「やあ紅……くるかと思ったよ」

 

 パソコンの画面内にあった真っ黒なウィンドウ、その中に映し出された向こう側の景色。

 黒板を背に足を組んで座り、両手を絡めてその上に乗せている姿は、背景でも暗くすればさながら悪のトップ様。

 

「と言うことは弘喜、俺がお前さんに何を望んでいるかも気付いているんだろ?」

 

 腕を組み、神妙な面持ちで画面の向こう側にいる男子生徒――弘喜とやらに話しかける紅先輩。

 その声はいつもよりトーンが低く、まるでいつも通りの雰囲気を無理矢理搾り出そうとしているようにも見える。

 

「もちろんさ。争奪戦だろ? 僕たち相手にさ」

 

 短い髪に毛先だけがウェーブ掛かった、パッと見は人の良さそうな雰囲気を纏ったその弘喜という名の男子生徒。でも紅先輩に喋りかけるその姿からは、何故か信用してはならない雰囲気も感じさせてくる。

 なんでだろ……彼のその表情からは、どこか人を小馬鹿にしているような、見下しているような、そんな気がしてしまう。

 ……気のしすぎかもしれないけど。

 

「ああ、その通りだ。良く分かってるじゃないか」

「ま、紅のことだからね。これぐらいは僕じゃなくても分かるよ」

「で、受けてくれるのか?」

「当然だろ? お前の頼みなんだからさ、引き受けるに決まってるじゃないか。もっとも、大人しく負けてやるつもりはないけどね」

 

 そうして画面の向こう側で浮かべる笑みは、既に勝ちを確信しているようにも見える。

 

「ま、お前が引き受けない訳がないか。今もまだ、誰にも争奪戦を挑まれてないんだろ?」

「そうなんだよね……共闘関係をどこのチームと結んでいるかはバレないけど、いくつのチームと結んでいるかはバレちゃうからさ。ほら僕たち、合計四つのチームと共闘関係結んでるじゃん? 皆怖気づいて挑んで来なかったのさ」

「で、今回もその後ろ盾を使うつもりか?」

「まさか。だって僕の後ろ盾を壊したのは全て君じゃないか、紅。これじゃあルール上争奪戦に参加できないからね。大人しく、共闘関係無しで戦うしかないよ」

「最低限のことは分かってるみたいだな……いや、臆病者だから分かってて当然か」

「っ……!」

 

 その言葉に一瞬、画面の向こう側に映る男の表情が強張る。

 だがそれも、次の言葉を発する頃には先程と同じものに戻る。もっとも、彼が少しだけ苛立ちを憶えているのは雰囲気で察してしまえたが。

 

「臆病者は君じゃないのか、紅? 僕たちの四チームと戦って勝てる自信が無いから、そうやってチマチマと周りから壊していったんだろ? どうやって共闘関係者の情報を集めたのか、是非とも教えて欲しいところだね」

「勝てる見込みのない戦いを、勝てる見込みのある戦いにすることのどこが臆病者なんだ? と言い聞かせてやりたいところだが、生憎と生粋の臆病者のお前に、そのことは分からんか。敵に情報収集の仕方を聞いて、さらに次に備えようとしているお前みたいな奴じゃあな」

「何ムキになってんの? 紅。皮肉に決まってんじゃん」

「だろうな。俺も、本気でお前に反論したつもりも無いさ」

「っ……! 負け惜しみを……!」

「どっちがだよ」

「お前に決まってんだろ!」

「今現在、ムキになってるのはお前の方だが?」

 

 男の挑発に負けじと挑発を返していく紅先輩。その言葉には若干の苛立ちを含んでおり、画面越しで無ければ互いに掴み掛からんばかりの一触即発といった雰囲気が、そこには漂っていた。

 ……もしかしてさっき、いつも通りの雰囲気を無理矢理搾り出そうとしているようにも見えたのって……この苛立ちを抑えているせいだったのか……?

 

 ……が、不意に、画面に映る男が言い合いをしてもキリが無いことを悟ったのか、視線を逸らして小さく舌打ちをする。

 

「……まぁいいさ。どうせ後三十分後、お前を倒すことは出来るんだからさ」

「やってみな」

「もちろん、やってみせるさ」

 

 紅先輩の手玉に取られていた男も、画面が切れる最後には早すぎる勝ち誇りの笑みを浮かべ、自信満々にそんな宣言をした。

 

「…………」

 

 閉じたウィンドウをそのままに、しばし紅先輩は無言。

 

 だが大きく深呼吸をしたその後には――

 

「さぁてと……それじゃあさっそく、今回の作戦を説明させてもらうぜ」

 

 ――いつも通りの……本当の、無理をしていないいつも通りの、軽薄な雰囲気を纏った紅先輩がいた。

 

 昔、画面の向こうの男と何があったのか……気にはなる。

 が、まずは作戦の説明を聞くのが先だ。その辺の事情は、作戦説明の後に時間が余ればで良い。

 

