「結局のところ、魔術と法術の違いは何なんだ?」

 翌朝、昨日の鍋パーティの時に気になったことを、今更ながら学校に着いて勇者に訊ねた。

 昨日は「食事中にその話はやめないか? 難しくなるのでな」とか言って誤魔化された。飯食い終わったらあまりのおいしさにその話を振ったことすら忘れていた俺だが、たった今、登校して席につき、昨日結界について実験した時にメモった文字を見て思い出した。

「突然どうした? 雄樹」
「突然じゃない。昨日も訊いた」
「……いつ?」
「鍋の時」
「……すまない雄樹、あまりの鍋のおいしさにそのことが丸々記憶から抜けている」

 まったくすまないと思ってないな……こいつ。

「まぁ良いよ。教えてくれるのと引き換えで許す」
「ああ、別に構わない。授業まではまだ時間があるし、説明してやろう」

 勇者の傍に立っていた俺は、自分の席(勇者の前)に座り、背もたれに腕を預けるようにして勇者のほうを向いて話しを聞く体制になる。……ちなみに他の三人は、勇者の周りに集まったまま、何やら昨日の鍋について熱く語っていた。

 もちろんスルーさせてもらう。

「魔術・法術について説明する前に、雄樹、人の体内には魔力と言うものが内蔵されている。そのことを把握しておいてくれ」
「ああ、それは大丈夫」

 説明好きな勇者の少し楽しそうな言葉に、俺は自信満々で頷いた。

 なんせ俺はオタクだ。それがどんなものか、なんて野暮なことは訊かない。

「それではまず魔術から。魔術とは端的に言うと“体内にある魔力を操作する術(すべ)”を指す。魔力の操作を行うとどうなるかだが、それは魔力を操作した箇所による。足の筋肉に魔力を集めると脚力や跳躍力、腕の筋肉に魔力を集めると腕力や握力、目に集めると動体視力や視力、と言った具合だ。もちろん純粋に、皮膚や筋肉組織表面に集めることで刃に貫かれない体にする、と言った事も可能だ。その辺りの細かな効果上昇が出来る者程、魔術の扱いに長けているということになる」
「……なるほど、だから一昨日の朝、魔術を扱えない者がセリア達を殺すことは出来ないって言ったのか」
「そういうことだ。この世界の住人が、ただ筋力を上げるだけの初期魔術ですら扱え無いことは知っている」

 つまり魔術とは、ゲームで言うところの強化魔法みたいなものか。攻撃力を上げたり防御力を上げたり、と言った具合に。

 おそらく一昨日、勇者が三十人を相手にしても負けなかった要因はこれだろう。……って、そう言えば今日はあの五人組をまた見てないな……ま、どうでも良いか。勇者に返り討ちにあった存在なんて。

「……うん、わかった。魔術はもう大丈夫。次は法術についてお願い」
「うむ。法術とはつまり“法則を捻じ曲げる術(すべ)”を指し、こちらは魔術と違い声に魔力を乗せ世界に干渉、あらゆる法則を起こしてもらう。この時世界に干渉しているのは、厳密には魔力を乗せた声ではなく“精霊”だ」
「せいれい?」
「ああ。俺達の目にも、もちろん雄樹達世界の住人達の目にも見えてはいないだろうが、そういう存在がいるとされている。まあそのことは、今は置いておく。この世界の干渉についてだが、それは多種多様だ。炎を起こしたり、見えない衝撃波を放ったり、それら攻撃を防いだり、それこそ様々な法則を巻き起こせる。雄樹達の世界では一番非現実的な力と言っても過言ではない」

