そして驚いたままのボクから視線を外し、麻枝は紅先輩に声をかける。

 

「それで先輩、この後はどうするんですか?」

「もちろん、最初の予定通り、“あの人”の場所に乗り込むに決まってるさ」

「でも、どうやってです? 一位になれたら大丈夫だとは聞いていましたが、方法まではさすがに聞いていなかったので……」

「一位になれば、向こうもこっちの実力が如何程のものか確認し続けなくちゃならんから、常にこちらを監視している。つまり、向こうからこちらに向かって、常に接続経路が出来上がってるって訳だ」

「……なるほど……それを利用する訳ですね?」

「ああ。俺の妄想能力改竄を使えば、妄想能力で出来た接続経路を、移動用経路に切り替えることなんて容易いんだよ。……ま、最終的にこうするために、今の妄想能力を得たんだけどな」

「ちょ、ちょっと待て!」

 

 話を整理している間にとんとん拍子に進んでいた話に待ったをかけ、まだ気になって聞くのを保留にしていた質問を紅先輩にぶつける。

 

「ええっと……皆が理事長を狙ってるのは分かったんだけど、そもそも何で狙ってるんだ?」

「何でも何も、こんなおかしい状況とも言える争奪戦を終わらせるためさ。こんな狂った戦いを終わらせて、閉じ込められた時間軸から皆を救い出すんだ……絶対に……」

「紅先輩……」

「……なぁんてなっ」

 

 感動した途端、いつもより明るい口調に戻ってそんなことを言ってきた。

 

「……はっ?」

「ま、実際はそんな崇高な理由じゃねぇのさ。ただな、理事長である“あの人”――俺のじぃさんをさ、止めたいだけなんだ」

「……え? えっ?」

 

 突然の変化に呆気に取られたところで、さらに頭の中が混乱する言葉が聞こえてきた。

 ……つうか、えっ? 理事長が紅先輩のお祖父さんとか、意味が分かんないんだけど。

 

「獅子崎碧桜。それがこの学校の理事長さん――御爺様のお名前なんだけど〜、俊二君、生徒手帳ちゃんと読んだことある〜?」

「ええ、まぁ、一応は」

 

 蒼莉さんの質問に答えながら、そう言えば初めて紅先輩と会った時その苗字に違和感を覚えたなぁ……なんてことを不意に思い出していた。

 

「んま、そんな訳で、俺はあのじぃさんを止めるついでに皆をこのしがらみから解き放とうと……そういう訳さ」

 

 なるほど……だから麻枝は協力して、さっき戦っていた弘喜という男は裏切ったのか……。

 だって紅先輩のチームについてさえいれば、この空間を作った人と戦うことが出来、勝てばそのまま自らの妄想能力も“何でも叶う願い”も無くすことになるってことだ。

 今ボクに宿っている妄想能力はこの空間のおかげだって話しだし、“何でも叶う願い”はその理事長が打ち立てた約束だって話しだし。……んまぁ、相変わらずこうして理解は出来てるが、何故か納得できず矛盾を探そうとしている自分がいるんだけどさ……。

 

『まぁ、お前には無理だろうがな』

 

 不意に、そんな言葉が聞こえた。

 ボクの発した言葉……じゃない。

 突然、教室の中に声が響き渡ってきた。

 重く、体に纏わりつくような、とてつもない威厳を感じさせる声が。

 

「っ!」

『無理矢理侵入しようとしてくる輩がいるかと思えば……やはりお前だったか、紅』

 

 驚きながらも、何とかして声の発信源を見つけようと周囲を見渡す。

 が、教室の中には当然、声を発したと思われる人物が見当たらない。

 そもそも、声自体が教室の中に反響しすぎているのだ。まるで囲まれた四つのスピーカーから同時に声が聞こえてきているような……。

 ……もしかして、外、か?

 

「っ……!」

 

 そう思った瞬間、景色がグニャリと歪む。

 大きな眩暈、なんてものじゃない。まるで教室の中心から、景色を巻き込みながら空間を捻じ曲げているような……立っていられなくなるほどの大きな歪み。

 体を支えることすら許されず、思わず座り込んでしまう。

 

「ぐっ……!」

 

 そして色すらも認識できなくなってきた頃、そろそろ限界だなと気絶しそうになってきた頃、空間の歪みが徐々に元に戻ってきた。

 ……が、そこは既に、先程まで作戦を立てていた教室の中ではなくなっていた。

 

 まず視界に入ってきたのは、ワインレッドの豪華な絨毯。ソレが教室二つ分を誇る広さをしたこの部屋全てに敷き詰められている。

 そしてその中心に、きれいなガラス机。四脚ある艶の出た茶色いソファ。

 そして目の前、ソレらを挟んだ部屋の反対側の端、そこにある大きな机の上で肘を付き、指を絡ませてそこに顎を乗せている初老のお爺さん。

 歳を取っているのが一目で分かる程皺を顔に刻み込ませ、とてつもない威厳を感じさせる雰囲気を纏わりつかせたその人。

 ……本能的に悟った。さっきの声はこの人が発したものなのだと。

 