「作戦の説明は良いにしても、一位相手にボク達全ての能力を、前の戦いで見せてて良かったのか? 一位のチームと共闘関係なら、保存されてる映像を見て確実に対策を練ってくるぞ?」

 

 とりあえず作戦説明の口火として、純粋に思い浮かんだ疑問を口にする。

 

「なぁに。その辺は大丈夫さ」

 

 それに対して紅先輩は、ニタリとした笑みを浮かべて続ける。

 

「お前と麻枝の妄想能力は、基本的に対処のしようが無いってのはこの前も言っただろ? 前回は偶然にも相性の良い妄想能力保持者がいたせいで苦戦しちまったが、今回に限って言えばそれは絶対に無い」

「じゃあ、紅先輩と蒼莉さんの妄想能力だけでも明かさない方が良かったんじゃ……」

「いんや、それは無駄だ。なんせ、もし前回の争奪戦でオレとアオが妄想能力を使ってなかったとしても、さっき俺と話してた男には既にバレちまってるからな。どちらにせよ一緒だったって訳さ」

「既にバレてる……? それってどういう意味だ……?」

 

 過去に一度戦ったことがあるとか、共闘関係を結んでいたとかか……?

 

 そんな答えを予想していたボクに、紅先輩は予想外の答えを、事も何気に言ってのけた。

 

「なぁに、特に難しいことでもないさ。さっきの男はな、お前や麻枝がチームに入る前に、俺とアオともう一人とで一緒のチームを組んでいた、ただそれだけなんだからな」

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 準備時間、残り十分。

 

 相手チーム一人一人の妄想能力を踏まえた上での作戦説明は既に終え、皆それぞれの準備を行っている。

 紅先輩はボクと同じで身体のあらゆる筋を伸ばし、蒼莉さんは椅子に座って精神統一でもしているかのように瞳を閉じ、麻枝はこちらをチラチラと気にしながら体操服へと着替え始めている。

 ……また突然見られる事になるかもと警戒してるのか……? ……まぁ、そんな風に扱われるのは当然のことをしたんだけど……。

 

 にしても今回の作戦説明、いつもより短かった割に密度が濃かった。まるで昔からこの作戦を行おうと画策していたような……そんな感じがする。

 その証拠に、今までの争奪戦での作戦説明では、相手の基本戦術とチームリーダーは分かっても、メンバー一人一人の妄想能力なんて分かっていなかった。でも今回は、ちゃんと相手チーム一人一人の妄想能力を熟知していた。

 にも関わらず、これだけ早く説明を終えている。

 それだけで、紅先輩が長い月日をかけて情報を仕入れていたことが分かる。……なんせ今回の作戦、あの画面に映った男と紅先輩を一騎討ちさせるために組まれた、と言っても過言じゃないしな……ここまでくるともう、あの男がチームを離反する際に何かがあったのは確かなんだよな……。

 

「なぁ、紅先輩」

「ん? なんだ、俊哉」

「先輩とあの画面に映ってた男、一体どういう関係なんだ?」

 

 悩んでいても仕方が無い。この際、まだ時間もあることだし、思い切って訊いてみた。

 

「どういう関係も何も……元チームメイトだって答えたろ?」

「その答えじゃあ納得出来ないよ。こちとら、その相手と一騎討ちがしたい先輩のために体張るんだ。せめて、その男がどうして先輩から離れたかぐらい教えてくれたって良いんじゃないのか?」

 

 お茶を濁そうとした先輩に追撃の質問。

 

「…………」

 

 その言葉を受け先輩は、ボクの顔をしばらく見つめた後、諦めたかのように大きくため息を吐いた。

 

「わかったよ、教えといてやるさ」

 

 そして、と言ってもおもしろい話でも何でもねぇんだけどな、と言葉を続ける。

 

「あの男……弘喜とはな、チーム一丸となって目指すところが違ったんだよ」

「目指すところが違う?」

「ああ。目標地点の相違、ってやつだな」

 

 そこで一度、チラッと蒼莉さんを見る。その視線を受けた蒼莉さんは、瞳を閉じて精神集中をしたまま無反応。

 おそらくは詳細を喋っても良いかどうかを確認したんだろう。蒼莉さんもあの男と同じチームだったみたいだし。

 

「あの男はな、昔俺と親友だったんだよ」

 

 無反応を許可と取ったのか、紅先輩は自嘲気味に言葉を続ける。

 

「だがその信頼を裏切り、奴は俺とアオが立てた作戦を全て利用して今の地位に上り詰めた。……ほら、俺達が今まで歩んできた道のりがあっただろ? あんな風に立てた作戦全てを聞き出し、実行前日にチームから離反し、あらかじめ隠れて組み立てていたチームに所属して一気に一位まで上り詰めたって訳さ、奴は。……滑稽だろ? 信頼して話したってのに、物の見事に裏切られたって訳さ、俺は」

 

