「そう言えば、お前達はご飯を食べなくていいのか?」
下からの夕食の匂いで始めて感じた疑問。
そうだよ、飯だよ。
今日は勇者に朝飯も昼飯も食わしていない。普通の人間なら腹が空いてくる頃だろうに。
俺のその疑問に勇者は、セリアとミレイの口喧嘩を無視し、ちょっとうれしそうな表情をして答えてくれる。……開放されてうれしかったのだろうか?
「そのことに関しては心配ない。俺たちはこれでも不老だからな」
「ふろう? ふろうってあの、不老不死とかの不老か?」
「そうだ。だから大丈夫」
「……何が? 普通に考えて、老いないだけで死ぬんだろ? だったら、空腹が過ぎると餓死しちまうんじゃないのか?」
「それは無い。どうも雄樹は、不老に関して正しい知識を身に付けていない様だな」
「不老に関しての正しい知識?」
「ああ。そもそも雄樹は、不老とはどういうものだと思っている?」
「どういうものって……歳をとらないんだろ?」
「その通り。だが、それだけでは無い。……不老とは“身体を常に最高値に維持し続ける”ことを、俺たちの世界では指す」
「常に、最高値……?」
「ああ。だから俺の見た目はこの年齢で止まっている。ここが俺の最高値だからな」
「なるほど……。つまり、身体を常に最高の状態にしてくれるから“腹の減り具合さえも最高の状態……満腹とも空腹とも違う、身体に支障が無い状態を維持してくれる”と、そういうことか」
「あ、ああ。そういうことだ。……理解が早くて助かる」
ちょっとだけ残念そうに見えるのは俺の気のせいか……?
……まぁそれはともかく、それなら確かに食事は必要ないか。むしろ睡眠も必要なのかどうか疑わしい。
また勇者に究極の二択を迫っているセリアとミレイ。
そのせいで当惑している勇者を尻目に、考える。
不老……というものは、酷なものだと考える人と、恵まれたものだと考える人に分かれる。
俺は断然前者だ。一人だけ時間の流れに取り残されるのはイヤだからな。食事も睡眠も必要ないと言われようともだ。
食事も睡眠もとらなかったら……人間じゃないような気がしてしまう。
人間の三大欲求のうち二つを取り除く、それ自体に影響が無いとは言え……精神がもつかどうか…………いや、最高の状態を保つのは精神にも影響があるのか……?
「雄樹君」
自分を呼びかけるその声で考えを中断する。
なんせ声をかけてきたのは美しいスルトさんだったからだ。
一字一句、そのキレイな言葉を聞き逃さぬために少しだけ緊張して耳を傾ける。
「勇者さん、先程自分でおっしゃりませんでしたが、食事と睡眠を人並みにはとらせてもらってもよろしいですか?」
「じゃあやっぱり、精神には不老の効果が無いのですね?」
真剣に小声で話しかけてくるスルトさんのその言葉は、同じように小声で返しながら、思う。
俺の考えは正しかったのだな、と。
……つまり“精神面での崩壊はあり得る”、ということなのだと。
身体面での障害は不老でどうにか出来るので崩壊はしない。
でも精神面は違う。
食事・睡眠をとらないことによる苛立ちなどは、人間として生まれた限りは当然あって、それは同時にそこから精神的に崩壊する可能性もあるということ。
「雄樹君……勇者さんとの話でそこまで考えていたのですか……?」
スルトさんのその美しい驚いた表情に、感心されたことによる照れを隠すように答える。
「考えたと言うか、そういうことに関して似たような物語を読んだことがあったんです」
正確には物語じゃなくてゲームだけど。
そのゲームは、精神的な面を考慮にいれてなかった主人公が、不老になった仲間を発狂させてしまった、というもの。
そのゲームをやってなかったら俺も考えつかなかっただろう。
「そうなんですか……それじゃあ雄樹君」
「はい。食事はちょっと難しいですけど、睡眠ぐらいはきちんととってください」
そう言って微笑む。
スルトさんも微笑み返してくれた。
ああ……やっぱり綺麗な人だなぁ……。
んん〜……にしても、今は食事に関して無理でも、いずれは食事も食べさせてやらないとな……そうなるとやっぱ、彩香さんに彼らのことを紹介するしかなく、しかも実家にまで赴いて両親まで説得しないといけなくなるか……。
っと、そろそろ夕食か。
食べさせて上げられない勇者達(主にスルトさん)に罪悪感はあるが、彩香さんに怪しまれないためにも、彼女が部屋に訪れる前にこちらから向かわないといけない。
「それじゃあゴメン、ちょっとご飯食べてくる」
「ああ。気にするな」
「ん〜」
「…………」
「はい」
俺の言葉に四者四様の返事をもらいながら、俺は部屋を出た。
◇◆◇◆◇
「あら、雄樹さん。今呼びに行こうとしたところですよ」
部屋を出ると、階段を登っている途中の彩香さんと遭遇。
もう少し遅かったら部屋をノックされて開けられ、勇者達とご対面ってなっちまうところだった。
「それはちょうど良かったよ、彩香さん。お腹が空いていてね」
「はい、わかりました。それじゃ、すぐに降りてきてくださいね」
誤魔化すための俺の言葉に微笑みながら返事をし、階段を降りていく彩香さん。
