殴りたくなった衝動と、泣きたくなった衝動。

 その二つを抱えたまま俺は家を飛び出し、散った桜の大樹の幹に、腕と顔を押し付ける。傍から見たら泣いているみたいに。

 結局、俺はバカだったんだ。昔のまま逃げ続けていれば良かったんだ。変に強くなろうと頑張りすぎるから、せっかく勇者と住めたチャンスをフイにしてしまう。

 ……もう……弱いままで良いじゃないか。

 勇者のようになりたいと思ったから、憧れている人を目指してしまったから、こんな惨めな姿を晒してしまう。所詮俺じゃあ、アイツみたいに強くなれない。ただそれだけのこと。

 ……それだけのことなのに、何故か無性に涙が出てきた。今まで頑張ってきた反動なのか、それとも心の底では弱い自分に戻るのを拒否しているのか……。

「ここにいたんですね、雄樹君」

 耳元への声。反射的にそちらを向く。……数センチ先にスルトさんの顔があった。

「うおっ!」

 思いっきり仰け反ってしまう。近付いてきた気配なんてなかったのに……ってそうか、スルトさんも勇者と一緒で空間移動が出来たんだったな。そう冷静になると、今まで自分が泣いていたことも思い出す。泣き顔を見られるのはイヤなので、慌てて袖口で涙を拭く。

「そんなに驚かなくても……」
「いえ、その、ごめんなさい」

 少しシュンとしてしまったスルトさんに慌てて謝る。でも正直仕方ないだろ……突然の気配に顔を向ければ、すぐそこに一目惚れした美人の顔があるんだから。

「それで雄樹君、事情を説明してもらえますか?」

 先程まで俺が泣いていた桜の幹。そこに背を預け、優しい目で俺を見ながらの言葉。でも俺は、その優しさに甘えて良いのかどうか躊躇った。

「……どうしてですか? スルトさんには、関係の無いことだと思いますけど」

 関係の無いこと。まさにその通りだった。

 ミレイやセリア、彼女達が俺に語ったことは、あくまで彼女達が語りたかったから。俺自身を励まそうとか、そういう気持ちはたぶん無かったと思う。

 でも、今のスルトさんは違う。

 わざわざ俺の元まで来て、そんな質問をしてくると言うことは、俺を励まそうとしてくれている。

 だから、関係の無いこと。

「関係無い、か。確かに、親友だからと言って過去に土足で踏み込むのはダメですからね。でも私(わたくし)から見たら、結構関係あることなんです。私も……雄樹君と一緒で、罪を背負って生きていますから」
「えっ?」

 予想外の言葉にスルトさんの顔を見てしまう。彼女はただ、目線を少しだけ下げ、少しだけ悲しそうな表情をしている。それが俺のためについている嘘とは思えない。

 でも……確かスルトさんは“魔王と勇者の転生”というシステムにおいて、“神官の転生体”に数えられる勇者一行の一人だ。そんな人が罪を……?

 そう思った俺は、思わず声を上げていた。

「そんな訳無いじゃないですか。だってスルトさんは“神官の転生体”ですよね? そんな人が罪を背負うだなんて……」
「……なるほど。“魔王と勇者の転生”については知ってくれているみたいですね。なら話は簡単です。私は、その雄樹君の言う“神官の転生体”として相応しくないことをして、罪を背負っているんです。あなたと一緒です。だから私から見たら、結構関係があることなんです。……気になりますか?」
「……はい」

 俺と同じで罪を背負っている。

 そのスルトさんの言葉もあるが、何より一目惚れしたこの人のことをもっと知りたいという、そんな単純な考えもあった。

「それでは交換条件です。雄樹君が話してくれたら、私も話します」
「……良いんですか?」

 微笑みながらのスルトさんの言葉に、俺は不釣合いな天秤の姿が頭の中で再生された。

 だって俺の話は、たぶん、いや絶対、スルトさんの罪よりも小さい。そんな話だと、どう考えても等価にはならない。

「ええ、良いんです」

 それでもスルトさんは、微笑を崩さずにそう返してくる。……まぁ、彼女が良いと言っているなら良いか。そう思い直し、俺はその場に腰を下ろす。ズボンは汚れるが気にしない。

