ふぅ……何か、色々ありすぎて疲れたな……。

 トイレで用を足し、そこから出たところでため息が盛大に出た。そんで思ったことが、さっきの言葉。

 もうね、すんげぇ疲れたの。確かに昨日は昨日で疲れた。でもアレはまだ現実味しかなかった。でも今日のはなぁ……現実味がなさすぎる。今にして思えば、現実味がまったく無いのにすんなり受け入れすぎてた気が……まぁアレか、オタクってのも確かにあるが、近くにテンパってる人が常にいたからってのもあるかもな。

 ってか、シャツが冷たい。汗が乾いてしまったからか……そりゃあれだけの出来事があったのに、汗をまったくかかないのはおかしすぎるか。今まで忘れてたのも相当かもしれないけど。

「あ、峰岸君」

 どうでも良いことを考えていたところでの声。そちらへと視線を向けると、セリアとミレイが階段を降りて来ていた。

「ああ、どうかしたか? ってか、何で二階?」
「ほらあの子、峰岸君が連れてきた子。その子の目を覚まさせようと思って」

 星辰のことか。

「いや、それだと何で二階に行ってたのかの説明になって無いと思うんだけど……」
(あのへやでおこすとわたしたちのこと説明しないといけない。だからユウキのへやで)

 セリアとミレイの答えで俺の疑問は氷解した。つまりは、説明するのが面倒だから「この家に勇者たち皆はいない」ってことにしよう、とそういうことか。

「あの子のカバンとか荷物も全部部屋に置いといたから」
(ホウジュツもかいじょした。すぐに目をさます)

 ホウジュツが何かはまったくわからなかったが、すぐに目が覚めるのはわかった。目が覚めていきなり見知らぬ部屋で一人きりも嫌だろうな……仕方が無い。部屋に行くか。

「ああ、そっか。わざわざありがとう」

 俺はセリアとミレイにお礼を言い、自分の部屋へと向かう。二人は何が楽しいのか、ニヤニヤしながら勇者のいる彩香さんの部屋へと戻っていった。……何だ、不気味だなぁ……。

 とか思いながらも、同時に可愛くもあるんだよなぁ……とかも思ったりする。何であんな表情をしたのかはまったく気にならなかった。

 こうして自分の部屋のドアを開けるまでは。

「…………」
「…………」

 自分の部屋なのでノックする癖なんてあろうはずもなく、同時にノックする癖をこれからはつけた方が良いかもなぁ、なんて考えが一瞬浮かぶ。

 ドアを開けた自分の部屋。そこには、ハンガーにかかっている制服を取ろうと手を伸ばしている、下着姿の星辰の姿。

「…………」
「…………」

 目が合う。しかし互いに無言。そして静かに、俺は開けたドアを閉めた。

 ……何故どうして部屋の中に下着姿の星辰が? 運んだ時は制服を着ていたはずだいやそれとも中の星辰は俺がみた幻覚? いやでもあの肌の色は紛れも無い本物だと思うし肌が隠れているタイセツな部分だけ白かったし上下共に白かった。今まで制服で隠れていて気付かなかったが胸には結構なボリュームがあっていやでもあれぐらいで普通なのかもだって今まで俺のそういう知識は二次元からしか得てない訳だし。だからと言ってあの腰の細さは異常だろうとだって強く抱きしめたら折れるじゃないかちゃんと飯食ってるのかとかそんなことより抱きしめるとか何大胆なこと考えてんだ俺はっつかあの体抱きしめたら安心しきっておれ液体になるんじゃね? まぁ同時に歯止めもきかなくなって――

「ごめんっ!」

 ――頭の中ですんごい失礼なことが浮かんでは消えていく状況。とりあえず非は俺にしか無い訳なので、ドアの向こうにも聞こえるぐらい大きな声で謝った。見えないだろうが土下座もした。

 と、ここまでしてようやく、少しだけ冷静になれた。と言うより、邪念が取り払われた。そして思い出す、先程の二人の楽しげな……いや、愉しげな表情。あいつ等……わかってて俺に一言も言わなかったな……!

