「あっ」
教室からカバンを救出してからの帰り道、学校の敷地外に出てしばらく歩いていると、勇者が突然何かを思い出したのか声を上げた。
「どうした?」
「いや……コレを渡しておこうかと思ってな」
そう言って制服のブレザーのポケットから何かを取り出す。
……紐で吊るされた、小さな巾着袋?
……なんか、御守りみたいな雰囲気がするな。
「……なんぞこれ?」
とりあえず受け取り、目の前でぶら下げながら訊ねてみる。
……うん。パッと見はやっぱり御守りだ。
「“次元の種刻印”だ」
「じげんのしゅこくいん?」
「ああ。空間移動の目印……とでも言えばいいかな? それを持っていてくれれば、俺はお前の元へすぐに空間移動で駆けつけることが出来る」
「なるほど……それじゃあ逆にこれが無いと、俺の元へはすぐに駆けつけることが出来ないんだ」
「少なくとも、空間移動で駆けつけることは出来なくなるな」
俺の目の前から消え、俺の目の前に再び登場するんじゃなくて、屋上から来たのにはそういう事情があったからか。
……ん?
「ってことは、もしかして屋上にもコレと同じものがあるってことか?」
「いや、屋上にそれ自体は無い。ただ屋上に仕掛けた結界に同じ効果があるだけだ」
なるほど……ってそうだよ。今思い出した。
「そう言えば勇者、何で結界の効果を変えたんだ?」
「……ん?」
「いやだから、結界の効果だよ。昨日の話しだと、俺の学校にはあらかじめ在校していたかのようにしてたんだろ? それを何で急に転校生なんてことにしたんだ?」
「そのことか……だが何故、結界の効果を変えたと思ったのだ?」
「いやまぁ、なんとなく」
説明するのめんどくさいし。
俺の答えに少しだけ不服そうな顔(なんとなくってお前……みたいな感じ)になったが、すぐさまいつも通りの落ち着き払った表情になって、端的に言った。
「おもしろそうだったからだ」
「おもしろそうだったから?」
オウム返しに訊いた俺の言葉に頷き、説明を続けてくれる。
「普通にクラスメイトとして過ごすのも良かったのだが、如何(いかん)せん面白味が無いと思ってな。転校生として、一から友情関係を築いていこうかと思った。ただそれだけだ」
「ただそれだけって……なんだそりゃ」
「なんだそりゃ、と言われてもな。せっかくだし面白そうな方がいいかと思ったのだ。現に今日はおもしろかった。全学年の生徒が俺の元へと訪れたのではないか。この世界の学生は、転校生が余程珍しいと見える」
転校生が珍しいんじゃなくてお前がカッコ良すぎんだよ。
とは言わなかった。
ただ何故か、とてつもない呆れが訪れたから言えなかった。
だから俺は、代わりに盛大なため息を吐いた後――
「そうだな……」
――とだけ、言葉を返した。
◇◆◇◆◇
「それでは、俺はこれで。また後でな」
家までもう少しというところで勇者が突然そんなことを言い出した。
周囲に人影が見当たらない……。……なるほど、このタイミングを待ってたのか。
空間移動を平気で行えるタイミングを。
「ああ、また後で。今日はその、ありがとうな」
俺のお礼の言葉に軽く笑みを浮かべ、勇者の姿が霞み、消えた。
……改めてみると不思議なものだ。
空間移動……俗に言う瞬間移動なんて、この世界じゃ夢のまた夢だからな。
スルトさんの治癒術にしてもそうだ。
顔の傷は確認してないのでわからないが、おそらく無くなっているだろう。
何よりこの体に痛みを感じさせないというのはスゴイ。
この俺達の世界で“痛みを感じない”ようにするには、深い催眠状態に陥らせるか、麻酔を体全体に及ぼすかのどちらかしか、俺は思いつかない。
でもどちらも、俺みたいに生活への支障を全くきたさないで、というのは無理だと思う。
どういう仕組みなんだろ……ま、聞いたところで理解なんて出来ないんだろうけど。
と、家に着いたか。
いつもより少しだけ遅くなっちまったが…………うん、やっぱりおかしい。
突然で何を言っているのかわからないだろうが、じつは今日の授業中、ずっと考えていたことがある。
このままで良いのかと。
勇者達はこのままで良いのかと。
一緒に暮らしているのに窮屈な思いをさせていて良いのかと。
本人達に訊いたらきっと、良いと言うに決まっている。
でもそれだと、俺が納得出来ない。
今日に至っては勇者とスルトさんに助けられたじゃないか。
それなのに俺は……何のお礼も出来ないままなのか。
窮屈な思いをさせたままなのか。
正直親のところに行くのはイヤだ。
怖い。
このまま隠しておくのが一番なのかもしれない。
だって、勇者達と一緒に住むのを反対でもされたら、一緒に住めなくなる。
それだったら言わない方が……いやでも…………ああくそ! また授業中と一緒の堂々巡りをしてる!