 ミレイに殴りかかろうとした時に吹き飛ばされたこと、勇者が星辰を眠らせていたことを思い出す。それら二つが法術と言う事か……。

 つまり、市場で出回っているゲームの八割方を占めている、世間一般でも通用する“魔法”というものが法術ということか。

「なるほど……つまり勇者達の世界において、魔術と法術、その二つを合わせて“魔法”と言うことか」
「そういうことだ」

 理解できた。もっとも、コレを知ったからと言ってどうにか出来る訳じゃないけど……そもそも聞いた理由だって、ただ単に知りたいからってだけだし。オタクの性だなぁ……。

 と、予鈴。ってことは……やっぱり、いつも通り星辰の登校。今日は東と話さず自分の席に座ってるから特に気を使う必要も無いか……。

 と、星辰と目が合った。こちらへ近付いてくる。ちょっと頬が朱(あか)い。目の下に隈も出来ている。俺と一緒で眠れないのか……。

「おはよう、峰岸君」
「ん、おはよう、星辰」

 近付いて挨拶される。その顔を見ると、やはりどこか疲れている印象を受ける。

「やっぱり、一昨日のことで眠れないのか?」

 気になったので訊いてみた。俺と一緒なのではないかと。

「えっ?」
「その、あれだけのことがあったんだ。もしかして、満足に寝れてないんじゃないのか?」

 驚く星辰にさらに言葉をかける。俺が何を訊いているのか理解したのか、星辰は心配ないとばかりに笑顔を作る。もっとも、空元気だってのは丸分かりだけど。

「大丈夫。これでも私、元気だから」
「……そうか」

 本人が俺に心配をかけたく無いと思っているんだ。掘り下げるのは逆に悪い。

「それで、その……これ、その時のお礼。昨日は学校に来ないって言ってたから」

 星辰の髪に結ばれているのと同じ色をしたリボン、ソレで綺麗にラッピングされた包みを突き出された。

「あ、ああ……ありがとう」

 反射的にお礼を言って受け取る。たぶん、俺の顔は驚きで塗り固められていただろう。つまり、激しく動揺している。

 だって東がすぐ近くの席(左後ろからさらに一つ後ろ)にいるってのに、こんな場所で渡したら……東に誤解されてしまう。それじゃあ星辰にとって悪い方向にしか働かない。ただでさえ望み薄だってのに……思わず声を潜めて訊いてしまう。

「今渡して良かったのか? 東に誤解されてしまうぞ」
「誤解……ううん、良いの」
「え? なんで?」

 当の本人である彼女は、確かにまったく気にして無いようだった。

「東君のことは諦めたから……と言うより、もっと好きな人が出来ました」
「えっ?」
「じゃ、じゃあ、その、食べたら感想、お願いね」

 追求する前に彼女は、そそくさと自分の席へ向かっていった。顔を真っ赤にしながら。

「やるじゃない、峰岸君」
(ホント、スミにおけない)
「雄樹君、やるじゃない」
「さすが俺の親友だ」
「さすがもやるじゃないも、これは一昨日のお礼だろ?」

 鍋談義を中断させたセリア達と勇者、その四者四様の反応に、俺は動揺することもなく正論を述べる。

「それは建前に決まってるじゃない」
「建前? なんで」
(えっ?)
「だってあいつが好きなの、他の奴だし」
「ではあの、先程彼女が言っていたもっと好きな人って誰だと思いますか?」
「……さあ」
「(……はぁ)」

 今度は四人とも同じ反応を見せた。ため息だけど。ミレイに至っては文字だけど。

 でも俺の言ってることは正しいだろ? だって星辰は、仲良くも無かった俺に相談する程東のことが好きなんだ。そう一度助けたぐらいで気持ちが変わるとは……とても考えられん。

 何よりこういうのは、童貞特有の「こいつ俺のこと好きなんじゃね?」ってのが働いてる可能性がある。安易に決め付けて恥ずかしい思いをするのはイヤだしな、うん。

 

 

 

 本鈴が鳴って五分経ったのに先生が来ない。

 その異変にクラスは……いつも通りだった。

 休憩時間と同じ、友達と話し続けて自分の席に戻ろうともしない。ま、それがこの学校、このクラスっぽいんだけど。教室を見回しながらそんなことを思う。

 と、教卓付近に群がっている奴等が突然笑い出す。他の奴等は自分達の喧騒で忙しいのか相手にして無いが、勇者達だけで話しだして暇になっていた俺は、その笑い声に何気なしに視線を向ける。

 「ありえねぇ〜」「一体誰だよ」「急に身長伸びましたってか」なんて、廊下の窓を見ながら可笑しそうに言う。そのまま彼らの視線を追ってみる。

 ……俺達のそこの窓は、閉めている限り向こうが見えずらいようになっている。だからその影が誰かは分からない。

 人影、と言わなかったのは、ソレを人と断定して良いのかどうかがわからないから。

 影の長さが、上の小窓部分にまで届くほど高いから。

 

