放課後。帰りのホームルームで配られた進路希望調査書をカバンの中に仕舞っていると、例の五人組が勇者の周りに集まりだした。

「ほら、行くぞ」

 その声を発したのは五人の中の誰なのか。そんな薄情なことを考えていると、椅子を引く音。たぶん、勇者が立ち上がった。そして遠ざかる、いくつもの足音。その足音は迷うことなく、教室の外へと向かっていった。……後ろを振り返ることが出来なかった自分が、少しだけ腹立だしい。

「それじゃあ帰ろ、峰岸君」

 目の前からかけられた声に顔を上げる。そこにはセリアが俺を見下ろしていた。

「帰ろって……セリアは勇者についていかなくていいのか?」
「うん。ご飯食べる時に決めた事だしね」
「セリアはそれで良かったの?」
「うぅ〜ん……正直微妙かな。でもま、勇者様にあそこまで頼まれたら断れないよ」

 そう言って苦笑いする。うあ……なんか知らないけどドキドキした。今の表情に。

「そうか……それはありがとう」
「いえいえ、勇者様の頼みですから」
「時に、どうしてスルトさん達は勇者と一緒に行くんだ? 勇者なら一人でも大丈夫なんだろ? だったら無理についていかなくてもいいんじゃない?」

 こんな言い方だとまるで、自分を護る為に人数を割いてくれと言っているみたいだな……そんなつもりはまったくないのに。

 ただただ、純粋な疑問だっただけなのに。

「そうだけど……ま、色々あるの。それよりも早く帰ろ。このままここにいたら、峰岸君を襲いに来る奴等の的になっちゃうよ」

 でも、そのことを指摘しないセリア。それはまるで、何かを隠すために、必死に誤魔化しているみたいな……。

 後ろを振り返り、スルトさん達の席を確認しながら立ち上がる。もちろんそこはとっくに無人。……んまぁ、いっか。いつ出て行ったのかまったく気付かなかったが、深く追求しすぎるとさっきのことを指摘されるかもしれない。ならこのまま誤魔化されておくか。

 

 

 

「そう言えばさ、この“進路希望調査書”って何なの?」

 帰り道、結界の効果が及ばなくなってからしばらくして、今日帰りのホームルームで配られた例の紙をヒラヒラさせながらセリアが訊いてきた。

「ああ、それな。それはな、今通っている学校を卒業したら何処に行きたいか・何をしたいのかを先生に知ってもらうための紙」

 簡単すぎる説明。でもこんなもんで十分だろう。

 今はまだ一年生。しかも底辺高校での一年生。この段階からどの大学に行きたいのか・どこに就職したいのかなど、明確なことまで書く必要性はまったくない。一目見てそのことがわかった。ま、「将来の夢」みたいなノリで書いても全然大丈夫だろう。

「ふ〜ん……峰岸君はもう決まってるの?」
「俺か? 俺は全く決まってない」

 所詮は底辺高校“ごとき”に“引き取ってやっても良い”と言われた存在。そう簡単に進学・就職が出来るだなんて思っていない。

「そういうセリアはどうなんだ? この世界でじゃなくてもいいからやりたい事、あるの?」
「あたし? あたしは……もうとっくに、やりたいことはやってるよ。だからま、これ以上は望まないかな。もう十分、満足出来てるし」

 少しだけ嬉しそうに言うセリア。……その姿が可愛くて、そして何より、羨ましい。そんなことを思った。

 やりたいことすら見つかっていない俺に対し、彼女はとっくに、やりたいことが叶ったというのだ。その姿があまりにも羨ましくて――

「そのやりたいこと……叶ったことって、何?」

 ――いつの間にか、そんなことを訊いていた。

 その俺の質問にセリアは、歩く速度を少しだけ遅くし、足元に視線を落とし、頬を少しだけ朱(あか)く染めながら、さっきよりもずっと小さな声量で――

「勇者様と、ずっと一緒にいること」

 ――そう言った。その声はあまりにも小さくて、人通りが多かったら、きっと聞き取れていなかったと思う。

「やっ……! おかしいな。こんなこと、人に言いふらす事じゃないのに……峰岸君が相手だと、何でかな、話してもいいかな、って思っちゃう」

 さっきよりも少しだけ大きな声。でも、日常(いつも)よりかは小さな声。

 照れ隠しなのか、ずっと自分のつま先を見るかのように視線を下げ続けている。顔も、耳まで真っ赤になっている。その赤くなった顔と揺れる橙色のツインテールが、いつもの活発な雰囲気の彼女とは違っていて、とても魅力的だった。……可愛いな。何度目だろう、彼女にこんな感情を抱いたのは。