勇者達に窮屈な思いをさせたくないのなら、親に言わないといけない。
でも親に反対されたら、一緒に住むこと自体無理になってしまう。
でも親に言わなかったら、勇者達は窮屈なまま。
そもそも俺自身、親に会うのがイヤだ。
じゃあやっぱりこのままで……?
とまぁ、こんな感じだ。
授業中ずっと。
誰かに相談しようにも……こればっかりは自分のことだ。自分で結論を出すしかない。
それにもし誰かに相談したところで、ただの愚痴に成り下がっちまうしな。
◇◆◇◆◇
「ただいま〜」
「おう」
「おっかえり〜」
「…………」
「おかえりなさい、雄樹君」
部屋に入って帰宅の挨拶。
各々が各々のことをしながら各々の返事をしてくれる。
勇者は今日出た宿題を俺の机の上でやっている。パソコンのキーボードが下に落ちているのは今回だけ見逃してやろう。
セリアとスルトさんは俺のマンガとラノベを読み漁っている。だから君達はどうしてそう無理にでも読もうとするのかと。
ミレイはスケッチブックに何かを必死に書いている。一番謎っちゃあ謎だな。
「あ、雄樹君。すぐに傷を治されますか?」
「あ、それじゃあお願いします」
ラノベから顔を上げて訊ねてくるスルトさん。
制服のブレザーを脱ぎ、ハンガーにかけていた俺は二つ返事でお願いした。
夕食の時間はそろそろだ。早々に済ませておきたい。
「それじゃあ、上の服を脱いでください」
「……は?」
「いえですから、上の服を脱いでください」
「その……どうしても脱がないとダメですか?」
「体の中心に直接触れて傷を治しますので。この世界の服、どうも治癒用に変換した魔力を通さないんですよね」
「でも、痛み止めは服の上からでも出来たじゃないですか」
「それは痛み止めだからです。体全体が傷ついているので、魔力を直接体の中心に流し込まないと傷が治せません」
う……ちょっとスルトさんがウンザリとしてきてる……嫌われないためにも、やっぱ脱がないとダメなのか……?
でも正直脱ぎたくないなぁ。
だって俺、勇者と違い筋肉質じゃないし。基礎ガリ腹だけデブだし。正直見せるの恥ずかしいなぁ……。
「それじゃあ……その、隣の部屋で良いですか?」
せめてもの妥協案。
一番見られたくないのはスルトさんなんだけど……これ以上拒むと嫌われてしまうかもしれないし。嫌われるのに比べれば上半身を見られる方が断然マシ。
「ふぅ……まぁ、それでも良いでしょう」
渋々と言った感じで、腰掛けていたベッドにラノベを置き、立ち上がるスルトさん。
……もしかして、本を読みたいから面倒くさがってる?
とか考えていたら、クイクイ、と服の裾が引っ張られる。
視線をそちらへと向けると、ミレイがこちらへスケッチブックを見せていた。
(私も一緒にいっていい?)
