「それよりも部長、もうこの勝負は負けで決まりですし、どこが悪かったか教えてくれませんか?」
盤上のコマを取り除き、またいくつかは裏返す。そうすることでさっき部長の言った五手前……オレの負けを確定させたところまで戦況を巻き戻す。
「ああ、全然構わんさ。むしろそうして向上心があるのは、部長としてはうれしい限りだ」
必死に雪音さんに説明している癒枝の声をBGMに、部長にその状況からの最善手を聞き出す。
……何ともまぁ、聞いて分かったことだけど、その最善手とは一つしかなかった。しかも勝つためには、その後の手を一つも間違えてはいけなかった。
つまりはまぁ、この状況になったら、このパターンでしか勝てないと言うことで……。そう追い込んできた部長のスゴさがわかっちゃう訳で……。と言うか、追い込まれたオレの腕の未熟さが腹立だしくなるぐらいで……。
「ま、こんなところだな」
「あ、ありがとうございます」
あ……あまりにも情けない……自分が、情けなさすぎる!
あの勝つために一手しか置いていけない状況、そう陥らないためにはさらに二手前からコマの置く位置を変えておかなくてはならなかったのだ。
「そう気を落とすな。二手前、ということは、ちゃんと一手は正解の手を打ててたってことなんだからな」
部長にそう励まされても素直に喜べない。
「と言うわけでどう?! ゆっきー!」
と、二度目の説明を終えた癒枝の声が耳に入る。
「どうって言われましても……」
「行っても良いと思わない?!」
「まぁ、危険ではなさそうですし、兄さんも行きますからねぇ……」
雪音さんなりに疑問に思うところも色々と聞いたのだろう。それら全ての答えを踏まえての思考。……そうじゃなかったら行こうとなんて思わないだろうしな。魔法使いを探しに行くためだけに山登りだなんて。
「そうそう。それに、絶対に楽しいわよ」
「楽しい……ですか?」
「うん! 絶対!」
楽しいと答える癒枝に対して疑問を持っているところを見ると、どうやら雪音さんもオレと同様、魔法使い捜索に関してはあまり納得がいっていないようだ。……当然か。部長みたいに「いたらカッコイイ」なんて理由で納得がいく変わった人じゃないし。
と、チラりとオレの顔を見る雪音さん。助け舟でも欲しいのかな、と思ったが……。
「わかりました。オセロ部の皆さんが行くのなら、わたしも行かせてもらいます」
行くと返事をしているところを見るとそうでもなかったらしい。
「よしっ! これで決まりね!」
「ちょっと待て!」
行くことを確定しそうになった癒枝に待ったをかける。
「オレは行くって言ってないぞ!」
さっきは腹を殴られてウヤムヤにされたからな……ちゃんと行かないという意思表示をしておかないと。
「は? もしかしてあんた、行かないつもり?」
「何当然のように行くことになってんだよ。そのことにビックリだよ」
「だって魔法使い探しよ?」
「だから、魔法使い探しだから行きたくないんだよ。そう言えば行くに決まってるみたいに言われても困るって」
「魔法使いよっ! 魔法使い!」
「声を大にして強調しても行く気なんて起きないから! そんな下らないこと!」
「……空気読めない奴」
「空気読んでおもしろくないとこに行かされるのはイヤだからなぁ!」
「……じゃあ仕方ない。部長、コイツを退部にしてください!」
「何でだよ! 何でそこまで話が飛躍すんだよっ!」
「だってゆっきーは“オセロ部の皆が行くなら”って条件出してきたんだし、だったら行かないあんたをオセロ部から取り除けば……」
「おかしいっ! その思考はおかしい! 何で部に所属を続ける基準がお前のワガママなんだよ!」
「ワガママはあんたでしょっ!」
「違えぇよ! どう見てもお前だろ!」
「まったく……ワガママ言ってる当人は、全員がそう言うから困るわ」
「だからそれもお前だからなっ!」
エキサイティングしてきたところで、部長にまぁまぁと止めに入られる。
「とりあえずは桐生、どうしてそこまで行きたくないのかを教えてくれないか」
「どうしても何も……おもしろくなさそうだからですよ。魔法使い探しなんて」
割って入ってきてくれた部長に視線を移して正直に答える。
