戦士が消えるのを見た後、勇者は力が抜けたように倒れこんだ。その勇者に駆け寄り、治療をするスルトさん。

「終わった……」

 俺がそう呟き、その場に座り込むと――

 

「ああ、全てが終わった。……ここでお別れだ、雄樹」

 

 ――勇者がそんなことを言ってきた。

「……えっ?」

 何を言っているのか理解できない。おれはただ呆然と、スルトさんに治療される、勇者の背中を見つめることしか出来なかった。その背中から、声が聞こえる。

「元々俺達は、その世界にとって相応しくないものを、元の世界に戻すためにこの世界に来たのだ。別の世界で死んだ者は元の世界に戻る……あの獣やほかの人達、俺達が殺したものは全て、蒼い粒子になって消えただろ? あれは元の世界へと強制的に帰らされたという証に他ならない。今回は偶然にも、俺達の世界の住人がいただけの話で、本来は他の世界の住人である場合ばかりだ」
「だから、雄樹君には悪いと思いましたが、この学校に結界を張り、わざと目立つようにさせてもらいました」

 背中からの言葉に、スルトさんの言葉が続く。

 顔を上げて皆を見てみると、みんなの表情が軽く沈んでいた。……こんな表情は、して欲しくない。

 と、傷の治療を終えたのか、勇者が立ち上がりこちらを向く。そして、頭を下げた。

「すまない。この世界の人間が何人か死んでしまったのは、全て俺の責任だ。おそらく、教室に入り込んできた獣や、あの戦士が用意した獣は、今日来ていなかったお前のクラスメイト五人だろう。その犠牲も、俺の責任だ。本当に、すまなかった」

 頭を下げながらの勇者の言葉。それに対し俺は――

「良い、全然構わない」

 ――普通に、何の葛藤も無く、許していた。

 殺された親などが見れば、頭を下げたぐらいでは許さないだろう。俺だって、親族や彩香さん、東や星辰が死んだら許してないかもしれない。

 でも俺は、この勇者と親友で、殺された人が他人で、殺された奴が嫌いな奴だから、許していた。

 社会に出ればそれは許されることではないだろう。だって普通に差別してるってことだから。

 でも今は、この結果の中は、社会じゃない。

 だから俺は、俺の素の心で許していた。

「でも……ここでお別れってのは、許せない」

 そうだ。俺はまだまだ、彼等と一緒にいたい。

 俺を変えようと思わせてくれた勇者、俺に道の進み方を教えてくれたセリア、俺に心の変え方を教えてくれたミレイ、俺に罪を認める大切さを教えてくれたスルトさん。

 その全員と、俺は、離れたくない。

「どうしてだ?」
「だってここで離れたら、俺は、何も出来なくなってしまう」

 勇者の質問に、地面へと視線を移して答える。顔が満足に、見れなかった。

「何も出来ない……なんてことは無い。お前には才能がある」
「そんな気休めいらない。ずっと一緒にいてくれるだけで良い」
「気休めではない。俺の“音”、ミレイの“うた”、そして何より、俺達に過去を話させた。それは才能だ」
「ソレの何処が才能だ」
「俺達は世界を移動してきて、自分の過去を話してきたことなんてほとんどない。それこそ、雄樹のように無条件で話したことなんてまったく無い。つまりお前は、お前自身も気付いていない“きく”ことに特化した才能を持っている」
「“きく”ことに特化した才能……?」
「そう。ものを聴く、ものを訊ねる、忠告を聞く、それら全ての“きく”ことに才能を持っている。だからお前は、何も出来ないなんてことは無い」
「でも――」

「それになにより、お前は変わろうと自分から努力しただろ。そして今のお前は、間違いなく変わっている。……いや、変わり始めている。だから大丈夫。お前は間違いなく、一人でも生きていける。俺達がいなくても、大丈夫だ」