そう書かれたスケッチブック。
さすがに、恥ずかしいから来るな! とは言えなかった。
だって、少し考えればわかる。
あの勇者にベッタリのミレイが、ライバルであるセリアと愛しの勇者を二人きりにしてまでの用事。
それは相当なことだと思う。
雰囲気からもそれがわかるしな。
だから俺は頷き、ついて来ても良いことを示した。
◇◆◇◆◇
隣の空き部屋。
一応客間としても利用できるよう、電気などは普通に点く。
ってか、昨日この部屋に彼女達と勇者を寝かせたんだっけ……うわ、何か無駄に微妙に緊張してきた。
「それじゃあ、てきとうに腰掛けてください」
先にドアを開けたスルトさんが、入口にあるスイッチを入れて部屋の電気を点け、奥へと入っていく。
何か、すでにこの部屋を我が物顔で使ってるのが気にはなるが……って、我が物顔で使ってくれって言ったのは俺か。
ベランダを開けて部屋の換気をしているスルトさんの背中を眺めながら部屋の中央……点(とも)っている電気の真下に腰掛ける。
パソコンやら本棚やらベッドやらが無い分、同じ間取りなのにこちらの方が広く感じる。
ま、床の座り心地は最悪だけど。俺の部屋と違ってフローリングのままだし。
俺の真正面に、スケッチブックを抱えたミレイが座り、そんなミレイへ微笑みかけながら、スルトさんは俺の後ろへと回る。
「って、正面じゃなくて良いんですか?」
「はい。体の中心にさえ触れれば良いので、背中からでも大丈夫です」
俺の疑問に答えながら後ろに腰掛けるスルトさん。
「それじゃあ上の服、脱いでください」
さらにはシャツを脱ぐよう促してくる。
……仕方が無い。俺は制服のカッターシャツのボタンを外し、中に着ている半袖のシャツと一緒に脱ぐ。
俺の上半身が露になった。
……って、俺の体なんて見ても何の得にもならないけど。
その俺の背中に不意に、冷たい感触。
思わずビクッと反応してしまう。
「あ、すいません。くすぐったかったですか?」
「いえ、大丈夫です。すいません」
スルトさんが俺の背中に触れたのか……。
改めて触れてきたスルトさんの手。彼女の手だとわかったなら恐れることは無い。感触を堪能させてもらおう。
添えるように触れているスルトさんの両手。
冷たさも感じなくなり、代わりに彼女の体温を背中に感じる……そんな気がする。
……ヤバイ。なんか興奮してきた。
まぁ実際、この暖かさは顔の傷を癒してくれている時に感じたあの暖かさなんだろうけど。
(傷についての事情は大体スルトに聞いたんだけど、詳しい事情を話してくれる?)
そう書かれたスケッチブックのページを見せてくるミレイ。真正面に座ってるからイヤでも見えてしまう。
……そう、正直な話イヤだ。
何が悲しくてあんなカッコ悪い出来事を話さないといけなんだ。そもそも彼女は無関係だし。
「どうしてミレイにその話を?」
(あなたの力になれるかもしれない。だから話して)
一枚だけ紙を捲(めく)り、そんな文字を見せてくる。拒否してくるのはお見通しって訳か……ってか、俺の力になれるかもってなんだ?
彼女が彼等に復讐でもしてくれるってか? いやでも、こんな幼女と言えるほど小柄な少女が復讐って……ああでも、彼女はこう見えても勇者一行。勇者の強さとスルトさんの治癒術を見せられた今だと、何か不思議な力があってもおかしくは無いと思えてしまう。
いやそもそもその前に、彼女が俺の力になってくれる理由がわからない。
勇者一筋の彼女が俺に恩返し……?
いや、俺が彼女にそんなことをしてもらう理由が無い。
俺がどんなことを考えているのかわかったのだろう。
彼女はまたも一枚だけ紙を捲る。
(この家に皆で泊めてもらっている恩。私は不本意だけど、ユウシャがあなたに何かお礼をしなさいって皆に言ってるから)
なるほど。
つまり彼女がこうして俺に事情の説明をねだるのは、彼女なりの恩返しが出来るから。詰まるところ、勇者との約束を守れるから。約束を守り好感度を上げる……そんなところか。
そんなことに利用されるのは少し不本意だが……ま、真剣に聞かれるよりかは軽い。あんなにカッコ悪い出来事なんだし、真剣に聞いてもらって真剣に慰められるより、軽く聞いてもらって軽く慰められたり、笑われたりした方が良いのかもしれない。
◇◆◇◆◇
……ふぅ。何とか全部話せた。
昼飯を買って来いと言われ逃げたこと。放課後まで隠れていたこと。帰る時に見つかってボコボコにされたこと。そして勇者のおかげで助かったこと。
……結構深刻そうな雰囲気で話してしまったけど……大丈夫だよな?
彼女はただ、俺に恩を返せた、という風に勇者から見られれば構わないはずだ。
こちらが深刻に話したからといって、深刻には受け止めないよな?