 不意に、脳裏にこの前商店街で襲われた獣の姿が過ぎる。

 

 その影が、扉の前に立つ。悪寒が走る。悪い予感しかしない。

 教室に入ってくるであろうその影が、担任の冗談ならどれだけ良いことか。

 俺の予感が外れれば、どんだけ良いことか。

 まだその影に気付いていない他の生徒達。勇者たちもまったく気付いていない。

 勇者に教えよう。

 そう思い、勇者に話しかけよう――

 

 扉が吹き飛んだ。教卓にぶつかり、巻き込み、その周りにいた奴等をも巻き込みながら、扉がバラバラに弾け飛んでいく。

 

 ――として、止まった。さすがに全クラスメイトが、扉を吹き飛ばした現況を見る。

 そこにいたのは、あの時の、獣。

 あの時出会った、獣。

 人間の全ての筋肉を体内で爆発させたような、そんな姿は変わらない。

「きゃああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!」

 誰ともわからない、何人が上げたのかもわからない悲鳴で、俺は思考することをやめる。

 と同時に、勇者の隣から誰かが跳ぶ。

 誰が? 何処に?

 そう思い、跳んだ張本人を見る。

 跳んだのは、セリア。向かった先は、獣。

 彼女は天井スレスレの高さまで跳び――

「バスター……――」

 ――身体を捻るように右半身を引き、獣の左胸目掛けて――

「――……ショット!!」

 ――拳を、放った。捻った身体を、めい一杯、解放させるように。

 殴られた箇所の空間が、獣の身体ごと一瞬、捻れた。だがそう認識する頃には、捻れた空間、獣の身体は元に戻っていた。

 獣はそのまま後ろに倒れていく。セリアはそのまま獣を飛び越す。

 獣が倒れる音で聞こえなかったが、たぶんセリアが着地するのと、獣が倒れたのは同時だった。

 ……強い。勇者も一撃で倒したとは言え、まさか素手のままあの獣を倒すなんて……。驚きで声も出ない。それは皆も同じなのか、教室内は静寂に満ちていた。

 と、黒板側とは反対側、その開きっぱなしの扉からも、同じ獣が入ろうとしている。

 だがその付近にいる生徒は気付いていない。

 おそらくまだ、ついてこれていない。この現実に。

「危ない!」

 そう声を上げようと口を開けた刹那、今度は勇者とミレイとスルトさんがそちら目掛けて走っていた。

 その行動に気付いた一人が、後ろの入口に目を向けて驚きの声を上げる。その声に触発されるように、何人かもそちらへと目を向け、恐怖でその場から離れる。

 獣の身体が、グラついた。

 皆の視線のせい……ではない。

 おそらく教室の出口目掛けて駆けながら、右手を開いて突き出しているミレイのせいだ。

 何度も何度も、獣の身体がグラつく。

 ふと、俺がミレイに襲い掛かろうした時に吹き飛ばされたことを思い出した。アレと同じ……いやおそらく、あのときよりも強い衝撃をあの獣に与えているのだろう。何発も何発も……それなのにあの獣が倒れないのは、それだけ強いという証。

 だがそれもとうとう終わった。獣が後ろへと半歩、後ずさる。

 それを合図にミレイは、両手を突き出した。ドッ! そんな擬音を奏でることもなく、獣の姿が俺の視界から消えた。と同時――

 ガシャアアァ!

 ――何かが破壊されるような大きな音。たぶんあの獣が、向かいの教室に激突した。

 そのまま教室を出て行く三人。

 と、最後に教室を出たスルトさんが、教室のドアを閉める。

 セリアへと視線を移してみれば、獣と共に、とっくに姿がなくなっている。獣はあの時のように蒼い粒子となって消えたのだろうが、セリアはたぶん、勇者達と合流するために移動したのだろう。

 ……このまま部外者扱いされるのはイヤだ。

 そう思った俺は、前のドアから教室を出て行こうと駆け出す。

 忠宏の姿をチラりと見てみれば、さすがに今回ばかりは文庫本を手放して教室の外を呆けるように眺めている。

 星辰の姿をチラりと見てみれば、恐怖を表情に張り付かしている。と、俺と目が合う。心配そうな、不安そうな、何とも言えない目を向けるが、とりあえず今は無視。この教室に帰ってきたから話を聞くことにしよう。