 何度目だろう、彼女にこんなに魅了されたのは。

 だから、気になった。どうしてここまで勇者のことが好きなのかと。

 ただ顔がカッコ良いから、なんてウチのクラスの娼婦と同じ理由なら、こんなに魅了されることは無かったと思う。彼女はただ純粋に、勇者の全てが好きなのだと思う。

 だからこんなにも、勇者のことを語る彼女に、俺は魅了されてしまうのだ。

「なぁ、どうしてそこまで、勇者のことが好きなんだ?」

 だから、訊いた。単刀直入に。

 だって彼女のその雰囲気は、ミレイが勇者に抱いている“好き”とは、明らかに一線を画している。彼女の雰囲気はまるで、星辰が東に抱いているのと同じ……つまり、恋愛感情からくる“好き”と同じだったから。

「えっ?! いや、そんな、好きとか、違っ――」
「違うのか?」
「――くないけど、で……あぁ…………うん。好き、だけど…………うん」

 さっきまでとは比べ物にならないほど顔を真っ赤にしながらの言葉。その……何て言うか……だんだんと語尾が小さくなっていくその姿とか、動揺が顕著に見えているその姿とかが、その……何て言うか、とりあえず、思わず言葉が出なくなるぐらい、彼女は可愛かった訳で……。

「どうしたの? 峰岸君。その、急にしゃがみ込んで」

 俺は思わず、その場でしゃがみ込んでしまうぐらい悶えてしまった。その反応は反則だろう……セリア。

 

 

 

 気を取り直し、顔が朱(あか)いままのセリアの話を歩きながら聞く。その速度は見るからに落ちていて、カタツムリでも俺達を追い越せるかもしれないと思ってしまう程だ。

「どうして好き……かぁ。んん〜……あたし自身、強い人が好きだから、かな」
「それだけ?」

 そんなことは無いと思うんだけど……。

「それだけ……じゃないけど、そうねぇ……強いて挙げるなら、あたしと、あたしの国を助けてくれたから、かな」
「国、って生まれた国ってこと?」
「そうでもあるけど……実はさ、信じてもらえないかもしれないけど、これでもあたし、元お姫様なんだ」
「……お姫様?」
「うん」
「……正真正銘の?」
「うん。やっぱり、信じられない?」
「そりゃ……まぁ。今の姿からは想像が……」

 でも俺が初めてセリアの姿を見た時、確かに彼女から優雅な雰囲気を感じた。もしかしたらそう感じたのは、彼女が元々お姫様だったからだろうか……。

「そりゃそっか。ま、ともかく、自分の国が魔物に襲われて、しかも無謀にもその魔物に立ち向かったバカなあたしも助けてくれた……そこまでされちゃ、惚れちゃうじゃない」
「そっか……でもさ、お姫様だったんなら、婚約者とかいたんじゃないの?」
「婚約者か……うん、確かにいた」
「その人とはどうしたんだ?」
「もちろん別れたわよ。親が勝手に決めた政略結婚だったし、こっちも勝手に別れた」
「それでその後は、勇者と一緒に旅に出たと」
「ううん。助けてもらった時はついて行かなかった」
「えっ?」
「と言うより、ついて行かせてもらえなかった。ついて来るなとまで言われた」
「どうして?」

 勇者がそんなことを言うだなんて……想像できなかった。それになにより、もしそうならどうして今は勇者と一緒にいるのかが分からなかった。

「足手まといだったからだと思う。あの時は魔王討伐の旅の途中だったしね」
「それで……大人しく引き下がったの?」
「まさか。当時のあたしにしては食いついた方だと思うよ。今にして思えばヌルいけどさ」
「それじゃあ、どうして旅をすることを諦めれたの?」
「指輪をくれたの。魔王を倒して、世界が平和になったら一緒に旅をする証として。ほら」