 俺から視線を外し、空を見上げながら俺の言葉を待っているスルトさん。俺は軽く深呼吸し、自分の心を落ち着かせる。落ち着いて話すために。

 そして語りだす。

 自分の醜い過去を。

 

 

 

「中学時代の話なんですが……俺には仲の良い、それこそ親友と言っても良い奴が二人いて、卒業を間近に控えたある日、二人の内の一人が隣の県出身ってのもあって、卒業旅行と銘打ってそこまで一泊二日の小旅行に行ったんです」

 スルトさんは空を見上げたまま、まったく表情を変えずに俺の話を聞いてくれている。それを確認し、俺はそのまま言葉を続ける。

「一日目は楽しく過ごせました。飯の時も寝る時も、気の許した親友というだけで楽しかったです。でも、二日目はダメでした。俺のせいで、全てが台無しになったんです。……いつも地元でやってること、そしてバレてなかったこと。だから地元じゃないここなら絶対にバレない。そんな慢心がありました。……いや、慢心なんて言い方は変ですね。だってこれは、犯罪行為なんですから」
「何を、やったんですか?」

 俺が言いづらそうにしていたのが伝わったのか、スルトさんが先を促してくれる。

 一度自分の唇を軽く噛み、俺は意を決して言った。

「……万引き、です」

 言葉は少しだけ、震えていた。次は震えないよう注意しながら、言葉を続ける。

「恥ずかしいことに、地元で何度も何度もやってたことなんです。商品を手に取り、カバンに忍ばせる。服の中に隠す。買った商品の袋の中に入れる。

……そのことに対して、確かに罪悪感はありました。盗る度盗る度、俺は何でこんなことをしてるんだろう、なんて思ってました。

でも今思えば、それは罪悪感を感じるフリをして、自分に罪を背負わせていると“思い込ませていただけ”なんだと思います。だって、本当に罪悪感を感じていたなら、何度も何度も盗るはずがありませんからね。

……で、いつも通り盗って、いつもと違って捕まって……その後は簡単で、今よりも惨めです。警察に連れて行かれたくない一心で、商品は払うつもりだったのに店を出てしまった、と何度も下手な言い訳を言って嘘を塗り固めて、その俺の態度に怒った店員は当然警察を呼んで、連行された俺は隣の県であるにも関わらず迎えに来てくれた両親と一緒に地元へ帰ったんです」
「友人はどうされたんですか?」

 空を仰いだままの質問。

「そのまま連絡を取ってないんです。向こうからは何度か連絡はあったんですが、それに出る勇気が無くて」
「警察に連れて行かれて、何をされたんですか?」
「色々訊かれました。最初から盗ろうと思って店に入ったのか、お金があるのにどうして盗ろうとしたのか、今までも他に盗ってきたんじゃないのか、悪いことは絶対バレるのに本当に盗れると思ったのか、色々な人に迷惑をかけているの知っているのか、本当に反省しているのか……そんなことを何度も、人を入れ替えながら何度も言ってきたんです。

……正直な話、俺は警察に連行された時点でかなり反省してたんです。今までみたいに“反省したと思い込むことでの自分の正当化”とかじゃなくて、本当に、心の底から、何てバカなことやったんだって思ったんです。一緒に旅行に来た親友との楽しい思い出も全てパアにしてしまいましたしね。

だから……正直に答えたんです。泣きながら。最初から盗るものを決めていた訳じゃない、欲しい物なんだけどお金は家族へのお土産に使いたかった、今まではやって無い、地元じゃないから大丈夫だと思った、友人にも家族にも警察の人にも店員にも迷惑をかけた、本当に反省している、ってことを、訊いてくる警察全員に、泣きながら、必死に言ったんです。

……でも、さすがに今まで沢山やってきたことだけは、正直に言えなかった。……だってあいつ等、ずっと脅してくるんです。そりゃ物を盗った時点で俺が全面的に悪い。正直に言えない程弱い俺が悪い。それはわかります。

