響く笛の音と共に、ドアを開けて一斉に外に出る。今回はボクが先陣を切ることになっているので、先頭に立つ紅先輩の次には戦場へと立っていた。

 そうして、教室から出てくる二人分の足音を聞きながら、目の前の光景を軽く見渡す。

 

 照りつける太陽。水色の空。足を絡めるような深い足場。

 所々が隆起するその大地は全て砂の塊で形成され、歩いて五分程の場所には小さな町なのか建物の群れが見て取れ、その町より離れたこの一帯の大地にも時折砂の中から円柱のような塔が斜めに生えてきている。

 ……簡潔に言うと、砂漠一帯に囲まれた古代都市のようなところ。現代のコンクリートで作られた建物ではなく、一つ一つの建物が一つ一つの石を積み上げて作られているその姿は、まるでファンタジーでの西洋時代を思わせる。

 

「よっし、それじゃあ作戦通りにいこうか」

 

 前に立つ紅先輩のその言葉に、ボクを含めた皆が一斉に返事をする。……今回ばかりは、この戦場を見て皆で固まるなんて事は無かった。

 

 だってこんな戦場を選んでくると、紅先輩が予めボクたちに教えてきていたから。

 自信満々に教え、こうして正解している現状は、まるで何もかも、向こうの出してくる手札全てを紅先輩が見透かしているかのような気さえする。

 

 ……まぁ、それは良い。過去の話を聞いた今、紅先輩がこの作戦を立てた理由も、手札を見透かしている理由も、はっきりと分かってしまう。……もっともソレは、向こうもまたこちらの手札を見透かしている、ということに他ならないのかもしれないが……。

 

「さあぁてと」

 

 意気込むように言葉を口から漏らしつつ、遠くに見える小さな町に向かって一人、歩を進める。

 

「なぁ、俊哉」

「ん?」

 

 と、追い抜き様、紅先輩に声をかけられる。

 

「感付いてるとは思うが……今回の作戦、俺の個人的なケジメをつけるために立てさせてもらった」

「だな。でも、それがどうした?」

「いや……まぁ、その、なんだ……そのせいで、お前一人に大きな負担をかけちまう。実はよ、本当はもっと楽な方法だってあるんだ……。それなのに俺は、無茶なことをお前に頼んで、しかもその上に過去の話を途中で切っちまってる……何かもう、何もかもがお前にとって腑に落ちないことだと思う。だから、本当に悪いと思ってる。申し訳ない」

 

 そう言って、争奪戦が既に開始されているのも構わず、軽く頭を下げてくる。

 ……大事な戦いなのに……寸分のミスもしたくないはずなのに……ここで時間を割いて、わざわざ頭を下げてくる。その行動がまるで、ケジメつけよりもボクに謝ることの方が大切だと言っているみたいで、少しだけ嬉しく感じてしまう。

 

「いやまぁ、そんな頭下げられるほど気にしてないし。っつか、ソレと同じようなこと、さっきも言ってなかった……?」

「まぁそうなんだが……さっきはほら、頭、下げなかっただろ?」

 

 妙に律儀なその言葉に、思わず噴き出してしまう。

 

「なっ、何が面白かったんだ? こちとら真剣に謝ったんだぞ?」

「いや、その、気にしないで下さい」

 

 恥ずかしそうに顔を赤らめて反論してくるその姿に、噴き出しと一緒に零れてくる笑みを何とか堪えながら言葉を続ける。

 

「ただね、紅先輩はこのチームのリーダーだからさ。そんな気負いする必要ないと思うわけよ。イヤならイヤってさすがのボクも言いますし、イヤって言わないって事は気にしてない、とでも思っててくださいな。それにボク、作戦説明時に紅先輩に言われた言葉、アレが結構嬉しかったり、アテにしてたりしますから」

 

 その言葉だけを残し、ボクはそのままその場から走り去る。紅先輩がまだ何か言いかけてたが、そこはもう無視して構わない。

 きっと過去を話したせいで、今頃罪悪感か何かが出てきたんだろう。

 その罪悪感を生み出す話をさせたのはボクだってのにさ。

 

「それとも本当は……信用してないとか……?」

 

 独り言のように小さく呟いた後、それは無いなと、自分自身のことなのに思ってしまう。もしかしたら今のボク、結構自意識過剰なのかもしれない。

 でも……作戦説明時に言われたあの言葉、ソレを思い返すだけで、何故か本当に、心の中に自信が満ち溢れて広がっていく。

 今回の争奪戦で足が震えないのは、目標を見つけて成し遂げようとしているからだとばかり思っていたが、もしかしたらこの言葉もその原因の一つなのかもしれない。

 

