ガシッ! と男の足が掴まれる。壁に半ば埋もれ、殴る蹴るの攻撃を急所からはずすので一杯一杯だったであろう少女。

「勇者様……生きてたんですね」

 その少女は、うれしそうにそう呟きながら、掴んだ足を思いっきり押し返す。そうすることで、男との間合いを無理矢理開ける。

「まったく……顔に傷がいって、勇者様に嫌われたらどうするの?」

 口元についていた血を手の甲で拭いながら立ち上がる。

「さて、と……それじゃあミルダエルさん。ここからは対等の勝負です。本当に、万全のあたしに勝てるのか、証明してもらいましょうか」

 セリアはそう言いながら構える。右半身を引いて拳を作り、左半身を前に出して力強く手を広げる。

 姫君の復活。

 そんな言葉が俺の脳内を過ぎった。

 この場所なら彼女の行動全てが見える。吹き抜けの前にある廊下、そのど真ん中に立っている今なら。

「対等? 甘く見ないで欲しいですね。私の本領はここからなんです」

 そう言うと、腰にぶら下げていたソレを取り出し、両手にはめる。メリケンサックのような、拳に装着するソレを。だがメリケンサックと違い、拳を当てる場所には刃が付いていた。素手の相手にそんなものをつけて戦うなんて……。

「……そんなの、卑怯じゃないか」
「いや、アレは卑怯ではない」

 思わず呟いた俺の言葉に、勇者がそう返事をする。

「お互いに全力を出そうというのだ。ならば、それぞれの得意な武器を握るのは卑怯ではない。お前は、剣士と槍使いが戦うとき、間合いが剣の方が短いから槍使いも剣を使うべきだ、とでも言うつもりか?」

 そう言われると……卑怯な感じはしない。むしろ剣士の方が卑怯に感じる。

 そして、何の合図も無く、戦いは始まった。

 ソレをつけた肉食獣の牙の様な拳を、セリアの腹目掛けて殴りつけようとしてくる。

 喰らえば致命傷になるその攻撃を、セリアは避けようとせず、されど防ごうともせず、構えを解かずにそのまま受ける。

 追撃の顔面を狙った攻撃。これも直撃。さらに顎を砕こうとした攻撃。これも直撃。前に出ている左腕を狙った攻撃。これも直撃。

 そうして続くミルダエルの連打。セリアはそれら全てを、避けるでもなく、防ぐでもなく、ただ、直撃として受け止め続ける。

「なっ……! 全部直撃じゃないか!」

 驚きの俺の声。まさか魔術が使えようとも、ここまで実力の差があるなんて……!

「大丈夫だ。あの程度で、セリアの魔術を超えるダメージは与えられない」

 えっ? その勇者の言葉を聞き、ちゃんとセリアを見てみる。……確かに、セリアにはまったくダメージがないようだった。血も流していない。表情も変わら……いや、笑ってる?

 俺がソレに気付いた時、セリアは拳の雨に打たれながらも口を開け――

「まったく、これで攻撃のつもり? 攻撃って言うのは――」

 ――言葉を発し、右半身を大きく下げる。

 ミルダエルの連打の速度が上がる。が、セリアは相変わらず笑みを浮かべたまま、さらに右半身を、大げさに下げる。

 ……おそらくこの時、ミルダエルの表情は焦りに塗り固められていただろう。同時に彼の脳内ではおそらく、攻撃をやめて逃げるべきか、このまま攻撃を続けるべきかで悩んでいる。

 

 でも、どちらにしても無駄だ。

 

「――こういうのを言うのよ」

 セリアの攻撃は、どちらにせよ飛んでくるのだから。

 大げさに、しかし力強く下げられた半身から放たれたその拳。

 ソレはミルダエルの連打をかいくぐり、顔面に見事ヒットした!

 ガッ! という効果音でも聞こえてきそうな攻撃。

 ミルダエルは、俺と勇者と同じライン上に倒れた。つまり、最低一教室分丸々の距離は吹き飛ばされたと言うこと。

「セリアの魔術行使能力は異常に高い。相手の攻撃に込められている魔力量を本能で察知、ダメージを与えられる箇所に目測をつけ、ノーダメージで済むギリギリの魔力量をその箇所に瞬間的に集中させることが出来る。たとえそれがどんな状況であろうともだ。その実力は、俺と魔術と体術のみで戦ったら、上を行く実力だ」