でも……だからと言って、ちゃんとした言葉を喋るのも難しくなるぐらい、泣いている俺に向かって、本当に反省しているのか、泣いていれば許してくれると思うな、今まで他にもやってきたんだろ、だから今回も大丈夫と思って盗ろうとしたんだろ、早く言え、ちゃんと喋れ……そう何度も何度も何度も、入れ替わり入れ替わり脅してきたんです。……喉元に刃を突きつけられてる気分でした。実際は言葉と気迫だけなのに、少しでも矛盾が見つかれば殺す、そう脅されて、本当に殺されるかと思いました。反省して流していた涙が、解放される頃には恐怖で流す涙になってました。

……今思えばアレは、恐怖心を植えつけて、二度と同じ犯罪をさせないようにするためだったのかもしれません。現に俺はそれ以来、店に入って商品を手に取るだけで、脳裏にその時の映像が浮かんでしまい、買い物が出来なくなりました。傍から聞いていれば、もう万引きをしなくなって良かったね、ってことなんでしょうけど、今の俺は、商品を手にするだけで恐怖心が沸いてしまうんです」

 だから俺は、彩香さんがいなければ、何も出来ない。

 物を買いに行ってくれる人がいないと、何も出来ない。

 ……精神的外傷(トラウマ)。検査をしたことは無いが、そうだと思う。

 そっ、と頬を挟むような感触。いつの間にか空を仰いでいた俺は、その触れた感触が何かを確かめるように、同じぐらいの感触でそっ、と触れる。……暖かな、手だった。

「泣くほど、辛かったんですね」

 視界の下からスルトさんの声。空を仰いでいる自分の下、と言うことは、真正面に立っていることになる。……この手の感触は、スルトさんのものか。

「俺は、泣いてませんよ」
「いえ、泣いています。こうして触れている私の手が、濡れていますから」

 指先で自分の目元を触る。……確かに少しだけ、湿っている。自分でも気付かぬうちに泣いていたのか……いや、それだけじゃない。先程から喋っている間、俺は自分の事なのに何も気付いていなかった。

 泣いていたことの他に、立ち上がっていたことも、空を仰いでいたことも……それ程までに俺は、この話が辛いのだ。他のことに意識が向かない程。

「確かに、泣いてますね」
「はい、泣いています。大切な友人をなくし、怖い思いをし、トラウマを抱え、行きたかった高校まで取り下げられ、親にも別空間での生活を強要された。それだけのことをされて、哀しくない筈がありません。自分でも気付かぬ内に泣く程、辛かったんですね」

 その優しい声に、また涙が溢れそうになる。でも堪えて、お礼を述べる。

「ありがとう、ございます」
「お礼を言われることじゃありません。だって私が理解出来たのは、雄樹君がこの事件を悔やみ、哀しんでいると言うことだけですから」
「それは、どういう意味ですか?」
「……雄樹君、それだけ哀しい思いをしたら罪が償われた、なんて勘違いはダメですよ」

 優しかった言葉が一転、真剣なものに変わる。スルトさんへと視線を向けると、先程まで優しい言葉をかけてくれていた表情とは思えない程、真剣だった。

 でも、怒っている訳じゃない。

 親が子供に何かを諭す、そんな表情のように思えた。

 スルトさんの言葉は続く。

「罪と言うのは、未来永劫付き纏うものなんです。つまりは身体の一部。だからね、償いが済んだ罪なんてものは、この世に存在しないんです」
「それじゃあ……スルトさんの身体の一部って、何ですか?」

 スルトさんは言った。

 俺と一緒で罪を背負っていると。

 だから彼女にも、彼女の言う“身体の一部”があるはずだ。

 

 たぶん俺よりも重い、身体の一部が。

 