……今まで意識して彩香さんを見たこと無かったから気付かなかったけど、あの人結構美人じゃないか。スルトさん達に出会って女の人を見る視点が変わったのかな……。
肩までかかっている、サラサラとしたキレイで艶のある髪。
少し鋭い目つきをしているのに、微笑んだ時に優しくなる表情。
それなのに全てを包み込むような母性的な雰囲気をしている、そんな女性。
メイド服のせいなのか身体のラインはわかりにくいが、それでも大きさをアピールしている胸。……いやでも、スルトさんよりは小さいかも。両方とも服越しにしか見たことが無いからわからないけど。
勇者に呼ばれたあの三人と比べなければ間違いなく美人な彼女。
俺はそんな女性を……ずっと家政婦として雇っているのか。
そう思うと何故か、心の中がおかしくなった。
どう説明すればわからないのだが……少なくとも、彩香さんに彼氏など浮いた話を聞かないのは間違いなく俺のせいな訳で……。それを知った途端、何故か心の中がざわついた。
「どうかされましたか? 雄樹さん」
階段を降りきった彩香さんがこちらを見上げてくる。一向に降りてこない俺を不審に思ったのだろうがしかし、その表情は微笑みを浮かべながら降りて来るのを待ってくれている。
「彩香さん……」
「ん?」
「今まで、ありがとう」
だからだろうか。俺は無意識に、お礼を言っていた。
今までの俺なら絶対に言わない言葉。
何故なら、気付けないから。
気付けていなかったから。
「えっ?」
呆気に取られるような表情の彼女に、感謝を表情に出しながら、心の底からの言葉を、口から吐き出す。
「今まで世話をしてくれて、本当にありがとう」
「その……どうかされました、雄樹さん? もしかして私、クビ、ですか?」
突然お礼を言い出すもんだから不安になったのだろう。その表情に翳り(かげり)が生まれる。
「そうじゃない……そうじゃないんです。ただ急に、お礼を言いたくなったんです」
「突然お礼だなんて……! もしかして死ぬ気ですか?!」
ああ〜……確かに死亡フラグ臭いなぁ。
「それも違います。ただまぁ、何といいますか……ゲームをしていて“身近な大切な人というのは、身近過ぎて気が付かない”って言われまして。それで、俺にとっての身近な大切な人は、彩香さんだから。だからその……急にお礼を言いたくなりまして」
とりあえず誤魔化す。
勇者の仲間に会って、彩香さんの美しさに気付いて、同時に縛っていることにも気付いてしまって、それなのに文句言わずに尽くしてくれている彩香さんにお礼が言いたくなった。
って言うよりかは説得力とか色々なものがある……と思う。
「そ、そうですか。それは、その、あ、ありがとうございます……。そ、それよりもほら、早く食事にしましょうっ」
彩香さんは少しだけ頬を朱(あか)く染め、言いたいことだけ言ってリビングへと早足で向かった。
……んん〜……少し恥ずかしいことを言い過ぎたかな? 今更顔が熱くなってきた。
……ま、いっか。彩香さんしか聞いてなかったし。お礼を言いたくなったのは事実だし。
うん。良いってことにしておこう。
◇◆◇◆◇
「俺にとって身近な大切な人は、彩香さんだから」
(だからその……急にお礼を言いたくなりまして)
晩飯を食って風呂に入って部屋に帰ってきたらおちょくられた。
バカ(セリア)とチビ(ミレイ)に(このルビにミスは断じて無い)。
「いやぁ〜……峰岸君はカッコイイこと言うわね〜」
(ホント。ユウキがとつぜんそんなこといいだすだなんて)
「ホントにねぇ〜……聞いてるこっちまで聞き入っちゃった」
恥ずかしい。
恥ずかしすぎる。
まさかドア越しに聞かれている何て……思ってもみなかった!
また顔が熱くなってくる。指摘されても風呂上りだから、で何とか誤魔化せるだろうけど……それでも恥ずかしいことに変わりは無い。
「何だよっ、世話してもらってる人にお礼を言うのがそんなにダメなことなのか?」
あまりにも恥ずかしすぎるせいで、ちょっと憮然とした物言いになってしまった。
(だれもそんなこといわない)
「そうそう。カッコ良かったから褒めてるんじゃない」
「それで?! おちょくられてるように聞こえるんだけど?!」
(まぁ……)
「三割ぐらいおちょくってるし」
「やっぱりか?!」
(でもバカにしてる訳じゃない)
「うんうん。セリフは臭かったけど、お礼を言うのは正しいことだと思うよ」
「う〜……」
「俺にとって身近な大切な人は、彩香さんだから」
(だからその……急にお礼を言いたくなりまして)
「だからやめてくれとっ!」
照れ隠しで、ミレイが持っているスケッチブックを奪い取ろうとする。
だがひょいっと避けられてしまった。
対象を変え、今度はセリアへ向かおうとする。
と突然、俺とセリアの間に、この部屋にいなかった勇者が現れた。
それはもう瞬間移動先がここで、ビュン! って感じに
「うおっ!」
驚きで間抜けな声を上げてしまった。
「ん? ああ雄樹、食事はもう終えたのか?」
「あ、ああ。それは良いんだが……お前、どうやって……?」
「どうやっても何も、空間を移動したのだが」
俺の疑問にさも当然のように答えてのける。
空間の移動……やっぱり瞬間移動みたいなもんか……?