「ふっ……まさかあんたから俺を呼んでくれるだなんてな、じぃさん」

 

 隣から聞こえてくる、立ち上がりながらの紅先輩の言葉。……いつの間に全員、同じ位置に集められたのだろう。

 よく見ると紅先輩の後ろには、いまだボクと同じでしゃがみ込んだまま額を押さえている麻枝と蒼莉さんがいた。

 

「なぁに……あのまま無理矢理お前を中に呼び込むと、後々面倒だったのでな……こちらから招待してやったという訳だ」

「はっ……そいつぁご苦労なことで。まさかこんなに簡単に、現実世界に返ってこれるとは思わなかったぜ」

 

 目の前の爺さん――理事長の言葉に返事をしながら、ジリっと、両足を肩幅まで広げて臨戦態勢を取る紅先輩。

 

「蒼莉もいるのか……。……そう言えば紅……お前達二人は何故、私の妨害をする?」

 

 ゆっくりと、威厳のある言葉で訊ねる理事長のその姿を睨みつけ、珍しく怒り露わで答える紅先輩。

 

「何故? 何故も何も無いだろ。じぃさん自身が気付いてないのか?」

「私自身が、か……? ……私なりに、理由は分かっているつもりだ。おまえ自身、この学校のシステムが気に入っていないからだろう?」

「この学校の、システム……?」

 

 ボクはまったく関係ないのに、思わず疑問が口をついてしまう。

 

「そうだ、そこの男子生徒。お前は知らぬだろうがこの学校は、私が作り上げた私用試作型軍『パレリアント』用の兵士養成所なのだよ」

 

 ボクのついた疑問に答えるように、理事長は憮然とした態度で言葉を続ける。

 

「私が提示した“何でも叶う願い”というものをエサに、妄想能力を用いた戦闘の楽しさと、脅威となる存在と対峙しても恐怖しない心、その二つを本人の意識しないところで身体に染み込ませているのだ。お前だって、心当たりはあるだろ?」

 

 そう言えば……ボクも最初は、足が震えていた。でも今は、目標が見つかったおかげで、足が震えなくなった。

 ……でもそれは……この人の狙い通りであるということ。

 

「そうすることで、実戦経験のない現軍隊よりも、実戦経験の積んだ兵士を生み出そうとしているのだ。もっとも、ほとんどが接近戦で構成されているが故、敵地への突入部隊となるのだが……それでも、この効果は相当に高い。何故なら妄想能力保持者は、現在歩兵に一般支給されている銃弾をもかわす躯捌きの技術を体に宿し、身に着けた妄想能力をいくら振るおうとも相手を殺さない、殺せないからだ。だからこそ、全ての敵を討ち滅ぼし敵地を占領したとしても、ソレは無血占領として取り扱われる。それがどれだけ有利かは、分かるだろ?」

「それが……それが何だってんだ! そのせいでお前は……お前はっ……!」

 

 説明が終わるや否や、紅先輩が声を荒げる。その様子を見た理事長は、なるほどなと、納得したような声を上げる。

 

「紅、お前がそこまで私の邪魔をするのは、もしや私の部隊に入った友人・知人の命のためか? それならお前は、とんでもない偽善者と言うことに――」

「違うっ! 違うんだ! そんな立派な理由、俺は持ち合わせてなんかいない!」

 

 理事長の言葉を封じ、必死に荒げる紅先輩のその珍しい姿は、本当に違うことを如実に現してる。

 

「俺はただ……! あんたに……じぃさんに、無茶をして欲しくないだけなんだっ!」

 

 俯き、腿の横で拳を握り、必死に叫ぶその姿。

 

「俺やアオと同じで、生粋の妄想能力を使い続けてるあんたのその体は、とうに限界間近だ! だから早く! その行動を止めたいだけなんだっ! 俺はただ……じぃさんに長生きして欲しいだけなんだよ……っ!」

 

 顔を上げ、涙を堪えながら、力強く叫ぶその姿。

 

「……はっ」

 

 だが当の理事長は、その姿を鼻で笑う。

 

「良いか? 紅。今の少年達はな、目標というものを持っていない。持っていないから、老い先短いこの私の命を使ってまで、その目標を作ってあげているのだよ。理想の自分を再現でき、そしてその自分を最大限行使出来る場所をな」

 

 そして突然、ふっ、と表情を、少しだけ柔らかくする。

 

「紅、お前の気遣いが、私は本当にうれしい。だがな、今の時代は、誰かが犠牲になってやらないと育たない世界になってしまったのだよ。だから、老い先短い私が、その役を引き受ける。そうすれば、世界は上手く回るだろ? 私の作り上げた『パレリアント』で。……公的には公開されていないが、隣国を従えることが出来たように、これからもまた上手く回っていく。だから私は、孫一人の我侭で、この犠牲になる役を終わらせるわけにはいかんのだよ」

「……んなこと関係あるかよ……!」

 

 その様子に気付きながらも、小さく呟くように、されど怒り露わに答える紅先輩。

 