「それじゃ、明日は特に用事があるとかじゃあないんだな。部活も今週から休みに入ったって話しだし」
夏休みが開けてすぐに軟式テニス部は試合がある。そのためオレの所属している硬式テニス部は、その軟式テニス部の試合が終わる九月終わりまでコートは使えない。
オレ達の試合は十月終わりから始まるので、その軟式テニス部の試合が終わるまでコートを貸しておき、終わってからコートを借り続けようという算段らしい。
だから部活再開は学校が始まってから。しかも再開しても当分の間は筋トレのみ。
だからまぁ――
「――確かに……用事はありませんけど……」
「それじゃあ別に行っても良いじゃないか」
「いやだから、おもしろくなさそうだから行きたくないんですよ」
「確かにお前にしてみたら魔法使い探しはおもしろくないかもしれない。だがな、俺達と同じ時間を過ごすことがおもしろくないと言い切れるか?」
「それは……」
もしその部長の言葉に頷けるなら、夏休み終わり際の今この時期に、こうして砂漠の中を歩いているような錯覚を起こしてしまうほどの暑い中を歩いて学校まで来て、蒸し風呂に突っ込まれたように暑いこんな教室でオセロなんて打ってないだろう。
「……確かに、言い切れませんけど……」
「なら、一緒に山に登るぐらい良いじゃないか。魔法使いなんて探すフリさえしてれば良い」
「それを本人の前で言いますか」
癒枝のツッコミが入る。……が、確かに部長の言う通りだ。別に、魔法使い探しを目的として山は登るものの、ムリしてまで探す必要なんてなかったんだ。
それならまぁ……相変わらず部長に乗せられてる気もするが――
「――わかりました……いまいち腑には落ちませんが、オレも行きます」
……ま、楽しいことは決まってるんだし、別に構わないか。
「なら今度こそ決まりだ」
「いやちょっと待ってください、部長」
と、今度は癒枝が決まりを宣言した部長の言葉を止めた。
「どうした堀井? これで魔法使いを探しに行けるんだぞ。両手を挙げて積んである机の一つでも持ち上げるぐらい喜べば良いじゃないか」
「確かにそうなんですが、でもこのままじゃああのバカは探さないじゃないですか」
オレを指差してそんな失礼なことを平気で言ってくる。ま、これが癒枝なので慣れてると言えば慣れてるのだが。
「それはお前、言葉のアヤってやつだ」
「言葉のアヤ?」
「そ。ああ言わないとあいつはついて来ないだろ? そしたら必然的に雪音もついて来なくなり、俺もついて行かなくなる。ま、言ってしまえばウソみたいなもんさ。向こうに着いたら探させれば良い」
「それを本人の前で言いますか」
今度はオレが部長にツッコンだ。
でも癒枝はなるほど! と納得しているし、もしここでオレが部長に詰め寄ろうとも、この人はまた今みたいにのらりくらりとやり過ごすことだろう。
「ま、そんな訳で癒枝。さっそく明日に向けて計画を練ろうじゃないか」
「そうですね!」
……んまぁ、部長が関わってくれるなら、少なくとも命に関わるような無茶振りはしてこないだろう。
オレは立ち上がって癒枝に席を譲り、隣の席に移動する。
「それじゃあ雪音さん、オレ達はオセロでもしてますか」
向かいに座ったままの雪音さんに言葉をかけながら、先程までオレと部長が使っていたコマと盤を移動させる。
「そうですね。ま、わたしじゃあ桐生くんには勝てませんけど」
「否定はしませんよ。これでも部長に鍛えられてますから」
なんて会話をしながら、盤上のコマを全て取り除き、それぞれの色を対角になるよう配置する。
「いつも通り白色で?」
「うん。わたし的に後攻の方が攻めやすいですから」
「端に置くコマは?」
「二つ。いい加減コレで勝てないと話になりませんので」
隅の四角。そこに対角になるように二つ、白色のコマを置く。所謂ハンデというやつだ。こうしないとオレと雪音さんは良い勝負が出来ない。
ついこの前までは三角に置いて先攻を取り、ようやく彼女が勝ててたかと思うと、少しだけ感慨深い。
「それじゃあ始めますか」
「はい。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
互いに挨拶をし、黒色を盤上に置いて白を黒に変える。次に雪音さんが白を置き、同じように黒を白に変える。
