「はぁ……はぁ……はぁ……!」

 

 既に包帯の長さは手首一巻き分。これ以上武器を消耗させては、この三人の攻撃を防ぐ術はなくなってしまう。

 

「くっそ……っ!」

 

 もっとも、周囲を見渡してもその肝心の三人の姿が見当たらない。隠れられるような場所は無いに等しいのに、何故か見つけることが出来ない。

 ……と言うより、僅かにでも視界に映れば、別の方向から攻撃をされてしまう。そのせいかこの戦いが始まってからボクが見た敵の姿は、妄想付具を片手に握っていた女生徒のみ。

 他の二人は……まったく見れていない。

 

 これがこの三人の連携攻撃、か……先輩から話は聞いていたが、まさかここまで防ぐのが辛い猛攻を繰り出されるとはな……。

 ……体に描かれた模様を鞭とした操ってくる女生徒、突然空間から鎖を放ってくる女生徒、そして、半径一キロ以内の範囲を敏感に察知して居場所を見つける、妄想付具での戦闘が巧みな女生徒。

 その三人の猛攻。

 ……もちろん、それぞれの制約も聞かされてはいる。鞭は距離が開けば威力が下がり、鎖は空間を渡る際の長さも考えて放たなければならず、しかも対象物と五メートル離さなければ空間から現せられなくなっていたり、気配察知は察知した対象が敵か味方か分からなくなるらしい。

 

 が、そんなもの、この状況下ではほとんど意味を成さない。

 確かに分かっているおかげで助かっているところはある。が、分かっているおかげで攻め手になっているなんてことはない。あくまでも、防ぐので精一杯なんだ。

 

 でもそれも……もう少しのはず。

 確か作戦開始十分で……切り札を用意できると言っていたはずだから。

「っ!」

 

 と、背中に蟲が広がるようなイヤな悪寒! すぐさまその位置から離れるために、前に一歩駆け出す!

 

 ……瞬間、ガクンと、視界が沈んだ。

 

 ……一体なにが……そう思った時には、視界一面に地面が近づいていて、反射的に両手をつけて顔への直撃を避けていた。

 

「……えっ?」

 

 何が起きたのか分からず、呆然とした呟きが漏れ出る。でもその自分の声がどこか遠く、周囲の空間全てが切り取られたかのように、妙な静けさが体を包み込む。

 

 そんな中で不意に、ジャラジャラと、鎖が地面を引き摺れていく音。

 ……ああ、そうか……疲れすぎていて気付かなかった。イヤな予感がしたときに迫った攻撃とは、足元目掛けて放たれた鎖付きナイフだったんだ。

 ボクはその迫る攻撃を、疲れすぎていたが故に見つけることが出来ず、迂闊にもその鎖へと足を進めてしまい、絡め取られてしまったんだ。

 

「ぐっ……!」

 

 状況が理解できた刹那、立ち上がろうと腕に力を込める! ……が、力が満足にはいらない。

 ……くっそ……これも、疲れすぎているせいで、一時的に筋力がマヒしてきてるのか……!

 

「終わりだね……」

 

 足元で、誰かの声が聞こえる。上から見下ろすようにかけてくる声が、聞こえてくる。

 ……気が付けば、視界も結構ボヤけてきており、上体を動かすのすらしんどいような状況だった。

 ……急激な運動と停止の繰り返しによる疲労の蓄積。そして再び急激な運動をしようとしたところで、本人の意思に反した体の緊急停止。疲れた脳がその処理に追い付けず、こうして全ての運動機能を停止させてしまった。

 

「さよなら」

 

 振り上げているであろう、妄想付具。それを脳内で映像として映し出せているものの、やっぱり体は動かない。

 ……結局この体の停止は一時的だから、もう既に腕は動く。

 が、腕が動いたところで、この攻撃は防げない。

 ……なんてこった……作戦開始から十分間すら、もたせることが出来ないなんてな……情けないもんだ。

 

 そうボクが心の中で嘆いた瞬間、ボクと、ボクの周囲の空間が、光の柱に飲み込まれた。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 実に単純な作戦。

 要は、昨日の争奪戦と同じ要領だ。

 ボクが囮となって三人を引き付け、その隙に麻枝が妄想能力を放つために精神を集中し、し終えた刹那、蒼莉さんの指示でその光弾を放つ。

 