 勇者のその言葉を聞いても、魔術を使えない俺ではどれだけ凄いのかはわからない。でも、勇者に勝つことが出来るその実力がかなり上だと言うことはわかる。

「くっ……そがっ!」

 感情を露にしたミルダエルは、立ち上がり、拳につけたソレをあっさりと外す。そして腰の後ろから、折りたたみ式の槍を取り出して組み立て、構える。

「ああいうところ……本当に変わらないな」
「えっ? 勇者、あの男のことを知っているのか?」
「ああ。これでも俺はセリアの国を助けたことがあってな」

 それはセリアに聞いたことがある。その時に勇者に惚れてしまったってことも。

「セリアの婚約者、と言われていたたのだが……国を助けた後、俺と勝負することになってな。俺は素手で、あいつは外したアレを拳につけた状態で。……と言っても、素手で戦ったのは俺が手加減をしてやると挑発したからなのだが……それはともかく、その時もアイツ、最終的にアレを取り出した。きっと何か、敵よりも優位だと思える材料がないと安心して戦えないのだろう」

 敵よりも優位だと思える材料……さっきまではセリアの魔力封印、今はあの武器、といったところか。

「……なんかそれだと、やっぱりズルい気がする」

 武器とかそういうものじゃなくて、そういう正々堂々と戦えない精神が、ズルく感じる。

「だから、セリアも愛想を尽かしたのだろう。それはあきらかにあの男の精神的弱さを表しているのだからな」

 なるほど。勇者の言うことは最もなのかもしれない。

「またそんなもの取り出して……そんなもの頼るから、ミルダエルさん、あなたは強くなれないんです」
「どうでも良い……! これこそが、私の本気だっ! さすがのお前でも、全ての魔力を槍の先端に集めた攻撃を防ぐことは出来まいっ!」
「……出来ますよ。槍の上から、あなたを殴りつけてやります」

 そう言ってセリアは再び、さっきとは別の構えをとる。右手を肘から大きく後ろに下げ、左足を前にして伸ばし、右足を後ろにして膝を曲げ、腰を下に下げていく。

「……時に雄樹、彼女の向こうの世界での通り名、聞かせてもらったことがあるか?」
「通り名? いや、聞いたことは無いな」
「だったら聞かせておいてやろう。これから見れるだろうからな」

 そうニヤついた笑みを浮かべながら勇者が言う。

「彼女の通り名は――」

 不意にセリアは左手で、後ろに下げた右手首を握り、唱えた。

 

「我望むは分解。触れし全ての魔力の破壊、触れる基点を右手とし、今ここに宿りたまえ」

「――『粒子の姫君』だ」

 

 左手を離す。唱え終えたセリアの右手は、指先から肘にかけて蒼く輝いていた。

「法術と魔術とは対の存在だ。普通の人間は魔術を使いながら法術を使えない。その逆もまた然り。よって魔術を基本とする戦士相手に法術を唱えようと思うなら、仲間に足止めをしてもらうか、間合いを開けるしかない。その特性上セリアは、法術をあまり身につけなかった。だがそんな彼女でも、身につけた数少ない法術がある。その一つがアレだ」

 ミルダエルは軽く腰を落とし、槍を構える。間合いを詰めてきたセリアを、全魔力が宿った槍で迎え撃つために。

「アレなら唱え終えた後、自らの体にすぐ魔力を張り巡らせることが出来る。よって魔術を基本とする彼女の切り札に成り得たのだと、俺は思っている。そして肝心のアレの効果は――」
「全力の――……」

 

 セリアが、爆ぜた。そう認識した頃には、ミルダエルの眼前に、軽く跳んだ状態で現れていた。

 ミルダエルがそのセリア目掛け、突きを放つ。

 

「――魔力の分解だ」
「……――メテオ――……!」

 

 その槍目掛け、セリアは右の拳を放つ。

 殴った箇所の空間が、槍の先端と共に捻れる。

 拮抗の末……となると思ったのだが、拮抗することも無く、あっさりと、彼の槍が砕けた。

 ……魔力の分解、ということはつまり、相手の防御力を無視しての攻撃になるということ。それにあの空間の捻れ……教室に入ろうとした獣を一撃で仕留めたソレと同じ。それ程の威力……生半可な槍では砕けて当然だ。

 ミルダエルの槍を破壊した直後、セリアは橙色のツインテールをキレイになびかせながら、殴った勢いを利用して身体を回転させ、再び殴る体制に入っていた。

 そして、驚きに塗り潰されたミルダエルの顔面に、最後の一撃を決める。

 

「……――バスタアアアアァァァァァァァーーーーーー!!」

 