「それで勇者さん、成功はしていたのですか?」
俺たちのやり取りを微笑みながら見ていたスルトさんが勇者に声をかける。
「おそらくは。後は明日(あす)、実際に試してみてからだな」
「そうですか」
「ま、失敗していようとも目的は果たせるから大丈夫だろう。……そうだ雄樹」
俺には全くわからない話をしていた勇者が、突然俺に視線を移動させる。
「明日から俺も、お前の学校へ行かしてもらう」
…………。
…………あ〜……とんでもないこと言いやがりましたよ、この人。
「えっと……勇者さん、お前達の世界がどうかは知らないけど、少なくとも俺の世界で学校に入ろうと思ったら、相応の手続きをしないと入学できないんだけど」
「その辺は理解しているつもりだが」
「だったら、明日から俺の学校に行くって言っても無駄なのもわかるだろ?」
「普通なら無理だな」
「普通なら無理……?」
生徒として学校に来るって意味じゃないのか?
それとも普通じゃない手段で来るって事か?
「ああ、だからちょっと、特別なことをさしてもらった」
特別なこと? ……あ!
「さっきスルトさんに言ってた明日実際に試すって、そういうことか!」
「その通りだ。お前の高校に特別な結界を張らしてもらってな。その結界と言うのが“俺という存在が最初からクラスの一員だと思わせる”というもの。つまり、校内にいる限りにおいては、俺はお前のクラスの一員だと認めてもらえる」
「一体いつの間に……」
「お前が学校に行く後をつけさせてもらった。後は、学校の中が静かになったタイミングで中に入り、屋上に結界の仕掛けを施したと、そういう訳だ」
「静かになったタイミング……授業中かな……? ってか屋上って……生徒禁止区域だったような……」
「ああ、鍵は勝手に開けさせてもらったぞ」
さも当然のように言いやがって。
でも、俺が登校する時についてきた……ってことは、彼女達は勇者が家に帰ってきてから呼ばれたのか。
彩香さんには……バレてないか。もしバレていたら夕食時にでも訊かれていただろうし。
もしバレていて、気を遣って話してこないのなら、今はとりあえずそれで構わないだろう。
「じゃあもしかして、さっきまでこの部屋にいなかったのは最終調整か何かをしてたからか?」
「察しが良いな……説明の手間が省けて助かる」
それは肯定という意味での答え。
ってか、助かるんだったらもっとうれしそうに言え。何でちょっと残念そうなんだよ。
「そりゃどうも。でもさ、一つ気になることがあるんだけど」
「どうした?」
「結界、ってのはどういう代物なんだ? 人体に影響とかは無いんだろうな?」
これは結構重要なことだ。
なんせ人の記憶に障害を及ぼすものだ。
もし身体にも障害を及ぼすならやめさせないといけない。
「人体の影響は無い。結界と言うのは、世界を断絶させることに他ならない。そういう意味では、本来の結界と俺が仕掛けた結界は違うものなんだ」
「どういうことだ?」
「世界を断絶させる、ということは、断絶された線を境に入ることが出来なくなるということだ。新しい世界が創られた、と思ってくれても構わない。対して今回俺が仕掛けた結界は、断絶された線を境に“俺という存在が昔から学校にいたと認識させる”ということだ」
少しだけうれしそうに話す勇者の言葉を整理する。
つまり、本来の効果で勇者が結界を張っていれば、皆学校に入ることが……いや、“本来の学校”に入ることが出来なかった。
でも勇者が張った結界なら、“勇者と言う存在を認めること以外”は“本来の学校”に入ることが出来る。とそういうことだろうか……。
「まぁ、結界については大丈夫かな。でも勇者、それとは別に訊きたいことがあるんだけど」
「まだあるのか?」
「ああ、まだある。何で急に学校に来ようだなんて思ったんだ? 別に来なくてもお前に支障は無いだろ?」
「支障はないのだが……せっかく別の世界に来たんだ。その世界での生活というものを体験したいと思うだろ?」
ふむ……まぁ一理あるか。
俺だって別の世界に飛ばされて、力があって魔物がいれば、魔物狩りをしてみたいと思うしな。
「確かに……そう言われれば、別に何の不思議もないか……」
「だろ?」
「じゃあもう一つ。学校に行くのは良いとして、制服と名前はどうするんだ?」
「制服は、この服装から変化させることが出来るから大丈夫だ。名前は結界の効果で“勇者”のままでも大丈夫なようにしてある」
なるほど。ならとりあえずは大丈夫そうだし、いっか。
ある程度のことはフォロー……なんてしなくても勇者自身がなんとかしそうだけど……とりあえず、フォローする覚悟ぐらいはしておくか。