 スルトさんが先程言った言葉、アレにはかなりの重みがあった。あの重みは……そう、そのことに気付き、長い期間受け入れていないと出せない、そんな重みだ。

 そしてスルトさんは、告げた。

「魔王様を、愛しているんです。“神官の転生体”という、勇者一行に数えられる魂でありながら、魔王様を滅ぼさないといけない存在でありながら、愛してしまったんです」

 俺はただ、言葉を失うことしか出来なかった。

 それは失恋のショックからなのか、予想外の言葉だったからなのか、それはわからない。

 そんな俺の反応を見たスルトさんは、頬から手を離し、またまた桜の樹の幹に背中を預け、軽く微笑んで言葉を続ける。

 その口調はあくまで軽い。

 でも同時に、哀しそうでもあった。

「実は私、勇者さんと合流する前は魔王様に捕まっていたんです。……いえ、自分の意思で行ったから、捕まっていたという表現は変ですね。それでですね、捕まっている時に魔王様の話を聞いていると、書物で勉強していた魔王とは違っていたんです。書物での魔王は、魔王として覚醒すると同時に“人間を滅ぼすことばかり考える”と記してあったんですが、私が愛した魔王様は “魔物と人間の共存”を訴える人だったんです」
「その、話が脱線しますけど、どうしてそこまで真逆の魔王が誕生したんですか?」
「勇者さんの話だと、一代前の勇者の行動に原因があるんじゃないかと。何でも勇者の魂を滅ぼし、戦士の魂の転生を遅れさせてしまう程の行動をしたらしいです。それなのに、そこまでしたのに、魔王は滅ぼすことが出来ずまた転生されてきました。でも、異変はあった。それが私の愛した魔王様。

……魔王様はね、一人だったんです。魔王と言う存在から人間に狙われ、歴代の魔王より弱いと部下の魔物達から罵られ、そんな一人も味方がいない状況だったんです。それなのに魔王様、あくまで自分の訴えは曲げずに行動を続けていたんです。その姿に惚れるな、って言うのは、私には無理でした。

でも……惚れたと、好きになったと気付いたのが遅すぎました。魔王様と勇者さんが対峙し、魔王様が負けそうになった時ようやく、“神官の転生体”として目覚めると同時に気付いたんです。

自分の使命は魔王という存在を滅ぼすこと。

“神官の転生体”として目覚めると同時、そんなことを思いました。でも私は、それを物の見事に無視しました。何も無かったかのように。

“神官の転生体”なんて全て無視して、魔王様と一緒に勇者さんと戦いました。全力で。……それこそが、私の背負っている罪です」
「その……それが本当に、悪いことなんですか?」

 スルトさんの話を聞いて最初に思ったこと、ソレをそのまま口に出した。

 だってそうじゃないか。好きな人のために、自分の使命を捨てる。それは相当の覚悟があって出来ること。それを悪いことだなんて……俺には言えない。

 それにそもそも、俺には魔王とか勇者とか転生体だとか、そういうのはイマイチピンとこない。オタクである俺でコレだ。一般人が聞いたらピンとこないどころか理解すら出来ないだろう。

「ええ、悪いことなんです。私達の世界では」
「……それじゃあ、その、戦った後はどうなったんですか?」
「……魔王様は、二つに分けられ、封印されたんです。封印の話が勇者さんから出た時、私は思いっきり反対しました。でも、魔王様はあっさりと封印を受け入れたんです。……もしかしたら、魔王様と勇者さんの二人だけ、何か悟るものがあったのかもしれません」
「その、こんなこと訊くのは失礼なんですが、それじゃあどうしてスルトさんは、まだ勇者と一緒に行動してるんですか?」

 今までの話を聞く限り、スルトさんは勇者に対して好意は抱いていない。むしろ恨んでいると言っても良いと思う。それなのに一緒に行動する理由、それがわからない。

「それはですね、勇者さんが勇者として相応しくないと私が判断した時、勇者さんを殺して魔王様を復活させるからです」
「っ!」

 驚きを隠せなかった。あれほど優しい雰囲気を纏ったスルトさんが、セリアとミレイから詰め寄られる姿を微笑ましく見ていたスルトさんが、まさか常に、人を、勇者を、殺すことばかり考えていたなんて……。

「私にとって魔王様は全てです。それはたとえ、勇者さんと一緒に人々を救おうとも変わらないことです。魔王様がいない世界で私は、死にたくない」

 最後の言葉は、決意に満ちたものだった。

 でもそれも一瞬で、スルトさんはすぐに微笑みを取り戻し、自嘲気味に言葉を続ける。

「人類の希望である勇者に刃向かった人類の希望の一人、それが私。いくら勇者さんと共に善行を重ねようとも、いくら勇者さんと共に人々を救おうとも、その評価は変わりません。……その時に気付いたんです。罪とは身体の一部として、未来永劫付き纏うものだって。