 空間が、捻れる。

 殴られた彼はそのまま、遥か向こうへと飛んで行き、少ししてからドオオォォォン! と凄まじい音が聞こえる結果となった。

「触れた箇所の魔力分解。それは魔術のみを対象とする、対魔術用法術だ。効果範囲が術者の右手首上のみとかなり狭いため、中々使われることが無い。だがそれ故に対応策が法術だということ、発動したら右腕が蒼く光るということを知っている者がかなり少ない」

 そう言いながら、廊下に大の字になって倒れているセリアに親指を立てる勇者。

 それが視界の端にでも映ったのか、彼女も親指を立てた腕を高々と上げていた。

 

 

 

 教室の中から唄が聞こえる。そう思ったのはいつからか。

 少なくとも、セリアとミルダエルの戦いは終わってなかったと思う。

 だがそのきれいな歌声は……一体誰なのか。気になってしまった。

「なぁ……教室の中から、唄が聞こえてこないか?」

 セリアの戦いも終わったので、気になっていたソレを勇者に訊ねる。

「うただと?」
「うん。何を言っているのかはわからないから、正確には唄じゃないかもしれないけど……何かキレイな唄の様なもの? が聴こえるんだ」

 俺は何を言っているんだ? 自分でも少しわからなくなりながらも、とりあえずそう言う。

 だって唄としか表現できないんだ。きれいな声。

 でも、何を言っているのかわからない。でも、きれいな声。

 本当にそうとしか表現できない。

 と、勇者から返事が無い。どうしたんだろう? そう思った俺は勇者の方へと顔を向ける。すると何故か、結構真剣な表情で何かを考えていた。……ま、いいか。とりあえず教室へと視界を戻す。

 と、黒板とは反対側の壁に叩きつけられるよう吹き飛んできた人影。その姿は紛れも無い……ミレイと戦っていた人形だ。だがすぐさまそこから飛び退く。すると人形が叩きつけられた場所に無数の光の槍が突き刺さる! 

 うちの窓は教室の中が見えないような素材になっている。だから途端に、教室の中がどうなったのかわからなくなってしまう。でも……教室の中からは、誰かが逃げ回るような音と、唄としか表現できない音しか聞こえない。つまり、ミレイと戦っている人形の声は、まったく聞こえない。

「……雄樹、“うた”と言ったな?」
「えっ、あ、ああ」

 教室に集中するのをやめ、勇者の方を向く。

「じつはその“うた”、ミレイが歌っているのだ」
「……は?」

 何を言っている? ミレイは声を出せないはずじゃ……?

「ミレイは声を出せない。だが代わりに、精霊に声を聞かせる能力を持っている。……いや逆か。彼女は精霊に声を聞かせられる代わりに、日常での声を失っているんだ」

 なるほど。……そもそも彼女は、対勇者用の人形だ、って話だしな。

「だがここからが問題だ。じつはその“うた”、普通の人間には聴くことが出来ない」
「……は? でも現に、俺はこうして聴こえてるじゃないか」
「ああ、だから驚いている。もしかしたらこの世界の人間は聴こえるのかもしれないし、お前自身特別な能力を持っているのかもしれない……その辺りはわからない」
「いやちょっと待て。普通の人間には、ってことは、お前たちは聴けるのか?」
「いや、聴けるのは俺だけだ。セリアもスルトも聴こえていない」
「どうして?」
「俺に宿っている魂の質だ。だから俺には、日常会話でミレイが何を言っているかもわかる」

 ああ……そう言えばそうだったな。日常でも勇者だけミレイと筆談なんてしてないし。

「だがお前は、ミレイの言っている言葉がわからない……と」

 そう言った勇者の言葉は俺への言葉ではなく、ただの独り言のようだった。とりあえず、気になったことを訊いておく。

「それはそうと、普通に法術を唱えるのと、ああして唄うのとはどう違うんだ?」
「そもそも精霊に言葉が伝わる速度が違う。今彼女は“人間としての言葉”としてではなく“精霊としての言葉”で相手に伝えている。それだけでも十分に速い。そうだな……他の国の言葉でお願いされるのと、自分の国の言葉でお願いされるの、どちらがわかりやすく、早く実行できる?」

 そりゃ確かに自分の国の言葉だわな。勇者の言葉は続く。

「そういうことだ。さらに彼女は、その“精霊としての言葉”を“うた”にして発している。そこまでいけば法術を扱う上では最速だ。『対勇者用』とは言ったものだ。“魔法使いの転生体”でもその速度を超えることは出来ん。おそらく本来の法術の三分の一で効果を発動しているだろう」

 ふむ……つまり、ただ命令してくるだけの上司より、楽しく仕事をしようと言っている上司についていく、と考えればいいのか?

