「はぁっ!」

 

 手に持つ薙刀を構えながら勢いよく駆け出し、目の前にいるリーゼント男――伊賀道久との間合いを詰める。

 足が震えているせいか、思うような速度が出ない。それでも妄想能力に目覚める前の全力疾走ぐらいの速度は出ているのだが……。

 

「……いくぞ……!」

 

 そんなオレに向かって、静かに、だが確固たる意思の声を上げ、向こうもまたゆっくりと駆け出してくる。

 右腕に左人差し指と中指を這わせるだけで、手には何も持たずに。構えることもせずに。

 ……その姿に、疑問を抱く。

 だが鳥居の時とは違い、背中を這い回る例の悪寒が無い。だから構わず、そのまま突撃の勢いを乗せた踏み込みと共に、心臓を狙った的確な刺突を繰り出す!

 だが――

 

 ギャギャギャギャ……!

 

 ――と二つの鉄に挟み込まれるような音と共に、オレの刃は止められた。

 何も握っていなかった右手で、その刃を直接掴むことによって。

 

「なっ……!」

 

 あまりの行動に思わず驚きの声が上がる。

 一瞬、ダメージ覚悟で受け止めたのかと思ったが、違う。先程の音は紛れも無い、金属同士が擦れ合う音だった。

 ……つまり彼の右手は既に、“何も無い”訳ではなくなっているということ。

 

 その時にふと、駆け出しながら右腕に左指を這わせていたことを思い出す。

 ……もしかして……あの時から彼は妄想能力を発動し、その右腕を別の存在に変えていたとでも言うのか……!

 

「俺の妄想能力は、こうして他人に破壊してもらうことでしか発動できない。だが――」

 

 刃を掴んだ右腕に力を込めたのか、一瞬、膨れ上がったように見えた。

 今更ながら、慌ててその刃を引き抜こうとしてみる。

 が、ソレが当然とばかりにビクともしない。

 

 どうしようかと考えを張り巡らせた瞬間、ピキリと、彼の右腕に亀裂が走る。

 一度入った亀裂は広がっていき、先程聞こえた音は、次第にピキピキと何かが割れていくような連続的な音になっていく。

 次第に速く、大きくなっていくその音は、まるでガラスの檻に閉じ込められた獣がただ押し込むだけの力で出てこようとしているような……直情的であるが故の雄々しさと猛々しさを感じさせる、本能そのもののような音に感じる。

 ふと、その音に聞き入ってしまい、引き抜こうとしていた手を自然と止めてしまっていたことに気が付いた。

 でも、もう遅い。

 

 時間にして僅か数秒。おそらく五秒にも満たない時間。

 ついに伊賀道久の腕が、パキィン……! という軽快な音と共に割れ、檻に閉じ込められていた獣が解き放たれた。

 

「――発動さえすれば、お前に負けることは無い」

 

 そう言葉を発すると同時、握っていたオレの薙刀の刃を、せんべいでも割るかのようにあっさりとへし折る。

 その光景に驚き、だが変貌した彼の腕の姿により一層驚きながらも、慌てて距離をとるために大きく後ろに跳ぶ。

 

 包帯の切れ端と化したものを握りこんだその右腕は、一言で表すと鱗。

 指先から肩までの腕全体が青い鱗で覆われており、まるでファンタジー小説の竜を思わせる。

 だが驚くべきはそれだけではなく、その腕の肘に当たる部分、そこから片手で握りこめる程度の長さをした、鱗に覆われていない小さな鉄の棒が身体の内側に向かって腕に対して垂直に生えている。

 幻想と現実を融合させたかのようなその見た目に、思わず目を奪われてしま――

 

「僕の存在も忘れちゃダメっすよ!」

 

 ――いそうになった刹那、背中から広がる悪寒と後ろから聞こえる声……!

 慌てて振り返るとそこには、高く跳躍し、手元に近づくにつれて太く広くなっているコーン型の鉄棒を振り上げた、短い髪をツンツンに立たせたもう一人の男子生徒の姿!

 くそっ……! 既に叩きつける体勢に入ってるか……! この距離じゃとてもじゃないが避けることなんて出来ない!

 

 仕方なしに、短く見積もっても彼自身の腕の長さはあろう、そのどこかで見たことがある気のする鉄棒を受け止めるため、元薙刀を頭の上で横一文字に構える。

 

「っつ……!」

 

 ガクンッ! と両手に響く、痺れを超えた衝撃……!

