「ああぁぁぁ〜〜〜……遊んだ、遊んだ」

 

 引きっぱなしだったビニールシートの上に大の字で寝転がりながら、癒枝は満足気にそう漏らした。……まぁ、沢山遊んだからなぁ……そのせいでオレびしょ濡れだけど。

 

 いや、別に負けまくってた訳じゃないのよ? むしろ勝ちすぎて困るぐらい。そして現実問題困った結果がコレ。

 ……あの部長との一戦は、結局のところ同士討ち。互いに水弾が当たって両方とも戦闘不能。んで、雪音さんのみが生き残ってたから、オレ達のチームが勝った。

 

 その次の戦いでは、オレ・部長チーム対癒枝・雪音さんチーム。……ま、圧倒的とまで言っても差し支えの無いぐらい、オレ達が勝利を収めた。

 さらにその次は、やってない組み合わせのオレ・癒枝チーム対部長・雪音さんチーム。……これもまぁ、部長が脅威なのは目に見えていたので、癒枝を犠牲にしてまで最初に倒すことで何とか勝利。

 そんでその次は、オレがチームを組めば勝利されてしまうので、オレ一人対他三人。……まぁ当然勝てないわなぁ! 結果こうしてびしょ濡れだよ! 死んでんのに皆で何発も撃ってきたからなぁっ! そのせいでジャージが水吸って若干重いよっ! むしろ部長はこうなることを読んで、オレと癒枝がチームを組んだ時は負けたんだろうなぁっ! あの時のうれしそうに撃ってきた目はっ!

 

「ん? どうかしたか、桐生」

「……いえ、別に」

 

 ずっと見てたせいで気付かれた。

 返事の仕方がちょっと怒ってるように聞こえたかもしれないけど、その辺は部長だから察してくれると思う。……と言うかオレ、大人げねぇな。反省。

 

「さて、と」

 

 と、大の字で寝転がっていた癒枝が勢い良く立ち上がり――

 

「それじゃあ沢山遊んだし、さっそく魔法使いを探しに行きましょうか!

 

 ――遊ぶ前にした宣言と同じ格好とテンションでそう言った。……あれ? 軽くデジャヴュってる?

 

「そのことなんだがな、癒枝女史」

 

 と、これまた自分のリュックを漁りながらの部長の言葉。……ああでも、今回は取り出してるんじゃなくて、入れていってる方だ。……いやでも……あのライフル銃があのリュックに入るのって、おかしくないか? あの人普通に入れてるし、癒枝も雪音さんもツッコンでないけど……もしかしておかしいと思ってるオレがおかしいのか……?

 

「何ですか、部長? もしかしてまた、別のお願いがあるとか言うんじゃないでしょうね?」

「いや、そんなことは言わないさ。だが、野暮なことは言わせてもらう」

 

 癒枝の言葉に返事をしながら、部長は空を指差して続ける。

 

「雲行きが怪しい。もしかしたら雨が降るかもしれないから、そろそろ下山した方が良いかもしれない」

 

 部長の視線につられ、全員が空を見上げる。……確かに。まだ青空ではあるものの、隣と言っても差し支えの無い場所に黒い雲が広がっている。

 

「ええぇぇぇ〜〜〜〜〜……アレぐらい大丈夫じゃないですか?」

「だが、山の天気は変わりやすい。もし、探し出してすぐに雨が降ってきて、そのまま雨に打たれるのはイヤだろう?」

 

 不服そうに言葉を漏らした癒枝に部長は、子供に言い聞かせるような口調のまま続ける。

 

「それにま、そんなに捜したければまた来れば良いじゃないか。寒い冬の中登る山も、また格別だと俺は思うぞ」

「……そう、ですね。うん、そうですね。それじゃあまた、冬休みにでも登りましょう!」

 

 ……何とまぁ……単純な……。でもま、その単純さのおかげで、魔法使い捜しをしなくて済むなら結構。……何だろ……ここまで部長の思い通りに行くと、あの雨雲でさえ部長が操作しているような気さえしてくる……。

 ……いやまぁ、本当にそんなことが出来る人間なんていないけど。もし部長がそんなこと出来たら、部長自体が魔法使いだ。

 

「ん? どうかしたか、桐生」

 

 ぼーっ、と顔を見ながら考え事をしていたら声をかけられた。

 とりあえず今回は本当にどうもしないので、別に何もありませんよ、と笑みを浮かべながら返事をし、ビニールシートをかたし始めた。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 前言撤回。部長が魔法使いな訳が無い。もし本当に魔法使いでこの雨雲を生み出したりしたのなら、早々に消し去って欲しい。

 

 今だ空は明るいが、それでもパラパラと降る小雨はとても煩わしい。

 