「それに彼女の“うた”は上手い。歌えば歌うほど、法術を使えば使うほど、だんだんと精霊が勝手に威力を上げていってくれる」

 楽しい音楽を聴くとノリノリになるのと一緒……だと思えばいいのだろうか。さっきから答えがあやふやになってきてる。

「そして最終的には――」

 と、廊下と教室を隔てる窓、その並びの中心にある柱から槍の穂先が無数に生えてくる。それが見えると同時、教室の中の唄が止んだ。逃げ回る音も止んだ。生えてきた穂先も消えた。

「――あれほどの威力を、一本の槍を出すのと同じ速度で出すことが出来る」

 唄の終わり……それはつまり、あの教室の中での決着も意味していた。

「そうして出来た彼女の通り名は、『無音の歌姫』だ」

 そう勇者が言うのと、所々に傷を負った歌姫が教室から出てくるのはほぼ同時だった。

 

 

 

 上に上がってきた時から異変には気付いていた。

 ずっと攻撃を捌き続けていた彼女。その彼女から、所々血が出てきていたのだ。

 おそらく俺が飛び降りたことで動揺し、その隙を突かれたのだと思う。状況を変えようと思ってまさか悪い方向に変わるなんて……。

「はぁっ……はぁっ……はぁっ……!」

 荒い呼吸を繰り返しながらも、どうにかして敵の攻撃を捌き続ける。だが傷を負う前までのキレが無い。

 捌ききれず避けきれず、少しずつだがダメージが蓄積されていく。そしてその蓄積されたダメージでさらに隙が生じる……見事な悪循環になっている。俺のせいで。

 ……防戦一方になるのはわかっている。それが“神官”の戦い方だから。

 でもこのままだと……負けてしまう。

「ふむ……あえて防戦一方に持ち込むのはわかるのだがな」

 そう懸念しだした時、不意に勇者が口を開く。どういうことだ? という目で勇者の顔を見上げる。

「スルトはスルトで魔王の復活を望んでいる。おそらくそれは敵も知るところだろうから、協力しないかと誘われたのは目に見えている」

 チラッ、と男の方を見て、再びスルト達の戦いに視線を戻す。……そう言えば、戦う前に何か話していたような気もしなくはない。セリアの戦いに夢中で見てなかったけど。

「それなのに戦っているところを見ると、彼女の魔王復活の目的と、奴等の魔王復活の目的が合致しなかったのだろう」

 スルトさんが魔王を復活させる理由……それは愛しの魔王とずっと一緒にいるため。それと合致しない魔王復活の理由……? 世界を破壊するために魔王を復活させるなら、少なくとも世界を破壊するまでは魔王と一緒にいれるはずだ。だったら合致しない理由なんて無い……。

 それなのに何故、スルトさんは敵と戦っているんだ? 勇者のため? ……いや、悪いがそれは無い。スルトさんは隙あらば勇者を倒して魔王を復活させると話していた。だったらその勇者のために魔王復活の話を蹴るなんてことはない……。

 ……いや待て、俺は何か大事なことを見落としていないか? そう、何か大切なことを……。

「そして今、スルトが防戦一方になっているのは、どうするか考えているからだろう」
「どうするか、考えている?」
「ああ。このまま俺達についてくるか、アイツらについて行くか。優位に動いたほうに彼女はついて行く」
「なっ……そんなのって……!」
「彼女とはそういう約束で一緒にいてもらっている。“神官の転生体”等は関係ない。ただ一人の女性として、愛している人と再会する最短の道を通るよう生きる。それが彼女だ」

 俺の心の中には、酷い女性だと思う反面、純粋な女性だと思う面も存在していた。

 仲良くなった仲間を裏切る、それは確かに酷い。でも彼女は、そのことが酷いことだと知っている。

 だが、歩もうとしている。それほどまでに魔王のことを愛しているから。

 

 純粋に勇者のことを愛しているセリアやミレイと違って見えた、スルトさんの勇者への好意。それはきっと、そんな自分を仲間と認めてくれているからこそ抱く感情。

 いずれ裏切ると知りながらも仲間だと言ってくれる勇者への、感謝の気持ちと特別な感情。そしてそれはきっと、セリアとミレイも一緒なのだと思う。

 だから彼女は、三人を微笑ましそうに見ていることが多かったんだ。

 

