「おっ! 現状では最善手だな、それ」
「でしょう?」
「でも残念だな。お前はもう、五手前から死んでいる」
「そんなに前ですか」
「ああ。確かにこの状況なら、俺はこことこことここの三箇所に置いたら負ける可能性のままだ。しかもこの中の一つは置いた時点で負けが確定しちまう。だがそれ以上に、俺が勝てる手が四箇所そのまま存在してしまってる」
「まぁ、部長が負けるための手に置くとはオレも思ってませんでしたが」
「だからあたしの話を無視すんなああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーー!!!」
「だから耳元で怒鳴ってくるんじゃねえええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーー!!!」
部長とオセロのことを話してたらまた耳元で怒鳴られた。っつか――
「――空気読めよ! 部長までもお前の意見に耳を貸さなくなっただろ! 無かったことにしようとしただろ! じゃあこれ以上主張しても無駄なんだよっ!」
「そんなことありません〜! 部長はまだあたしの話を聞いてくれる気です〜! ねぇっ!」
血鬼迫る表情で見られた部長は、いやまぁ、と言葉を濁して冷や汗を流す。
「ほらみなさいっ!」
「今の反応の何処に聞いてくれるって要因があったんだよっ! 今のはどこからどう見ても反応に困ってたろっ!」
「そうねぇ! でも今のは“えっ、そんないきなり答えを求められても”って感じの迷いだったわ!」
「わざわざモノマネなんてしなくて良いよ! っつか本当にそう思ってるお前の図太い神経には驚かされるわっ!」
「いやまぁ、そんなに――」
「褒めてねぇよっ?! 勘違いしようとしてるとこ悪いけど!」
まったく……と呟きながら、いつの間にやら立ち上がっていた自分の体を椅子に座らせて落ち着かせる。
……んまぁ、仕方ねぇか。とりあえずはこいつの話を掘り下げてやることにする。どうやら部長もそうしてもらうのを期待してるようだし、何よりこのままじゃオセロを続けることもままならん。……はぁ――
「――それじゃあとりあえず聞いてやるが、まず、何で探す場所が山なんだ?」
「何でって……探すのは魔法使いだから」
「お前が言ってるのは手品師だろ? そんなもん、テレビ局の前で張ってる方が見つけやすいし出会いやすい」
「ホント、あんたってバカねぇ……」
「お前にだけは言われたくねぇ」
「ま、あたしの話を聞いて知識量でも増やしなさい。良い? あくまであたしが魔法使いを探そうと決めたきっかけはあのテレビに出てた魔法使いよ。でもね、あたしが探したい魔法使いは、あんなテレビに出て調子に乗ってる魔法使いじゃないの。テレビにも出ない、人里にはまだ出てきてない魔法使いなの。だからこその山よ」
「ああ、ちょっと待て。その発言はもしかしてツッコミ待ちか?」
「何言ってるの? 良いから最後まで聞きなさいよ。そしたらわかるから。……で、よ。どうして山なのかと言うと、あたしの中である連想が浮かんだの」
「ある連想?」
「そ。魔法使いと言えば怪しげな実験。実験と言えば人目につかない場所。人目につかない場所と言えば山。食料も豊富にある山。だからこそ、山に魔法使いを探しに行きましょうって言ってるの。どう? 良い知識だったでしょ?」
「ああ。どうでもいい知識だったよ。そんなものをオレの神聖な脳ミソに刻みたくもないぐらいにな」
「んまぁ、あたしの考えがあんたみたいな下等生物に理解できると思ってなかったけどね」
「物理的に下等なお前にソレを言われるとは思ってながふぅっ!」
「はい死んだー。身長のこと言っちゃったから死んだー」
「ちょっ……お前マジ……鳩尾は話にならんて……!」
座ってるオレの身体にピンポイントで狙ってきやがって……! くそぅ……マジで痛ェ……!