 ただそれだけだ。

 違うところと言えば、囮となったボクがどうなろうとも関係なくそのまま光弾を放つことと、放つ光弾が誘い出した町全てを覆うほど大きくなるものだということと、蒼莉さんの指示もまた妄想能力の幻覚を駆使したものになるというとこだけ。……まぁボクに関しては、最後の最後にやられてしまったから、そのまま光弾を放たれた訳だが……。

 

 でもまさか……こうも紅先輩の言う通りになるだなんてな……。

 向こうは前回と同じ作戦なんてしてこないだろうと腹を括るから、あえて前回と同じ作戦でいこう。そう言った通りになるだなんてな……実行している自分でもビックリするぐらい、予定通りに。

 

 ……まぁ、何と言う事は無いのかもしれない。

 だって紅先輩は、このチームのリーダーと親友だと言っていたんだから。親友なら、その行動パターンを読むことぐらい容易かったのかもしれない。

 

 ……親友と言えば……そう言えば……紅先輩は不可解なことを言っていた。確か……この空間が、“ある人”の妄想能力で出来上がった場所、みたいなことを……。

 ……あの時は戦いに夢中で、イマイチ頭の中が整理できていなかった。

 でも今は……ちゃんと整理出来ている。……いや、整理し始めている、と言った方が正しいのかもしれない。

 

 そしてそのせいで、疑問が次々と沸き上がってくる。

 ……疑問……? 違う、この感情は、そんなものじゃない。

 これはそう……納得することを、本能的に拒否しているかのような……そんな感じだ。

 まるで紅先輩の言葉を、理解する前に否定したがっているような……そんな本能だ。

 

 ……何でだ……何で、こんな気持ちになるんだ……?

 ……気になる……自分の気持ちが、良く分からない。紅先輩の言葉の意味が、良く分からない。分かりたいから、気になって仕方が無い。分かりたくないと思うこの気持ちを分かりたいから、気になってしまう。

 

 ……ならさっさと、紅先輩に聞けば良い。さっきの話をもう一度、聞き直せば良い。

 そしたらまた、何か分かるかもしれない。この気持ちが。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 真っ暗だった世界から、覚醒する。世界を見渡すために、瞳を大きく開く。

 

「…………」

 

 ゆっくりと、ここが何処だかを確認する。が、改めて見渡す必要も無かった。

 だってここは、ボク達が利用している控え室だったから。

 

「……そうか……」

 

 思い出してきた。……ボクは逃げることが無理だと判断され、作戦通り麻枝の放った巨大な光弾に飲み込まれたんだ。……自分を犠牲にしてでもアイツらの足止めを出来たんだった。ギリギリとは言え、出来たんだった。

 だからここは、やられた時に自動的に運び込まれる、自分たちチームの控え室……。

 

 ……いや、当然のようにそう理解しているが、ソレがそもそもおかしいんだ。

 確か、そういう話だった。

 紅先輩と、あの弘喜とかいう男子生徒の話は。

 

 ……そう……冷静になって考えれば、これはおかしいことなんだ。

 今まで妄想能力やら妄想付具やら、おかしなことに囲まれすぎていて、違和感無く溶け込みすぎていた。

 こんな、人間の体を別の場所に自動的に移動させる、なんてことは。

 そんな、瞬間移動じみた行為は、おかしなことだったんだ。

 

「……今こうしてさっきの状況を理解できている“視覚共有”だって、本来は有り得ないこと……」

 

 予め理解していたことのように、他人が見たものを理解しておけるだなんてことは、本当におかしなことだ。

 ボクにとっての戦いが終わり、冷静な思考を働かせることが出来るようになったから、さっき紅先輩が見て・聞いたものを順次理解出来ていってるのは、おかしなことなんだ。

 

「……でもどうして……今までおかしいだなんて思わなかったんだ……?」

「そうなることも、“ある人”の妄想能力の効果だからだよ」

 

 小さな呟きに返ってきた言葉。

 そちらへと視線を向けると、そこには入口横の壁にもたれ、腕を組んで立っている紅先輩。

 

「さっき弘喜と話していた争奪戦の時の戦場も、そこに移動する手段とも言える空間移動も、そしてお前が手に入れたその妄想能力も、その全てが“ある人”の――この学校の理事長の妄想能力の効果なんだよ」

「理事……長……?」

 

 続いて発せられたその言葉に驚きすぎて、思っていることとは違う言葉が、無意識的に口をつく。

 でも紅先輩はそのことに気付いてくれているのか、ボクが本当に知りたい妄想能力についての説明を続けてくれる。

 