 そこまで気付いたら後は怒りに身を任せるだけ。すぐさま二人の元へ向かおうとする。

「きゃっ」

 階段を駆け下りようとして、ちょうど階段を登りきろうとしていた彩香さんとぶつかりそうになる。これも俺が全面的に悪い。謝ろう。

「あ、ごめん、彩香さん」
「どうかされたのですか、雄樹さん? 先程大きな声も聞こえてきましたけれども……」
「えっ?! えっと……それは…………」

 星辰の着替えを覗いてしまいました……とは言えなかった。セリアとミレイのせいであろうとも、俺が全面的に悪いし。とりあえず誤魔化すことにする。

「その、あの……そんなことより彩香さん、俺の部屋に星辰を移したんだけどあ! 俺じゃなくてセリアとミレイが移したんだけど、今中で着替えてると思うから、終わったら玄関前まで案内してくれないかな?」
「えっ? ああ、はい。それではあのお嬢さん、お目覚めになられたのですね」
「うん、そうそう。それじゃあお願いするよ」
「はい。かしこまりました」

 誤魔化せてはいない。ただ気絶していた星辰が目を覚ましたと言う、彩香さんにとっても安心できる内容を喋って意識を逸らし、そしてその隙に話を打ち切り逃げただけ。

 後で追及される可能性もあるが、とりあえず俺はそのまま彩香さんの横をすり抜け階段を駆け下り、勇者が眠っていた部屋へと勢い良く入って、同時に文句を言った。

「ごおぉらセリアにミレイ! お前等星辰が服着てないの知ってて俺に伝えなかっただろ!」

 その俺の様を見ながら二人ともニヤニヤしている。

「そうだけど」
(それがどうしたの?)

 まったく悪びれた様子が無いセリアとミレイに、俺は半ばヤケになって言葉を発する。

「そうだけどじゃねぇよ! そのせいで見ちまったじゃねぇかっ!」
「何を見たの?」
(下着?)
「そうだよそれだよっ!」
「別に良いじゃない。役得でしょ? 峰岸君が損したとこなんてまったく無いじゃない」
(こんなに女性がいたらこういうトラブルがおきるものじゃん。ユウキのマンガにもそういうページあったし)
「だからっておかしくね?! 何かは説明できないけどおかしくねっ?!」
「いやでも、あたし達は見せたくないし」
(そ。だから悪いとすこしだけ思いながらもあの子で)
「その発想はおかしいから! 別に無理してそういうイベント作らなくて良いからっ!」
「せっかく峰岸君が喜んでくれると思ったのに……!」
(とても必死に、二人で考えに考え抜いた方法だったのに……)
「そんな方法で喜ぶと思うなよっ! っつかその涙ぐんだ表情はウソだろセリア! それとミレイ! せめてその言葉は準備しといたってバレないようにしとけよっ! 漢字大量に使ってる時点でモロバレだから!」
「まぁでも、峰岸君がこんなにテレてるとこ見れただけでも十分かな」
(ま、だいぶからかえたしね)
「結局はそこなのかっ?!」

 と、上からドアが開く音。どうやら星辰の着替えは終わったようだ。

「もういい! とりあえず星辰送って来るから、その間に彩香さんと話しとけよ」

 返事も聞かずに部屋のドアを閉める。……ハァ……なんか、さらにドッと疲れた……。

「雄樹さん、着替えの方が終わりました」

 階段を下りながら言葉をかけてくる彩香さん。その後ろには、目線を下に向け、恥ずかしそうにカバンを胸に抱えている星辰。……って、俺はまた胸ばっか見てる……! 慌てて視線を玄関へと移す。

 外はすでに夕陽が輝く赤みを終え、人工的光のみが輝く青黒さに染まっていた。

「外も暗いし、送っていく。その……事情も説明したいしな」

 何故かかなり恥ずかしくて、そう素っ気無く言葉をかけることしか出来なかった。

 

 

 

 ……気まずい。かなり気まずい。家を出てからかなりの距離を歩いているのに、互いに一言も言葉を交わしていない。

 胸に抱えていたカバンは手に持つようにしてくれているが、それでもまだ警戒してる……と思う。いやまぁ、ほぼ裸の状態を見られたんだから当然なんだけど……。でもこのまま無言じゃダメだ。

 よしっ! 覚悟を決めろ! 腹を括れ!