だがオレは真実しか言っていない。間違っても嘘なんて一言もついていない。この幼児体型の、中学生に間違われても――むしろ小学生に間違われてもおかしくない女、堀井癒枝という女については。
小学校からの付き合いだが、まったくと言っても差し支えのない程変化していない体型。
身長も多少伸びてはいるが、それでも高校生と見るには低いことに変わりない。
その見た目に相応しいクリクリとした瞳を勝気に吊り上げている様はさながらガキ大将。
赤ん坊のようにフニフニとしていそうな柔らかそうな頬と、背伸びをしている子供のように整っている眉は、前述の勝気な瞳と合わさって、アンバランスなのに絶妙なバランスを保っている。
その軽い矛盾を孕んだ見た目だけでも十分なのに、短めのツインテールにしている彼女の髪は、本人曰くクォーター故の誰も踏み入っていない陽に照らされた雪原のような白さを誇っており、これまた可愛く美人という二重の存在が主張されている。
そんな彼女のクラスメイトの評価は「歩くロリコンホイホイ」「ロリコンのためだけに生まれた存在」等々。
「話は大体理解できたが……それで堀井は、何処の山にその魔法使いを探しに行くのか決めているのか?」
腹を押さえて悶えているオレに代わって部長が話を引き継ぐ。……と言うか、部長は今の話を理解できてたのか……?
「もちろんです。あそこに見えるあの山です」
癒枝はそう言うと窓の一角を指差す。
そちらへと視線を向けると、青い空の果てに霞んで見える山々。ってあそこ、小学生の時とかに登らされる近場の山じゃないか。
子供でも時間さえかければ頂上に辿り着ける程度の高さ、頂上から見える街並みは言葉を失う程度の美しさ。子供の頃に登って見たあの景色は、自分がいかにちっぽけな存在かを再認識させられた記憶がある。
だがそれでも、その魔法使いとやらを探すにはいささか近場すぎる気もするが……。
「何だ、あそこじゃ近すぎるんじゃないのか?」
それは部長も思ったのか、疑問をそのままに癒枝に訊ねていた。
「いえ、あそこで良いんです。ヘタに高い山なんかで探そうとしたら、あたし達が遭難しちゃいますからね」
「なるほど。それじゃあもし探しに行くことになったら、どういうブログラムで探すつもりなんだ?」
「そうですねぇ……やっぱりまずは、頂上まで登って、お弁当食べて、それからそこを起点にして探し回ります」
「魔法使いだって確認する術は?」
「直接聞く」
おいおい……何でそんな自信満々に答えれんだよ……。
もし本当に魔法使いがいたとして、直接「あなたは魔法使いですか?」何て聞いても答えてくれるはずないだろ……。
それじゃあさすがの部長も賛成なんてしてくれな――
「なるほど、わかった。それなら俺は賛成だな」
「――ってしてくれたよっ!」
「よしっ!」
オレのツッコミと喜ぶ癒枝の声が重なってしまった。
……いやでも、何だ……さっきの説明を丸々聞いて、何で部長が納得できて、しかも協力的になれたのかオレには理解できないんだが……。
「ま、だが雪音が行かないって言うなら俺も行かないがな」
と付け足す部長。その言葉を聞いた癒枝は「それなら楽勝ね。あの子ならすぐに説得して見せるから」と意気込んでいた。
「ちょ、どうして行くんですか? 部長」
その様子を視界の端に収めながら、どうして行くのかわからないオレはその意図を訊ねる。
「どうしてって……彼女が行きたがってるからじゃないか」
「そんな簡単に……だって魔法使い探しですよ? そんなのに付き合ってなんてられないじゃないですか」
「いや、そうでもないぞ。もしかしたら本当に魔法使いが見つかるかもしれない」
「どう考えても見つかりませんって」
「ツチノコよりかは見つけやすいだろ?」
「どっちもどっちですよ」
「それに何より、本当に魔法使いがいたらカッコイイじゃないか」
「はぁ……またそれですか」
オレの尊敬するこの人のこういうところだけは今だ理解できない。中学時代からテニス部の先輩後輩としてずっと付き合ってきたにも関わらずだ。