同時に思ったんです。この罪のおかげで、私は魔王様を愛し続けることが出来るんだって。

だって、魔王様を愛すること自体が罪なんですから。……じつは、このことをミレイに話したら怒られたんですよ。“弱いことを認めたまんま立ち止まるな、弱いことを認めた強さがあるのなら、強くなろうとする強さもあるだろ”ってね。でも私は、ミレイには悪いけど、強くなろうとなんて思えない。強くなろうとするってことは、変わろうとするってことです。もし変わった私が、魔王様のことを好きじゃなかったから怖いから。だから……今強くなろうとしている、変わろうとしている雄樹君を止める権利なんて、私にはありません。だってそれは、私よりも強いってことですから。

でも、罪は償われる、罪は償われた、なんて勘違いはやめて欲しい。罪は償われないし、罪は償われていない。それが真実です。世間もたぶん、そう見ています。だからどうか、その勘違いだけは正してください」

 ……確かに。スルトさんの言う通り、俺自身の罪は償われていない。いや、償うことなんて出来ないんだ。これから先ずっと、俺と共に、身体の一部として共に生きていく。それが罪、それが背負うってことなんだ。それなのに俺ときたら……何を勘違いしていたんだ。

 でも……スルトさんの生き方を否定するわけじゃないが、俺は罪を認めたまま生きていくことなんて出来ない。たとえ償えない罪であろうとも、償おうと足掻きたい。だってそれが“弱さを認めながらも強さを求める”ってことじゃないのか? ……なんだ、だったら答えは出てるじゃないか。

 そうだよ、そもそも俺とスルトさんは生き方自体が違う。むしろ人にはそれぞれの生き方がある。セリアのように一直線の人、ミレイのように他人に道を示す人、スルトさんのように弱さを享受して立ち止まる強さを持った人。

 だから俺のこの考えは、人から見たら間違いだし、人から見たら正しい。

 道は見えた。誤った道を歩んでいたと言う自覚もある。そしてこれもまた、俺の身体の一部だ。足掻きながら歩む道に、足掻く対象が一つ増えた。……こうしてスルトさんの話を聞く前の俺が、そう思えたとは思えない。

「スルトさん、ありがとうございます。おかげで、昔よりも正しい道に立てた気がします」

 一歩後ろに下がり、頭を下げてお礼を言う。彼女と話す前の自分の弱気が嘘のようだ。

 心が軽い。

 今やるべきことが見えている。

 今すぐに実行したい衝動。

 だから俺は、スルトさんの返事を待たずに家の中へと駆け出していた。……母さんの元へ、戻るために。

「良いんです。雄樹君には何故か、話したくなっただけですから」

 そんなスルトさんの言葉が聞こえたが、俺の足はまったく止まらなかった。

 

 

 

「さっきは、本当にスイマセンでした!」

 ドアを開けて部屋に入るなり、頭を下げて謝った。

「……それは、何に対してのスイマセン?」

 内心、とっくに部屋からいなくなっているのでは? と思っていたが、部屋にいてくれた。

 顔を上げる。先程と同じ場所、そこに母さんは座っていた。

「胸倉をつかんで殴りかかろうとしたこと。それと、大きな勘違いをしていたことです」
「……大きな勘違い?」
「はい。俺は今の今まで、とっくに自分の罪は償われていると思っていました。警察に脅されて怖い思いもし、通いたかった高校にも行けなくなり、友人もいなくなり、あなたに隔離された生活を強要された時、俺はもう、全てを償ったと思いました」
「そうね……それで、どうするつもり? それがわかったから、皆を住ませるために働かないお金を下さいと、そう言いに戻ってきたの?」
「……はい」
「ふん……そんなこと許可できるわけ無いでしょ」
「それでも! それでも……無理を承知で、お願いしにきたのです」

 一際大きな声を上げる。でもさっきみたいに、怒りに任せた大きな声じゃない。

  少しだけ間を開けて、俺は言葉を続ける。

 言葉に、俺の決意を、込めるため。

「彼等は俺にとって、とてつもなく大切な親友なんです。出会ってからの期間はとても短い……でも、期間なんて関係無いぐらい、大切な人達なんです。彼等のおかげで俺は、強くなろう、変わろうと思えたし、今自分が思う道を突き進もうと思えたし、自分の罪がまだ償えていない……償うことなんて出来ないと思えたのです」
「……罪は、償えない?」
「はい。ですが俺は、罪を償い続けようと思います」
「えっ?」

