「なるほどねぇ〜……それじゃあその傷は、今回の争奪戦とは関係無いんだね?」

「ええ、まったく関係ないですよ」

 

 蒼莉さんに肩を借りているせいで、彼女の声と息遣いが耳元に直接聞こえてくる。

 しかも首を左隣に向けるだけで彼女の顔が間近にあってめちゃくちゃドキドキするのにそれだけでは飽き当たらず常にそこから香るシャンプーかリンスか石鹸か香水かまったく分からないけどともかく「女の子」なニオイに頭がクラクラして気が狂いそうになっている中で、努めて冷静に返事をする。

 

「だから、特に気にしないでください」

「でもさ、それって本当に痛いよねぇ〜……授業中の事故でだっけ?」

「はい。そりゃもうホント痛くて。だから傷痕見ちゃったらあんなになっちゃうんですよ」

 

 見なけりゃこうして他人に話してもどうってこと無いんですけどね。なんてウソの言葉を付け足しながら、自分の学ランを巻きつけた右手を見せ付けるように軽く挙げる。

 

 ……そう、あくまでこれは“ウソ”。

 この火傷の傷痕は、授業中のミスなんかで負ったものじゃない。

 体中にある打撲痕と同じ、イジメられて負ったもの。理科の実験中、イジメてくる奴らがおもしろ半分で服の上から熱湯をぶっかけてきて負ったもの。水で冷やす前に服を無理矢理脱がしてきたから、皮膚が剥がれて傷痕として残ってしまったもの。

 

 でも……こうした“ウソ”じゃないと、またさっきみたいな状態になってしまう。

 本当は話すだけでも辛いから。

 でも心配はかけたくないから。

 だから見なけりゃ大丈夫だなんて“ウソ”をつき、大丈夫な風に見せかけるためにまた“ウソ”を話してる。

 

「そう言えば蒼莉さん、あの時オレを叱責してくれたのって脳内会話ですよね?」

 

 せがまれた説明も終えたので、ボロが出る前に早々と話題を変える。

 

「ん〜? そうだけど〜?」

「蒼莉さんが頭の中で考えるのと口に出すのが違うのは分かりましたけど、それって紅先輩もですよね? あの人もそうなんですか?」

 

 前の戦いで紅先輩に脳内会話を送った時はかなり無愛想だったからなぁ……。

 

「あ〜……ん〜、くーの場合、皆と話してるあのキャラはワザとだよ」

「ワザと、ですか?」

「うん。なんかぁ、相手をイラつかせて、冷静な判断を奪うためだってさ〜」

 

 あ〜……確かに、アレは知人でもないとイラつくなぁ〜……。現に鳥居も、モニター越しに紅先輩と話した時は怒ってたし。

 

「でも蒼莉さん、オレの手を握って話しかけてくれた時、普通に話してましたよね? 脳内会話と同じぐらい」

「まぁねぇ……あの時は恥ずかしながら、結構必死だったからさ〜」

 

 っ……! ……ヤバイ……さっきの言葉、かなり胸がドキッとした……!

 ……いやだって……恥ずかしげに頬を染めてるその横顔とか、照れを出さないよう抑えているその声とか、何より、そのどうして必死になってくれたのか、とか、もしかして、その……オレのことを想ってくるてるのかな、とか……そういうことが気になって……。

 

「あの――」

 

 だから思い切って訊ねようと声を上げた。

 

「あ、麻枝ちゃんだ〜」

 

 が、蒼莉さん本人の声で塞がれてしまった。

 

「ん? どうかした〜?」

「いえ、別に。何もありませんよ」

 

 そのことに気付いたのか気を遣って聞き直そうとしてくれるが、ワンクッション挟んでくれたおかげで無性に恥ずかしいことを聞こうとしていたことに気付いたので、そのまま誤魔化しておく。

 

「そぉ〜お?」

 

 誤魔化したことは気付いてるだろうが、言及してこないのが蒼莉さんの良いところなのかもしれない。

 