 本当にそう思っているのか、口元から小さな笑い声を漏らす。

 

「んでその後は一位の座を守りきるために、おそらくは一位になる前にあらかじめ約束してたであろう四チームとの共闘関係を盾にしてたって訳さ。本来は、自分達も一位になりたいがために、共闘関係者が一位になっちまえば自然と共闘関係は瓦解していくもんだが、それが無い。って事はおそらく、一位になってみせたら共闘関係を維持し続けろ、とでも言ったんだろうさ。……それだけ、俺とアオの作戦を信用してたってことなんだろうけどさ」

「……どうして……」

 

 肩をすくめてみせたその言葉に、自然と言葉が口をつく。

 

「……どうして向こうは、裏切る必要があったんだ……? ……だってそうだろ? 紅先輩と一位になったとしても、ちゃんと“何でも叶う願い”は手に入るじゃないか。それなのに、どうして……?」

「……そうしなけりゃいけなかったからさ」

 

 ボクの言葉に、静かに言葉を返してくる紅先輩の言葉。

 

「そうしなけりゃ、“何でも叶う願い”が手に入らないからさ」

「手に、入らない……?」

 

 意味が分からず、ただ呆然と呟いてしまう。

 

「そう、手に入らないんだ。俺達とチームを組み、一位になったところでさ」

 

 ただ、「どうして」という疑問が浮かぶばかり。

 ……でも……その疑問はボクだけなのか、既に着替え終え髪を束ねようとしている麻枝も、相変わらず精神を集中させている蒼莉さんも、特別な反応は示さない。

 

 ……そりゃボクだって、彼女たちと一緒で“何でも叶う願い”のために戦っている訳じゃない。ソレが欲しいから、彼らに協力している訳じゃない。

 昔は復讐の方法を思いつくためだったが、今はただ、こうして自分の目標を見つけてくれたお礼と、何よりこの人たちが自分にとって大切な存在になったが故に芽生えた“護りたい”という気持ちに従っているから、協力の形になっているだけ。

 だから戦っている理由なんて、“護りたい”なんて自分勝手で欺瞞な理由しかない。

 

 だから“何でも叶う願い”が手に入らないなんてことはどうでも良い。

 実際手に入ったところで、ボクは何に使おうかだなんてまったく考えてすらいない。ボクにとってソレはいらないものなんだ。

 だから正直、ボク個人はどうでも良い。

 でもそれなら――

 

「それじゃあ紅先輩たちは、どうして一位になろうとしているんだ?」

 

 ――そうなると知っているこの人たちは、どうして今までのような行動を取ってきているんだ……?

 

 ボクのように、ただ他人を護るために戦っているのが異端なのは知っている。だから他の皆は――麻枝や紅先輩や蒼莉さんは、今まで戦ってきている人と同じように、“何でも叶う願い”のために戦っているものだとばかり思っていた。……今の今まで。

 現に麻枝は、自らに宿った妄想能力の放棄、という願いのために戦っているとさえボクは思ってたぐらいで……。でもそれは、おかしいことだった訳で……。

 だって麻枝はさっき、“何でも叶う願い”がこのチームだと手に入らないと聞いても無反応だった。

 それはつまり、ソレに気付きながらも、先輩達に協力しているということ。

 

 ……ということはまさか……ここにいるボクを含めた全員が……“何でも叶う願い”のために戦っていないということ……!

 

 なら……この三人は、一体何のために、一位を目指して戦っているってんだ……!?

 

「それはだな――」

 

 おそらくは、目の前に垂らされているであろう、目に見えぬ一本の糸。

 それが今、紅先輩の言葉によって姿をあらわ――

 

 ――れようとしたところで、開始一分前のチャイムが鳴り響いた。

 

「――ま、事情の説明はこの戦いを終えてからだな」

 

 何とも言えない表情でため息を吐き、ドアへと向かいながら学ランを机の上に無造作に脱ぎ捨て、そんな風に呟く。

 

「中途半端なところで止めちまって悪いが、元々戦いが終わったら話そうと思ってたことだ。だから本当に悪いが、この話は後でで良いか? 俊哉」

 

 背中を見せたまま続いたその言葉に、ボクは仕方が無いとばかりに、見えないだろうが頷きを返す。

 

「もちろん、後で話してくれるなら、それで良いよ」

 

 そんな言葉を付け加えて。……と言うかそもそも、話してくれない、ってだけの理由で一緒に戦わない訳が無い。

 それはボクの目標上確定していることだ。

 

 ……もっとも、そのことを先輩に言っている余裕は無い。

 なんせ今回ばかりは、ボクが先陣を切り、集中してコトに当たらないと、すぐに負けてしまう作戦だからだ。最悪、ボクを犠牲にしないと勝てないような……そんな作戦。

 ……それだけ信用してくれてってことか……その事実だけでもう、戦おうと思えてくる。

 やっぱこの人たちは……ボクにとって大切な人なんだな……。