『お前は心が憎しみや怒りで支配されている状況でも、自分の状況がさらに危うくなる可能性を孕めば、その心を維持しながらも冷静に頭の中で思考を組み立てることが出来ている。

 それは、何かを護る、ということに特化した立派な才能だ。しかもその上、お前には何故か上等な危機感知能力が備わってやがる。飛んでくる矢を避けたり、不意打ちの攻撃に気付いたり、見えぬ刃の攻撃を避けて見せたり、俺の壁を利用した攻撃を避けて見せたりな。本来なら、その危機感知能力が備わっていようとも、その感知した本能に従って素直に行動できる人間なんてほとんどいない。

 が、お前はソレが出来ている。それもまた、何かを護ることに特化しているということになる。

 つまり、お前はこと“護る”ことに関して二重の才を持ち合わせてるってことだ。そのことを踏まえると、お前が一対一で敵と戦って護りに徹し続けるのなら、向こうは確実に攻めきることが出来なくなるってことだ。二重に敷かれた最強の盾を貫く一本の槍、なんてもん、この世には存在しねぇからな。良くて、盾を一枚剥ぎ取れる程度だろうさ。……だから、そんなお前だからこそ、今回の作戦を頼みたい』

 

 この、紅先輩のくれた言葉が。

 

 ……もっとも、先輩が話してくれた危機感知能力に関しては、妄想能力に目覚める前からあった。

 殴られる直前にゾクリと背筋が震え上がり、このままだと殴られるな、と何となく気付いていたり、後ろから蹴られて倒されるな、と何故か分かってしまっていたり……。……つまりこの能力に関しては、イジメ続けられていたからこそ身についたものとも言える。

 ……だからまぁ、何か、素直に喜べない能力なんだけどさ。

 

「ま、ソレも利用して強くなるって決めたんだけどさ」

 

 また独り言をボヤきながら、少しだけ走る速度を落とす。

 

 だって、ボクが作戦を行うための町は、既に眼前へと迫ってきていたから。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 近付くにつれて薄々感付いてはいたが、町に入ってみてそれが確信に変わった。

 どうもこの建物全てが、かなりの量の砂に埋もれてしまっているということが。

 だって目の前にある正方形の建物、その屋上がボクの腰周りまでの高さしかない。

 もっともこれだけなら、入口の無いただ無駄に建てた建造物、で説明はつくかもしれないが、生憎とその建物に隣接する形でついている古めかしい電灯がボクの肩にある時点で、その可能性は淘汰されたといってもいい。と言うか、こんな腰周りまでしかない建物が立ち並ぶ町並みなんてイヤだ。

 妖精さんか小人さんの町って可能性もあるが……まぁ、今はその辺はどうでも良いか。

 

 とりあえず最優先事項として、歩きながら周囲をキョロキョロと見渡しながら身を隠せる場所を探す。

 さすがにこんなに遮蔽物のないところだと、ボクが不利になること請け合いだ。せめて体一つ分を隠せる建物を背にしておかないと、四方八方から攻撃されてしまう。

 なんせ今回は――

 

 ――ゾクリと、蟲が這い広がるような、例のイヤな予感。

 

 見渡していた周囲に違和感は無かった……ということは、後ろっ!?

 

「っ!」

 

 瞬間、振り向くこともせず真横に向かって姿勢を低くして跳ぶ!

 

 ……そのままあの場所に止まっていたら危なかった。撓りながら縦に振り下ろされる漆黒の鞭と、上体があった場所に突き刺さる鎖に結び付けられた刃を見ていると、そのことがありありと分かってくる。

 

 だが再び、ゾクリとくるイヤな予感。

 

 右腕に巻かれた包帯を身の丈に合った剣へと変化させ、着地と同時に周囲に気を配る。

 ……ジャラ。

 

「っ!」

 

 後ろからの鎖が擦れる音に振り返り、がむしゃらにその手に握られている剣を振るう。

 ギンッ! と何かを弾く音。

 だがそれに安心する間もなく、再び後ろの足元から同じような音……!

 

「くっ!」

 

 再びさっきと同じ方向へと軽く跳ぶことで、その攻撃を何とか避ける! だが今度は左右から同じ音……!

 

「なんのっ……!」

 

 軽くしか跳んでいないおかげか、すぐさま地に足を着け、真後ろへと跳ぶために直角へと方向転換!

