左手を開いて突き出し、光弾を放つ。

 ソレは何の行動も起こさない目の前の男に容易く命中する。

 だが男には、全くの変化が無かった。

 

「だぁからぁ……無駄なんだって」

 

 その下卑なニヤついた笑みがオレの苛立ちを募らせる。

 ……これで何度目だろう。麻枝が光弾を放ったのは。

 

 既に数え切れないほどの光弾を、彼女は放っている。

 ゆっくりと歩み寄ってくる男に向かって、ゆっくりと後ろに下がりながら、色々な箇所を狙って放っている。

 そしてそれは、確かに全て命中している。

 それなのに何故か、男には全くダメージを与えることが出来ない。

 風圧を圧縮したものだから、当たれば仰け反るはずなのに。身体が吹き飛ばされるはずなのに。

 

「くっ……!」

 

 さすがに無駄だと思ってしまったのか。いつもは感情を露わにしない麻枝が、珍しく悔しげな声を上げた。

 

「ヒヘッ……やっと表情を変えてくれた」

 

 それがよほど嬉しかったのか、目の前の男は気持ちの悪い嬉しそうな表情を浮かべる。

 

「無駄だって分かったの? ヒヒッ、そりゃそうだよね。だってこれが、俺の妄想能力だし」

「……!」

 

 そんな男の憎たらしい言葉を無視し、奴の足元目掛けて光弾を放つ。

 

 なるほど……! あくまで男は光弾自体を無力化しているだけに過ぎない! だから男の足元に光弾をあて、地面が抉(えぐ)られることで生み出される礫(つぶて)をぶつければ……あるいはっ!

 

「っ!」

 

 大きな土煙が男の全身を覆う! これでダメージがいってれば……!

 

「まったく……こんなことされたら制服が汚れるじゃん。止めてほしいなぁ……」

 

 ……でも、その淡い期待は、叶えられなかった。

 煙が晴れたそこには、相変わらず無傷の男が立っているのみ。

 

「っ……!」

「良いこと教えてあげるよ。俺の妄想能力はね、一度発動すると遠距離からの攻撃とか、さっきみたいな不意打ちとかを全部無効化するんだよ? だからさ、君のその妄想能力じゃ勝てない訳」

 

 くっ! なんてことだ……! 奴ら紅先輩の言う通り、昨日のオレ達の戦いをよく見てやがる! こんなに麻枝と相性が悪い妄想能力者と戦わせるなんて……!

 

 敵の手の中で動いてるだけにすぎない真実に歯痒い思いをしている最中、麻枝の目の前に立つ男は、楽しそうな、嬉しそうな、でも純粋とは程遠い、下卑で下衆で醜い笑みを浮かべてくる。

 

「だから君はさぁ……あきらめてその小柄で柔らかい身体を、俺に撫で回されたり舐めまわされたりすりゃ良いんだよ。……フヘッ」

 

 そうして舌なめずりをしながら言った言葉は、同姓でもゾクゾクとするほど気持ちの悪いものだった。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

「それじゃ、俺の妄想能力で微細振動を起こし続けるから、皆のフォローは頼むぞ、アオ」

「その……大丈夫なの?」

「ああ……大丈夫だ」

 

 苦笑いを浮かべながら答えた後、紅先輩は右手を壁に触れさせる。

 ……一瞬、ドクンと、空間全体が脈打ったような感覚がした。

 ……なるほど。紅先輩の妄想能力は壁を動かすものだとばかり思っていた。でもさっきからの情報仕入れや、つい今しがたの空間の脈打ちでそれが間違いであることが分かった。

 おそらくだが先輩の妄想能力は、壁を利用して色々なことが出来ると言ったものなのだろう。

 

