

 自然と涙が出てきてしまった。

 

「……どうして今まで……気が付かなかったんだ……!」

 

 昔を邂逅し、今に戻ったその時、オレは気付いてしまった。……この、自分の気持ちに。

 だからこんなにも、悔しくて、バカらしくて、色々な感情が溢れ出て、中だけで抑えきれなくて、こうして涙として、外に出してしまっている。

 

「何で……! なんで、今更……!」

 

 思わず口から漏れ出る言葉。

 

「無くなってから……気付いちまうんだよ……っ!」

 

 全てが遅い。

 癒枝がいないことも、自分のこの気持ちに気付いたことも、何もかもが手遅れ。

 その愚考故の後悔の果て、懺悔でもするかのようなその言葉は、発すると同時に、オレの内側を抉り込んでいく。

 

「こんなにも……大切な存在だって……!」

 

 知ったが故に止まらない、その抑えきれぬ涙。

 知っても尚止まらない、その自分の言葉。

 

「お前がいないと……! 何にも……出来ないって……!」

 

 暗闇が支配する、病室という名の箱の中。オレは一人、涙を流しながら、誰に聞かせるわけでもなく、懺悔を続ける。

 

「だって……! オレの……! 心はっ……!」

 

 続けていれば、彼女にこの言葉が届くのではないかと妄信している、そんな愚かな存在のように。

 

「お前で……全てだったんだからっ……!」

 

 ……そう……オレはこんなにも……癒枝のことが――

 

「――好きで……仕方なかったんだからっ……!」

 

 オレの空っぽの心は、癒枝の心の色に染めることで、形を成していると錯覚させていた。

 それは他人と会話をする時、その相手の色を、自分の心があった場所に染まらせるのではない。もしそうなら、さらに他の人と話すときに一度色が落ちてしまうから。

 

 ……皆のように、自分の色をもった心があるままならば、そんなことはなかっただろう。

 一度染まった色は中々落ちない。自分の色を強く誇示し続けて、時間をかけてようやく落とせる。

 でもオレにはソレが無い。

 ガラスに直接絵の具を塗ったように、あっさりと色を拭い落とせる。

 

 でも、癒枝に染められた色は、落とせない。

 だってオレ自身が、それを望んでいないから。

 癒枝の色に染まるために、ずっと近くにいたのだから。

 何度拭い落とされようとも、再び色を塗ってもらっていたから。

 オレの心を囲うガラスはもう、“何重にも彼女の色で塗られ、固められている”。

 

 そして、そうしたいと思うほどに、オレは彼女のことが好きだったんだ。

 

 ……失ってからようやく、気付いた。

 この真実に。

 ……だって誰しもが、大して好きでもない人と同じになりたいだなんて、思わないと思う。

 その人と同じ心の色を持ちたいだなんて、思わないと思う。

 

 そんなことを思ったのは、何を隠そうこのオレ自身が、彼女のことが大好きだったということに他ならない。

 

 無くした心、空っぽの心から生まれた、その想い。

 何も無いと思っていた心は、その実、“何も無い”と思える心が存在していた。

 だからこそ……何も無かったからこそ、貪欲に求めたのだ。

 

 大好きな人と、同じ心の色を。

 

「……っ……でもっ……今更っ……! すぎるだろっ!」

 

 布団の中に向かっての大声。

 ぶちまけないと落ち着かないからこそ発した、その感情。

 

 ……だって……そうだろ? 

 あの子供みたいに小さくて、でも力は強くて、でも精神的攻撃に弱くて、実は寂しがり屋で、ソレを誤魔化すために強がってて、自分の色を変えない強さを持ってて、同時に他人の色を協調することも出来る、そんな彼女が好きだって、今更気付いたって……!

 

「もう……! 伝えることが……出来ないなんてっ……!」

 

 オレの目の前から消えて、二度と現れてくれない彼女。

 その事実が、オレの心に重く圧し掛かる。

 

 ……あぁ……部長、ゴメン……。どうやらオレ……心が潰れてしまいそうです……。約束……どうも……無理っぽいです……!

 

「だってこんなにも……好きだったんだから……! 今すぐにでも伝えたいぐらい……癒枝のことが、好きだったんだから……!」