 母さんの驚きの声。……構わない。そのまま言葉を続ける。

「償えない罪、でも償い続ける……それは強くなろうと思っている俺にとって、当然のことだと思っています。罪は身体の一部と教えられ、永劫取り除けないものだとも教えられました。でもソレを否定してはいけないと、俺は思いません。だから俺は、取り除けないとわかりながらも、足掻き続けます。この罪を償おうと」

 バカなことだとは思う。無理だと知りながら足掻き続けるなんて。それはもう、切れる訳が無い石を、ハサミで切ろうと足掻き続けるようなもの。

 でも俺は、それで構わない。

「このことに気付かせてくれたのは……こんな考えが出来るようになったのは、この親友達のおかげなんです。だからこの親友達を苦労させたくない。恩返しをしたい。……俺の分は結構です。それも償いの一つですから。でもどうか、彼等親友の分のお金だけは出してください。お願いします!」

 ありったけの決意を込めて言い、再び頭を下げる。

「……勇者さん。結局、あなたの言う通りになりましたね」
「はい」

 不意に母さんが、勇者にそんなことを言う。俺には何のことかわからない。

「もう良いよ、雄樹」

 そう言われ頭を上げ、母さんの顔を見る。……微笑んでいた。何年ぶりだろう、こんな母さんの、“母親”としての優しい微笑みを見るのは。母さんは嬉しそうに、言葉を続ける。

「お前の覚悟はわかった。それと、お前が本当に変わろうとしているということも。三十分ぐらいでそのことに気付けたのは、一緒に出て行った女性のおかげ、というのもあるんでしょうけど、何よりお前が変わりたいと思っている心が強いという証でもあるんでしょう」

 そこまで言うと立ち上がり、言った。

「良いです。これからはあなたの友人達の生活費も出していきましょう。……ただし、出世払いで貸すだけですけどね」
「っ……! ありがとうございますっ!」

 優しく告げられたその言葉に対し、俺は頭を下げていた。

 先程までのお願いという気持ちからではなく、感謝という気持ちの下で。

 

 

 

 夕陽が射し込む少し前の時間。俺達はようやく帰宅の途についていた。

 結局あの後、母さんと長い時間喋ってしまった。今までの時間を取り戻すように、とは良く言ったものだ。

 家から隔離したのは、罪が償えた気になっていた俺に反省して欲しかったから、今ならもう家に帰ってきても大丈夫、なんて話までしたぐらいだ。

 そのまま夕飯も一緒に、って話題になった頃に帰ろうと言う流れになった。別に一緒に食べたくない訳じゃない。実は昨日から、皆で決めていたことがある。

 無事許可を貰ったら、皆で鍋を食べよう。

 そんな決定事項。

 父さんや兄貴、姉貴や妹と話していっても良かったんだが……まぁ、いつ帰ってきても良いと言われたので、また暇を見て行けば良い。

「そう言えば雄樹さん、勇者さんに感謝しておかないと」

 道を歩いてしばらくして、彩香さんが突然そんなことを言ってきた。

「感謝? もうしたりないぐらいしてるけど」
「そう言うのではなくて、奥様を説得してくれたことをです」
「母さんを説得?」

 彩香さんの少し怪しい敬語を聞いて思い出そう……として、すぐに思い出した。母さんの「結局あなたの言う通りになりましたね」という言葉を。

「はい。息子さんが変わろうとしているのことに気付いているのに、どうしてそんなことを言うのだ。とか、親なら犯罪者で世間からも信じてもらえない息子を、唯一信じてやるべきじゃないのか。とか、彼が変わろうとしている心は本物です、その証拠に、次この部屋に帰ってきたら自分の間違いを謝罪するだろう。とかです」
「なぁに」

 俺と彩香さんの会話が聞こえていたのだろう。後ろで四人仲良く会話していた勇者が突然、俺の隣を歩いて肩に手を置いて、言った。

「礼を言われることではない。親友が困っていたら手を貸すのが、親友というものだろう」