晩飯を食い、風呂から上がって部屋に帰ってくると、そこには勇者一人しかいなかった。

 

「あれ? 他の皆はどうしたんだ?」

 

 ベッドの上に寝転がり、仰向けになってマンガを読んでいる勇者に訊ねる。勇者は顔をまったく上げずに答えてくる。

 

「三人ともちょっと用事があると言って出掛けたが」

「あの格好で?」

 

 自分の椅子に座りながらちょっと心配する。

 あの三人、この世界(一部地域除く)じゃあり得ない格好だからなぁ……。

 

「ああ。ま、スルトがいるから大丈夫だろう。空間移動で出掛けたからな」

「どこに?」

「知ってたら教えているさ」

「皆がいる場所なんて勇者ならわかるだろ?」

「何故そう思う?」

「いや、なんとなく」

「ふぅむ……セリアとミレイだけならわからんでもないが……今はスルトが消してしまっていてな」

「消している? 何を」

「今日雄樹に渡した“次元の種刻印”の波動……というか気配……というか、そんなものをだ」

「……ふと思ったんだけど、もしかしてそういう空間移動とかって、転生体じゃないと出来ないのか?」

「どうしてだ?」

「そんな口ぶりだから。だってセリアとミレイの二人は転生体じゃないんだろ? だから空間移動とか“次元の種刻印”の気配も消せない。それに対し、勇者と“神官の転生体”のスルトさんはその二つが出来るみたいじゃないか」

「なるほど……だが残念ながら、空間法術を扱えるのは転生体だからではない」

 

 空間法術? 空間移動とか“次元の種刻印”の気配を消すとか、そういう能力を指すのか……?

 

「ふ〜ん……じゃあどうしてそんなことが出来るんだ?」

「……ま、そのことは追々話させてもらう。それよりも今は、雄樹に話しておきたいことがある」

 

 マンガを読むのを止め、ベッドの上に胡坐をかき、真剣な表情で話しかけてくる。

 

「俺に?」

「ああ。さっきの話で思い出した」

「何を?」

「ミレイのことを……だな」

「ミレイのこと……?」

「今日ミレイと話して、もし雄樹がミレイのことを嫌いになっていたらイヤなのでな」

「俺は別に嫌ってないけど……って、あの時の話、聞こえてたのか? ってか見てたのか?」

「見てはいない。聞こえたのだ。お前とミレイの二人であれだけ怒鳴っていれば、聞きたくなかろうとここまで聞こえてくる」

 

 確かに……アレだけ怒鳴って盗み聞きも何も無いわな。

 それに今思えば、ミレイの言葉って勇者には聞こえるんだったな……そりゃ俺とミレイの会話の全容なんてすぐにわかる。

 

「別に嫌っていないとのことだが……それだったらまぁ、俺の自己満足に付き合ってくれれば良い。仲間を悪く思われたくない、だから精一杯のことをしたい。そんなことを思っている俺の、ただの自己満足だ。それに、何故か雄樹には話しておきたいと思ったのでな」

「ふぅん……それで、ミレイの何のことについて話してくれるんだ?」

「俺とミレイの出会い、だ」

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 正直な話、興味があった。

 

 今日あんなことを言われたばかり。しかも彼女の言葉には……重みがあった。

 言葉自体は発していないが、書いてある言葉を見せるたび、彼女の雰囲気が違っていた。

 その言葉の重みは……俺が同じ言葉を発するのに比べたら、比べること自体が失礼に値する程。……いや、むしろ俺の周辺にいる人全員とは比べ物にならないほどの、重さがあった。

 あれほどまでに重みのある言葉を発してしまう人生……それはとんでもないものだと思う。

 

「と言っても、こうして改めて話をするほどのことでもないのかもしれんがな。簡潔にまとめるなら、魔王一派の研究の成功例、それがミレイであり、彼女を生み出したその研究所を破壊したのが俺。ただそれだけだ」

「それだけって……それじゃあ勇者は、ミレイを助けるために、その……魔王の研究所を破壊したってのか?」

「ソレは違う。破壊した研究所に偶然ミレイがいただけだ。正直、研究所に入るまで彼女の存在なんて知らなかった」

 

 それじゃあミレイは、研究所を破壊しにきた勇者を見かけ、そのまま勇者に同行したってことか……? でもそれじゃあ……魔王一派から見ればただの裏切り行為じゃないのか? 

