後ろに、二人分の気配が増える。

 囲まれてしまったその状況に、苦々しげな表情を浮かべて舌打ちをする紅先輩。

 

「……はぁ……ま、仕方ねぇか」

 

 だが次の瞬間には諦めたようにため息を吐き、ポツリと、そんな独り言を漏らす。

 

「四の五の言ってられる状況でもねぇし」

 

 囲った三人に聞こえるように上げる、そのため息混じりの声。

 

「ちょっとばかし本気、出させてもらうぜ」

 

 渋々と、されど勝ちを確信したかのように上げる、力強い声。

 

 だがその言葉に反応を示してくることもなく、階段を昇ってきた後ろの二人が行動を起こす気配。

 駆け寄ってくる足音と、何かを投擲するために踏み込んだ足音。

 

「ふっ!」

 

 だが先輩はその二つの足音に振り向くこともせず、一度軽く腕を持ち上げ、タンッ! と大地に軽く叩きつける。

 それだけで先輩の踵にあった大地が持ち上がり、一つの壁を作り上げる。まるで大きな椅子の背もたれが生えてきたようなその姿。

 

「はっ!」

 

 後ろの土壁に何かが刺さる音が響く中、目の前に立つ小柄が女生徒が何か行動を起こすよりも速く、左手で自分の後ろに生まれた壁をこれまたタンッ! と軽く叩く。

 すると同じような壁が先輩の眼前に生まれ、女生徒の姿を見えなくする。

 

「せいやっ!」

 

 そしてしゃがみ込んだまま身体を半回転。

 先輩の前後に現れた壁を避けるために回り込んでいた人影が、先輩を攻撃してくるよりも速く、その前後の壁を同時にタンッ! とこれまた軽く叩く。

 すると先輩の左右に、さっきまでと同じ壁が生まれてくる。

 

 それで、完成した。

 先輩を囲むための、蓋の開いた一つの箱が。

 

「これで、仕舞いだっ!」

 

 壁の外側で何が起きているのか分からない状況で、再びさっきと同じ順番で壁を叩いていく。

 そしてその最後、今までよりも遥かに強い力で、両手を地面に叩きつけた。

 

 瞬間、壁の外側から大きな音。

 

 何か大きなものが崩れていく音が、連続的に聞こえてくる。土台そのものを崩れて落ちていくような、まるで一つの建造物が倒壊していくような、コンクリートの滝の音。

 いったい外で何が起きているのか……それは分からない。が、何か大きなことが起きてることだけは、音だけで分かってしまう。

 それほどまでに大きな、何かを瓦礫と成していく音。

 

 だがその音は数分も経たずに収まっていき、次第に連続的から断続的に、そして最後には聞こえなくなった。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……!」

 

 外のうるさい音で聞こえなかった紅先輩の荒い呼吸が、閉鎖的な箱の中でやたらと響いて聞こえてくる。

 

「……ったく……だから、使いたくなんて、無かったんだよ……!」

 

 息を絶え絶えとさせながら誰にでもなく呟き、チョン、と目の前にある箱の壁に触れる。

 それだけで、自分の周りに生まれさせた壁が、瓦礫と成していく。

 

 そうして開けた視界には、何も無かった。

 小柄な女生徒や階段を昇ってきた二人は元より、その三人が立っていた地面も、紅先輩が歩いてきた地面も、何も無い。

 天井はあるが、地面は無い。

 あるのはただ、壁で囲まれていた紅先輩の足場だけ。いつの間に作ったのか分からない、一本の細い柱の上に立つ、一人分の足場だけ。

 おそらくさっきの音は、この階の全ての地面を崩落させた音なのだろう。

 だって……下の階には瓦礫が山積みになっていて、その瓦礫の群れから、小柄な女生徒が履いていたと思われるローファーが、見えたから。

 

「はぁ……後は――」

 

 不意に、トスッ、という軽い音が、静かに聞こえてきた。

 何かを呟きながら立ち上がろうとした紅先輩の身体から、静かに聞こえてきた。

 

 グラリと傾く身体。

 その中で、自分の身体を見るために視界を下げると、そこには左胸に刺さる一本の矢。まるで水の中に垂らす一本の糸のように、静かに沈む一本の矢。

 

「――油断……した……か……!」

 

 瓦礫の中へと崩れ落ちる視界の中、遥か遠い場所で弓を静かに下ろす男子生徒の姿が映る。

 

 それを最後に、先輩の視界は、真っ暗な瓦礫の山へと、消えていった。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 足に意識を集中し、真上に高く跳ぶ。