俺がそんなことを考えていると、背中の手が離れた。
離れる感触に思わず振り返ると、スルトさん立ち上がり、俺を見下ろして微笑んで言った。
「治療は終わりました。骨には特に異常が無かったので、三日もすれば痣もなくなるでしょう」
「あ、ありがとうございます」
「いえいえ。それでは私はこれで」
お礼の言葉を返した俺に、スルトさんは微笑みかけてから部屋を出て行った。
ああ……話すのに真剣になりすぎて、結局そんなに堪能できなかったなぁ……スルトさんの手の感触。
ドアが閉まるのを確認し、ミレイに向き直る。すると彼女は――
(あなたは授業というものをうけなくてもいいの?)
――と書かれたスケッチブックを見せてきた。
ちなみにこの文字、俺が隠れていることを話している時、スケッチブックの後ろの方にイソイソと書いていた文字だ。
「学生は授業を受けないといけない、なんてよく知ってるな」
俺の言葉を聞いたミレイは、次のページにすぐさまイソイソと言葉を書く。
……何か、ロリコンの気持ちが少しだけわかってしまったかも。
何ていうんだろ……こんなに可愛い女の子が、一生懸命紙に何か書いてる姿ってのは……母性本能とでも言うのだろうか、なんかこう、心の奥底がうずく。守ってあげたい精神、とでも言うのだろうか。
二次元でもロリキャラに惹かれなかったはずなんだが……どうも彼女は別格だ。
子供はとんでもない兵器だ、と言っていた東の気持ちが少しわかった。もっとも彼の場合は妹としての子供像だろうけど。
しかも性欲である可能性も否定は出来ない。
(スルトにおしえてもらった。ユウシャとあなたが行ったガッコウというばしょは、授業というものをうけると)
朝のアレか……? 額に手を当てていたやつ。
「授業って何かわかる?」
(勉学のことでしょ。それでどうなの?)
「本来は受けないといけないけどさ。でも俺、あの学校で習うことはとっくに一人で学んだんだ」
(どうして? ガッコウで学べるのに)
「一足先の予習のつもりだったんだ。それが気付けば、こんな季節まで予習した範囲をやってやがる。ホント、低レベルすぎて困る」
(でもたしか、ガッコウへは自分のレベルにあったばしょへ行けるんじゃないの?)
「そうなんだが……俺はある事情で自分のレベルに合った場所へ行けなかったんだ。だから嫌々ながら、あんな低レベルな学校へ行ってる」
(あるじじょう?)
そう……ある事情。
でもそのことまで、彼女に話さないといけない義理は無い。
「そ。ま、そんなことはどうでも良いことさ。それよりも、俺への話はそれだけか?」
だから逸らす。
このままこの話を続けないために。
俺の言葉を聞いたミレイは、あっ、と何かに気付いたかのような表情(かお)をして、スケッチブックの始め付近のページに戻る。
その仕草がまた可愛く見えてしまう。
……ま、彼女の当初の目的は、俺の話を聞いて恩を与えたような気にさせること。そうすることで勇者との約束を守り、勇者の好感を得ること。
それだけだ。
こほん、と軽く咳をする。咳払いでもしているつもりだろうか。
口の前に握りこぶしを持っていき、軽く両目をつぶる。
そして開ける。
そしてスケッチブックをこちらに開き、そこに書かれている文字を見せてくる。
(あなたは逃げようとしたのね?)
「ああ、そうだ」
(どうして?)
ペラっと一ページだけ捲って文字を見せる。
さっきまでと違い、あらかじめ言葉が書いてあるので会話にタイムラグが無い。
「どうしても何も……俺じゃあいつ等に勝てないから」
(それは一度でも戦ったことがある?)
「いや、無い。でもわかる。俺は自分の力が無いことぐらい知っている」
ミレイは少しだけ何かを考えるかのように黙り、おもむろにパラパラパラ……とスケッチブックの後半を見せる。
それは、今まで一枚ずつ捲って文字を見せてきた彼女のことを考えると、まぎれもない異端行為。
てきとうに軽い言葉を言って、とうとう話を終わらせるか……?