「……このままだと雨足が強くなるな……仕方ない。少しだけペースを速めるぞ」

 

 先頭を歩く部長からの声。さすがの部長も下山途中で雨に打たれるとは思ってなかったのだろう。さっきの声には焦りの色が染まっていた。

 

 部長のすぐ後ろを歩く雪音さんは、持ってきていた雨カッパを下山前からちゃんと着ていたので、濡れている心配はなさそう。

 でも……オレのすぐ前を歩いている癒枝は、弁当と水筒しか入っていないクマさんリュックと一緒に、全身を濡らしながら歩いている。柄物のTシャツから少しだけ透けて見えていたブラのラインは、今となっては水に濡れて全身に張り付き、その幼児体型と無意味なブラの色を露にしてしまっている。

 ……う〜ん……その辺の道端で、尚且つオレが傘でも持ってりゃ貸してやれるんだが、生憎と両方とも条件を満たしていない。……今はまだ大丈夫だけど、部長の話じゃあ雨足も強くなるらしいしな……。……オレも部長や癒枝と一緒で雨カッパとか持ってきてないからなぁ……。

 ……はぁ……仕方が無い。

 

「おい、癒枝」

「ん〜?」

 

 立ち止まり、振り向いた癒枝に、自分が着ていたジャージを脱いで投げ渡す。

 

「それを頭から被ってろ」

「……何でよ」

「何でってお前……風邪ひかないようにだよ」

 

 本来ならここで、照れながら「ありがとう」とか言われるもんだけど――

 

「うっわ! キモッ!」

 

 ――癒枝の場合はこうだからなぁ……。だから貸すの渋っちゃったんだよ……それでも貸しちゃうオレってどうかとも自分で思うけどさ。……って言うか、何でこうなるってわかってて貸しちゃったんだろ……オレ。

 

「何それ?! 何処のマンガの言葉よっ! キモッ! っつかさぶっ! ……ちょっ、うわっ! さぶイボ出てきた!」

「……そこまで文句言うなら、返してくれて構わないんだけど」

「いやよっ! せっかくあたしが濡れなくて済むんだからっ! キモくても使わせてもらうわよ」

 

 散々な物言いをしながらも、肩からオレのジャージをかけ、再び前を向いて歩き出した。

 

「…………」

「…………」

「……ちょっと、あんた」

 

 互いに無言で少しだけ歩いていたら、彼女はこちらを振り向きもせず、足も止めずに声をかけてきた。

 

「今、Tシャツ一枚なんでしょ? 上から何か着たりしないの?」

「着たいところだが、生憎と服は着てきた分しかねぇよ」

「それじゃああんたの方が風邪ひいちゃうじゃない」

「オレは構わねぇ、って言うか、これでも運動部だしな。並大抵のことじゃ風邪ひかないように鍛えられてんだよ」

「運動部でもそんなの鍛えられないでしょ?」

「ま、それはそうだが……今のお前より体力があるのは事実だ。もし風邪ひいても、お前よりすぐに治してみせるさ。だから気にするな」

「そう……」

 

 そこでまた会話が止まる……かと思いきや、癒枝は突然、あ〜……、やら、う〜……、やら唸りだした。

 

「どうかしたか、癒枝?」

 

 さっそく身体の調子が悪くなってきたのかと思い、気になって訊ねてしまう。

 うるさい! 話しかけるなっ! って怒鳴られるかと思ったが――

 

「その、あれよ……ほら、あの……その…………ジャージ……ありがと」

 

 ――照れるように語尾を小さくしながら、普通にお礼の言葉を言われてしまった。

 

「あ、ああ。その、気にするな……」

 

 そんな癒枝の普通な反応に慣れていないオレとしても、同じく普通に照れてしまった。頭が真っ白になり、咄嗟に返す言葉も思いつなかった。もし癒枝がこちらを向いていれば、真っ赤になっているであろうこの顔を見られておちょくられたことだろう。……良かった。

 ……って言うか、こうして普通にお礼を言えるなら最初から言えよな……そしたらオレだって、もう少しお前への扱いを変える事だって出来るのによ……。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 部長の言った通り、雨足は次第に強くなっていった。明るかった空も、今となっては雨雲に隠れて暗くなっている。

 平坦なコンクリートジャングルの中ならば、確実に傘を差す程の雨量だが、上に広がる葉の屋根のおかげで、こちらへと降る雨粒は気持ち抑えられている。……あくまで気持ちだけど。

 

 そんな中オレと部長は、衣服が肌に張り付く気持ち悪い感触をそのままに歩き続け、雪音さんは雨カッパで全身への雨粒を防ぎ、癒枝はオレが貸し与えたジャージを頭から被ることで直撃だけは避けている。