 それで鉄槌と妄想付具、白沢の攻撃は避けることが出来る。

 だがオレが上に避けた時のために高く飛びながら迫っていた道久の攻撃は受けなければらない。

 

 奴の妄想能力。おそらく蒼の鱗を纏った状態はただ力を増幅させているだけだろう。

 だが今のように赤い鱗へと姿を変えている時は、その増幅値が異常に上がっている。

 つまり、あの腕に対して垂直に生えている棒を引けば、一時的にではあるが攻撃力が飛躍的に上がるのだろう。

 そしてその効力が消えれば、一定時間白い鱗となり、妄想能力を発動していない頃の腕力に戻る。白色の状態だと積極的に攻撃してこないところをみると、おそらくはそんなところだろう。

 

 だから今、あの赤い状態の腕で殴りつけられると、たとえ武器で防御しようともあっさりと武器を破壊し、武器越しにオレを攻撃してくる。

 なら……どうするか……。

 

「はっ!」

 

 気迫と共に打ち出されるその腕を、オレは両手に具現化した大剣で、下から斬り上げるように迎え打つ!

 

 ……そう。ここに入るために壁を破壊したときに用いた大剣。

 壁を壊すために妄想能力で生み出した、壁を壊すことだけを考えたこの大剣ならば、さっき防げたように防ぎきることは出来るはず!

 

「っ!」

 

 双方の力がぶつかり合い、鉄を擦り合わせるような音が響いてくる……!

 次いで火花を散らしながら聞こえてくる、拮抗する力の均等を崩すための金属の悲鳴……!

 

「ぐうぅ……っ!」

 

 くそっ……なんて馬鹿力だ……! こちとら両手で武器を握ってるってのに、押し返されそうなほどの力を向こうから感じてくる……!

 ……く……っ! ……ダメだ……! このままだと武器ごと押し返され――

 

 重力に導かれていく体の中、諦めにも似た懸念を抱いたその瞬間、ピキッと、刃にヒビが入った。

 

 ――終わった……!

 

 その絶望的な光景に、力での抵抗を大人しく諦め、向こうの拳の衝撃に供えて身体を硬直させる!

 だがその瞬間、何故か道久自身が肘の屈伸力を用いてオレとの距離をとった。

 疑問が頭の中を過ぎるが、よくよく見てみると彼の右腕の鱗が白色に変色を始めていた。……どうやら何とか、時間切れまで持ちこたえることが出来たようだな……。

 

「っ……!」

 

 だが安心するのも束の間、投げた鉄槌を回収し、真下からオレへと飛翔してくる幹也の姿!

 

 その迫る攻撃をどうやって防がねばならないのかの考えを張り巡らせ――ようとして、この状況を無視して階段へと駆け寄っている白沢の姿が目に映る……!

 あの男……この期に及んでっ……!

 

「これで仕舞いっすよ!」

 

 真下から飛び上がる勢いを乗せた鉄槌での刺突。先端には仕込み刃もある以上、迂闊な行動は出来ない。

 が、オレはそれを覚えていたにも関わらず、その先端を踵で踏みつけた。

 

 瞬間、仕込み刃がオレの足裏を貫く。

 

「なっ……!」

 

 ……いや、貫いてなんていない。ほんの僅かに刺さっただけ。

 まったくダメージが無いと言っても差し支えないほどに、刺さっただけ。

 

 だってオレは、先端を踏みつけた瞬間、刃がオレの足を貫くよりも速く、その場所から足を除けていたから。

 

 飛び出る刃の速度よりも、オレの足を除ける速度の方が速かった。

 つまりは、そういうこと。

 後は鉄槌の側面を再度蹴り、落ちる身体の軌道をずらし、階段の中ほどを通り過ぎるように落ちていく!

 

「はああぁぁぁっ……!」

 

 そして大剣を一度包帯に戻し、気迫を乗せた声を上げながら腕を大きく振り上げて、さらに大きな剣と成す。

 それは到底、人では扱えるように見えないほどの大きさ。

 「巨大ロボットが扱うためのナイフ」。

 そう表現した方が良いかもしれないほどの、大きさ。

 

 オレはソレを両手で掴み、思いっきり振り下ろすっ!

 

「そりゃあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!」

 

 階段をど真ん中から一刀両断し、崩れ落とさせる! そうすることで誰にも、白沢にも、麻枝の後を追わせないために……!