 ……いや、違うか。

 こういう場合、二次元世界的な要素を含むとすれば、ミレイは勇者のことを「過酷な実験から救ってくれた文字通り勇者そのもの」な存在だと思っているだろう。

 それじゃあ……――

 

「それじゃあ、その……ミレイにされていた実験ってのは何なんだ?」

「彼女にされていた実験……いや、厳密には実験じゃない。そうだな……簡潔に言うと“対勇者用戦闘兵器開発”、かな」

 

 兵器開発……? おかしな言い方をす……――

 

 ――イヤ待て。おかしな言い方じゃない。

 勇者が簡潔に言うと言ったんだ。

 それでこの言葉が出る、ということは……――

 

「雄樹のことだ。すでに察しがついているだろうが、ミレイは人間じゃない」

「人形……か?」

「ああ、その通りだ」

「しかも、普通の人形じゃない?」

 

 もっともこの場合の“人形”とは、俺たちの世界で一般流通している人形の類じゃなくて、二次元的な言葉で言う“ホムンクルス”のことなんだけど。

 

 俺はそれを踏まえた上で、普通の“人形”じゃないと考えている。

 なんせ“対勇者用戦闘兵器”なんだからな。

 

「その考えまでも正解だ。具体的な違いを述べるなら、普通の人形は製造者本人の命令を忠実に聞く人型兵器だ。そこに感情なんてものは無い。そうだな……この世界の人型機械の外見を、より人間っぽくしたものだと思ってくれて構わない。ソレに対し彼女は、製造の過程に複製人間の要素を取り入れ、人形には無い学習能力と人形としての不老要素、そして対勇者としての要素を取り入れた存在だ。そのせいで人形にとって不要な“感情”を手にし、発声機能にまで障害が出てしまってはいるが……それでも、それこそが彼女の特徴となり、普通の人形との違いになっているのは事実だ」

 

 ……何を言っているのか半分ぐらい理解出来なかった。

 が、とりあえずミレイは、人間により近い存在で、辛うじて人間じゃないけれど、勇者は彼女を人間と同じ存在として扱っている、ってことはわかった。

 あんなに大事そうに話すんだし……何よ、り日頃の態度からしてもわかるし。

 と言うことは、勇者のみならず、セリアやスルトさんも同じだろうな……特別避けてるような感じもしなかったし。むしろ仲良すぎるぐらいだし。

 

 あんまり深いことまで聞いてもわからない。何より聞いても意味が無い。

 

 でも……一つだけ、気になることはある。

「それじゃあ一つ訊きたいんだけど……どうしてミレイは、勇者と一緒にいるんだ?」

 

 過酷な状況から助けてくれた文字通りの勇者。

 

 ミレイは勇者のことを、たぶんそう思っている。

 でも……だからと言って、一緒にい続けるものなのか。

 それが気になる。

 

 たぶんミレイは、勇者は敵だと教え込まれ、数々の実験を強要されてきたはずだ。

 それはたぶん、俺がマンガなんかで得ている知識よりも、酷いこと。

 それだったら普通、たとえ感情があろうとも……いや、なまじ感情がある分、勇者への恨みは相当なものだったと思う。

 その恨みの対象が、自分に酷いことをしてきた存在を消し去ってくれたからといって信頼するのは……正直、おかしい。

 

 勇者なんて存在がいなければ、自分はこんな辛い思いをしなくて良かったのに。

 

 少なくとも俺は、絶対にそう思う。

 だから……おかしい。

 敵だと教え込まれ続けた存在が、自分の辛い状況を打破してくれたからといってすぐに信頼するのは……おかしい。

 そんなもの、魔王のせいで隣の村に襲われたのに、魔王本人がその襲ってきた奴等を倒してくれただけで、信頼するようなものだ。

 ……我ながらヘタな例えだとは思うが……つまり、敵だと教えられた勇者、いなければ辛い思いをしなかった勇者、ソレをどうしてすぐに信頼したのか、ってことだ。

 