 教室を出て、スルトさんに習って教室のドアを閉める。勇者たちを探そう、と思った矢先に見つかった。

 向かいの教室側の壁に両手をついている勇者。

 こちらの教室のドアに両手をついているスルトさん。

 その中間部分の廊下に立っているセリアとミレイ。

 ……皆が皆、一瞬にしてこの学校の制服ではなくなっていた。初めて出会ったときの、それぞれの色を模した服。

 声をかけるために歩もうとした時、一瞬、世界が歪んだ。

 何が……! そう思った時には、いつも通り。世界は歪んでなんていない。

 改めて、とっくに教室から両手を下ろしているスルトさんに近付く。

 一歩、踏み出す時に出る足音。

 ソレに過敏に反応し、何処からともなく出した槍のような武器を構えた。

 ……えっ? と俺が思うのと――

「雄樹君?!」

 ――スルトさんから驚きの声が発せられたのは、同時だった。

「どうして教室に入ってなかったんですか?!」

 なんて訊きながら、スルトさんはこちらへ駆け寄ってくる。……どうやら、教室から出てはいけなかったらしい。スルトさんの迫力からそのことが窺える。

「えっと……教室に帰ったほうが良いですか?」
「ふぅ……もう結界を張ってしまいましたから、教室に帰ろうと思っても帰れないです」

 迫力に圧倒されながらの俺の言葉に、スルトさんはそう答えた後教室のドアを開ける。

 するとそこは、無人だった。あれだけの生徒がいたにも関わらず、だ。

「大丈夫です。結界を張ったのはあくまで教室の中……と言うより、この扉から先です。ですからもし、あの化物が現れるとしたらこちらの空間です」

 俺が呆けている理由が皆を心配してと思ったのだろう。スルトさんがそう言ってくる。……つまり、結界内の世界が教室の中で、結界外の世界が今のここ、ということか? くそっ、結界についても詳しく勇者に聞いておくべきだった。

「なるほど……教室内の者を守るための結界か。確かにコレなら、こちら側の世界の人間は傷つくまい」

 俺が歯噛みしていると、そんな言葉が聞こえた。

 今まで聞いたことも無い声。その声は、校門から最も近い階段から上がってくる足音と共に、聞こえてきた。そちらへ首を向けると、長い黒髪をなびかせながら人が現れた。一目見ただけなら女性と見間違ってしまうほど、綺麗なその人。だが先程の声をこの人が発したとなると……この人は男の人だ。生憎とこの学校にこんな先生はいない。

 なら……誰だ?

「ふむ……だがどうも、こちらの世界の人間が一人混じっているようだが?」

 と、俺を睨みつけてくる。それだけで俺は、身動きが取れなくなった。

 膝が笑い、力が抜け、地面にへたり込みそうになる。

 ソレを必死に堪えるので一杯一杯で……他の事に手が回らない。要は、俺の体があいつに恐怖している、ということ。

 だが……あの獣に出会った時みたいに、脳が恐怖を“恐怖と認識していない”訳じゃない。まだ逃げる余地はある。あいつがこちらへと来る前に、逃げないと……。

 ……大丈夫。目の前の廊下は吹き抜けになっている部分。もしあいつが俺の元へと来るのなら、俺の教室後ろ側の扉、勇者達が出て行った場所辺りまで来ないと、吹き抜けは無くなっていない。そこまで駆けないとこちらに来れない。つまり、勇者、セリア、ミレイ、全員を相手にしないといけない。

 なら逃げるチャンスはいくらでも、ある。

「邪魔だな」

 そう男が告げた刹那――

「我求めるは遮断。その力、その光、全ての魔力を通さん壁となれ!」
「我求めるは衝撃。全てを飲み込み、全てを破壊する力とならん」

 ――スルトさんと男の声が重なった。そう思うのと、目の前でギィン! とした音が鳴るのは同時だった。……状況から考えるに、敵の攻撃をスルトさんが防いだってことなんだろうけど、何が起きたのかまったくわからない。声を上げる暇すらなかった。