(ユウキは弱くない)
てきとうで軽い慰め。
それを言って終わり。
次のページを捲るミレイ。
そこにはきっと、頑張れとか、強いから大丈夫とか、そんな言葉が書かれている。
(弱いと言う言葉に失礼な程の下衆野郎)
そう思っていた俺の意表を突く言葉が書いていた。
「……は?」
予想外すぎて言葉が出ない。
同時に、軽い苛立ち。
その姿を見たミレイは、俺に言葉が見えていないとでも思っただろうか。
ズイっと前に突き出してくる。
「いや、見えないんじゃない。それは一体どういう意味だ?」
俺が訊ねると、彼女はあらかじめそう訊かれることを予測していたのか、一ページだけスケッチブックを捲ってみせる。
(弱いと認めている人は、同時に強くなろうとしている人。あなたのソレは、弱さを盾にして逃げている人)
「それの何がいけない?」
(そんなの、力の無い人を盾にしているのと一緒)
なっ……!
なんだ、彼女は……? 俺をイラつかせるためにこんな話をしているのか……!
俺がそんなことを考えている間も、彼女はまたページを捲る。
(ペラペラの紙の盾を前に押し付け、あっさりと破られて文句を言っているようなもの)
(そんなの、弱さを認めた人だなんて言わない)
「それじゃあ、どういうヤツが弱さを認めたヤツなんだ?」
俺の声に苛立ちが含まれる。
彼女はまた一ページだけ捲る。
その質問をされるのが、わかっていたかのように。
そのことにまた、苛立ちを覚える。
(自分が弱いと本当に認めている人は、自分を強くしようとしている人)
「自分を強くしようとしている人……? はっ、それだとおかしいだろ? 自分を強くしようとする――つまり鍛えてる人が、自分は弱い、だなんて思うものか。むしろ逆に、自分は強いと思い込むはずだろ」
(違う。弱いと認めているから鍛える。自分は強いと思っている人は、自分を鍛えない)
また一ページだけ捲った言葉。
しかも今度は、否定の言葉を頭につけている。
それはつまり、俺がそう返してくるとわかっていたということに他ならない。
また苛立ちが募る。
(あなたは“自分は弱いと認める”という盾を作って、その影に隠れている人)
なんだよ……本当に何なんだよ、この小娘は……! 何も知らないくせに……! 俺と出会ってまだ三日も経ってないのに、なんでこんなに、俺のことなら全てお見通しみたいに、上から見下してくるんだ……!
たかが小娘の分際で……! 勇者と一緒にいるだけの分際で……!
何も知らないくせに、全てを知っているみたいに接してきやがって!
(だから、弱いと言う言葉の足元にも及ばない下衆野郎)
「うるせぇ! 何も知らない小娘がっ!」
限界だった。
二度目の下衆野郎という言葉が。
俺は勢いよく立ち上がり、ミレイを見下げながら怒鳴り散らす。
「俺だって強くなりたいと思っていたさ! でもな、強くなる方法がわからないんだよっ! どうやったら強くなれる? お前ならわかるんだろっ! ミレイ!」
(強くなりたいと本当に心の底から思っているなら、それは行動に出るもの)
また一ページだけ捲った文字……!
俺がこうしてキレるのがわかっているかのようなその行動が、さらに苛立ちを加速させる。
「行動に出るもの? 何ほざいてんだよっ! そもそもお前は俺の力になりたいんだろ? だったら教えろよ! どうしたら強くなれるのかをよっ!」
(行動に出てない時点で、あなたの強くなりたいと思う心は偽り)
「そんなことは訊いてねぇ! このクソガキがっ!」
バシッ! と彼女が持っているスケッチブックを蹴り飛ばす。
彼女の手元から離れ、宙を舞う。
だが俺はソレの行く末を確認しない。
そのまま彼女の顔を蹴り飛ばそうとする。
こんな小娘(ガキ)に……俺の何がわかるってんだ!
俺の力になりたい? どこに力になる要素があった!
俺を下に見て優越感に浸る。
それがしたかっただけ……そんなお前は、俺のクラスにいるあの五人組となんら変わらない!
そんな思いを込めた蹴りを彼女に――
不意に、彼女が俺の目の前から離れる。
それを認識したと認識した途端、ガッ! と背中に激しい衝撃。
…………何が起きた?
ちゃんと見ると、彼女はまったく動いていない。座ったままだ。
…………なるほど。
彼女が俺の目の前から離れたんじゃない。
“俺が彼女の目の前から動いたんだ”。
つまり、吹き飛ばされた。
その事実がわかると同時、ジワジワと背中と腹部にとんでもない痛み。
いやむしろ……腹の痛みが異常。
内臓を直接殴られたような……。
……いやまぁ、そんな経験一度もしたこと無いんだけど。
背中が痛いのはわかる。ドアにぶつけたから。
でもこの腹の痛みは……殴られたから? いやでもまさか……てそうだよ、痛みでちょっと冷静になってきた。
この小むす……じゃなくて、このミレイは勇者の一行じゃないか。俺みたいな一般人が勝てるわけが無い。
ソレなのに俺は…………いやそれ以前に……俺は、女の子に手を上げようとしたのか。
(少しは頭が冷えた?)