 でも、オレと部長は元より、全身を覆っている雪音さんの足元は泥が所々に跳ね返り、癒枝の腰履きジーパンに至っては泥まみれ。茶色い服の雪音さんはまだ目立ちにくいが、大人びようと足掻いてしまっている癒枝のソレは本当に泥の跳ね返りが目立ってしまっている。……何か、あのまま電車に乗せるのは悪い気がするなぁ……まぁ、どうしようも出来ないんだけど……。

 

「ねぇ、兄さん」

「どうした、雪音」

 

 そんなどうしようも出来ないどうでも良い思考は、聞こえてきた前を歩いている兄妹の会話で止められた。自然、そのまま二人の会話を聞き入ってしまう。

 

「確かこの先の道、分かれ道になってたはずだけど」

「それがどうかしたか?」

「わたしが印刷してきた地図とわたし自身の記憶によると、登ってきた道から帰るより、そっちから帰った方が良いかも」

「そっちからの方が駅まで近いのか?」

「ううん、遠い」

「……我が妹よ、ならどうしてその道を勧めるのか、お兄ちゃんに説明してくれないか?」

「確かに遠いんだけど、そっちの道を抜けると道路に出るの。ほら、この道って泥になったせいで滑りやすいからさ、そっちの道に抜けたほうが安全だと思うの」

「なるほど……確かにそうか。あの分かれ道から先にこのまま進むとなれば、この辺よりも坂が急になってしまうからな。歩くのが慎重になる分、むしろ時間を食う可能性があるか……」

「でしょ? そりゃ道路だと雨が直接当たっちゃうけど、怪我するよりかは風邪ひいた方が個人的にはマシだし」

「……いや雪音、お前は俺達の中で唯一雨具を着ている存在なんだから、そんな風邪とか気にする必要はないと思うぞ」

 

 そんな二人の会話を聞きながら歩いていると、途端雨足が強くなった。

 

 あまりにも突然だったので、思わず空を見上げてしまう。……雨足が強くなったという認識は誤りだった。。

 

 見上げた空に広がるは黒き空。そこに先程まであった葉の屋根は無く、そのせいで直接雨粒を受けてしまっていただけだ。

 ……良く見ればこの場所、登る前に見たあの美しい景色の場所じゃないか……あまりにも違いすぎですぐには気付けなかった。

 

 目の前にある木で出来た手すりのような柵はそのままだが、その先に広がっていた地の果てまでの蒼い空は、今では黒い雨雲に支配され、暗い空へと変わり果ててしまっている。

 陽の光で照らされていた街並みは遠く、霧のようなモヤでうっすらと形がわかるのみ。

 柵の下に広がっていた緑の海は、ただの黒くて暗い闇へと成っていた。

 あの時感じた、少しの恐怖と大きな感動はそこに無く、ただ恐怖のみが心の中を支配していた。

 

「……天気一つで、ここまで変わるもんなのか……」

 

 思わず、そんな呟きを漏らしてしまう。

 

「えっ?」

 

 その呟きが聞こえたのか、すぐ前を歩いていた癒枝が振り返って返事をする。

 

 ……瞬間、ツルっと、泥に足を取られて滑り、こけそうになる。……こんなに狭い道で。

 

「危ないっ!」

 

 その倒れそうになる体を支えようと、届くわけが無いのに、叫びながら手を伸ばす。

 ……もし……もしこんな狭い道でこけ、倒れてしまったら、あの黒くて暗い、死の闇へと吸い込まれてしまうような気がして……脳内に、落ちていく癒枝の姿が焼きついて……それだけで、背筋が凍ってしまった。

 不安と、絶望と、恐怖で全てを支配され、全てを内側から握り潰されるような感覚が、迸る。

 ……がしっ! ――

 

「ふぅ……危ない危ない。マジビビッた」

 

 ――聞こえるはずの無いそんな音を響かせながら、癒枝は木のような柵に捕まった。

 

 ……危ねぇ! 本当に落ちるかと思った! 心臓バクバクしてるし背中に雨とは違う気持ち悪い液体(汗)が吹き出てきてるし!