 情報の仕入れは、壁を伝って状況を見たり聞いたりする事で行っていた。

 そして今の空間の脈打ち……コレはさっき蒼莉さんが言っていた「微細振動音を聞いてオレ達の居場所を特定している存在」への対策なのだろう。

 蒼莉さんとの視覚共有からの情報から察するに、手に触れた建物を伝い、常に全ての建物に微細振動を送り、空間全体を微細振動で覆い続けさせようとしているのだろう。

 そうすることでオレ達が発している微細振動を、その存在に察知される前に掻き消す。それはまるで、遠くから聞こえてくる音楽を、周囲の騒音で聞こえなくするようなもの。

 確かにこれなら、その微細振動を察知する存在と距離があるうちは問題ないように思える。

 

「っ!」

 

 突然、紅先輩は後ろの空を振り返り、壁につけた手を離して蒼莉さんの手を取り思いっきり駆け出した。

 ……紙一重のタイミングで、紅先輩のいた場所に一本、矢が突き刺さる……!

 だがソレを確認することもせず、先輩はすぐ近くの細道に逃げ込む。

 

「ちっ……! 弓手の野郎、移動を始めやがったか……!」

 

 毒づきながらも、すぐに右手を壁に触れさせる。おそらくは壁に手を触れさせていないと、微細振動を起こし続けられないのだろう。

 

「どうする〜? 皆に伝えとく〜?」

「……いや、やめておこう。それぞれの戦いの最中に、不要な情報を与える必要もない。それにアイツの狙いは、あくまで微細振動察知を妨害する俺だろうしな。向こうも麻枝の方は一人に任せて充分だって判断してるみたいだし、俊哉の方も連絡が取れない共闘者二人で挟んじまってるから、援護で矢を放てば逆に邪魔になるだろうということは本人もさすがに分かってるだろう」

 

 蒼莉さんの質問に答えながらも、何かを察知したのか周囲を見回し、左手に妄想付具を具現化して握りこむ。

 ……今更ながらに気付いたが、紅先輩はいつも通りの口調ではなかった。やっぱ蒼莉さんと二人きりだと安心して素が出てくるのだろうか……?

 

「……よし、こっちだ」

 

 右手を一時的に壁から離した紅先輩は、神妙な面持ちで裏口だと思われる錆び付いた扉を大きな音を鳴らしながら開け、その“反対側の建物の壁に開いた大穴の中に”蒼莉さんを押し込む。

 そして当の本人は開けた扉の中へ。

 立地的には蒼莉さんが入った建物の方がオレ達側に近いことになる。

 ……と言うかまさか別行動を取るなんて……一体いつの間に打ち合わせをし――ってまさかあの二人、会話しながらも脳内会話をしてたのか……!?

 

 脳内会話は、意識したチームメイトに心の声で話しかけるようなもの。

 つまり、あらかじめ知っていたことかのように情報が流れ込んでくる視覚共有とは違い、脳内会話だとどうしても相手のことを意識し続けなければならないということ。

 それはまるで、一人の話を聞きながら、別の人と会話をし、そしてまた最初の人に返事をするようなもの。

 そんな難しいことをあの二人は……しかもその方法で別の作戦を立てたってのか……!? ……正直、感嘆の声を上げることしか出来ない。

 

 

 そうして建物に入った先輩は、開いた扉を閉めることもせず、すぐさま右手を近くの壁に触れさせる。

 

「っ!」

 

 ……刹那、何かに気付いたかのように再び壁から手を離し、建物の中心向かって疾駆する。

 

 倒壊したオフィス用机や本棚、いくつもの壊れた電話機や散乱する書類で覆われた地面。

 電気も通っておらず光も一つの小窓からしか射し込んでこない、暗くて狭い、とてもじゃないが走るのに適していないその空間を、平地とのスピードに差異がまったく見られないほどの速度で疾駆するその姿はさすがと言うべきか。

 

 カカカッ! と、先程まで先輩が立っていた場所に何かが突き刺さる音! 次いで――

 

「はあぁっ!」

 

 ――小窓から進入し、気迫を込めた声で飛び降りてくる一つの人影!

 

「なんのっ!」

 

 それぞれの手に何かを握り締め、腕を振り上げて落ちてくる人影のその一撃を、先輩は左手に握られた妄想付具を振るうことで弾き返す!