 にしても……麻枝の間がホント悪い。もしあそこで蒼莉さんに見つかるような場所にいなけりゃ、恥ずかしい事だって気付かずに勢いで訊くことが出来たようなものを……。

 ……んまぁ、すでに一階まで降りてきてて、しかも出てきたドアまであと少しってところだったからな……彼女が待っててもおかしくはないんだけどさ。

 

「それじゃあ俊哉くん、後は麻枝ちゃんに頼んでね〜」

 

 不意に、蒼莉さんは至極あっさりと、それが当然とばかりにそう言うと、オレを壁に近づけてから一歩離れる。

 

「えっ?」

 

 その気遣いのおかげで倒れることは無かったが、どういうことかまったく分からず、思わず口から声が漏れでてしまった。

 そんなオレの様子が可笑しかったのか、蒼莉さんは微笑を浮かべて説明してくれる。

 

「んとね、俊哉くんを迎えに行ったのって、じつは麻枝ちゃんの頼みなんだ〜」

「麻枝の? そりゃまたなんで?」

「さあ? でも、何かお話があるって言ってた」

「それじゃああいつ自身が迎えに来れば良いじゃないか……わざわざ先輩の蒼莉さんに行かせなくても……」

 

 まぁ、右腕の傷を見て半発狂状態になったのを麻枝に見られなかったので、これはこれで良かったんだけど……。

 

「ん〜……でもさ、視覚共有で見てた感じ、俊哉くん傷だらけだったよね〜?」

「うぐっ……!」

 

 痛いところを突いてくる。

 

「だからさ、身長の低い麻枝ちゃんが行っても肩も貸せないから、ってわたしに頼みに来たんだよ」

 

 まぁ……その理由なら納得だ。紅先輩に頼まなかったのは、ただでさえチームリーダーで苦労も耐えないだろうと想像出来たからだろう。

 

「ま、そんな訳だから、麻枝ちゃんの話、聞いて上げてね〜」

「ええ、分かりました」

 

 蒼莉さんの言葉に力強く頷き返す。

 ま、強くなろうとした今なら、素直に麻枝の言葉を聞くことも出来ると思う。結局彼女の言ってたことも正しかった、ってのは分かったんだし。

 

「よしっ、んじゃわたしは〜、先に部屋に帰ってるから」

 

 蒼莉さんは眩しいぐらいの笑顔でそう言うと、手を軽く振りながら駆け足でオレから離れ、ドアの近くの壁にもたれていた麻枝の元へと向かった。

 その足音で気付いたのか、自分の足元に視線を向けていた麻枝は顔を上げる。

 そして二・三、蒼莉さんと言葉を交わし、蒼莉さんはそのまま振り返ること無くオレ達が出てきた部屋へと入っていった。

 

 そんな光景を眺めながらも、とりあえず一人で歩いてみようと努力する。

 まだ貫かれた左腿と脇腹が痛い。あるくたびにシクシクとする。

 でも、歩けないことは無い。

 学ランごと壁に右手をつき、左足を引きずりながら、何とか麻枝の元へと向かおうと試みる。

 

「結構、やられたみたいね」

 

 本当に数歩しか進んでいないところで、ジャージ姿のままの麻枝が前に立ち塞がり、さっきの蒼莉さんとは真逆の無表情さでオレに声をかけてきた。

 

「まあな。ほら、そこ退いてくれ。一人でも歩いていけるんだからさ」

 

 自覚できるほど強がっているのが丸分かりなその言葉。

 しかし彼女は突っかかってくることも無く、静かに一歩横にずれ、道を開けてくれる。

 

「…………」

「…………」

 

 しばらく、互いに無言。

 ……分かってる。麻枝には話したいことがある、って蒼莉さんは言ってたけど、オレだって彼女に話さないといけないことがある。それぐらい分かってる。

 だからいい加減、腹を括らないといけない。

 

「……ああ〜……その、何だ」

 

 彼女の横に並んだところで足を止め、声をかける。

 オレの方を向いていないのは視界の端で確認できたが、今から言うことが妙に恥ずかしくて照れてしまい、正面に向けてれば良い視線を思わずうろちょろさせてしまう。

 