「そうだろうか……俺は本当に、一人でも大丈夫だろうか……?」
「ああ、親友の俺達が、保障する」

 そう言われて、少しだけ心が軽くなった。

 ようやく顔を上げる。

 そこには、微笑みを浮かべた四人の顔。

 ……そうだ。俺の親友が……俺の尊敬する人達が、大丈夫だと言っている。これほど頼もしいことは無い。

 だったら、大丈夫だろう。

 俺は一人でも、生きていける。

 だから俺は、立ち上がって、言った。

「それじゃあ、勇者達が次の世界に行く手伝いを……俺にさせて欲しい」

 もう迷いは無い。勇者たちを見送ることに。

 だからせめて、勇者たちの手伝いをしたい。親友として。

「……わかった。それではこの剣を、俺達全員の左胸に突き刺してくれ」

 俺の覚悟が伝わったのか、勇者はそう言って俺に剣を渡す。

 その剣は、短剣だった。キレイな装飾が施され、戦闘にはまったく向かないであろう、新緑の色をした短剣だった。

「いつもなら、俺が仲間全員を刺し、最後に自分の心臓に突き刺すのだがな。それを今回は、お前に頼みたい」

 皆を見渡す。俺で良いのかと、そういう意味を込めて。

 皆はただ、無言で頷いてくれた。

 それがただうれしくて……泣きそうになる。でも、泣かない。俺は強く生きると、決めたのだから。

 一人でも大丈夫だと、皆に証明しないとダメだから。

 

 

 まずは、ミレイの前に立つ。俺が最初に、変わろうと思えるきっかけをくれた少女。

 その少女は、どこから取り出したのか、スケッチブックを取り出し、文字を書いて俺に見せる。

(気張らなくていい。何もかんがえず刺せば大丈夫)

 何も考えず……そう言えば。

「これって、突き刺しても痛くないのか?」
(いたくない。大丈夫)

 そこが気になったのだが大丈夫のようだ。

 人を殺すように見えるが、これは親友を送るのに必要なこと。だから、気に病むな。

 あの少ない言葉には、そういう意味が込められているのだろう。本当に短い期間だったが、ミレイはそういう人だということはわかっている。書くのがめんどうくさいから、愛想の少ない言葉になっているだけだと。

「それじゃ、ミレイ。お前のおかげで、俺は変わろうと思えた。心の底から弱さを認めることが出来た。強くなろうと足掻く素晴らしさを教えてもらった。今の俺の土台は、お前のおかげだ。……ありがとう」

 そう言って、左胸に新緑の剣を突き刺した。ミレイの体が、紅い粒子になって消えていく。殺した時の蒼い色とは違うその色は、血の色とは違う輝きを放っており、まるで旅路を祝福しているかのようだった。

 驚いた表情をしていたミレイだが、消える直前、今まで俺に見せたことも無い、満面の笑みを浮かべ――

 

「――こっちこそありがとう。そう言ってもらえて、うれしい。楽しい日々を、ありがとう」

 

 ――そう、言ってきた。本来なら聞こえるはずの無い、彼女の言葉。

 初めて聞いた彼女の声は、幼く見える彼女にピッタリで、歌声を聞きたくなるほど透き通った、そんな声だった。

 幻聴……なのかもしれない。でもあの声はミレイだと、何故か絶対の自信がもてた。

 声が聞こえたことが、ミレイに認められたみたいで……うれしくて……泣きそうになる。でも、堪える。

 

 

 堪えながら、次はセリアの前に立つ。俺に道の進み方を教えてくれた少女。

「峰岸君、楽しい日々をありがとう」

 前に立つや否や、セリアがそう言ってきた。

「こちらこそありがとう。お前のおかげで、進むべき道が見えていたのに、進めなかった俺が、進むことが出来た」

 多少面食らいながらもそう答えた。

 そう、ミレイによって見えた道は、セリアのよって進むことが出来たのだ。

「あたしは何もして無いよ。ただ、あたしが歩んだ道を教えただけ」
「それが嬉しかったんだよ。お前の道の進み方の“果て”であるお前を見れたんだからな」
「あら、あたしはまだ“果て”じゃないよ。全然進んでる」
「ん? そうなのか」
「ええ」

 と、剣を握っている俺の腕を取り、自分の左胸へと突き刺す。驚く俺にセリアは、優しい声音のまま――

「勇者様との結婚」

 ――なんて、顔を少し朱(あか)くしながら言ってきた。その言葉に、さらに驚きながらも――

 

「……ああ、突き進んでくれ。お前の“果て”は、きっと楽しさに満ち溢れてるから」

 