 

「ちっ……!」

 

 水面に落ちる小石のように、空間を波紋で揺らしながら現れた鎖。

 その先端に結び付けられている大きな裁縫針のような形をした二つの刃が、ボクのいた場所で互いにぶつかり合い火花を散らしあっている。

 

 その光景を見つめながら、新たに感じたイヤな予感に対応するために後ろを振り返る。

 

「ふっ……!」

 

 そこには気迫を一息で吐き出し、妄想付具片手に飛び込んでくる一人の女生徒の姿が……!

 

「っ……!」

 

 その迫る速さに驚きながらも、手に持つ武器を構えてその攻撃を何とかして受け止める……!

 

 ギィン……! と剣戟が響き渡る。

 

「なるほど……反応は良いみたいね……」

 

 鍔競り合いでそんなことを勝手に呟いた後、彼女は追撃してくることも無く大きく後ろに跳び、一息にボクとの距離をとった。

 ……チッ……! さすが一位のチームだ……こりゃ、思ったより辛そうだな……この三人の足止めは……。

 

 ボクに与えられたこの作戦での役割、それはこの三人の足を止めること。この、完璧なまでの連携攻撃を繰り出すことの出来る三人の足を、止め続けること。

 ……紅先輩が、あの人と一対一で戦い続けられるように。

 

「ふぅ……はああぁぁぁ……」

 

 精神を研ぎ澄ませるために、右手に握る武器を包帯に戻しながら、大きく息を吐く。

 ……一人を三人で囲み、確固撃破をしてくるという向こうの元々の作戦上、ボクばかりを狙ってくることは明白。

 だから、後はそう、このまま三人と戦って、死なないよう足を止め続けるだけ。

 

 ……最初の不意打ちを防げたのは、単に向こうが油断していたから。こちらが何も知らないと、油断をしてくれていたから。

 現に、予め紅先輩に向こう一人一人の妄想能力を聞いていなければ、いまごろ漆黒の鞭に体を叩きつけられ、心臓を鎖付きナイフで貫かれていただろう。万が一ソレを避けれたところで、左右から体を串刺しにされ、トドメとばかりに妄想付具を体へと突き入れられていた

 

 ……だからここからが、本当に気を張らないといけないところ。

 

 避けやすくするために後ろに建物を据えようとしていたが……その前に仕掛けられてしまったか……。

 ……まぁ、今はもう、そのことを嘆いても仕方が無い、か……。

 

「さぁ……いこうか……」

 

 一人呟きながら、後ろで攻撃の機を窺っているであろう二人をそのままに、前で構えている女生徒向かって駆け出す。

 ソレが向こうにとって攻撃の機を与えることになるのも構わず、包帯を身の丈はあろう薙刀に変えながら。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

「…………」

 

 ただ静かに、砂漠の真ん中で一人佇む紅先輩。

 蒼莉さんも麻枝も、既に自分達の役割を果たすために場所の移動を始めている。

 そのため先輩の周囲には人一人いない。

 

「…………」

 

 水色の空の下、一人砂漠の海を見渡している。ここからなら、どんな不意打ちも出来ないような、そんな場所の中心。

 もし争奪戦中では無くてこんな場所に一人でいれば、自分が世界に一人しかいないのではと錯覚してしまいそうな、そんな場所。

 

「……っ!」

 

 そんな時突然、紅先輩の体がブレた。

 でもその後は何も無い――はずだった。

 ……そう、はずだったんだ。

 実際はその左胸に、一つの長い刃が生えてきている。体の内側から突然生えたかのように、根元からスルリと、体に対して垂直に。

 

「終わったね……紅」

 

 そんな声が、後ろから聞こえてくる。余裕を見せた、人を見下すようなその口調。

 ……見えなくても分かる。間違いない。

 画面に映ったあの男……紅先輩が一人で戦おうとしていた男、弘喜と言う名の男子生徒だ。

 

「僕の妄想能力は予め知っていただろ? それなのに、そんな風に何の警戒も無くただ佇んでいるなんてね……キミは、本当にバカな奴だよ」

 

 妄想付具を突き入れたまま、紅先輩のその背中に一人声をかける。

 

「それとも何かな? 僕がキミに向かって来ないなんて、そんなめでたい事でも考えていたのかな?」

「……めでてぇのはどっちだよ」

 

 ポツリと、言葉を返す紅先輩。

 

「あぁ? どう考えてもキミの方だろ、紅。ただ静かに、後ろから心臓を貫かれるなんてさ」

 

 怪訝を含めたその言葉に、紅先輩は静かに、いつもみたいな軽薄な笑みを浮かべる。

 