「孤独……だと思っていた」

「孤独?」

「ああ。お前がどういう考えで、ミレイが俺についてきたか推測しているのかはわからない。が、俺は、あの子が孤独に耐え切れなかったからついてきたのだと思っていた」

「……どういうことだ?」

「考えてもみろ。感情を持った人形とは言え、研究者達は彼女を人形としか見ない。その時点で話せる人間なんていないのに、さらに駄目押しで“会話”というコミュニケーション手段が彼女には無い。それはとてつもない孤独だと俺は思う。そんな時に、やっと自分の声を聞いてくれる人に出会ったのだ。着いて来ない訳が無い。少なくとも俺は、たとえ悪い奴等だと教えられていたとしてついていく。自分を孤独から救ってくれた人間なのだからな」

 

 自分の声を聞いてくれる人……勇者のことか。

 

 でも確かに……勇者の言い分は正しいかもしれない。

 

 自分の声が届かない人たちに囲まれた状況。

 誰とも会話できない状況。

 その状況を打破してくれ、尚且つ自分の声が届く。それはとんでもない希望の光だろう。

 それがたとえ、敵だと教えられた存在でも。

 いやむしろ、今まで敵だと教えられていたのが間違いなのではないかと、疑ってしまう。

 孤独とは、それほどまでに辛いものなのだ。

 

 ……なるほど……確かにそう考えると、その通りのように感じる…………イヤ待て、それだと勇者は“どうしてわざわざそんなことを教えようと思った”? 

 別にこの話は、今回俺がミレイに怒られたことと何の関係も無い。

 もしあの出来事で俺がミレイのことを嫌ったとして、この話をされたからといって元鞘に収まるとは考え難い。

 いやむしろ……同情を誘っている気がして、勇者のことを軽蔑する可能性がある。

 ……どういうことだ? それにそもそも、勇者の言っていた――

 

「思っていた、ってのはどういうこと?」

 

 ――その発言は、どういうことだ? 

 思っていた。

 その過去形の意味は?

 

 勇者は少しだけ微笑んだ後、傍らに置いたマンガに手を伸ばし、自分が今まで読んでいたページを探しながら答えた。

 

「そのままだ。お前とミレイの口論が聞こえて、その時に俺の考えは違うなって思った。それだけだ。最も、俺の考えも少しだけはあっているだろうがな」

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 ……眠れない

 。時刻はすでに……ってわかんないや。部屋真っ暗だし。

 でもたぶん日付は変わっていると思う。

 

 寝られない理由……それはわかってる。

 ……今日の出来事。

 すでに身体の痛みは無い。

 

 ドアに投げつけられた痛みも。床に叩きつけられた痛みも。踏まれた痛みも蹴られた痛みも階段から落とされた痛みも……!

 そのどれもが無い。

 

 でも……それでも心は、覚えている。

 

 あの時の恐怖を。

 あの時の絶望を。

 

 だからこうして目を瞑ると、痛みがぶり返すような感じと、心の中に虚無感が広がるような感じが蘇る。

 そしてそれが怖くて……また、目を開けてしまう。

 

 誰かがいれば気丈に振舞えるのにな……一人になるとコレだ。

 強くなろうと突っ走ろうとしているのに、出鼻を挫かれそうな気がしてきたな……。

 

 俺は弱い。

 だから強くなりたい。

 だったらこの場合、強い人が選ぶ選択肢は何だ? 

 一人で堪えることか……? 

 それとも仲間に――親友に相談することか……?

 

 俺の中での強い人のイメージ……ゲームの中の紅い弓士と、マンガの中のモミアゲピアス、そして俺の世界にきている勇者……彼等が選ぶとするならば……やっぱ、一人で堪えること、かな?

