「居抜き胴!」

 

 廊下に反響する、今までと同じ人が発したとは思えない大きな声。

 勝気な瞳を鋭くした鳥居から発せられたその声に少しだけ驚きながらも、腕を少しだけ下げ、腹へと迫る横斬りを剣の腹で受け止めようと構える。

 

 ダンッ!

 

「ぐっ……!」

 

 とてもリノリウムの廊下で鳴ったとは思えない踏み込み音。ソレと共に放たれたその斬撃を、何とか受け止める。

 

 重い……! 右手で武器が握れない以上、左腕と、剣の切っ先腹に押し付けるように突き出した額の二点で何とか受け止めるしかない。

 だがそれでも、競り負けてしまいそうなほどの力を感じる。もし両手が使えたところで弾き返せたかどうか……。

 

「はぁっ!」

 

 気合一閃。

 鳥居は先程にも負けない気迫声を上げると同時、オレの剣に自らの刃を滑らせ、オレの横を体操服の裾をなびかせながら横切る。

 

 手に伝わる剣戟の感覚が無くなるところを意識し、自分が認識している見えない刃の長さを微調整。……予想よりも少しだけ、向こうの刃が長い。

 

 そんな計測をしながら、横を通り過ぎた鳥居へと身体を向ける。

 だがこちらが完璧に体勢を整える頃には、彼女は相変わらずの摺り足でオレへと迫ってきていた。

 

「なっ……!」

「突きっ!」

 

 再び廊下に響く声と踏み込み音。

 突き出してくる手の角度から喉へと迫っていることが予測される見えざる刃。

 頭を起こして後ろに下げ、予測している間合いが正しいか判断するために予測の長さスレスレになるよう後ろに跳ぶ。

 

 ……刃が喉に当たることは無かった。

 が、武器が風を切る感覚も無かった。

 ……初めて大上段から振り下ろされた時に感じたあの風。あれはおそらく、見えざる刃をスレスレで避けることが出来たからこそ感じたもの。ならアレを感じられるように避けれてこそ、間合いを見切ることが出来たという何よりの証になる。

 

「からの、振り下ろしっ!」

 

 突き出した腕をそのまま持ち上げ、小さなツインテールを大きく上下させながら一歩踏み込み、見えざる刃を振り下ろそうとする動作。

 いつの間に左足を踏み込んでいる右足に引きつけていたのか。再び踏み込んだその足もまたさっきと同じ右。

 

「ちっ……!」

 

 慌てながらも冷静に間合いを調整し、先程の突きから導き出した紙一重の間合いだけ後ろに下がる。

 

 すると突然、ヒュウッ! とあの時感じた目の前で風を切る感覚。

 ……これか! 今この瞬間の間合いこそ、彼女の武器の長さ……!

 

「っ!」

 

 それが分かると同時、鳥居の表情が驚愕に塗りつぶされる。まさかこんなに早く間合いを知られるとは思わなかったのだろう。

 

 でもこれで……ようやく対等に戦うことが出来る……! いやむしろ、彼女の武器の有利性を一つ欠いたのだから、こちらが有利になったといっても過言じゃない!

 

「からの、切り返しぃっ!」

 

 おそらくは足元まで振り下ろされていたであろう見えざる刃。今度はソレを、フワリと舞い上がるツインテールとは真逆の鋭さを帯びた振り上げとして、左足を踏み込んで放ってくる……!

 

「なっ……!」

 

 さっきまでよりも全然速い! 右足へと引き寄せる左足をそのまま踏み込みに用いたからか……!

 とてもじゃないがさっき分かったばかりの間合い外へは逃げれない……っ!

 

 後ろに跳びながら、ぐっ! と剣を横に構える。

 

 ギンッ! と響く剣戟。

 同時に左腕へと伝わる下からの衝撃。

 右足よりも踏み込みが弱いせいか、さっき受け止めた攻撃よりかは威力が低い。

 だがそれでも、片手で受け止めきれるものじゃない。後ろに跳びながら受け止めたせいで、体が僅かに上へと持ち上げられる……!