「お前は、俺の妄想能力は元より、アオの妄想能力も頭に入れて、俺を後ろから刺したのか?」

「何言ってんだ。当然だろ? 今ボクが刺してるお前は本物だ。ちゃんと心臓を狙って刺す前に、キミ自身が本人か幻覚か、どっちなのかの確認はしたに決まっている」

「ははっ……その確認しかしないから、貴様は俺の異変に気付かない」

「異変……?」

「なんだ……まだ気付かないのか? なら、ヒントを与えてやろう。……確か俺は、心臓を貫かれたんだよな? ならどうして、俺はこんなにも“話を続けていられるんだ”?」

「っ!」

 

 その言葉を、可笑しさを堪えるように話した刹那、二人を囲うように、足元から幾重もの帯状の砂が隆起する。

 そして突き刺した妄想付具から手を離し、距離を取ろうとした弘喜ごと、幾人もの手の中に抱き止められるように、紅先輩の体にそのまま巻きついていく……!

 

「ほらやっぱり……めでたいのはお前の方だったな、弘喜」

 

 静かに、自らの背中に固定された弘喜へと小バカにしたような言葉を投げかける紅先輩。

 

「くっ……! 何でだよ……! 何でお前が、妄想能力を扱えるんだよっ!」

「……耳元で怒鳴るな、うるさい」

 

 右肩に額を擦り付ける様に固定された弘喜。そこから発せられる怒鳴り声に紅先輩は、煩わしそうな表情を作りながら少しだけ左側へと顔を離す。

 

「だってお前の妄想能力は、手に触れてないと発動しないんじゃなかったのか……!? ……いや違う。確かに発動していなかった。お前は、お前は絶対、手に触れていないと妄想能力を発動できなかったはずだっ!」

 

 気が動転しているのか、半発狂でもしているかのような声で怒鳴り散らしてくる。

 だが足はもちろんのこと、腕すらも互いに固定しあっていては耳を塞ぐことも出来ず、紅先輩はただ顔を離すことでしかその怒鳴り声を和らげる術が無かった。

 

「それなのになんで! 今回はソレが可能だったんだよっ! 一体どうなってんだよっ! 教えろよ! えっ!? 紅!」

「わかったわかった。教えてやるから、もうちょっと声のボリューム落としやがれ……ったくよ……」

 

 教えてくれると知ったからか、後ろから怒鳴り声が発せられることは無くなり、変わりに荒い息遣いが聞こえてくる。

 ……まぁ、それだけでもマシだろう。そういわんばかりのため息を吐き捨てた後、紅先輩はいつも通りの口調で言葉を続ける。

 

「っつうかよぉ、俺はさっきも言ったぜ。アオの妄想能力も頭に入れて俺を刺したのか、ってな」

「だから僕は、お前が幻覚で無いかどうかの確認をちゃんと――」

「なんで俺が、俺自身の幻覚を見せる必要がある? アオの妄想能力を知っているお前なら、そうしてくると読んでくるのが当然だろ? それなのにお前ときたら……裏もかかずにそのまま来やがって……ちょっとは頭使いやがれってんだ」

「……じゃあ、何処に篠崎の妄想能力を使ったって言うんだよ……」

「何処に? 何処にも何も、俺の右隣にだが?」

 

 そう言葉を発した瞬間、右隣に幻覚を見せられていたことを自覚したからだろう。紅先輩の右手には、拘束されても触れられる程度の距離に、腰掛けるのにちょうど良い高さをした、斜めに傾いている塔の頂点が見え始めた。

 

「なっ……!」

「幻覚ってのは、こういう使い方もあるのさ」

 

 驚く弘喜に向かって、自慢気に教えてみせる紅先輩。その声は驚かせることが出来たのが嬉しかったのか、喜びが滲み出ていた。

 

「お前の作戦がこういうものだってことも、俺は知ってたさ。三人で一人を囲み、各個撃破。その隙にお前一人が、誰にも見えなくなる妄想能力を駆使してチームのリーダーだと思われる一人に、奇襲を仕掛ける。その作戦もさ。……ま、アレだ。こうして知っていたからこそ俺は、ギリギリのところでお前の心臓への攻撃を逸らせることに成功してるって訳さ」

「っ!」

 

 その言葉にさらに驚き、息を詰まらせる弘喜。

 そして自分が刺した妄想付具の箇所を確認してみると……確かに心臓に刺さっていなかったことに驚いただろう。ボクとてさっき見えた時には、心臓を貫かれたように見えたぐらいだし。

 

 ……まぁ、それもそのはずなんだ。だって心臓に刺さっていないとは言え、脇腹には刺さっていたのだから……。