 

 ギンッ! と、狭い空間に剣戟が響く。

 弾き返された勢いを利用し、そのまま紅先輩と距離を置いて着地する人影。

 

 だが先輩はその姿に追撃することもせず、すぐさましゃがみ込み地に右手を触れさせる。

 すると先輩の後ろに壁が生まれた。

 刹那、その壁に再び無数の何かが突き刺さる音が響く……! 音の感じからしてどうやら矢ではないようだが……。

 

 だが先輩は攻撃を防げたことに安堵することもせず、すぐさま右手に見える階段へとその長身を疾駆させる!

 後一歩で階段に辿り着く……!

 そうオレが勝手に思った瞬間、前に出した足を手前で止め、無理矢理大きく後ろに跳んだ……!

 その時に足元の小石が飛んだのか、先程先輩が踏み込もうとした後一歩の場所に、カツン、と軽い音が響いた。

 

 かと思った瞬間、何かが破裂したかのような小さな音がその場所から鳴り響いた。

 一体何が……?

 でもそれが何か考える暇も与えず、先程弾き返して距離をとった人影が、再び先輩との距離を詰め、両手に持った何かで攻撃を仕掛けてくる!

 

「はぁっ!」

 

 だがその気合を込めた攻撃と対峙することもせず、先輩は足元に転がっていた角材を思いっきり蹴り上げた!

 

「っつ!」

 

 その行動に驚きながらも、飛んできた角材を両手に握る何かで咄嗟に払いのける人影。

 ほんの僅かしか生まれなかった隙。だが、ほんの僅かでも生まれたその隙。

 その間に先輩は、再び先程の階段目掛け、その長身を限りなく低くして疾駆していた。……なるほど、そうすることで先程から度々飛んできていた何かの死角になるのか。

 

 そしてついに、先程小さな破裂音が響いた場所に足を踏み入れる。

 ……何も起きない。

 もっともそんなことを懸念していたのはオレだけのようで、先輩本人は躊躇することなくそのまま左手に伸びる階段を一段飛ばして駆け上がっていく。

 その途中、再び壁に右手を触れさせ、自分の後ろに壁を作り、先程の二人を追いかけて来させないようにする。

 

 そうして辿り着いた上の階。

 そこは先程の下の階とは違い、全ての壁が崩落しているため光が射し込んでいる。と言っても空自体が暗いため、それ程明るい訳ではない。

 足元もスッキリとしており、さっきと同じ建物とはとても思えない。

 

 そんな部屋の中心に、一人の女生徒が静かに佇んでいた。

 低い身長にショートカットの髪型と子供の様な見た目なのに、何故か疲れた雰囲気を纏っているせいで年不相応に見えてしまっている、制服姿のままの女生徒が。

 

「狩るっ……!」

 

 その姿を見た瞬間、吼えた先輩が全力で駆け出す。

 下の階で見せた疾駆よりも、更に速く……!

 吼えた声で女生徒が先輩の存在に気付き、その姿へと静かに視線を向け始める。

 が、あまりにも遅すぎる。

 かなりの速度で距離を詰めている今の先輩が相手じゃ、視線を向け終わる頃には彼女に斬りかかっているだろう。

 

 そうオレが思った瞬間、先輩は左手の妄想付具を彼女と自分の間に投げつけていた。

 どういう意図があって……?

 そう疑問に感じた刹那、剣が突き刺さった地面から大きな爆発が起きた。

 

 部屋全体がピィン! と張り詰めたような音。

 次いで、音で表現が出来ないほど大きな爆発音。

 

「くっ……!」

「きゃっ……!」

 

 予想外に大きな爆発だったのか、先輩も女生徒も小さな悲鳴を上げて爆風に飲み込まれる。

 でも、壁が無く、外に爆風が逃げてくれたおかげか。互いに大きく距離を取る程度の被害で済んでくれた。

 

「……どういうことだ……? 下の階のものよりも爆発が大きかった……?」

「簡単なことです……」

 