部長と癒枝の会話をBGMにソレを繰り返し、中盤戦に入った頃、雪音さんの手が止まった。
……部長曰く、オセロで重要なのは中盤戦。五・六手目から置く場所を考え、その考えを引き継ぐように中盤戦に挑む。
その時重要なのは引っくり返せる数じゃない。いかに相手の置く場所を減らせるか。どうすれば相手にパスをさせることが出来るのか。その二点のみ。
そうしておけば、終盤戦に差し掛かる頃にはこちらの数が多くなってくる。
「そういえば桐生くん」
と、自分を呼ぶ雪音さんの声。真正面にいるその人を見るために視線をチラリと上げると、盤上に向けている視線と思考に耽るキレイな顔をそのままに、盤上のコマを引っくり返す音を下から響かせている。
「どうかしましたか?」
視線を盤上に戻し、引っくり返された場所から次に自分が置くべき場所を考える。
……む、結構良いところに置いてるな……でも……そこに置かれたならココに置けば……。
「桐生くんはどうして山登りに参加するんですか?」
「そんなの、楽しそうだからですよ」
「魔法使い探しが?」
「違います。皆と一緒に行くのがですよ。雪音さんと部長、ついでに癒枝と一緒だと、何でも楽しそうですからね。そういう雪音さんはどうしてですか?」
「それは……桐生くん――ょだから」
「え? オレがどうかしましたか?」
「べ、別に何でもありません。それよりも桐生くんの番ですよ」
視線を上げようとしたら注意された。微かに見えた顔は赤かったような……もしかして……。
「それで、さっきは何て言ったんですか? オレの名前が聞こえましたが」
「だから別に何でもありませんって。ただ、桐生くんと一緒で、皆と一緒で楽しそうだからですよ」
「あ、そうですか……」
はああぁぁぁ……クソッ……また変に期待してしまった。こう、毎回期待してしまう自分がバカなのは知っている。
でも……どうしても、毎回同じような状況で毎回期待してしまうオレがいる。
……ホント、オレと一緒だから、って言ってくれたかと思ったんだけどな……。
……そうなると、顔が赤かったように見えたのも気のせいってことか……――
「――そう言えば雪音さん、山登りとかして大丈夫ですか?」
「ん? それはどういう意味ですか?」
「どういう意味も何も……雪音さん、運動とか苦手じゃありませんでした?」
「運動は苦手ですけど……山ぐらいは登れますよ。アレぐらい小学校時代に登れましたから」
「あ、そうですよね。それなら良かっ――」
「それとも何ですか? 桐生くんはわたしの体重じゃああの山登りきる前に体力無くなるんじゃないのかって言いたいんですか?」
「いえ、何もそこま――」
「まぁ確かにわたしは太ってますもんね。そんな体つきじゃあ自分の体を歩かせるだけで苦労するだろうに山を登らせるなんて自殺行為に等しいとそう言いたいんですね」
「いえですか――」
「あぁそれともアレですか。それだけ太いんだから少しは山登りとか有酸素運動とか階段の昇り降りとか色々してさっさと痩せろとそう言いたいんですね。あぁ確かにそういう意味じゃあ今回の山登りはわたしにピッタリですね。この太い体を纏ってる脂肪を燃やして燃焼させて消すことが出来るんですよもんね」
ああ……ダメだ……。
こうなったら何を口出ししても無駄だ。
こうなった雪音さんを見るたびに思う。やっぱり部長の妹なんだな、と。少し変わったところがあるんだな、と。
こうして雪音さんと話すようになって分かったことがある。それはもう、イヤでもわかることなんだけど……。
さっきのを見てる人なら気付いているだろうけど、この人は自分の肉付きを酷く気にしている。
何がきっかけで“ああ”なってしまうかは知らないけど、ふとしたきっかけで、“ああ”して激しく自虐してしまう程に、気にしている。
正直な話、雪音さんは太っていない。少しふくよかなイメージは確かにあるが、それは、その……胸が大きいせいだ。くそっ、胸が大きいとか改めて口にすると照れる。
ともかくそういう訳だ。ちゃんとクビれもあるので、決して太っている訳じゃあない。
でもそれはあくまで、他人であるオレ達から見た感想。当の本人である雪音さんは、その胸を推して太っていると思っている。