「そもそも本来の妄想能力ってのは、生物や他人の妄想能力・妄想付具にしか効果を持ってねぇんだ。妄想という想像上のものだから、想像をする生き物、想像で生み出された物体にしか効果を持たないんだよ。にも関わらず、お前は自分の妄想能力で壁を壊したらしいじゃねぇか。ほら、その時点でその建物が妄想能力だってことになるだろ? ……って言っても、そんなことにすら疑問を抱けないよう“あの人”の妄想能力は組み立てられてるんだけどな」

「……なぁ、一つ確認したいんだが」

 

 紅先輩の話を聞いていると、段々と頭の中が整理されてきた。

 そしてそのせいでさっきの言葉――今の言葉の一つ前の紅先輩の言葉に、疑問に感じるところがあった。

 

「ボクの妄想能力が、その、理事長の妄想能力の効果で得たものだって言ってたけど……どういうことなんだ?」

「そのまんまの意味さ。お前の――いや、俺とアオ以外の妄想能力は、全て本来の妄想能力じゃないってことさ」

「……?」

 

 あまりにも突拍子の無い言葉に理解が追い付かない。

 

「本来の妄想能力ってのはな、まずBCG接種器のようなもので体内にウィルスを仕込まないと使えないんだよ。お前、そんなもの打たれた記憶、無いだろ?」

「ああ……」

「それと最大の副作用として、使用時間・回数に応じて、使用者に多大な疲労感をもたらすものなのさ」

 

 続いた紅先輩のその言葉に、ふと、昨日の紅先輩の姿が思い出される。机に突っ伏したままの紅先輩の姿を。

 ……そうか……勝負が終わってトイレに駆け込んだって蒼莉さんに聞いたけど……それはもしかして、前の戦いで無理をしすぎたせいで疲労が溜まり、嘔吐しに行っていたのかもしれない。

 

「…………」

 

 話を聞いて、さっきの戦いで話していたのを覗き見て、ようやく理解は出来てきた。ここが妄想能力で作られた場所なのだと、分かってはきた。

 でも何故か、納得が出来ない。

 納得が出来ないから、否定材料を必死で探している自分がいる。

 これもやっぱり、その理事長の妄想能力のせいなのだろうか……。

 

「やっぱり、納得は出来ないみたいね」

 

 必死に思考を巡らせていたその時に、ガラリと、教室のドアを開けて麻枝が帰って来た。

 

「ま〜あ、当然と言えば〜、当然なんだけどね〜」

 

 その後に続くように蒼莉さんも教室の中に入ってきて、後ろ手にそのドアをソッと閉める。

 様子から見るに、ボクの苦労実って勝てたみたいだけど……今はそんな確認よりも、頭の中がずっとこの争奪戦について考えてしまっている。

 

「それでは峰君、納得が出来ないのなら、思い出して欲しい。今まで過ごしてきた日常に、違和感は無かった?」

 

 ボクの後ろを通り過ぎ、窓辺へと向かいながらの麻枝の言葉。

 必死に否定材料を探し、その否定材料を悉く否定することで無理矢理納得しようとしている時にかけられたその言葉に意味はあるのかと疑問を抱くが、麻枝が無駄なことをするとは思えないので、必死に思考を巡らせる。

 

「そうだな……当然今まで通り、こんな争奪戦だなんて出来事以外は、何の変哲も無い毎日が続いていたぞ」

「じゃあ今日、放課後になる前にした授業内容は?」

「……あれ?」

 

 おかしい……まったく思い出せない。

 

「思い出せない?」

「ああ……。……でもたぶん、いつもと同じでどうでもいい内容だったから憶えていないだけだろ」

「……そう」

「それじゃ〜あ、今日のお昼ご飯って、何を食べたの〜?」

 

 と、麻枝の質問の次は、入口に佇んだままの蒼莉さんから質問を投げかけられた。

 

「お昼ご飯ですか? えっと……普通にお弁当を食べましたけど」

「お弁当さんの中身は〜?」

「えっと……あれ? 思い出せないな……まぁでも、いつもと代わり映えのしない内容で、よく憶えてないだけですよ」

「それでは昨日、家に帰った後は何をしていたの?」

 

 と、こちらを見据えながら、再び麻枝からの質問。

 ……なんか、痴呆症かどうかを確認されてるみたいだな……。

 