「まぁ……その、あれだ」

「……なに?」

「その……ごめんな」

「……なにが?」

 

 相変わらずの無表情で淡々と返事をしてくるその言葉は、彼女が何を思ってオレの言葉を聞いてくれてるのかまったく分からない。

 でももし、彼女自身が聞きたくないことなのなら、彼女は問答無用で切り捨ててくる。それぐらいは分かっている。

 だから、切り捨てられないから、まだ言葉を続ける。

 

「その、あんたに苛ついてて、だよ。結局、あんたの言ってることが正しかったのに、ずっと反抗しててさ。だから、その……ごめん」

「謝る必要はない。そのことに気付いてくれたのなら、それで構わない」

「そっ……か」

 

 彼女自身が本当にそう思ってるのかどうかは結局分からないが、そう言ってる限りはそれで良いんだろう。

 

「……んで、どうしたよ? 何か話があるんだろ?」

 

 一歩一歩、ゆっくりと歩みを再開しながら声をかける。

 そんなオレのゆっくりな歩調にあわせ、彼女は手を貸すでもなく、手が触れそうな程の距離で、オレの隣を自然に歩いてついてくる。

 

「いつもみたいに小言でもあるのか?」

「……そんなものは無い」

「んじゃどうしたよ? 調子でも悪いのか?」

 

 冗談めかして言ったオレの言葉に、彼女は大きく一つ深呼吸。

 そして――

 

「……良く、頑張ったね」

 

 ――オレがまったく想像してなかった、彼女らしくないことを言ってきた。

 

「えっ?」

「…………」

 

 その言葉に思わず、反射的に彼女の方へと視線を向けてしまう。

 と、いつの間にこちらを向いていたのか、彼女の瞳を真正面から見つめてしまった。

 その、いつもとは少しだけ違う、穏やかな瞳を。

 

「っ……!」

 

 ソレが妙に恥ずかしくなってしまい、これはダメだと何故か思ってしまい、急いで視線を元に戻す。

 ……もしかしてさっきまで調子が悪そうだったのって、さっきまでのオレと一緒で言う覚悟をしてたからなのか……?

 

「あ〜……その、また何で、そんなことを?」

 

 動揺を何とかして抑えないとな……オレ一人で恥ずかしがってちゃバカみたいだ。

 

「力に溺れていただけのあなたなら、強くなるために力を磨き続けていた人と対峙し、その力を目の当たりにしたら、逃げると思ってたから」

「んなもん、オレは最初逃げようとしたぞ?」

 

 照れ隠しからか、そんな余計なことを自分で言ってしまう。

 

「確かに、最初はそうかもしれない。でも最後は、強くなろうとした。……ううん、現に強くなったと思う。あの時した覚悟が、伝わってくるから」

「……ってお前、オレの心の声でも聞いたのか?」

「まだ脳内会話が制御しきれてないんじゃない……? 戦いの間、心の声がずっと漏れ出てた」

 

 マジか……何か、結構恥ずかしいこと考えてたような気がするんだが……。

 

「今はもう大丈夫。戦いが終わった時点で、脳内会話も視覚共有も出来なくなるから」

「そりゃ良かった……」

 

 ホント、心底良かった。蒼莉さんのスカートの中とか気にしてたのを聞かれてたらたまらなかった。顔も合わせられんようになるとこだった。

 

「まぁ、私が言いたかったのはそれだけ」

 

 そう答える彼女の表情を横目で確認すると、そこにはいつも通りの無表情な横顔。

 その姿に何故か安心してしまい、思わずため息が漏れ出る。

 

「なんだ……てっきりまた、何か文句でも言われるのかと思ってたぞ」

「そんなことはない。私には、良い方向に変わろうとしている人を罵る権利なんてまったく無いから。だから、強くなりたいと心から思っているのなら、これからも力に溺れることなく、力を行使していって欲しい」

 