 たぶんこれが、今朝聞いた法術なんだろう。

 ソレを合図に、一斉に他の三人が動いた。

 勇者はあの獣を倒した剣を抜き放ちながら男へと駆け出し、セリアは男目掛け、吹き抜けを飛び越すように跳び、ミレイは右手を男に向け、狙いを定める。

 男はソレに気にした素振りを見せず――

「我求めるは重臣。我が与えたもう命を用い、我を助ける僕(しもべ)を今ここに!」

 ――右手を高く掲げ、叫ぶ。すると勇者を囲むように、四方から突然あの獣が現れた。

「えっ?!」

 これには俺も含めた、当事者の男以外の全員が驚きの声を上げた。

 そしてその声を合図にしたのか、はたまた男の声を合図にしたのかはわからないが、突然吹き抜けから三つの黒い影が現れた。

 全身に黒いツナギのような服を着た男が三人。

 一人は高く飛んでいるセリアに蹴りを浴びせて地面に叩き伏せ、一人はミレイに右手を向け、窓から教室内へと彼女を吹き飛ばし、最後の一人はスルトさんに斬りかかる。スルトさんは俺から距離を置くように跳ぶことでソレを回避する。

 ……何だ、一体何が、どうなっている? 疑問に思いながらも、状況を理解しようと努める。

 だが俺が状況を理解するよりも早く――

「女がコイツを守るということは、人質としての価値はあるということか?」

 ――俺の後ろから、あの男の声が聞こえた。反射的にそちらを向こうとする。

 ガッ! と首を思いっきり掴まれ、握りつぶされそうな程力を込められる。

 ……ヤバイ。……息が、出来ない。おいおい、片腕なのにこんなに力があるなんて……。ヤバイ、意識が、朦朧と、して……。

「さて勇者、コイツの首をへし折られたくなかったら、大人しく魔王の半身を俺に渡してもらおうか」
「……断る、と言ったら?」
「ふむ……こいつに人質としての価値は無し、か」

 誰かと誰かの会話。

 だが最後のその呟きに、俺は危機感を覚える。

 だが、何も出来ない。

 半分以上が霞んでいた視界が、急激に揺れた。

 刹那、ドッ! と体内にある全てのものが、振動した。

「ゴホッ! カハッ! ハッ! ゴホッゴホッ……ゲホッ!」

 壁に向かって投げつけられたと理解すると同時、振動した全てのものが元の位置に戻ろうと、再び振動する。そのせいで思いっきり咽てしまった。

「では……殺して、無理矢理もらうだけだ」

 そんな男の声が聞こえる。痛みに揺れる体内を落ち着かせながら、どういうことか考える。

 たぶん先程からの会話は、勇者とこの男。それはわか――

 

 咽ることで出た涙。ソレで滲む視界に、勇者が化物どもに吹き抜けから投げ飛ばされる、そんな映像が映った。

 

「えっ?」

 ――った瞬間、一瞬にしてどういう状況か理解出来なくなった。

 物事を整理しようと、視界が涙で滲んでいようとも、周囲を見回し、理解しようとした途端の映像。

「我発動するは結界。我除く全て、我認めし者以外全ての魔力、ここに流れを断ち切らん」
「勇者!」

 男が何か言っているが構わない。立ち上がり、吹き抜けの中を覗き込もうと腰を――

「動くなっ!!」

 ――浮かしたところで、男の怒号が響いた。その迫力に、浮かした腰を反射的に止めてしまう。

「それ以上動いたら殺す。余計なことをしても殺す。お前に残された選択肢はただ一つ、そこで指を咥えて見ていることだけだと思えっ!」

 その言葉に、その迫力に、俺は再び地面に腰を落としてしまう。……軽く、腰が抜けてしまった。本当に殺すと、そう言っているのがわかる雰囲気。

 たぶんこれが、マンガでよく聞く、本物の殺気。

 心は行きたくて仕方が無いと言ってるのに、立てない。動けない。

 …………男の殺気で? 心は行きたくて仕方が無いと言ってる?

 ……違う。違うだろ、俺。俺はただ、認めたくないだけだろ?

 

 吹き抜け(あそこ)を覗き込むと、勇者の死体があるという事実を。

 

 あると知っているから、ソレを見ると認めてしまうと知っているから、覗くのが怖くて、男の殺気を言い訳にして、覗かないだけだろ?

 

 ……ああ、そうだ。だって俺は、勇者のことを叫んだ時に、何かが潰れるような、何かが飛び散るような、大きな音を吹き抜けの下から、聞いてしまったのだから。