 そう言って、右手の薬指にはめている白銀の指輪を見せてくれる。それは意識してみないとわからない程地味なデザイン。何の飾り気も無い、本当にワッカだけのデザイン。

 それでも彼女にとっては、約束の証として重要な意味を持った、とても美しい指輪。

「それで、引き下がったの?」
「そ。ま、実際あたし自身、もしついて行っても足手まといになることはわかってたの。だからま、ここでこの約束をして一旦別れたのは良かったことなのかもね」
「どうして?」
「だってそうすれば、勇者様を追いかけるための修行をすることが出来るじゃない」
「……修行?」

 これはまた、お姫様には無関係に聞こえる言葉を……。

「だってあたしが弱いから、勇者様は一緒に旅に連れて行ってくれなかったのよ。もし強かったら連れて行ってくれた状況なのに。それがとっても悔しくてね……必死に修行した。剣の振り方から教わったら時間が掛かるからって、兵士長に体術を教え込んだって言うお師匠様を呼んでもらってね」

 そう語る彼女の横顔を見ながら俺は、純粋にスゴイと、感じてしまった。

 だって勇者に会いたい、勇者と一緒に旅をしたいというその一途な思いだけで、彼女はここまでのことをしてのけているのだ。

 今こうして勇者と一緒にいることが、彼女の一途な思いが実ったという、証。

「その、さ。辛くなかったのか?」
「もちろん辛かった。何度もやめようと思った。実際結構サボってた。だって元々お姫様よ? そんなに体力がある訳無いじゃん」

 サボっているとこを思い出したのか、一瞬だけ苦笑を浮かべる。そして浮かべたかと思うと、今度は懐かしむように指輪を空にかざしながら、彼女は言葉を続ける。

「でもさ、指輪を見るたびに勇者様のことを思い出すの。約束を交わしたこと。あたしが弱いせいで、勇者様に迷惑をかけないようにしようと誓ったこと。そしたら、また翌日から頑張れた。勇者様と一緒にいるためには、たとえ一人で旅に出ることになろうとも生き抜ける強さが必要だ、って思い直してね」

 誇らしげに語る彼女。自分の強さを信じ、愚直なまでに一途に、一直線に――時には歩みを止めながらも――突き進んでいた彼女。それはまさに、俺が持っていない強さそのもの。もしかして彼女なら、知っているのかもしれない。俺が歩みあぐねている、この道の先を。

 

 だから、訊ねる。道の先を示すための光、ソレを灯してくれるかもしれない言葉を。

 

「こんなことを訊くのは失礼なんだけど……その、勇者が魔王に殺されるかもしれない、って考えたことは、なかったの?」
「そうねぇ……正直、考えたことが無かったって言ったらウソになる。でもさ、それって同時に、勇者が魔王を殺すかもしれないってことじゃない。将来なんて所詮そんなもの。誰にだってわからないものなの。だから今、将来なりたいもの目指して頑張ればいいじゃない。そしたらなれるかもしれないし、同時になれないかもしれない。なれなかったら確かに悔しい。けど、目指さなかった人生よりかは絶対に楽しくなるでしょ」

 そこで一旦言葉を切り、歩みを止め、隣を歩く俺へと向き直り、優しい微笑みを携えて、セリアは言葉を続ける。

「将来なりたいもの……その時のあたしは、勇者様の隣に居続ける事だった。だからそれを目指して頑張り続けた。もし勇者様が死んでしまってたら、絶望に打ち震えてたと思う。でもさ、勇者様のために修行を続ける日々と、ただ無目的に生きる生活……どちらが楽しいかと言えば、断然修行をし続けた日々じゃない。少なくともあたしはそう思う」
「…………」
「だからま、今のあたしは“将来なりたいと願った自分”になれてるから、さっきの進路希望調査書には何も書けないのっ」

 顔を逸らし、止めていた歩みを再開しながら、無理矢理話を締めくくる。逸らした顔から覗く頬。そこは赤く染まっていた。余程恥ずかしかったのだろう。

 でも……本人がそこまで恥ずかしがる話をしてくれて、分かったことがある。

「セリア、ごめん」
「ん? 何が?」
「ちょっと用事を思い出した。先に家に帰っててくれ」
「えっ?! ちょっ、峰岸君?!」

 セリアの言葉が聞こえないフリをし、俺は先程までの道を走って引き返し始めた。何でかって? そんなもの、決まってるじゃないか。急いでやりたいことが出来たからだ。