 あまりにも重い一撃に、たまらず片膝をついてしまう。

 

「くっそ……っ!」

 

 押し返そうにも、小柄な身体に反して向こうの力がオレより上なのか、押さえつけられたまま身動き一つ取ることが出来ない。

 

「武器が折れずに良かったっすねえ」

「……ご心配どうも」

 

 小バカにしたその言葉に苛立ちを覚えながらも、彼が言っていることが間違いでないのも事実だった。

 

「でも、もう終わりっすよ」

「んな訳あるかよ。これからだ」

「いんや、ここまでっすよ。時間稼ぎにもならなかったっすね」

 

 突然、押さえ込んでいた力が軽くなった。

 あまりにも突然すぎて咄嗟に反応できない。反撃することも忘れていた。

 ……だが、その鉄棒の先端がこちらを向いているのを理解した瞬間、反射的に首を横にずらしていた。

 

 刹那、チッ! とオレの頬を何かが掠める。

 横目でソレを確認すると、オレの顔があったその場所には刃が存在していた。

 棒の先端から隠し刃のように伸びた刃物が。

 

「くっ!」

 

 驚きながらも――少しだけ反応が遅れながらも、軽くなった鉄棒を力を込めて弾き返し、反撃のために元薙刀を持ち上げ、叩きつけるように勢いよく振り下ろす!

 

「っ!」

 

 だがその攻撃は、ギュアアアァァァァァーーーーー……! という不快な鉄同士をこすり付けたような音と共に防がれた。

 ……何が起きたのか、理解するのが僅かに遅れる。

 いつの間にやら鉄の塊が、オレの視界全体を覆っているという事実を認識するのに、遅れてしまう。

 

 そしてそれが何なのか確認するよりもさらに早く、再び例の悪寒が背中を這い回る……!

 危険だとは感知できたが何が危険なのか分からず、思わず目の前の鉄の塊から視線を外して慌てて左右を見回す。

 するとオレの右側から脇腹を狙い澄まし、“紅い鱗”と化した拳を振り上げた伊賀道久の姿……!

 

 遅いと、頭の片隅で感じながらも、迫る拳を防ぐために元薙刀を縦に構え、そちらとは反対側へと跳躍する。

 ……メキリと、自分の脇腹から聞いたことの無い音が聞こえた。

 

「ぐっ……は……っ!」

 

 強すぎる衝撃に、喉と胸の間に何か気持ち悪いものが生まれ、吐き出そうとする本能と吐き出すまいとする理性とがせめぎ合う。

 その感触があまりにも気持ち悪くて、でも生まれたものは結局吐き出せず、ただ情けない声だけが咽びあがるのみ。

 

 頭の片隅に感じた通り間に合わなかったオレは、元薙刀ごと脇腹を殴られてしまい、急速に奴らから離れていく。その流れる視界の中、先程目の前に展開された鉄の塊が「男の握っていた鉄の棒が傘のように開き、突きつけられていた姿」なのだと、どこか冷静に観察して理解している自分がいた。

 ……そうか、見たことある形状だと思ってたけど、アレは開く前の傘だったのか……。

 

 そんなことを思った瞬間、左肩から廃ビルの壁に衝突した。

 濛々と上がる土煙。塞がる視界。崩壊する建物の音と、自分の身体で作った瓦礫(がれき)と滝のように落ちてくる礫(つぶて)。

 だが騒音と痛みが、まるで自分のこと以外のようにどこか遠くに感じる。

 ……紅先輩は二人相手でも対等に戦えてたのに……オレはまったくもたなかったか……。……作戦の要だなんて、聞いて呆れちまう。

 

「終わっちまったっすねえ……」

「いや……まだだろう」

 

 ガラガラと建物が崩れ、段々と埋まっていく自分の身体。

 五月蝿すぎて何も聞こえず、暗すぎて何も見えない状況の中、何故か遠くにいるはずの二人の声がはっきりと聞こえてきた。

 

「ん? なんでっすか? 道久の一撃なら確実じゃないっすか」

「いや、奴は俺の一撃を反対側に飛ぶことで、衝撃を僅かに吸収してきた。しかも武器で防御もしてきた。武器を一度壊すことは出来ているだろうが、奴の肉体を使えないようには、おそらく出来ていない」

「そうっすか……じゃあ、どうします? 追撃するっすか?」

「ああ、当然だ。もっとも、腕もまだ回復していないし、この大きな土煙のせいで前も何も見えないからな……両方とも収まってからだが」

「確かにそうっすねえ……」

 

 そんなにすごい土煙なのか……よほどの力で叩きつけられたんだな。左肩から衝突したはずなのに、体中全てが痛んでるし。

 ……ホント、弱い自分に嫌気がさす。そのせいで麻枝を助けに行くことも出来無いし……。……はぁ……何か、何もかもがどうでも良くなってきた。

 上手くいかない現状とか、上手く出来ない自分とか、もう何もかもがイヤで、何もかもを放棄したくなってきた。……ほら、アレに似てる。ゲームで行き詰って、レベル上げも出来ない状況で、もう本当にどうしようも出来なくなった瞬間、みたいな。もしくは苦労してレベル上げしたのに、セーブせずに電源を消されてしまったような。……まさにそんな気分だ。

 だから正直言って、戦おうという気分にもなれない。……ならいっそこのまま、瓦礫の中って言うのも悪くは無いか……。

 

(俊哉くん、聞こえますか?)