この前ああして自虐モードに入った時、自分のことを「AV女優のロリ巨乳のポジションでスイマセンでした!」と言っていたし、相当気にしていると思う。
ま、確かに痩せる時は胸から、って言うのを耳にしたことはあるし、痩せる努力をすること自体は無駄じゃないかもしれない。
でも……もし痩せる場所が別になっちゃったら……今以上に胸が強調されちゃうことになるんだよねぇ……。
ま、本人に言うのは恥ずかしくて無理だけど。
「よしっ! それじゃあこれで行きましょう!」
と、どうやってあの自虐モードに入った雪音さんを静めようか考え出したところで、隣から大きな声と立ち上がる音が聞こえた。
立ち上がっても座っているオレと大した身長差がない悲しいその少女は、オレ達の方を振り向き、声高々に宣言した。
「明日午前十時! 山に最も近い駅の改札口前に集合! 服装は自由の昼飯持参! 雨天中止! 中止の場合はここに集合ってことで!」
◇◆◇◆◇
好きな人がいる。
いつから好きになったのかはわからない。
でも、その人に出会い、こうして好きになったと自覚できた期間を述べるなら、今年四月から八月終わりの四ヵ月に果てしなく近い三ヵ月。
好きになったきっかけは一目惚れ。
その人は、中学時代から尊敬していた先輩の妹で……。
最初は、何とも思ってなかった。むしろ疎ましく思っていたのかもしれない。
尊敬しているその先輩から妹の話はまったく聞いたことが無くて、大切なものを奪われたような喪失感があった。
だから、その喪失感の根源であるその人を、疎ましく思っていたかもしれない。
何よりその人は、オレを含めた先輩以外の人とまともに会話しようとすらしないのだ。だから余計にそうだったかもしれない。
でも、いつの間にか腐れ縁の友人が話すようになっていて、さらに大切なものを奪われたような気になっていて……。
……でも……オレもその人と話すようになる頃には、そんな喪失感は無くなっていて……。
簡単なことだったんだ。あの時感じていた喪失感は、ただの嫉妬だったんだ。
オレが勝手に抱いていた嫉妬。
その人に辛く当たった記憶は無い。ただ、向こうが話しかけてこないから、オレからも話しかけなかっただけ。腐れ縁の奴と仲良くなってから話しかけてきたから、オレも話すようにはなっていた。……それが彼女にとってどれだけ勇気を振り絞っていたのか、今のオレならわかる。いや、結構前からわかっていた。
だからわかった時、謝った。
オレは勝手に、あなたに嫉妬していました。あなたの事を勘違いしていました。あなたからすれば何を言っているのかわからないでしょうけど、こうして謝らないとオレは、あなたと接していけない。
だからこれは、ただの自己満足です。でも、それでも、謝らせてください。すいませんでした。
と。
何を言っているのかその人もわからなかっただろう。
でもその人は、ポカンとした後、無視すれば良いオレの顔を見て、微笑み、言葉をかけてくれた。
確かにわたしは何を謝られているのかわかりません。でも、あなたがそれで満足なのなら、謝ってくれて良いです。それ以上のお礼を、わたしがあなたに言いますから。
お礼? と首を傾げるオレに、その人は言葉を続けた。
そう、お礼です。
癒枝ちゃんのように向こうから接してくれないあなたを、最初はわたしも相手をする気はありませんでした。……でも……そうして接してくれなかったから、今わたしは、こうしてあなたと仲良くなれました。何より、他人と話す勇気をもらえました。
だから、そのお礼です。
……これはあなたと一緒で、ただの自己満足です。だからあなたが自己満足を果たすのなら、わたしも勝手に自己満足を果たすだけです。だから本当に、ありがとうございました。
と、満面の笑みを浮かべて言ってくれた。
それ以来意識するようになって……気が付けば、好きになっていた。
優しい心を持った、少しだけ自分の体が嫌いな、その人のことが。
きっかけはたったそれだけ。
でも、そのきっかけのおかげで、その人を見ていくことができ、最終的に好きという気持ちすら持てるようになっていた。
それがオレの――小野山桐生と言う名で生を享けた存在の――初恋だった。