「今日起きたことは忘れてくれて大丈夫」
「えっ……?」

 突然の俺の言葉に星辰は驚いたようだけど構わない。このまま言葉を続ける。

「近くの人が通報してくれたのか、あの後すぐに警察の人とかが沢山来てくれてさ、あの獣、捕まったんだ。星辰は、その、俺が抱きしめた時に気絶してしまったみたいだから、警察の事情聴取とかうけさせたらダメかなって思って、偶然近くを通った彩香さん……あのメイドさんにね、家まで運んでもらったんだ。本当はダメなんだろうけどね」
「私が……気絶?」
「その、あれだけ人が死んだ所を見て、しかも警察の人が来てくれなかったら死んでしまうあの状況じゃあ、気絶してしまって当然だよ。俺だって、星辰が先に気絶してくれなかったら気絶してたと思う。星辰を見て、頑張らないと、って思って、何とか堪えたんだから」

 あらかじめ用意しておいたウソ。今日の出来事を星辰に話すことが出来ないので、トイレの中で即興で用意した。深く追求すれば矛盾点が見つかるかもしれないが、勇者登場と同時に眠らされて記憶が途絶えている今なら、その矛盾点は見つからないと思う。

「それじゃあ、その、峰岸君が全部、警察の事情聴取とか受けてくれたの?」
「うん、まぁ。これ以上、星辰の心が傷つくのがイヤだったから。ほら警察ってさ、こっちの状況とかお構い無しに色々聞いてくるからさ。どうやって、人が死んだのかとかさ……」
「……峰岸君は、大丈夫なの?」
「……うん。星辰を守れたってだけで、十分耐えることが出来た」

 かなりクサいセリフだと自覚はしてる。でもこのまま続けるしかない。出来事という興味から、俺へと興味が移動してるから。

「……ありがとう。うれしい」

 星辰の顔を盗み見ようと、視線を隣へと向ける。だが盗み見ることは叶わず、ものの見事に視線が絡み合ってしまった。頬を少しだけ朱(あか)くした、とてもうれしそうな表情をしている星辰と。

 不覚にも、ドキッとしてしまった。

 そもそも彼女は可愛いのだ。そりゃスルトさん達と比べたらダメだけど、可愛いことに違いは無い。いつもの暗い雰囲気さえ何とか出来ればさぞモテたことだろう。そんな彼女がそんな表情をし、赤いリボンで左右を結んでいる黒い髪が、街灯の光を受けて艶を煌かせてきたりしたら……そりゃドキりともしてしまう。

「あっ、その、全然良いよ。だから、その、そういうことだから、警察が来ても知らんプリで」
「……うん」

 顔が熱い。思わず視線を逸らしながらの俺の言葉に、そう返事をする星辰。

 自分が真っ赤になっていることを自覚する。

 そのまままた、互いに無言で道を歩く。

 胸がドキドキする。

 商店街とは別のルートを歩かなければいけないので、ここからは道がわからない。

 隣の星辰の香りに頭がクラクラする。

 そうなると道がわからないな……仕方が無い、星辰の歩く速度に合わせるか。

 夜独特の雰囲気がそうさせているのか、このまま無言だと自分が制御出来なくなる。

 この右手側が商店街かな……。

 手、繋ぎたいな……。

「……その、今日のことは、別に気にして無いから」
「えっ?」

 突然の星辰の言葉。驚きながらも、そのおかげで冷静になれた。……何て下心を持ってしまってたんだ、俺は。星辰に悪い。

「その……裸……見られたこと」

 裸っ?! その単語で、先程自分の部屋に入ってしまった時の星辰の状態を思い出してしまう。この映像のせいで変な気持ちになっているのか……! 