何もかもを見透かしているような鋭い目つきと端正なルックスをしていて、「尊敬している」というオレ独自のフィルターを外したとしても、同姓から見てカッコイイことに変わりはないその外見。
身長は平均よりかは高いオレよりもさらに高く総合的に大人っぽい。
が、そんな外見とは裏腹なたまに見せる子供っぽい表情もあり、そのせいか女子からの人気はかなり高い。なんせ、一年下のオレ達のクラスにまでカッコイイと話題が出るぐらいだし。
それなのに……さっきみたいなカッコイイ基準な言動のせいか、イマイチ女子から話しかけられていないっぽい。
付き合いの長いオレ達はその言動を知っているが、知らない人から見たらアレは、カッコイイ云々じゃなくてただの不思議なだけの言動に見えてるみたいだし。
……そりゃまぁ、部長に彼女なんか出来たら、部長と一緒にいられる時間が短くなるし、彼女なんて出来ないに越したことはないんだろうけど……それでも少しだけ、将来を心配してしまう。オレ後輩だけど。人のこと言える立場じゃないけど。何より部長本人が、今のところ女子に興味が沸いてないみたいだけど。
「ああ、またそれだ。それにアレだ、近場の山って話しだし、特に危険ってこともないだろう。それなら行っても良いじゃないか。夏休み最後の思い出が山登り、なんてのもオツなもんだと思うが」
まぁ、確かにそうなのかもしれんが――
「――その山登りの目的が魔法使い探しって……と言うか、本当に魔法使いっぽい人に、あなたは魔法使いですか? って聞いて回るつもりですか? そんなこと、もし万が一本物の魔法使いがいて偶然訊ねることができたとしても答えてくれるとは思いませんし、何より外れるのが決まってるだけに周囲からとか問うた本人からの視線が痛すぎます」
「じゃあ外さなければ良い。お前の直観力次第だな」
「だからいませんって。それに部長も探すんですよ?」
「もちろんわかってるさ。ローブを羽織ったあからさま魔法使いって格好のカッコイイ奴を見つけだしてやるさっ」
「いやそんな意気込まれても……それにそもそも山中にそんな格好の人自体いませんから」
「すいません! 遅れました!」
と、ガラっと扉の開く音。それに混じるように女性の大きな声。
特に時間も決めていないこの部活に遅れたことを律儀に謝って教室へと入ってきたのは、先程チラリと話題に挙がった雪音こと浅野雪音さん。
平均的な女性としての身長よりかは少し低いが、癒枝よりかは高い身長。
その癒枝とは違った可愛らしい瞳をそのままに、長い髪を左右にゆるくおさげにした童顔な人。これでオレや癒枝より一つ上で部長と同い年だってんだからビックリ。
でもその体つきは、一つ上というよりもさらに上に感じさせるように艶かしい。
何よりまず最初に目がいくのはその豊満なバスト。ソレが彼女の存在を何よりも強調している。だからと言って太っているわけではなく、カッターシャツの上から見てもその身体のラインはしっかりとくびれている。
この暑苦しいのに、夏服用のものより厚めに作られている冬服用の長袖カッターシャツを袖を捲くってまだ着ているのは、ブラのラインが透けるのがイヤなためらしい。女子しかいないと言っても過言じゃない就職科に所属しているのにだ。きっとそれだけ胸にコンプレックスを抱いているのだろう。
ちなみに同じ学科に所属している癒枝は平気で夏服用を着用してラインを透けさせている。……ま、こんだけ幼児体型だとまったく性的興奮が沸かない訳だが。
「そんなことはどうでも良いの! ゆっきー!」
と、現れた雪音さんにいきなり詰め寄る癒枝。
教室の中に入ろうとしていた雪音さんだが、突然詰め寄ってきた癒枝に驚いてその場に留まってしまう。むしろ一歩後ずさっている。
「ど、どうかしましたか? 癒枝さん」
「ちょっと話があるの! 良いから中に入って入って!」
詰め寄った勢いのまま片手を取り、オレ達が座っている隣の席に雪音さんを座らせる。
