「なあ……勇者は生きていると思うか?」
男を見上げながら訊ねる。口の中がカラカラに乾いて気持ち悪い。
「……さてな。生きていそうな気はするが」
思いもよらない返答。てっきり否定してくるもんだと思っていた。
「そうか……少し気になるな。だからちょっと……確認させてもらう!」
そう叫ぶや否や、四肢を最大限使って、右前に向かって跳ぶように立ち上がる。つまり、男の眼前に。
その俺の行動にやや虚を突かれながらも、男はすぐに反応して俺を捕まえようとしてくる。そのまま俺が階段に向かって駆け出すと思い込んで。
だが俺はすぐに“左前”へと軽く跳び、両足がつくと同時にまっすぐ走り出す。
最初のは、狙いをすぐ横の階段だと思い込ませるための罠。もっとも素人判断の素人行動、すぐに見破られるのは百も承知。魔術を駆使し、俺の目の前に男が立ちはだかる。
ここで階段へと向かうようターンしようとも、すぐに捕まってしまう。
だから俺は“左側へと大きく飛んだ”。
つまり、吹き抜けから落ちるように。
吹き抜けには落ちないよう手すり備え付けてある。だからそれを、飛び越えるように、思いっきり。
普通に飛び降りようとしても、俺の勇気じゃ踏み込めない。だから、走った勢いそのままに任せ、背中から落ちるように!
「なっ……!」
何か言おうと口を開いていた男は、そんな驚きの声しか上げることが出来なかった。
そしてその姿がだんだんと小さくなる。
風の音で耳が痛い。視界も急速にブレる。
もし俺の推論が外れていれば、このまま勇者と一緒に死後の世界。もし当たっていようとも、勇者が“空間移動のタイミングをはかる為に空間移動をしてこなかった”って推論も当たっていないと、一人死後の世界。
……なんだかんだで分の悪い賭けだ。分の悪い賭けは嫌いじゃない、が名ゼリフの男の顔が脳裏に浮かぶ。死ぬ間際なのにどうでもいいこと考えやがって……そう俺が思った時――
ダンッ!
――耳元で大きな音がした。
それは、俺が始めて勇者に助けられた時に聞いた音。
「まったくお前は……無茶をする」
その声は、俺が始めて勇者に助けられた時に聞いた声。
「お前が助けてくれる、そう信じてたからできたんだ」
なんて、思ってもいないことを口にする。
「そうかい」
微笑みながらのその声は、俺の頭上からかけられていた。
ブレていた視界が回復する。
そうして俺の目に映ったのは、紛れも無い金髪、赤い瞳をした男、勇者の姿だった。
どうも俺は、勇者の腕の中にいるようだ。顔の位置がかなり近い。それにちょっとした浮遊感もある。……いや、こっちは落ちてきた後遺症みたいなもんかもしれないけど。
「まったく……色々と仕掛けを終え、お前を目印に空間移動したらこれか……」
「ビックリした?」
「当たり前だ」
そりゃそうか。空間移動してきてみれば、落ちる感覚と目の前で落ちていこうとする目印にした男。俺だってビックリする。誰だってビックリする。
「それで、どうしてあんなところから落ちたのだ? 普通の人間のお前じゃ死ぬだろ?」
言葉にちょっとした怒気が含まれているような気がする。
「もしかしたらお前が、俺が敵に近いところにいるから空間移動して来れないのかな……って思って……その……お前の足を、引っ張りたくなかった」
ちょっと恥ずかしかったが、正直に答えた。
俺のその言葉を聞いた勇者は、はぁ……とため息を吐いて言葉を続ける。
「俺のことを思って行動してくれたのはうれしい。確かに、空間移動をして近くにあいつがいたら俺も傷を負っていたかもしれない。そういう意味ではむしろ、この状況はありがたいのだろう。……だがな、お前が死のうとしてまでそこまでしなくても大丈夫だ。空間移動していきなり不意打ちをされようとも、俺は一撃では死なない自信がある。それで負った傷は、後でスルトにでも回復してもらえれば良いだけの話だ。違うか?」
「違わない……と思う。でも、今そのスルトさんまでも苦戦してて、何か状況を変えないといけない、って思って」
「それは“焦り”だ。焦りは無謀を生む。人には向き不向きがある。お前は戦いに向かず、俺たちが戦いに向いている、ただそれだけの話だ。戦いに向いていないお前が流れを変えたいなんて思うのは無謀にも程がある。これからは気をつけろよ」