 ――そう、笑いながら、セリアと握手をしながら、言った。

「……ありがとう」

 目を閉じ、笑みを携え、セリアは紅い粒子と共に消えた。

 消える直前、彼女の目元に光る雫が見えた。泣いてくれている……その真実と、握手をしていた感触が無くなるリアルさで、さらに泣きそうになる。でも、堪える。

 

 

 次にスルトさんの前に立つ。俺に、罪を認める大切さを教えてくれた、一目惚れした女性。

「スルトさん……」
「はい」
「今まで、ありがとうございました。あなたのおかげで、罪を認める大切さを、教えてもらいました。でも正直……その話であなたの好きな人の話を聞くハメになるとは思ってませんでした」
「あら、恥ずかしいです」

 そう言って頬を朱(あか)くし、照れる。それだけ魔王のことが好きなのだとわかる。わかってしまう。……ま、元々俺じゃあスルトさんの足元にも及ばなかった存在だ。気にする必要は無い。

「でも、どうして今そんなことを?」

 当然の疑問をスルトさんは俺に投げかける。俺はそのスルトさんの左胸に、剣を突き刺し、彼女の耳元まで顔を近づけながら――

「それは、俺もスルトさんのことが好きだったからです」

 ――囁くように、言った。

 恥ずかしい。頭が熱くなる。

 ソレを誤魔化すように、俺は言葉を続ける。

「短い期間でしたが、本当に好きでした。最初は見た目から、次に性格が、最後に生き様が。でもあなたには、好きな人がいた。だから俺は手を引きます。でもその代わりに、絶対、幸せになってください。俺が好きになった人が不幸になるだなんて、イヤですから」

 それを聞いたスルトさんの表情は見えない。でもスルトさんは、俺の首元に手を回して抱きつき、同じように耳元で囁くように言葉を返してくれる。

 

「……ありがとう、ございます。こんな私を、好きになってくれて……! こんな私の、幸せを願ってくれて……!」

 

 ……泣いてる? それを確認しようにも、スルトさんの腕の力は弱くならない。

「魔王様との幸せを、願ってくれたのは、雄樹君が、初めてでした……!」

 そう言葉を残し、紅い粒子となって消えた。抱きしめられていた感触が無くなる。……結局、泣いていたかどうか、確認できなかった。

 でも最後のスルトさんの言葉……ソレが妙に重くて、俺の体が涙を流そうとする。……でも、堪える。絶対に、泣かない。

 そうすることでしか、強くなろうと、一人でも大丈夫だと、証明することが出来ないから。

 

 

 そしてそのまま、勇者の前に立つ。涙を堪えるので必死な俺に勇者は――

「そうだ。俺が死ねば、この学校に張られた結界は全て解かれる。だからここの生徒は、俺達四人のことを忘れるし、いじった席も元に戻る。でも……ここで壊した壁とかは治らないのでな。開いた壁とかの処理は頼んだぞ、親友」

 ――なんて、明るい言葉で言ってきた。別れるのに相応しく無い、とても軽い言葉。

 ちょっと旅してくるから、なんて軽い気持ちで言い放っているように聞こえる。だから俺は――

「こちらはまかせろ。お前も、仲間全員との旅、頑張れよ、親友」

 ――勇者と同じ軽い言葉で返した。

 そしてそのまま、特に思い出に浸るわけでもなく、勇者の胸に剣を刺す。

 互いに感謝の気持ちもあっただろう。少なくとも、俺にはありまくりだった。でもあえて、それを口にしない。

 互いに、親友として相応しいかどうか疑問があっただろう。少なくとも、俺にはありまくりだった。でもあえて、それを口にしない

 

 だって俺達は、親友だから。

 親友である俺達は、そんなことを疑問に思っても口にしない。

 だってそれが、親友だから。

 

 だからこのまま、お別れ。軽いままのお別れ。

 だって俺達は、互いに信じている。

 絶対に来ないであろうまた会える日が、絶対に来るという、矛盾が訪れることを。

 

 

 

 そうして全てが、元に戻った。吹き抜けから落ちないよう設置されている手すりに、背中を預けるようにして地面に座り込む。

 と、大きな耳鳴りがした。おそらくこの“音”は、勇者がこの世界に存在しなくなったことによる、結界の解除。……本当に、いなくなったんだな。そんなことを思っていると――