 

「っ!」

 

 足に地面の感覚が無く、代わりに天井が迫っていることが分かる不思議な感覚に驚いている最中、オレの足元ですでに構えを取り終えている鳥居の姿が視界に映る。

 時間や空間が止まったかのように、静かに構えられたその姿。

 だがそれは今までの正眼ではなく、時代劇ではよく見かけるものの剣道では全く見かけない、顔の右横より少し前に柄を握る拳がきている、左足を前にした珍しい――

 

「秘剣――」

 

 ――瞬間、背中から蟲が這い広がるようなゾクリとしたイヤな予感。

 

 本能的に腕が動き、胸の前で剣を横にして構えられる。

 

「――三点・欠刺突(さんてん・がしとつ)っ!」

「ぐ……っ!」

 

 左腿、剣、左脇腹。

 その三点をほぼ同時に貫かれ、激しい熱量とそこを中心とした痛みが腿と脇腹から広がってくる……っ!

 ……くそっ! ……これで走ることすら奪われたか……! 胸を狙った一撃は剣で防げたからまだ良かったが、もしこれが無ければ……とっくに終わっていた。生き残れただけ吉と見るべきか。

 

「つっ……!」

 

 胸への一撃を防いだ衝撃で、後ろに大きく飛ばされる。

 そんなオレを鳥居は、髪と服をなびかせながら走って追いかけてくる。

 

 にしても……彼女とオレとの運動神経が違いすぎる。

 剣道をやっていたとは言え、妄想能力を得た時互いに身体能力が向上しているはずだ。それなのにオレが一方的に負けるとは到底思えな……――

 

 ――……いや、そうか。互いに身体能力が向上しているからこそ、一方的に負けているのか。

 彼女は剣道をやり、自分の身体能力の限界を知っていた。

 対してオレは極々普通の生活しかしておらず、自分の身体能力の限界なんて知らなかった。

 限界を知った上で強い自分を妄想するのと、知らずに妄想するのとでは、そもそもの上限が違う。

 自分の限界を知っていた彼女だからこそ、これだけ一方的に倒せるほどの身体能力があるのか……!

 

「くっそ……っ!」

 

 飛ばされ、悪態をつきながらも、次の手を考える。

 武器の長さは見切れた。後は相手のクセを見抜き、攻撃行動の直前に回避・防御行動にさえ移れれば良い。今までみたいに相手の攻撃行動直後に行動していては、いつまで経っても攻めに転ずることは出来ない。

 

 なら……どうするか……。

 片足を傷つけられた今、満足に着地することなんて出来ない……でもこのまま落ちても、彼女の追撃をそのまま受けるだけ……ならば!

 

 崩れた体勢を何とか整えて背中から落ち、地面を転がり彼女から距離を取る。

 でもこのまま右膝を立てて構えようとも、防御は出来ても反撃は出来ない。

 だがそれも構わず、オレは右膝を立てて身体を起こす。

 

 と同時、構えることもしないで左手の中にある刃をがむしゃらに振り上げた。

 “彼女が誇る間合いの二倍はあろう、槍と同等の長さは誇る刃を携えた細身の刀”を。

 

「なっ!」

 

 その突然の武器の変化に驚きながらも、彼女は自らの身体を無理矢理止め、それだけでも無茶なのにさらに横へと軽く跳ぶ。

 ……何かを斬ったような感覚が腕に伝わる。もしかしたら軽く傷をつけれたのかもしれない。

 

 でもそれに慢心すること無く、刃を背中に持つように振りかぶり、立てた右膝に力を込め、右手の平の痛みを誤魔化すために拳にして腕に力を込め、その二点の力を利用し、彼女の跳んだ方向へ無理矢理体を起こしながら跳ぶ!

 そして武器の軸を彼女に合わせたところで、立ち上がったが故に振り上げても刃が天井につっかえてしまうのにそんなことも気にせずっ、その手の中にある凶器を、振り下ろすっ!

 

 ギャギャギャギャギャ! と気味の悪い音が天井から鳴り響く。

 でも、気にしない。

 どうせオレの刃が天井を切り裂いている音だ。

 だから構わず、そのまま彼女目掛けて、振り下ろすっ!