 

「ぐっ……!」

 

 階段を瓦礫と成していく、鉄筋とコンクリートの大きな滝音が、建物の中に響き渡る。

 ガラガラガラガラと、建物が壊れていく音が――いや、音なんて表現じゃ生ぬるい。盛大に壊れていくこの音はさながら悲鳴だ。

 崩れる体を嘆いている、建物自体が上げている悲鳴。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……! どんな、もんだ……!」

 

 階段を瓦礫と成すための大きな音。振り下ろした巨大ナイフで起きた大きな地響き。

 その中でオレは地面に着地し、いつの間にか戻った包帯を握り締めながら、呆然としている三人に向かって勝ち誇った笑みを浮かべる。

 ……やはりあの武器は一時的なものだったか……白沢が階段を昇るのを見て頭に血が上ってたからこそ、だな。

 

 オレの妄想能力で生み出せるのはあくまで“武器”。

 ロボットが扱う時点で“兵器”と認識している以上、本来ならあんなもん生み出せない。

 ……でもあの時は、“武器”と“兵器”の区別がつかないほど頭に血が上っていた。麻枝を護りたい、そんな一心があったからこそ、生み出せた。

 ……冷静さを欠かないと効力を増せない妄想能力……我ながら扱い辛いことこの上ないな……。

 

「……んの野郎っ!」

 

 最初に呆然とした状態から戻った白沢の、その怒りに染まった言葉で自分の思考から戻る。

 オレが勝ち誇った笑みを浮かべたから怒った訳ではないだろう。

 おそらくはこれで、麻枝を追う手段が無くなってしまったから、怒っているだけ。

 

「殺す! 絶対に殺すっ!」

 

 妄想付具を腕が震えるほど力強く握り込み、怒り露わといった表情で駆けて来る白沢。

 その姿に若干圧倒されながらも、よほど麻枝のことが好みだったのかな……なんて、くだらない事を冷静に考えている自分がいた。

 ……気持ちが落ち着いてきてるな……これじゃさっきみたいなことは望めないか……ま、オレ自身、麻枝がもう狙われずに済んだことに安心しきってしまってるから仕方ないか。

 

「殺せないよ、お前じゃあさ」

 

 その姿を迎え撃つため、包帯を身の丈はある鎌に変え、構えながら挑発する。勝ち誇った笑みはそのままに。

 

 その姿に幹也も鉄槌を構え、道久も蒼に戻った鱗の右腕を構える。そして白沢の速度に合わせ、三人で連続的な攻撃を繰り出せるよう迫ってくる。

 ……三人同時の相手か……身体がもつかどうかわからんな。

 

 麻枝と蒼莉さんの最終作戦決行まで持つかどうかが、な。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 紅先輩はやられていない。

 そう思えているから、オレはまだ戦い続けることが出来ている。

 ……別に楽観視している訳じゃない。だって本当に紅先輩がやられていれば、オレ達の負けとしてとっくにチャイムが鳴っているはずだ。

 それなのにソレが鳴らないということは、あの人はまだ生きていると言うこと。

 脳内会話で確認したいところだが……生憎と、そんな余裕を持ってこの三人と戦える訳が無い。

 向こうから連絡をしてくれるならまだしも、だが。

 視覚共有も、作戦決行の確認のために蒼莉さんと行っておきたいから無理だし。

 

(麻枝ちゃんの準備は完了した。これより作戦を決行する)

 

 その蒼莉さんから脳内会話で決行宣言が伝えられる。

 ……最初に隠れた彼女の居場所も、既に相手には知られているだろう。異常聴力の妄想能力を持つ存在に。

 

 もし紅先輩が微細振動を行っていまだ妨害をしているのなら、相手は紅先輩をまだ探しているだろう。でもそれをしていないということは、既に微細振動は止められているということ。

 という事は必然、オレ達の居場所もバレていると思って良いだろう。

 そしてそうなると、微細振動を扱う例の存在は、矢を放つ男子生徒と合流すると言うこと。

 

 おそらくその微細振動察知は、使っている間脳内会話が出来なくなる代物なのだろう。

 そうでなければ、その存在が最初に弓を放つ男の元にいた理由の説明がつかない。

 もし微細振動察知を扱いながら脳内会話を行えるのなら、弓を放つあの目立つ場所から離れ、隠れて察知し、脳内会話で随時教えていけば良いのだから。

 

 だから微細振動が行えるようになると必然、弓を放つ男と居場所を察知する存在は、合流することになる。

 そしてその瞬間こそ、紅先輩が最初から狙っていたチャンスにもなり、麻枝が作戦の要で絶対に倒されてはいけないと言われていた証明をする場にもなり、蒼莉さんがずっと隠れていた理由の説明を出来る場にもなる。

 

「…………」

 

 蒼莉さんとの視覚共有で見えるその状況。

 虫食い状態の四車線高速道路を挟んで存在する、合計八車線はある大きな道路。ソレを挟んだ向かい側、斜め前の建物の屋上、そこで合流する一人の男子生徒と一人の女生徒。

 