 右手右膝をつき、荒い呼吸を誤魔化しながらも口をついた先輩の疑問に、ついた尻餅を不機嫌そうに起こしながら、丁寧な口調に反した子供っぽい可愛らしい声で女生徒が答える。

 

「わたしの妄想能力が、衝撃に比例して爆発の威力を高めるものだからですよ」

「なぁるほど。つまり下の階の爆発は小石程度だからあの程度で済んだと、そういうことか」

「はい。そういうことです」

 

 他人をイラつかせるための軽薄口調をものともせず、女生徒は静かに答える。

 その答えで一つ、分かったことがあった。

 彼女こそが、先手のための矢による一撃、その爆弾を作った存在なのだと。

 

「それでその爆弾は、建物にはまったくダメージを与えない代物なのか?」

「はい。人にしか、ダメージを与えません」

 

 先輩の質問に答えるその顔は既に不機嫌ではなく、先程からチラりと見えている少し疲れたような表情になっていた。

 

「ってことは、妄想能力でも妄想付具でも防ぐことが出来るって訳だ」

「はい。……それよりも、こちらからも質問があるのですが?」

「何だい? 答えてくれたお礼に何でも答えてやるぞ?」

「見た目で勝手に年上だって決めましたが、よろしかったですか?」

「……ま、お前さんが三年生でなければ、自動的に年上って事にはなるわな」

 

 その少しだけズレた質問に呆気に取られながらも、すぐさま苦笑を浮かべて答える先輩。

 

「そうですか。それは良かったです」

「んで、質問はそれだけかい?」

「いえ、実はもう一つ。そうしてわたしと会話なされてるのは、右手と足の負傷を誤魔化すためですか?」

 

 ……え?

 

「それとも、右手から放っている微細振動を止めないためですか?」

「……両方だよ」

 

 続いてくる女生徒の言葉に驚いていたのはオレだけのようで、気付かれていたことを気付いた先輩は、ただ苦々しげに呟くだけ。

 その口調が、女生徒の言葉を真実だとしらしめてくる。

 

「そうですか。それは良かったです」

 

 麻枝の無感情な言葉とは違い、丁寧な口調の中にも喜びの感情が見てとれる女生徒の言葉は、彼女達の勝ち――先輩の負けを、如実に意識させてくる。

 

「何が良かったんだ? 俺にトドメを刺せるからか?」

「ま、そんなところです。あなたのその微細振動を潰せば、わたし達のチームが勝利する確率が上がりますので」

「……ってことは、お前さんは五位の方のチームって事か」

「はい。ですがもう、それも些細なことです」

「そうだよな……さっきの爆弾を作り、俺に向かって思いっきり投げつけりゃ、それで仕舞いだもんな」

「その通りで、そうしたいのも山々なのですが、わたしの妄想能力の制約上、それは不可能なのです」

「制約?」

「はい。わたしが生み出せる爆弾の数は、全部で三つ。しかも三つ全てを生み出し、全てを爆発させないと、数がリセットされません」

 

 妄想能力の弱点を明かすのは、よほど自分の能力に自信があるからか。

 

「じゃ、さっさと三つ目を爆発させりゃ良いんじゃねぇの?」

「はい。そうさせてもらいますよ」

 

 その言葉を合図に、階段の下から爆発音が響いた。

 

「っ!」

「最後の一つは、下の彼女らに持っていてもらいました。あなたが何らかの手段で道を塞ぐことがあるだろうことは読んでいましたので」

 

 驚く先輩に、嬉しそうな口調を含みながらも、淡々と説明を続ける女生徒。

 

「あなたが前の戦いでも作戦の要として動いていたのは分かっていました。そんなあなたですからね。念のために、ですよ」

 

 後ろから聞こえてくる、階段を駆け上がってくる足音。

 それはとてつもなくヤバい状況なのだろう。なぜなら――

 

「なるほど……やるねぇ、あんたのチームの作戦考案者もさ」

 

 ――呟く軽いその口調に反し、先輩のその声音は、とても苦々しいものだったから。