 

「お、お前……マジでビビらすなよ……」

 

 安心しきってしまい、足の力が急激に抜け、膝から崩れ落ちてしまう。

 

「いや、うん……さすがのあたしも、わざとじゃないから……」

「わかってるよ……わざとだったら、落ちろ、って言ってるところだよ……」

 

 癒枝の気が抜け切った言葉にも、同じように気の抜けた言葉しか返せない。

 ふと前を向けば、先を歩いていた兄妹も足を止めて振り返って待ってくれている。……オレの叫び声が聞こえたのかな。

 ……まぁともかく、早く追いつくとするか。さっきの出来事で無くなった体力と精神力を総動員させ、崩れた膝に力を込めて立ち上がる。

 

「それじゃあ癒枝、早く立てって。そんなに全体重預けてたら、その柵ごと本当に落ちちまうぞ」

「それは無いって。だって昼にここ来た時、あたしが全体重乗っけてギシギシ言わせても落ちなかったんだし」

 

 そう言えばそうだったな……って言うか、ここがあの場所だって気付いてたのか……ここまで景色が違うのに。

 

「そりゃそうかもしれんが、念のためだよ。それにほら、部長達も待ってくれてる。急がないとな」

「いやまぁ、そりゃ分かってんだけどさ……その……」

「あん? どうかしたか?」

「あの……あんたに借りてたジャージ……下に落としちゃった……。ゴメン」

「……何だよ、そんなことか……」

「そんなことって……」

「別に良いよ、そんなもん。ジャージなんて買い直せば済むし、お前の命がジャージ一つで救われたんなら安いもんだ」

「えっ……?」

「それに正直な話、お前にそうして言われるまで、ジャージが下に落ちたことなんて気付いて無かったよ。それだけお前が助かったことに安心してんだ。だからそのことは気にすんな」

「…………」

 

 ……ん? 今オレ、どさくさに紛れて恥ずかしいこと言わなかったか……? 癒枝の顔も真っ赤だし……。

 ……まぁ良いか。まだ心臓バクバクで緊張しまくりで、何言ったか記憶に無いことだし。

 

「それじゃあほれ、心配事もなくなったろ? さっさと部長達に追いつくぞ」

「うん……」

 

 きっと今頃になって、自分が死ぬかもしれなかったことに実感が持てたんだろ。癒枝のこの顔の赤さは。……死にかけた当事者だからなぁ……たぶんオレ以上に心臓が脈打って、血液の回りが早くなりすぎて顔まで赤くなってんだろ。

 

「ねえ」

「ん?」

 

 今だ全体重を柵に預けたまま、意を決したような言葉を癒枝がかけてくる。

 

「その、じつはさ、支えた足捻っちゃったみたいで……痛くて立てないの」

 

 その言葉に思わず、はぁ……、とため息を吐いてしまった。そんなオレの様を見て、癒枝は少しだけ眉を上げる。

 

「どうしてため息を吐くのよ?」

「いやな、それならそうと早く言えば良かったんだよ。どうせお前のことだから、恥ずかしくて言えなかったんだろ? んで、どうすれば皆にバレないように歩けるか考えてた、ってところじゃないのか?」

「……うん……まぁ、そんなとこ……」

 

 やっぱりな……そりゃため息も出るよ。そこまで意地張らなくても良いじゃないかとオレは思うし。

 っつかもうちょい頼っても良いんじゃないとも思うし。……ま、今はそんなこと考えてる場合じゃないか。

 

 オレはおもむろに癒枝を抜き去り、背負っていたリュックを地面に降ろし、柵に体重を預けたままの彼女に背中を向けてしゃがみ――

 

「それじゃ、背負ってやるよ」

 

 ――ほれ、こいっ。とばかりに後ろ手に招きながら言った。

 途端、癒枝の顔が今以上に赤くなった。

 

「なっ……! ちょっ……そんな恥ずかしいこと出来るわけ無いでしょ?!」

「確かに恥ずかしいかもしれんがな、このままここに留まるのはいかんだろ」

「でも……ほら、それだとあんたに迷惑かけちゃうじゃない!」

「今更迷惑なんて考えるタマかよ。っつか、見た目通り軽いだろ。なら大丈夫だ」

「足がこんな状態じゃ無かったら確実に殴ってたわよ、今の発言」

「足がそんな状態じゃ無かったらこんな会話してねぇよ。いいからほれ、さっさとしろ」

「……そうしてあたしの柔肌に触れようって魂胆ね」

「触れたって何の興奮もしないがな」

「くっそおおぉぉぉ〜〜〜……足がこんな状態じゃ無かったら……!」

「だから、そんな状態じゃ無かったらこんな話になってねぇって」

「…………。……わかったわよ。それじゃあ、あたしを背負わせてあげる。でもこれはあくまであんたが背負いたいって言ったからであってあくまであたしが背負われたいとかそんな感情は一切――」

「わかった、わかったから。早く行こうぜ。部長達を待たせちゃ悪い」

 

 今だブツブツと何かを言いながら、柵に手を這わせ、片足を引きずりながら、こちらへと近付いてくる。それを軽く振り向きながら眺めていると――

 

「えっ……?」

 

 ――手を這わせていた、柵が、崩れ、落ちていく。そんな映像が目に映った。