今の状況が理解できないのかオロオロしている雪音さんをそのままに、癒枝は先程部長にした演説をさらに誇大化して話し始めた。
……あの調子だと、また後で同じ話を聞かせないといけないだろうな……。
「……あの調子で説得が上手くいくとは思えませんが……」
「ま、そこは堀井の腕の見せ所だな」
オレの負けが確定しているオセロを再開しながら、部長と会話を続ける。
「むぅ〜……」
と言うかこれ、再開云々の前に、このままだと部長に負けちまうんだよなぁ……。
「……俺としては、喜ぶべきなんだろうな……」
ふと、部長がそんな呟きを漏らした。
このオセロの盤面のことかとも思ったが、違う。
部長の視線は、必死に演説している癒枝のその相手、雪音さんへと向けられていた。
「……どうしたんですか、突然」
いつもはそんなことを言わない部長にしては珍しいその言葉。だから訊ねずにはいられなかった。
「ふと思った――いや、違うか。いつも思っていることが口から出ただけだ。何なら忘れてくれて構わんさ」
「部長がそうして欲しいならそうしますが、聞いて欲しいなら聞きますよ」
「ふっ……お前に話すことでもないさ。お前なら、もうとっくに気付いてくれてるだろうからな」
なんとはなしに嬉しそうな表情を浮かべて部長は答え、オレと目下の盤上へと視線を戻す。
……部長の期待通り、オレはこの人が何を言いたかったのかは分かっている。
この人が、何に対して喜ぶべきなのかもしれないと呟いたのかを。
部長こと灯河恭一と、彼の視線の先にいた浅野雪音。
苗字は違えど二人は血の繋がった双子の兄妹だ。
見た目の違いは多々あれど、たとえ他人には分からないほど違いがあろうともだ。
……詳しい事情を聞いたことはない。でも、苗字の違い、生き別れたという話、一緒の時を過ごすために示し合わせてこの高校に来たという意思。それだけでもう、容易に想像することは出来る。
二人は互いに仲が良かったのに、親の勝手な意思で引き離されたんだ。
そしてそれぞれの親に引き取られ、それぞれの性を名乗ることになった。どちらがどちらに引き取られたのかはさすがにわからないが、たぶんそうなんだろうと思う。
でも単純に、再開して、こうしてバカなことを出来ることを、部長は喜んでいるわけではない。
……この部活に入りたての頃の雪音さんを見ていたから分かる。
あの人は随分と、人に慣れたのだと。
最初に出会った時は、オレと癒枝、どちらも今癒枝が話しているような会話をすることなんて出来なかった。
全て部長を介しての会話。
部長の背に隠れ、直接オレ達と会話することもなく、またオレ達がいる時は一言も言葉を発さなかったあの頃。
……対人恐怖症。
どうしてそうなったのか、部長ですらわからないその症状。
あの頃に比べれば、今ああして、戸惑いながらも癒枝の言葉を理解しようと努める雪音さんは、本当に変わったと思う。果てしなく良い方向に。
だから部長は、喜ぶべきだと呟いたのかもしれない。
梅雨の時期から、徐々に徐々に言葉を交わし、この夏休みの終わりには、ああして普通の会話をすることが出来ている。仲の良い双子の兄としてこれ以上の喜びはないだろう。
同じ兄だから分かる、その妹の成長の喜び。
……確かにまだ、話せるのはオレ達だけだ。クラスでの様子を見に行った部長が、一人で昼休みを過ごす彼女を見たのだから間違いない。
たぶん、女子しかいないクラスなのに、ああして極力自分を隠すための冬服カッターシャツを着ているのも、自分を話題に上らせて欲しくないため。
自分を、見られたくないため。
でも……それもいずれ解消されるだろう。
だってこの空間で、ああして癒枝と、オレと、話すことが出来るようになったんだから。
「ま、それなら構いませんよ」
だからオレは、部長にそう答えた。
中学時代からの付き合いだから分かってくれると思う。
どうしてあなたが喜んだのか、その理由はわかってますよ。
そういう意味でのこの言葉を。