「昨日はそうだなぁ……晩飯食って風呂入って、テレビ観て宿題して、寝る前に軽く文庫を読んで……とまぁ、いつも通りな日常を過ごしたな」

「昨日の晩御飯の献立は? それと、観たテレビの内容は?」

「晩御飯は……何食ったか思い出せねぇや。でもテレビの内容は憶えてるぞ、バラエティ番組だ」

「それなら、一昨日もテレビは観た?」

「もちろん」

「それじゃ、その内容は?」

「……何だっただろ……昨日のバラエティ番組の内容が強すぎて思い出せねぇや」

「んじゃこれで、最後の質問なんだけど〜、俊哉君、放課後に入ってからこの部屋に来るまでの周りの状況を、逐一説明できる〜?」

 

 と、再び蒼莉さんから質問を投げかけられる。

 

「周りの状況、ですか?」

「うん〜。放課後になって、教室を出て、ここに向かって歩いてくるまでの、周りの騒がしさとか〜」

「えっとそれなら……授業が終わって、担任が来て、ホームルームが終わって、皆がやっと終わったって言いながら教室の中が賑やかになって、そんでボクは今日の争奪戦のために早歩きで教室を出て行って……」

 

 ……あれ? なんだ……? 何かがおかしい……何か……この後の思い出せる展開と、今思い出せている展開の辻褄が、まったく合わない……。

 

「出て行って、どうなったの〜?」

 

 急かしてくる蒼莉さんの言葉に、自分でも可笑しいと思える内容を、そのまま口に出す。

 

「……出て行って……それで突然、皆がいなくなったような……教室の中からの音とか、周囲にあった賑やかな音とかが、全てなくなったような……」

 

 でもそんなこと、現実問題有り得ないのだ。

 だってアレだけの賑やかさが……いきなり無くなる訳が、無いのだから……。

 

「ってああ、そうか。有り得ないんだから、きっとそれは勘違いなんだ。たぶんボクが、今日はようやく一位と戦うことになるって夢中になりすぎて、周りのことに気が回らなくなって、それで周りのことをちゃんと憶えてないだけなんだ……!」

「それじゃあ、他の日はど〜お? 争奪戦を始めてからは、どうなってた〜?」

「他の日……そうですね、よく考えれば同じだったような……。でもそれだって、争奪戦を楽しみにしてたからそうなっただけですよ」

 

 蒼莉さんの言葉にそう答えた後、紅先輩が再び口を開いた。

 

「その意識の改変こそが、“あの人”の妄想能力の効果なんだよ」

 

 そう、口を開いた。

 

「どうでも良いことのように記憶している日常生活を隆起させ、あたかも放課後以外は何も変わらない日常を過ごしていると錯覚させる。それがこの妄想能力の効果の一つさ」

「…………」

 

 自分の思考そのものの否定。

 違うと言い返したいのに、言っていることが真実だと分かってしまうその雰囲気に、思わず無言になってしまう。

 

「まぁもっとも、これだけならすぐにおかしいってことに気付かれる。だからこそ、意識改変の効力も同時に発揮されてんだよ。もし何処かおかしいと気付いても、自分のその考え自体がおかしいと、意識を改変させられてるんだ。そして同時に、こういう理由があるからおかしいはずはない、と思い込まされている」

「…………」

 

 続く紅先輩の言葉を、胸中驚愕のみを燻らせて、ただ黙って聞いていることしか出来ない。

 

「さっきのお前自身の答えがそうだろ? 授業内容を覚えていないのは、どうでも良いことだったから。昼飯の弁当の中身を憶えていないのは、いつもと同じような中身だったから。晩ご飯のメニューもまた然り。一昨日のバラエティ番組の内容を覚えていないのは、昨日の方が印象が強かったから。……じつはどれも、記憶の中から隆起させられていただけなのにな。最後の何てソレが特に顕著だ」

「それがあなたに及ぼしている、意識の改変」

 

 とここで、紅先輩の言葉を麻枝が継ぐ。

 

「さすがにこればっかりは、他人に教えてもらっても仕方の無いこと。たとえ信用の置ける人に教えてもらったとしても、当の本人が心の底から納得できるキッカケが無いといけない」

「……それじゃあ、皆はどうやって、今みたいに納得出来るようになったんだ……?」

 

 驚いてる中自然と口をついた質問に、麻枝は相変わらずの淡々とした口調で答えてくれる。

 

「先輩とアオさんは、元々知っていてこの妄想能力内に入った。私は、記憶にある妹達の様子が常に一緒だったから、違和感を覚えて突き詰めていったら、自然と納得できるようになっていた」

 

 そしてそう答えてくれた後、一息入れて続ける。

 

「だから、無理に納得しようとしても無駄なの。納得できない事に違和感は残るでしょうけど、そこは我慢して、理解するだけに留めておくしかないの」