 

 諦め、この状況から目を背けようとしたその時、頭の中に響く蒼莉さんの声。

 

(戦況は芳しくないようですが……諦めますか?)

(……いきなりな質問ですね……まぁ、情けないことに、諦めようとしてたのは事実ですけど)

 

 蒼莉さんにいきなりこんな質問をされるなんて……我ながら情けない。

 

(と言うことは、まだ諦めて無いんですか?)

(……蒼莉さんに話しかけられたおかげで、諦めようとしていたのを諦めました)

 

 不思議なことに、この人に言葉をかけられた途端、先程まで心の中を支配していた諦めようという気持ちが、どこかへいっていた。

 

(それは良かったです。それで、状況をひっくり返せそうですか?)

(いえ、それが全く。急いで麻枝も助けに行かないといけない状況で、あの二人の相手は正直しんどいです)

 

 ま、それでも勝つためには――オレに与えられた役目を果たすためには、無理矢理にでも、どんな無茶でもやらないといけないわけだが。

 

(そうですか……ならまずは、麻枝ちゃんを助けましょう)

(簡単に言ってくれますね……オレも、そんな方法があるならそうしたいですけどね)

(ならば一つ、私に方法があります。聞いてくれますか?)

(……マジっすか?)

 

 その言葉に、心の底から驚いてしまう。

 まさかこんな状況から、麻枝のいる場所まですぐに辿り着ける方法なんて……ある訳が無いと思っていたから。

 

(マジです。兄の考えてくれた方法ですが、私の妄想能力を駆使して、確実にあなたを麻枝ちゃんのところへ向かわせます。だから後は、あなたがこなしてくれる覚悟を、してくれるだけです。……大丈夫。絶対に成功させて見せます)

 

 力強く、自信に満ち溢れたその言葉。

 少しだけその言葉に引っかかりは憶えたものの、今はそんなこと、考えている場合でも追求している場合でもない。

 今はただ……オレに与えられた役割を果たすため、麻枝の元へと、最短で向かうだけ……!

 

(なら、覚悟は出来ています。方法の説明を)

 

 瓦礫の隙間に埋められ、満足に動かせぬ体。

 握っていた薙刀は半分に折れ、左手には半分に千切れた包帯、右手にはその残り。オレはソレを、双方共手の中で丸めて握り込み、左手の分だけはポケットの中に仕舞う。

 

 奇跡的にもオレの上には大きな瓦礫が斜めに落ちてきて空洞が生まれており、実質的なダメージは壁に叩きつけられた打撲のみと言っても良い。アレだけの衝撃なのに骨が折れていなかったのは自分でもビックリだ。

 

 そんな自分の状態を確認しながらも、蒼莉さんの説明を聞き、覚悟を決める。

 ……大丈夫。オレはまだ、戦える。

 身体が動くから、戦える。

 麻枝を護るために、戦える。

 ……その時にふと、気が付いた。

 たくさんの恐怖を与えられたはずなのにと思い、至った。

 

 今のオレは、この戦いの前とは違い、足がまったく震えていないということを。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 幾重もの剣戟が、狭い空間に響き渡る。

 

 デカイ男から全力で振り下ろされてくる妄想付具を、両手に持つ妄想付具で捌き、すぐさま距離を開けるように後ろに跳びながら左手を突き出し、光弾を放つ。

 壁に当たったときと同じ爆発音。圧縮から開放された風で隆起する土煙。

 だがソレが晴れたそこには、今までと同じ無傷の男――白沢が佇むのみ。

 

「ヒヒッ……だからぁ、ムダなんだって。これで何度目? いい加減諦めて、俺にその素肌を撫でたり舐めたりさせてくれよぉ」

 

 気持ち悪いニタニタとした笑みとハァハァとした息遣いを連れ、離れた距離の分だけ詰め寄って再び妄想付具を連続で振るってくる。

 そしてそれら全てを、相変わらずの平然とした表情で両手に握っている妄想付具で捌き続ける麻枝。

 