 冷静な判断が出来そうなキレ長の瞳に端正な顔立ち、高い腰の位置と適度に鍛えられた体躯を学ランで纏っている、弓を持った男子生徒。

 焼いたものとは違う褐色の肌をした、物静かな雰囲気を纏ったショートボブの女生徒。

 二人は静かに二・三、言葉を交わした後、女生徒が何かに集中するためなのか静かに瞳を閉じる。

 そしてその手を、弓を持っていない方の手で優しく握る男子生徒。おそらくソレが、微細振動察知の結果を教えてもらう手段。

 

「っ!」

 

 だがその瞬間、二人の元に大きな光弾!

 二人を包み込むにはピッタリなサイズをしたソレは、遥か遠い場所から二人を射抜かんばかりに迫りくる!

 

「なに……っ!」

 

 驚きの声を上げ、身体を硬直させる男子生徒。

 このまま二人は飲み込まれ、オレ達の勝ちが確定する……! だってあの男子生徒こそ、紅先輩が事前情報で仕入れたリーダーなのだから!

 

 ……そう周りが思っているであろう状況から突然、ドンッ! と手から突き放されるように落ちる男子生徒。

 それはまさしく、手を握られていた女生徒が、彼を助けるためだけに、建物から落とすための手段。

 光弾さえ避けさせれば、後は何とでもしてくれると信じているからこその、身を犠牲にしてでも成し遂げようという手段。

 

「えっ……」

 

 建物の間にある細い一車線道路の下に落ちていく男子生徒。今や建物の影に隠れて見えないが、落ちる直前のその表情は、彼女のその行動に驚愕しているもので塗り固められていた。

 そして肝心の、彼を突き通した女生徒は、そんな彼に向かって優しく微笑みかけるのみ。

 

 その瞬間、彼女の姿が光の渦に飲み込まれた。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 光弾が避けられ、男は逃げ、最終作戦は失敗した。

 

 ……ように見える。

 だがこれ自身が、紅先輩にとっては予定調和の一つだった。

 

「逃げて! 誠くんっ!」

 

 光の渦の中、女生徒の声が響いて聞こえる。

 ……どうして? どうして、風圧縮の光弾の中にいながら、彼女は吹き飛ばされること無く生きているのか……? ……簡単なことだ。

 だってこの光弾は、“蒼莉さんの生み出したものだから”。

 

 オレがそう自覚した瞬間、オレが見ていたその光弾は、霧散する煙のように消え失せた。

 光の渦に飲み込まれた彼女もまた、自らが落とした男子生徒に向かって思いっきり叫んでいるのが見える。

 ……彼女は争奪戦前に見せてもらっていた映像で、麻枝の妄想能力について知っていた。光の正体が風圧縮の弾だと、知っていた。

 それなのに、その中に飲み込まれたのに、自分に異変が無いことに違和感を覚えたのだろう。

 そしてその結果、アレが幻覚だと知った。

 

 つまり彼が助かるには、大人しくその光の渦に飲み込まれるしかなかったのだ。

 飲み込まれ、幻覚だと自覚するしかなかったのだ。

 だって彼が落ちた先の道路……その端っこには、精神集中を終えた麻枝がいるから。

 

 彼女は一度上に逃げた後、別の建物に乗り移り、こっそりと場所を移動して精神集中をしていたのだ。そして例の二人の合流地点を確認した蒼莉さんに、男を落とすための場所を指示されるから、その場所の端へと移動しておく。

 オレはソレを知りながら、上の階に彼女がいると思わせるため、あえてあんなに必死なふりをしただけ。

 そうすることこそが、一番彼女を護れると知っていたから。

 

「お願いだからっ、逃げてっ!」

(……今よっ、麻枝ちゃんっ!)

(はい! 撃ちますっ!)

 

 屋上からの女生徒の叫びの後、脳内会話で蒼莉さんの合図と麻枝の叫びが聞こえる。

 瞬間、男子生徒が落ちた道路に、今度こそ光の渦が発生した。

 

「っ――!」

 

 驚き、何かを叫ぼうとした男子生徒を飲み込む、柱を押し倒したような大きさをした光の弾。

 落ちる速度を計算した蒼莉さんが、タイミングを指示する。そしてソレに反応し、麻枝が瞬時に光弾を放つ。

 その完璧なまでの二人のチームワークで放たれたソレを避ける術は彼には無く……遥か遠くにある道路の果て、そのビルの壁に彼は、吹き飛ばされた身体を勢いよく飲み込ませていた。