「峰岸君」

 ――隣から自分を呼ぶ声。星辰だった。

「どこ行ってたの? 教室を飛び出してからすぐに追いかけたのに、姿が見えなくなってたけど……」

 そうか。俺が結界の中……いや外か。とりあえずそこにいた時も、時間は当然のように過ぎていたのか。俺は星辰の顔を見上げながら答える。

「いや、ちょっと、遠いところから来た親友を見送っててな。それより、皆は? 妙に静かだけど」
「皆は、その、先生が来ないからって、帰っちゃった」
「星辰はどうして帰らなかったんだ?」
「私は、その、峰岸君を探してて」
「そうか、それはありがとう。悪いことしたな」
「ううん、それは大丈夫。でも、その峰岸君……こんなこと聞くのは失礼だけど、何か悲しいことでもあった?」
「ん? どうして?」
「ううん。ただ、なんとなく……。あれ? その右手に握っているもの、何?」
「右手?」

 そう言われて、気付いた。俺の右手にはまだ、勇者達を刺した、あの新緑の短剣が握られたままだった。

「…………」
「峰岸君……どうしたの?」
「いや……何でもないんだ」

 短剣を見つめていた俺は、慌てて視線を外してソレをブレザーのポケットに仕舞う。

 そうだ。親友が大丈夫だといったんだ。だったら俺は、頑張るしかない。

 俺は、変わっていくんだ。

 そう、心に、誓ったんだ……。

「ねぇ……本当にどうしたの、峰岸君」
「ん? だから別にどうもしないって」
「どうもしないって……じゃあどうして峰岸君、泣いてるの?」

 泣いている……? そんなことは無い。だって俺は、強く、去り際まで泣かなかった、勇者のように、強く、なりたいから。

 こんなところで、泣いてなんて……。

「泣いてないよ、俺は。ほら、涙なんて流れて無いし」
「ううん、泣いてる。“泣く”のと“涙を流す”のは違うよ。確かに涙は流してない。でも峰岸君は、泣いてる」
「泣いてもない。泣く訳にはいかない。だって俺は、強くならないといけないから。一人でも大丈夫じゃないと、いけないから」
「……それは違うよ、峰岸君」

 そう言うと星辰は、そっ、と俺を包んでくれた。

 抱きしめる、訳じゃない。

 ただただ、優しく包み込むようにしてくれた。

「強くなろうとするなら、泣かないと。泣いて、涙を流して、張り詰めたものを緩めないと」
「……それこそ違うだろ、星辰。だって俺の知ってる強い人は、皆泣いてない」
「その人達は、人前で泣かないだけ。たぶん、一人になった時、大切な人と二人きりの時は、泣いてるよ。だってそうしないと、人間って、壊れちゃうから」
「……俺も、その人達みたいに、泣いた後、立ち上がれるかな?」
「そう思ってるなら、立ち上がれるよ。絶対に。だから大丈夫だよ、峰岸君」

 何も知らない星辰の言葉。でも今は、その言葉が妙に心地よくて……今まで堪えていた涙は、限界を迎えて……。

「ぐ、ああ、あああああ……」

 俺は、声を押し殺しながら、泣いた。

「ああ、ああああああ、ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……くぅ、あああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……――!!」

 その間星辰は、ただ「大丈夫」と繰り返しながら、俺の頭を撫でてくれた。

 その行為にまた、俺の涙腺が緩む。

 

 そして泣き出したら、涙と共に溢れてくる、勇者達との思い出。

 何度も俺を助けてくれた勇者の姿。

 照れながら勇者のことを話すセリアの姿。

 スケッチブックに文字を書いて俺をからかうミレイの姿。

 泣きながらお礼を言ってくれたスルトさんの姿。

 初めて四人と出会った時の、何とも言えない自分の感情。

 それにまた、涙する。

 

 きりが無い。

 ……でも、良いんだ。これはだって、強くなるための準備だから。

 誰もいない校舎に響く、俺の押し殺した泣き声。聞いているのはたぶん、俺と星辰だけ。

 覚悟を決める。勇者達に教えてもらったこと全てを、実行しながら生きる覚悟を。

 

 そうだな……まずは手始めに、泣き終えたら中学の頃の親友と連絡を取ろう。

 あの時、自分の罪で連絡を絶った、彼等と。

 それでようやく、歩める。

 勇者たちが示した、俺の道を。