 

 お前とミレイの口論が聞こえて、その時に俺の考えは違うなって思った。それだけだ。

 

 脳裏にふと、勇者の言葉が蘇る。

 その言葉を発した当の本人は、隣の部屋でスルトさんたちの帰りをまだ待っているのだろうか……。

 

 勇者の言葉の意味……それはたぶん、ミレイが今日俺に教えてくれたことと関係がある。

 

 

 

 “自分は弱いと認める”という盾を作って、その影に隠れている人。

 弱いと言う言葉の足元にも及ばない下衆野郎。

 

 

 

 その二つが、教えてもらったこと。

 ……今思えば、どうしてあそこまで俺の行動を予測できていたんだ? 

 スルトさんから教えてもらったから、とは言え、さすがにあそこまでの予測はおかしい。

 

 そう言えば……あのスケッチブック、前半のページはまったく見せてもらっていない。

 ってことは、そのページにはまた別のパターンでの説教が書かれていたと考えるのが妥当。

 でも……それでも、俺に見せてくれた後半のページはあまりにも的を射すぎている。

 だからあそこまで怒りが沸いてきたんだ。

 見た目子供のミレイに、ことごとく図星を突かれたから。

 それはまるで、自分が過去にそうであったかの……ような……――

 

 ――……そうか、わかったかもしれない。

 あくまで本人に確認していないので、勇者と一緒で推測の域を出ない。

 でもたぶん、これは勇者と一緒の考えだと思う。

 もしそうなら、ミレイの過去を話した勇者の行動にも納得がいく。

 

 

 

 簡潔に言うなら、昔のミレイは俺と同じだったのだと思う。

 “自分は弱いと認める”という盾を作っていたのかもしれない。

 弱いと言う言葉の足元にも及ばない存在だったのかもしれない。

 

 そもそも、感情があって対勇者用兵器として造られたミレイが、研究所を自分から抜け出さなかったことがおかしいのだ。

 

 勇者も言っていた通り、彼女は常に孤独だったと思う。

 感情があるのに人形として扱われ、会話も出来ないようなそんな状況。

 対勇者用と言われる彼女の実力があれば、研究所を壊して逃げたりすることも可能だったと思う。

 ……いや、壊さなくてもいい。

 抜け出したり、逃げ出したりするだけで良い。

 なんせ周囲は、彼女のことを人形として扱っていたのだから。

 

 なのにソレをしなかったのは……自分は弱いからそんなことは出来ないと決め付け、逃げていたから。

 それは自分じゃ勝てないと決め付け逃げようとした、俺と同じ。

 

 彼女が強くなろうとしていれば、研究所は勇者に見つかる前になくなっていた。

 強くなろうとしていれば、あいつらに見つかるような行動さえしなかった、俺と同じ。

 

 弱いと言うことを認め受け入れるのではなく、“弱いと認めている自分”という薄っぺらい盾に隠れている俺と、まったく同じ。

 ……そんなもの、認めているうちに入っていないと気付きもせず。

 

 “弱いと認めている人は、同時に強くなろうとしている人。”

 

 それはまさに、昔の自分に当てた言葉だったのだ。

 今のミレイはおそらく、勇者が研究所を壊したその姿を見たからなのか、それとも、これから一人で生きていかないといけないと思ったからなのか……強くなろうと思った理由は知らないが、少なくとも今のミレイは、強くなろうと足掻いている姿そのものなのだと思う。

 ミレイがわざわざ俺に教えてくれた理由……自覚させてくれた理由……それはたぶん、昔の自分と俺の姿が重なったから。

 昔の自分と同じ人間って、何か無性にイラ立つ。昔の自分の出来が悪ければ尚更だ。

 ……そのことがわかっただけで十分。

 だってそれは、強くなろうと足掻いた結果が、今のミレイだと言うこと。

 

 俺は勇者のように、全てを背負っても平気でいられる人間になりたい。

 それだったらまずは、ミレイのようにならないといけない。

 だって彼女の教えは、少なくとも勇者のようになるための道の一つ。

 言わば通過点だ。

 だったらそれぐらい、クリアしないと。

 

 ……彼女で出来たんだ。

 

 なら俺だって、出来ないといけない。