 どれ程の回数そのパターンを繰り返したのか。

 既に麻枝の視界には、先程まで見えていた建物の出入り口が見えない。おそらくは一つ奥の部屋に移動してしまったのだろう。

 今いる部屋が元々どんな部屋だったのかは知らないが、少なくともさっきまでの部屋よりかは広い。

 だがそれでも、このまま距離を開ける戦いを続けているだけでは壁に追い詰められるのは必至。

 だから彼女は、おそらく何とかしてこの状況を脱しようと考えている。

 

 でもその方法が、まったく思いつかない。

 まだ思いついていないからこそ、こんな追い詰められるような防御方法を、生き残り続けるために、仕方なしに繰り返している。

 全ては、活路を見出すため。

 だから、苦手な接近戦を極力までこなし、無駄だと言われながらも光弾を放って目眩ましとして利用し、刻一刻と追い詰められているのを知っていながらも、逃げ続けている。

 

「くっ……!」

 

 そしてまた白沢の猛攻を捌ききれなくなってきたところで光弾を放ち、隆起する土煙を目眩ましとして利用し後ろに跳び、距離を稼ぐ。

 その姿に追い詰めている彼もまた、怖気のする不気味な笑い声を上げながら距離を詰め、妄想付具で連撃を繰り出してくる。

 その攻撃を麻枝はまた、妄想付具で捌き続ける。

 

 そもそも彼女と彼では、接近戦での実戦回数が違いすぎる。

 彼女はその妄想能力が示すとおり、専ら(もっぱら)中距離・遠距離での戦いをしてきたのだろう。

 対して彼女の目の前に立つ彼は、遠距離からの攻撃全てを防ぐところを見ると、専ら近距離での戦いをしてきていると見える。

 ……ダメージは与えられないけど、離れられれば厄介だと気付いているのだろう。だからこそ彼は、その大きな体と醜い言葉と気持ちの悪い笑みと吐き気を催す息遣いをしながらも、己の得意距離を常に保つ上手い戦い方をしてきている。

 それはまさに、接近での戦いに慣れた何よりの証。

 そしてその戦闘経験の差は、たとえ僅かであろうとも、攻撃軌道の先読みや隙の探り合いなどで、大きな差として生まれてしまう。

 

「ひぃや!」

 

 とそこで、白沢が一際大振りな攻撃。

 おそらく麻枝の捌き方に隙を見出したのだろう。その攻撃は麻枝に邪魔されること無い、完璧なタイミングで放たれてきた。

 

「っ!」

 

 その真実に気付きながらも、どうすることも出来ない。

 出来ることはただ、防御するために妄想付具をダメ元で構えることのみ。

 「防御では自分自身が弾かれてしまい、大きな隙を生み出してしまう」。

 そのことには彼女自身も気付いていた。気付いていたからこそ今まで、全攻撃を捌こうとしてきたのだから。

 

「きゃっ……!」

 

 そしてソレは的中し、防御するために武器を構えていただけの麻枝の体は、体勢を崩して大きく後ろに吹き飛ばされてしまった。

 

「ぐっ!」

 

 彼女自身の体が軽かったおかげか、体が壁に埋もれるなんて事は無く、ただ鈍く衝突した音を広い空間に響かせたのみ。音を聞く限り骨が折れたなどの大事は無さそうだが、唯一の防御手段でもある妄想付具を取り落としてしまった。

 

「しまっ……!」

「ギヒッ、イヒヒヒ……ッ!」

 

 背中から強く叩きつけられたその強い衝撃で立ち上がることも叶わず、遠くへと落としてしまった自らの妄想付具に苦し紛れながら手を伸ばすも、麻枝の元へと来るのは不気味な笑い声を上げている白沢のみ。

 

「いや……っ!」

 

 あまりにも気持ち悪かったのか。心底近付いて欲しくないことが伝わる、いつもの麻枝らしくない感情の籠った声を上げながら、両手を前に突き出して光弾を何発も放つ。

 だがその連続して放たれる光の雨の中を白沢は、まったく意に介すること無く、少しの速度も落とすこと無く、むしろ一秒でも速く彼女へと近付かんばかりに速度を上げ、彼女との距離を一息に詰めてくる。

 

 無駄だと、がむしゃらに光弾を放っている彼女自身も気付いている。

 だがどうしても、止められない。

 放つことを、止められない。

 

 でも結局、そのがむしゃらな行動は、この男の言うとおり全て無駄に終わろうとしている訳で……眼前に迫るソイツは、彼女の体を思う存分撫で回すためだけに彼女を気絶させようと、妄想付具を振り上げていて……その、自らへと迫る刃を、諦めの無い瞳で睨み続けながらも光弾を放ち続けるが、男の動きはやっぱり止まらなくて……足掻いたのに、やっぱり彼女は助かることが出来なくて……作戦の要である彼女は、残念ながらここで戦線を離脱することになる訳で――