 ……どうもオレは、この姫宮麻枝という同級生について勘違いをしていたみたいだ。

 彼女もまた、他人のことを思って言葉を発しているだけだったのだ。

 それをオレは、勝手に嫌味だと勘違いしてしまっただけ。

 言い方がストレート過ぎるが故に、勘違いしてしまっただけ。

 

 と、ずっと隣を歩いていた麻枝が、大きく一歩、前に踏み出る。

 

「峰君」

 

 そのままの歩幅でオレの速度に合わせて歩くもんだから、今話してくれてる彼女の表情がまったく見えない。声の調子も相変わらず淡々とした感情の読み取れないものだし……いや、だからこそ怒ってないのか……? 相変わらず分からん。

 

「なんだ?」

「今のあなたは、力を制御するために強くなろうとしている。でも、あなたは強くなった果てに、何を目指して歩くの?」

「何を目指して……?」

 

 抽象的過ぎて、麻枝が何を言いたいのかがよくわからない。

 

「そう、何を目指して。……大抵の人は、目標のために強くなろうとする。強くなりたいから、力を求める。でも……あなたはその逆。先に力を得てしまった。だから……あなたは、どうするつもりなの? 力を制御出来るほど強くなった、その後は。皆のように“何でも叶う願い”を求めない、今のあなたは」

 

 その彼女の言葉に、ハッとしてしまう。

 今まで、無意識的にしか考えていなかったであろうこと。それを無理矢理、意識的に考えさせるために、オレの意思に反して隆起させてくる。

 

 “何でも叶う願い”のために、皆は強くなろうとしている。強くなりたいから、力を得て磨き続けてる。

 じゃあ、そんなものを求めてないオレは、一体何のために強くなれば良いんだ……?

 

 確かに今は、彼女の言う通りこの力を制御しようという目標がある。

 でもこれは、皆から見ればまだスタートラインにすら立てていないのではないか……?

 

 自分の力を知り、制御し、さらに強くしようとする。おそらく皆は、もうその位置にまで辿り着いてる。

 鳥居から受けたあの技は、おそらくそうして身に着けたもの。さらに強くなろうとして得たもの。

 皆、“何でも叶う願い”という目標のために。皆にとってのスタートラインを目標にしているオレなんかよりも、遥かに先にある目標のために。

 

 スタートラインよりも向こうの目標なんて、今のオレには無い。

 ……いや、違った。あったじゃないか。

 オレをボロボロにしてきた輩に復讐するという目標が。

 ……でも……どうしてだろう。……今は昔のように、その目標に向かって、純粋に歩めない。

 それで良いのだろうかと、疑問に思ってしまう。復讐を果たしたいという気持ちはあるのに、その気持ちだけで歩み続けて良いのかと、迷ってしまう。

 じゃあ……この先どうすれば良い? スタートラインに立てたその後は、一体どうすれば良い? こんなに迷ってしまっている道を、迷っていないふりをして、歩み続ければ良いのか? 迷っている理由も知らず、迷いを振り切ることもせず、疑問に思う道を一心不乱に突き進めば良いのか?

 

「峰君」

 

 自分を呼ぶ麻枝の声に、思考の中から現実へと戻る。

 

「もう、部屋の前についたけど」

 

 こちらを振り向き、扉へと指先を向けながらの言葉。

 

「ああ……すまねぇが、開けてくれねぇか」

 

 返事をしながらも、現実に戻りながらも、いまだ出ない結論について考えてしまう。

 でも……とりあえず今は、そんなことを考えなくても良いのかもしれない。今はただ、紅先輩に協力してれば良いのかもしれない。協力を終えたら、またゆっくりと考えれば良いのかもしれない。

 だってそうすれば……この人たちに着いていれば、もしかしたら復讐とは別の目標が見つかるかもしれないのだから。

 迷ってる道とは違う道が。

 強くなろうと思えた時とは違い、自分自身の力で。

 

 開けてくれた扉を潜り、黒ずんだシミが目立つ青いカーペットを敷き詰めた狭い部屋へと入り、窓の近くで立っていた紅先輩に挨拶をしながら、オレはそんな問題の先送りと言う情けない結論をつけていた。