 

「くっ!」

 

 もう一度横に跳んで躱すことは出来ないと悟ったのか、見えざる刃を頭の上で、おそらくは横一文字に構える。

 ギンッ! と腕に伝わる剣戟。そのまま腕に力を込め、彼女を押し付けようとする!

 

 が、次の瞬間、ピイィィン! と何かが張りつめるような音が響くと同時、刃はあっさりと折れてしまった。

 

 刃の半分ほどで折れたソレは、あっさりと折れ目を地面へと叩き付けてしまう。

 それと同時にオレの体も支えられなくなり、倒れるように片膝を立ててしゃがみ込んだ状態になってしまう。

 ……当然か。アレだけ長く細みな武器だ。

 天井を切り裂いて尚、折れずに彼女へと攻撃出来た。

 それだけでも上等と言える。

 

「そう言えば、あんたの能力ってそんなのだったわね」

 

 見えざる刃を正眼に構えつつ、呼吸を整えながらの鳥居の言葉。

 声の調子からすでに落ち着きを取り戻しつつあることが窺える。

 

「忘れてもらっちゃ困るな……唯一鳥居と対抗できる力なんだからさ」

「でもその力も、今や真っ二つなんだけど?」

 

 小バカにするに、手元から離れてしまったせいで包帯へと戻った元・刃に視線を向ける。

 

「長さもあたしの武器の半分以下……もしその折れた刀以外の武器にしても、勝ち目なんて無いわよ」

 

 その言葉を合図にするかのように、手元に残っていた柄もまた、包帯へと戻る。

 それはまるで、抗い成す術を無くし、降伏の意を表すために武器を放棄したかのような……。

 

「そう……ま、あんたは良くやったわよ。怯える中で武器構えて、攻撃防いで、最後以外は反撃できなかったけどあたしの武器の長さまで見抜いて……ホント、ビビってた時のこと考えると、相当やった方よ」

 

 その万策が尽きた空気が向こうにも伝わったのか、彼女は構えを解かず、オレなんかのことを褒めてくれる。

 それが少し嬉しくて、満足に顔を見ることが出来なくて、思わず顔を伏せてしまう。

 

「だからこれは、最後の敬意。あたしも全力で、あんたにトドメを刺す。これが、あんたが強くなるきっかけになると思うから」

 

 そしてその言葉を合図に一呼吸置き――

 

「……はぁっ!」

 

 ――摺り足でこちらとの間合いを詰める。

 

 正眼の構え。

 真正面から射抜いてくる視線。

 慢心せず倒そうとしているのが伝わる気配。

 踏み込むために僅かに上げられている右足。

 

 そして、振り下ろすために振り上げられる、見えざる刃。

 

 ……瞬間、左手に握られたままの包帯を、右手首に巻きつけた。

 

 ダンッ! と静かな廊下に大きく響く、踏み込みの足音。

 その音と共に振り下ろされる、見えざる刃。

 

 オレはそれを見切った長さの分だけ、さっき立ち上がる時に用いた方法と同じ、右拳と右足の二点を利用し、しゃがみ込んだまま後ろに跳んで避ける!

 

「っ……!」

 

 驚きの表情見せる鳥居。

 それは避けられたことに驚いているのか、それともオレの右手に握られている“さっきと同じ長さと形をした刀”を見て驚いているのか。

 

 ……鳥居は勘違いをしていたようだが、オレの妄想能力は「包帯を、その長さ分だけの武器に変えられる」訳じゃない。

 あくまで「右腕に巻かれた包帯を武器に変える」ことが出来るんだ。

 つまりそこに“長さなんて関係ない”。

 指の付け根から肘に掛けての間に包帯さえ巻いていれば良いんだから、極端な話“右手首に一周だけ巻かれた包帯でも、身の丈以上の槍を生み出すことも出来る”。

 

「はぁっ!」

 

 右手に握られた武器をすぐさま左手で迎えに行き、受け取った後はそのままの一連動作で振り上げ、彼女に向かって振り下ろす!