「俺はな、またじぃさんと一緒に遊びたいんだよ。また茶を啜りながら日向ぼっこでもしながら話したいんだよ。……だからな……ここであんたを倒し、無理矢理その汚れ役から引きずり下ろしてやるよっ!」

 

 感情の赴くままに段々と声を大きくし、最後には絶叫に等しい感情を乗せながら、紅先輩は妄想付具を具現化して構える。

 その姿を見た理事長もまた、静かに椅子から立ち上がる。

 ……部屋の端と端。間には二脚のソファと理事長用の木製机。その間を一気に駆け抜けるためか、真横にある紅先輩の膝が、軽く沈む。

 

「……良いか、俊哉。そのままで良いからよく聞け」

 

 ふと、膝を落としたままの紅先輩から声がかかる。

 

「あいつを倒せば、お前の今の妄想能力は使えなくなる。だからもし、あいつを俺達が倒しちまえば、お前はせっかく手に入れたその力を捨てることになる。……それはお前にとって、イヤなことだろう。だからたぶん、俺達があいつと戦うのを、お前は妨害したいと思う。……でも、頼む。共に戦ったよしみで、この戦いには手を出さないでくれ。何もせず、ただ見守っているだけにしていてくれ」

「……えっ?」

 

 その言葉にボクが返事をする間もなく、紅先輩はボクから離れるように大きく横に跳んだ。

 ……瞬間、目の前を通り過ぎる大きな光弾。

 

 もしかして紅先輩、ああして声を荒げて自分に注目させることで、後ろで麻枝が精神集中をしていたのを悟らせないようにしてたのか……!?

 ……いやむしろ、紅先輩の声の荒げを察知して、麻枝が勝手に精神集中を始めたのか……!

 そしてソレに気付いたからこそ、タイミングを合わせて紅先輩は横に跳んだのか!

 この“脳内会話も出来ない空間”で、このバッチリなチームワーク……!

 

 それはそれだけ、互いの目標に揺るぎが無く、互いの目標を理解しあって、互いのことを信じきっていられている、何よりの証。

 

「考えおったな……だがムダだ」

 

 理事長がそう声を発した刹那、光弾は彼にぶつかる前に爆発した。

 ……何が? そう思い、開放された風が吹き荒ぶ中、目を凝らしてそちらを見つめる。

 するとそこには、左手に持つ盾を前に突き出している、西洋風の甲冑が佇んでいた。

 

「なんだ……あれ?」

 

 だがボクが疑問を口に出している中、紅先輩はそんなことを意にも介さず、荒れる風の中を一直線に突っ切る。

 目標はもちろん、理事長。

 

「はぁっ!」

 

 そして風が止んだその瞬間、天井スレスレまで高く飛び、手に持つ妄想付具を振り上げて理事長へと降下する!

 

「それもまた、無駄な行為だ」

 

 理事長の静かな、だけど室内に響き渡る声。

 するといつの間にか、紅先輩と理事長の間に、先程と同じ西洋風の甲冑が、今度は右手の剣を構えて現れていた。

 

「なにっ……!」

 

 突然の登場に驚き、妄想付具を振り下ろすタイミングを逃す紅先輩。

 そしてその姿に向かって甲冑は、構えた右手の剣を突き入れた……!

 

「なぬ!?」

 

 だが紅先輩は、それで倒れなかった。いまもなお、理事長に向かって降下している。

 “剣をすり抜けながら”。

 ……その瞬間、理解した。あの迫っていた紅先輩は、蒼莉さんが見せている幻覚なのだと。

 

「こっちだよ」

 

 驚き固まる理事長の隣……甲冑が現れた反対側に、しゃがみ込むようにして横切りの構えを取った紅先輩の姿……!

 

「ぐぅっ!」

 

 呻きながらも、低姿勢から放たれたその斬撃を自らの妄想付具で弾き返す理事長。

 そしてその崩れたタイミングを逃さず、追撃をしようと迫る紅先輩……!

 

「ちっ!」

 

 が、追撃しようと一歩踏み込んだ刹那、麻枝が放った光弾を防いだ甲冑が盾を無理矢理割り込ませ、たじろいたその瞬間を狙って剣を振り下ろしてきた!

 その攻撃を避けるため、一歩、大きく後ろに跳ぶ紅先輩。

 

「なかなか、やりおるな……だが、さっきの一撃で倒せなかったのが、運の尽きだ」

 

 いつの間に消失していたのか、理事長の前にあった机がなくなっていた。

 だが変わりに、先程の剣と盾を持った甲冑が二つ、立ち並ぶ。

 

「この空間を維持しながらも、二体ぐらいなら生み出すことは出来る。最強の剣と最強の盾、矛盾を宿したこの甲冑程度ならな」

 

 静かに声を響かせながら、腕を高く持ち上げる。

 その動作に違和感を感じ、紅先輩は元より、蒼莉さんもまた妄想付具を具現化し、麻枝よりも一歩前に出て、構える。

 その姿を見た理事長は、満足げな笑みを浮かべ、腕を勢いよく振り下ろした。