 原因が分かっただけで、少しだけ冷静になる。

「あっ……うん。その、ありがとう」

 ま、自覚したところでどうしようも出来ない訳で……とりあえず本人が気にするなと言ってくれているのでお礼を言っておく。

「その、ね……私の制服脱がしてくれてたの、峰岸君の家にいたメイドさんなんだ」
「えっ? 彩香さんが?」
「うん。制服がシワになっちゃダメだからって、着替え終わってから教えてくれたの」
「そうなんだ」

 てっきりセリアとミレイが面白がって脱がしたと思ってたんだけど、違ったのか。

「それで、その……峰岸君の家にいたあのメイドさんって、彼女?」
「違う違う。実家で雇われてる家政婦さん。俺、実家から離れて暮らしてるのに生活能力ゼロだからさ。親が付き添わせろって。ちなみにメイド服は彩香さん本人の趣味」
「そうなんだ……住み込みで働いてるの?」
「うん」
「その……キレイな人だよね」
「まぁ……確かにな」

 もっともそのことに気付いたのはつい二日前だけど。

「峰岸君はあの人のこと、その、好きなの?」
「好き? んまぁ、家族としては大切な人だよ」
「……恋愛対象としては?」
「いや、そんな! それは無いよ! その、身の回りの世話とかしてくれるから感謝はしてるけど、それが恋愛感情まではいかないよ! それにそもそも、彩香さんが俺を恋愛対象として見るとは思えないし」
「そっか……うん。そっか……」

 どうしてそんなことを? そう訊こうとして逸らしていた視線を星辰へと向けると、そこにはうれしそうな雰囲気を出しながら、その雰囲気を表情に塗りたくった星辰がいた。

 その姿にまた、治まっていたドキドキ感が訪れる。

 スルトさんを初めて見たときと同じ、抱きしめたい・頭を撫でたい・抱きつきたいといった考えと、抱きつかれたい・頭を撫でられたい・抱きつかれたいといった願望が生まれてしまう。

 そして脳裏に、部屋で見た星辰の体。

 ソレが再び、鮮明に再生されてしまう。

 慌てて視線を外して真正面を向き、体と心と頭を落ち着けるよう努める。

「家、ここだから」

 その星辰の言葉で我に帰る。と同時に、先程の考えやら願望やらも体の奥底に沈む。

 ある一軒家の門扉の前。表札には確かに「星辰」と刻まれている。軽く見ても、広さ的には今俺が住んでいる家と同じぐらいだろうか。まぁ、高さは三階分ぐらいあるみたいだから、総合面積的にはこちらの方が広いだろう。

 高級住宅街の一角……俺の実家からゆっくり歩いて十分ぐらいだろうか……。

「それじゃあ、また明日学校で」
「ああ、いや。俺明日は学校休む」

 星辰の言葉に慌てて返事をする。

「えっ? どうして?」
「その、明日実家行くからさ。休むんだ、学校」

 そう。あの時の話し合いで決まったこと。

 善は急げの要領で、明日さっそく向かうことになった。彩香さんが連絡をしてくれたので、家に親がいないということは絶対に無い。……そのことを思い出すだけで、軽く緊張してしまう。まだ実家にすら向かっても無いのに……なんてチキンハートな野郎だ。

「そっか……じゃあ、また明後日、学校で」
「ああ。また明後日、学校で」

 俺の返事を聞いた星辰は、門を開けて家の敷地へと入っていく。扉を開けた時にもう一度、こちらへと振り返って微笑む。その姿に俺は手を振って返す。

 バタン。その扉が閉まる音を合図に、俺は勇者たちのいる家へと帰った。