 

 前回と違って今度はしゃがみ込んだままなので、天井には僅かに切っ先が当たっただけで済んだ。

 そのおかげで彼女へと振り下ろしているその刃の速度はさっきよりも断然速い!

 

「まだっ……!」

 

 が、それでも彼女をし止めるには至らない。

 動揺しながらも体を動かし、髪をなびかせ体操服の裾を翻し、その攻撃を斜め後ろに跳んで避ける。

 

 ……でも、これが避けられることはわかっていた。

 さっきと同じ状況だから、わかっていた。

 だからこの振り下ろした刀はあくまで牽制でしかなく、でも動揺している彼女はこれが牽制だと気付くことも出来ず――

 

「つぇいっ!」

 

 ――刀を止めて手首を返し、刃を上に向けて振り上げるこの追撃を、彼女は避けることも防ぐことも出来ず……。

 

「っ!」

 

 迫る刃に気付いた鳥居。

 でも、遅い。

 彼女にその見えざる刃を構えさせる暇も与えず、オレはその身体を逆袈裟に切り裂いた。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

「……一つ、訊いてもいいか?」

 

 倒れた鳥居に、オレは訊ねる。

 

「……なに?」

 

 倒れたままのオレに、彼女は答える。

 

「なんで、オレにここまでのことをしてくれたんだ?」

 

 致命傷を与えることは出来たのだろう。攻撃の後バランスを崩し、同じように倒れてしまったオレへと追撃をしてこないから。

 

「……ここまでのことって?」

「ここまでのことはここまでのことだよ。強さとか色々とさ」

「そんなの、昔の自分を思い出したくないから、って言ったじゃん」

「それがおかしいんだよ。昔の自分を思い出したくないってんなら、“オレがビビって動けない時にさっさと倒しとけば良かった”じゃねぇか。それなのにお前は、わざわざオレを見逃そうとしたりしやがって」

「……ま、アレよ。あたし自身がとんでもないお節介なのよ」

「……は?」

「それだけ? って思ったでしょ。でも、ホントにそれだけの理由なのよ。同級生であろうと、後輩であろうと先輩であろうと、友達であろうと無かろうと、本当に世話焼いちゃうの。やめた方が良い、って自分でも思ってるんだけどね。だからあんたみたいな敵でも、ついつい自分に似てたから世話焼いちゃったのよ。昔を思い出して情が移ったりしちゃう、って分かってたのにさ。……でも……そうじゃなかったら、リーダーなんてやってる訳ないじゃない。まだ一年生のあたしがさ」

 

 どこか清々しそうに言う彼女の表情は見えない。

 でももしかしたら、とても嬉しそうに笑っているかもしれない。

 声だけで想像したその表情は、とても可愛く思えた。

 

「……ありがと、鳥居」

「何よいきなり。気持ち悪い」

「ま、強くなろうと思えたのはお前のおかげだからな。礼ぐらいは」

 

 彼女が相手でなければ、ビビっているのがバレた時点で倒されていたのは事実だしな。これぐらいは。

 

「あっそ……。ま、言うのは自由だからどうでも良いけど」

「だろ? んま、次戦う機会があったら、最初から真正面で、互いに全力出し合って戦おうや」

「……ふんっ。ま、考えといてやるわ」

 

 その返事の終わりを合図にしたかのように、戦いの始まりを告げるチャイムの音が、鳴り響く。

 ……チームのリーダーが倒されて戦いが終わった合図……か。

 

 気が付けば、近くで倒れていたはずの鳥居の気配が無い。……負けたチームは自動的に戦場から追い出される、って話しだったな。

 ……ホント、色々と不思議だな、ここは。

 

 でも、悪くはない。

 

 この不思議な場所のおかげで一つ、オレは強くなれたんだから。

 

「よしっ……!」

 

 ……ここからだ。

 ……これからだ。

 ……強くなったと自惚れた自分を捨てて、強くなろうとする自分を受け入れるのは。

 

 動く左手を、倒れたまま突き上げて、拳を作る。

 

 覚悟を手の中に収めるかのように、力強く。

 

「強く、なるぞ……!」