 ガッ! とスルトさんが軽く後ろに吹き飛ばされる。鎖骨をおさえながら。男はすぐに追撃しない。

 よく見れば、男のほうもかなり息が上がっている。……そりゃ当然か。どの攻撃もほとんどが防がれ、しかも常に攻撃し続けていたんだ。精神的にも肉体的にも疲れないほうがおかしい。

「まったく……柄の尾で、殴りつけてくる、なんてね」

 息を上げながらそんなことを言うスルト。

「へっ……予測外の、攻撃しないと、お前にダメージなんて、与えれないからな」
「そ、でも残念。もうあなたの負け」

 上がっていた息をすぐさま整えて言うスルトさんの表情は、少しだけ嬉しそうだった。

 ちなみに今このタイミングで、ミレイは教室から出てきたところだった。

「あ? これから本気を出す、ってか?」

 スルトさんの言葉に不信感を声に出す男。

「そんなつもりは無い。でもそうね……もう、見極める必要が無くなったの。あなた達について行くよりまだ、勇者さん達の方が可能性高いから」
「そうかよっ!」

 男がいきなり、爆ぜた。姿が消える。

 スルトさんが左半身を後ろに下げる。同時、左半身があった場所を槍が貫く。

 男の姿がいつの間にか、適度な間合いを開けた場所にあった。

「解除(ディスペル)」

 小さく、スルトさんの声が聞こえた。

「はっ……これでも最速のつもりだったんだがな。『低俗な神官』様」

 だが男には聞こえて無かったようだ。……ん? それっておかしくないか? アレだけ小さな声が俺の場所まで聞こえたってことは、あの男に聞こえて当然だと思うんだが……。

「あらそう、私の仲間より遅いですよ」

 男のニヤついた笑みを浮かべながらの言葉に、スルトさんは、今までの鋭い目つきをいつもの柔和なものに戻し、なんと構えを解いた。

 雰囲気は変わらないままだったが。

「はっ……! 死ぬ覚悟は出来たかっ!」

 そう言い男は、スルトさんの身体を横真っ二つに薙ぎ……斬らなかった。いや、斬れなかったと言った方が正しいのだろうか。

 ガラン、と乾いた鉄が落ちるような音。男が武器を落としたのだ。

 

 “手首から上ごと”。

 

「……?」

 スルトさんが斬られていない、その理由がわからないのか、男は一歩も動かない。その横を平然と通り過ぎようとするスルトさん。

「待――」

 ガクンッ、と男の身体が左側に倒れた。……左足が取れたのだと、俺は瞬時に理解した。

「なっ……!」

 立ち上がろうと地面に手をつこうとして、ようやく自分の手がなくなっていることに気付いたらしい。驚きで表情が塗り固められている。

「簡単なことよ」

 その姿にスルトさんは歩みを止め、見下ろしながら言葉を続ける。

「あなたに最初吹き飛ばされた時に、“神官”特有の力を使わせてもらったの。あなたが傷ついても感じないようにする、って感じのをね」

 それって……俺が始めてスルトさんにかけてもらったやつじゃ……。

「その後は、こちらが傷ついてでもあなたに攻撃して腕や脚を斬りおとし、瞬時にくっつける、ってのを繰り返したの」

 じゃあ、あの荒い呼吸は演技?! 疲れているフリをしてないと、いきなり攻撃を食らい出したら不審に思われるからかっ?!

「後はさっき、くっつけるようにしていた力を解除して今の状態、って訳」
「くっ……貴様ぁ……!」
「ま、魔王様を復活させて殺そう、なんて考えてる連中を、私が楽に殺してやるなんて思わないことね」

 そう言って歩みだす。

「あ、そうです」

 と、いつも通りの雰囲気を出しながら、思い出したかのように男の方へと向き直り、言った。

「そう言えば、痛み止めの力、解除してませんでしたね。解除しておきます」
「ちょっ……やめ……!」

 男の表情が恐怖に歪む。その表情を見て満足したのか、スルトさんはとても明るい声で、言った。

「解除(ディスペル)」
「ギャアアアアアアアアアァァァァァァァァァァ……!!! ああ、ああああああああ、あああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………!!!!」

 腕と脚、身体のもろもろが切り取られた感覚が一斉に襲う……。それを想像しただけで身震いする。激しい悲鳴をあげていた男はやがて、体を蒼い粒にして、この世界から消えた。

 それを見届け、こちらへと振り返ったスルトさんの表情は、何故か身震いしてしまう程、清々しかった。