くそっ! せっかく勇者のためを思って行動したのに、何で怒られないといけないんだ。納得いかない。
勇者に……じゃない。自分の、さっきまでの安易な行動に。
「だが――」
と、無言になった俺に気を使ったのか、勇者が言葉を続ける。
「――俺のためを思っての行動、それと、結果的にお前も俺も助かったこと。何より、お前にこんな行動をさせたのは俺の仕掛けが遅いことにも原因がある。すまなかった」
「いや……その、別に構わない」
その一言で、俺の心の中はすっきりとした。自分の心の中にあった、先程までの不満は見る影も無い。
「それで、その……お前の仕掛け、ってのは?」
いい加減視界も定まってきたし、浮遊感もなくなってきた。お姫様抱っこのように抱えられていることに恥ずかしさまで出てきたので、いい加減降ろして欲しいのだが……。
「簡単だ。あいつが仕掛けた魔力の流れを断ち切る結界の解除だ」
「えっ?」
「やはり、あの時のように特殊な結界でな。一度あの時に見ていなかったら、一人で解除なんて出来なかっただろう」
「そう言えば、今のこの空間も結界なのか?」
勇者とスルトさんが教室の壁に手を付き、何かしていたのを思い出す。
「そうだな……この空間は、正確には結界の中ではない。むしろ結界の中は“教室の扉から向こう側の全て”だ」
「と言うことは、ここは本来の世界ってことか?」
「ああ。俺とスルトが特殊な力を使って作ったものだ」
「魔王の力、か」
「……あの男から聞いたのか?」
少しだけ間があった。
「ああ。ま、だからと言って何も変わらないけどな」
「その……すまなかったな。黙っていて」
「それは大丈夫だ。言えない理由もわかるからな」
「でも――」
「それより、いい加減降ろしてくれると助かるんだが」
勇者の言葉を遮って、俺は微笑みながら言葉を続ける。少しだけ虚を突かれたようだが、勇者はすぐに微笑を携えて――
「ありがとう」
――と小さく言った。
「だが、降ろすわけにはいかない。これから上に戻るのでな」
元の声音戻し、そう言う勇者は上を見上げる。おそらく視線の先は四階。
さっきまで俺がいた場所。今でも戦いが繰り広げられている場所。
「戻って、結界を解いたことを皆に言わないとな。まだ結界が解けてないと思い込んで、魔術を行使していないかもしれない」
「戻るんだろ? だったら階段を上がるんだから、降ろしてくれたって――」
「何を言っている。ここから跳ぶ」
えっ? と言う俺の言葉は、言葉にならなかった。
勇者が、思いっきり跳躍した。再び視界がブレる。
その高さ・速さは人間で出せるもんじゃない。勇者は今、脚に魔術を使って跳躍力を極限まで高めたのだろう。たぶん、落ちている俺を助けた時も。
「やっぱり生きていたか」
吹き抜けから廊下へと侵入した勇者を、男のその言葉が出迎える。
「当然だ。お前こそ、俺があの程度で死ぬなどと思っていなかっただろ?」
「当然。たかが化物に叩き落され、魔術を使えなくする程度で死ぬだなんて思っていない」
「強く思われていて光栄だ」
黒髪の男に返事をしながら、俺を床に立たせるように降ろす勇者。
「それで、今すぐ戦うか?」
「いや、もう少し待て。お前とは対等で勝負がしたい」
男の言葉に勇者はそう答える。これは予想外だった。
「ふっ……まぁ良いだろう」
「ありがたい。それでは、皆が勝ったら手を出さないようにしてやろう」
「自分の仲間が勝つと?」
「当たり前だろ。だってあいつらは、俺の仲間だからな」
そう自信満々に言う勇者。
「……どうして、あんな約束を?」
俺は気になって勇者に小声で訊ねた。だってそうだろ? 仲間が勝つと信じているなら、仲間と協力して戦ったほうが有利に決まっている。それなのにわざわざ一対一なんて……・
「簡単だ。ただ単純に、あいつとは邪魔の入らない状況で、一対一で戦いたい。それだけだ」
そう答える勇者の表情は、少しだけ楽しそうな表情をしていた。もしかしたら強い者と戦える喜びからなのだろうか……。
そして勇者は、大きく息を吸い込み、声を張り上げた。
「もう魔力は流せる! 皆、本気で戦えっ!」
実質の二回戦開始の合図だった。