いつの間にやら俺の目の前に立ったミレイが、俺にそう書いたスケッチブックを見せてきた。
“頭”と漢字で書いているところを見ると、俺が頭に血を昇らせるのも予測済みだったようだ。
「ああ、おかげさまでな。……それと、殴りかかってゴメン」
(トッサだったからてかげんできなかった。ゴメン)
そう書かれた文字を見せてくる。
スケッチブック最後の方のページ。
急いで書いたかのような筆跡。
……これはあらかじめ書かれた文字じゃないのか。
「いや、コレは全面的に俺が悪い。女の子に殴りかかるなんて……これぐらいの罰を与えてもらわないとな」
そう平然とした顔で答えるも、やっぱり体内は痛い。
もしかしたら“平然とした顔”なんて出来ていないのかもしれない。
ミレイの顔に少しだけ心配の色合いが見られる。……そんな表情のミレイは見たくないな。
俺が悪いのに。
彼女が責任を感じることは無いのに。
「それで、頭が冷えた俺に教えてもらえないか? ミレイが何を言いたかったのか、何をしたかったのかを」
だから話を戻す。
パラパラパラ……と、ページを巻き戻す音。
(あなたは“自分は弱いと認める”という盾を作って、その影に隠れている人)
(だから、弱いと言う言葉の足元にも及ばない下衆野郎)
パラパラパラ……と再びスケッチブックを後半へと戻し、何かを書いて俺にみせる。
(わたしがいいたかったのはコレ)
(このことを自覚してもらうのが、わたしの恩返し)
なるほど……勇者の好感度を上げるために軽い慰めをしようとしている、なんて俺の考えは外れてたのか。
彼女は真剣に、俺のことを考えていてくれていた。
そうなると……なんて失礼なことを考えていたんだろう、俺は。
自覚をしてもらう……彼女はソレが俺への恩返しだと言った。
確かに俺は自覚していなかった。自分が下衆野郎だと。
弱さを盾にして、強くなろうとしていないと。
今こうして冷静になって考えてみると、ミレイに飛び掛ったのは図星を突かれたから。
心の奥底で、そうではないのかと思っていたから。
その怒りで、飛び掛ったのだ。
「……それで、自覚をした俺は、一体どうしたらいい?」
(どうもしない。強くなろうとしてもいいし、下衆野郎のままでもいい)
個人の自由……ってことか。
だがそうだな……俺は強くなりたい。
勇者のように、何もかもを背負える強さを持ちたい。
それだったら、どうすれば強く……?
強くなる方法がわからない。
でも、そこで立ち止まったら下衆野郎のまま。
それじゃあ一体……。
ミレイに訊いても答えは教えてくれない。
さっき逆上した時に訊いたしな…………いや、ちょっと待て。
その時彼女は答えを教えていてくれたんじゃないのか……?
確か……強くなりたいと本当に心の底から思っているなら、それは行動に出るもの……と。
あの時は逆上していて何を言っているのかわからなかったが……冷静になった今ならわかる。
なんとなくだけど、わかる。
つまりミレイは、強くなりたいと常に心の奥底から思い、奮い立たせながら行動しろと、そう言いたかったのではないのか?
……うん。そんな気がする。むしろそうすることで、勇者に一歩、近づけるような気がする。
「ありがとう、ミレイ。何とかして俺、下衆野郎から卒業してみせる」
そうだ。
今までみたいに“自分は弱いと認める”盾なんて作らない。
相手からは薄っぺらく、自分からは分厚い、そんな盾なら俺はいらない。
心から強くなって、弱さを認め、その弱さを盾にせず強くなり、そしてその盾を、粉砕してみせる。
(きたいせずにまってる)
そんな素っ気無い言葉が書かれたスケッチブック。
でも言葉とは裏腹に、そのミレイの表情は、出来の悪い弟を見守る姉の様な、そんなやさしい表情を浮かべていた。
……ああくそ、何で勇者の周りには、こんなに良い女性が集まるのだろうか。